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 言葉で言い表せないかもしれません。自分というものはどうやって成り立つことが出来ているのでしょうか。たとえば、なぜ、私は<私>であって、あなたではないといいきれるのでしょうか。私が自分のことを意識しているということは、どういうことなのでしょうか。自分から出た、ものが自分にかえってくるのでしょうか。自分はなぜ<自分>なのですか?どなたかお答えいただけませんでしょうか?すみません。十分に、この感覚が言語化できなくて。言語化できないことを質問するなど間違っているかもしれませんが、ずっと疑問でした。

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A 回答 (15件中11~15件)

質問『自分が<自分>であることがなぜわかるのか』



では逆から考えてみましょう。
本当に私たちは、自分という存在を認識できているのでしょうか。

何かを認識するということは、その何かを自分の対象物としてみる
ことから始まります。

身の回りにあるもの、本やペン、マンガ、パソコンなど自分以外の物
を認識することは簡単にできます。

目には見えませんが、電気・空気・磁気といった存在も、それらの
作用を通して認識することができます。


では、自分はどうやって認識できますか。
自分の体は、鏡でみたり、体重計に乗ったりして、確認することができます。
しかし「自分自身」は認識できるのでしょうか。

自分はこういう人間だ、どこで生まれ、どうやって育ち、今何の仕事をしている
というようなことを考えることはできます。
しかしそれは「考えられている自分」であって、本当の自分ではないのです。
自分はこうだと考え始めた瞬間、その「考えられている自分」は考えている
主体の自分から離れ、対象的な存在となってしまいます。
「本当の自分」というのは認識できないのではないか、これが私の結論です。

この問題は昔から多くの聖賢たちの論議の対象となっていました。
インドでは何千年も前から、こういう問題を考えていました。そしてその内容
の一部がヴェーダ哲学にまとめられています。

それからギリシャ哲学の祖であるソクラテスもそうです。ソクラテスは若い頃
神託を出すある神殿にいきますが、そこで「汝自身を知れ」という言葉を見て
びっくりします。これが大変な難問であることに気づいたからです。そして
ソクラテスは、その後哲学者の道を歩むようになります。

では認識することのできない「本当の自分」の正体とはいったい何でしょうか。
インド哲学では「アートマン」[日本語では真我(たぶん)]という存在を
述べていますが、説明が難しいのでここでは省略します。


上記で述べた内容については、「ソクラテス最後の13日」(PHP研究所)
で詳しく述べられています。興味がありましたらご一読してみてはどうでしょうか。
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 僕もいつぞや、そういうことを考えたことがありました。でもいまは全くそんなこと考えないようになりました。何がきっかけかはわかりません。でもせっかくだし、ここで、何が原因なのかいろいろ仮説をつらつらと、思いつくまま述べていこうと思います。参考にならないかもしれませんが。 



Q なぜ自分が「自分」と僕(richan)が分かったのだろう (自問自答)


 1.長きにわたる、生きてきて、できたたくさんの思い出。
 その頭の片隅にひょいと残っているものが、形にふれることのできない「自分」について、一筋の光にあたるような… (意味ぷー) 
 
 まー、自分が自分たらしめるのは、自分の「思い出」とか「経験」ってことかなー。 ☆ピーン(効果音) そう、自分とは、つまり、自分の経験の集合体!!  だからあんまり経験の積み重ねのないころは、自分の実感がないのかったりしてー。    ハイおしまい(なんかDeepになりそうだし)

 2.自分の将来について悩み、そのために自分をいろいろ考えた。もしくは、(ハイデッカーさんの実存主義じゃないけど) 死に直面し、もうだめだと思ったときに、助かり、生き延びたことで、「生きる」ということの実感を得た。


 実は、僕はいっぺん、人の顔だけが見えなるというおかしなことになり、脳腫瘍の疑いをかけられた体験があります。その日は一日中、言葉にはできない、心苦しさや孤独、恐怖、を感じました。そして一日中、いままでの(十数年の)人生をふりかえりまくって「悔いはないじゃないか!」って結論づけたり、「もし生きれたら、したいこと」を考えまくったり、好きだった人への愛こそが自分の存在意義だと結論づけたり、死んだペットや家族は死ぬときどーだったのだろーと考えたり・・・などなど。

 その後、なんか「自分」が確立したような気がする・・・ような・・・しないような・・・  (しかも1.より、さらにDeepになってしまったような)


3.個性が確立した。他人に染まった生き方をしなくなった。



一流学校に進学し、そこでのいわば「エリート」たちに会った。「エリート」は一般にいう「大衆」とは対をなしたもので、全てを自分で考え、常に「大衆」に対して疑いの目を向けていた。自分も彼らの影響を受け、それができるようになってきたから???かな???


 ちょっと、時間の都合上ここで切ります。まだ書きたいし、他の方々の回答も見たいです。 ではまた。
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もしかして、デカルトさんのお出ましなのでしょうか?



「われ思う、ゆえにわれあり」

森羅万象すべてに疑いの目を向けて、いろんな側面から真実を見つけ出そうとした彼が、欲望を持ったり、感じたりしている自分という対象にだけは、疑いを持とうにも持ちようのないところがある、ということに気づいたそうです。

そこで行き着いた境地、「われ思う、ゆえにわれあり。」

それこそが、自分というものを証明するものである、ということでした。

これを学んだ高校時代は、感動して授業を受けていた記憶があります。20年も前の話です。でも今改めて考えると、多少詭弁臭い匂いも感じる。彼の業績は大きいが、その後も哲学者が同じテーマに挑みつづけたのは、完璧な理論ではない部分がどこかにあったからでしょう。

でも、凡人の私は、このレベルで十分満足です。
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こんな事に明瞭に回答できる人いるのでしょうか?


私もykkw_2001さんと同じく「自分が<自分>であることがなぜわかるのか」以前に「自分が<自分>であることがわかっているのか」と思いました。

まあ、少し強引で、回答とも違うちんぷんかんぷんな事かも知れませんが、
popup2002さんをぶん殴って「痛いのは誰だ」と聞きます。
できるのはそれぐらいです。勘弁してください。
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>ずっと疑問でした。


その感覚は、わからないでもありません。

回答ではないので、申し訳ないのですが。

ご質問の主旨は、「自分は<自分>であることが(わかっている)」ということが大前提ですね。

私は、「自分は<自分>ではない可能性がある」と考えています。
目前にしているこの部屋の風景、さっき食べたサラミソーセージの食感、お湯割ウヰスキィののど越し、すべてがレンタルビデオから写し取った感覚か、精密にプログラムされた電気信号を脳に流し込んでる体感ゲームマシンや医療機器である可能性です。
また、宇宙の意思としての「神」が、小手先で描いた落書きかもしれない。

「自分は<自分>である」とは、<自分>を中心に考えた世界に限定された幻想かもしれません。

#とまぁ、難しい質問には、ワケワカ回答を出してしまうのは、やっぱオレなんだなぁ。

popup2002さんとともに、識者のご意見を待たせていただきたく思います。
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この回答へのお礼

自分は<自分>であることがわかっているということが前提にあるのも不思議です。ないこともあるはずなのにです。<自分>を中心にした舞台にいて、みんな演技してくれているのかもしれません。この感覚が理解できる方がいらっしゃって嬉しいです。ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/17 22:58

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