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江戸の銭湯には湯女風呂や二階風呂など遊びの要素が強かったのはわかりました。
 私は、現在と違いこの時代は遊びの要素が清潔に保つ要素より強い、もしくは清潔に保つ要素がないと思っていますが、どうでしょうか?

A 回答 (2件)

う~ん!


私はそうは思いません。
事実、二階こそ男の遊び場だったのですが、一階にある洗い場は、男性も女性も、本来の目的である「清潔になること」を求めて集ってきたのです。

二階の遊びの施設が先に誕生して、次に所謂「風呂としての機能」が追加されたのであればともかくとして、日々の汚れを洗い落とすための施設に、男性客に対する付加価値目的で2階の施設が誕生したのですから、質問者の言われるように「主客転倒」していたとは思えません。

当時の江戸は、とにかく埃っぽく、雨でも降れば道は田圃の如くに変身。一日中外に出ていた人はもちろん、大店の主から手代に至るまで、汚れ方は想像を超えるものだったと思います。

先ずは一日の汚れを落とす事、そこから先は余裕のある遊び好きの人、粋な人などが風呂上りの時間を楽しんだのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうござました。参考にさせていただきます

お礼日時:2006/01/30 23:03

なるほど、と思いました。

湯屋の水を入れ替えるには人力しかないのですから、その労力を想像するに、毎日湯水を落として浴槽を洗い、また水をはるのは大変ですよね。底に栓があって、外すとジャーっと排水されるのは想像し難いです。

 ただ、浅学につきご容赦願いたいのですが、当時の浴槽は汗をかき、毛穴を開かせることに主目的があるとすれば、体を清潔にするには湯からあがった後の『あがり水』で解決すると思います。例え泥水のような湯に入っても(その温度はかなり高いので)吹き出る汗を清潔な水で洗い流す(及び体のクールダウン)事が当時の入浴常識であったかも知れませんよね。これはサウナの方法に近く、『風呂』とはサウナの事ですから、風呂から派生した湯屋がこのように使われていたと想像するのは無理が無いような気がします。
 素人の見解で申し訳ありません。これをきっかけに識者からの回答を質問者様ともども期待します。
 失礼しました。
 
 
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