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その物事に対して最善を尽くすとは、何が最善なのか?どのように考えたらいいのでしょうか。また、その物事に最善を尽くしてしまったら、生活サイクルが壊れてしまう事が心配です。

A 回答 (5件)

対処方法で、リスクが全くないならそれは最も適したものですが、現実そうは行かない場合、リスクの保有という考え方があります。



>生活サイクルが壊れてしまう事が心配です

壊れてしまう程のリスクならば、それは保有(持ち越す)ことが出来ないのですから最善とは言えません。

こういったことを一般的にリスクマネージメントと言いますね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
ある程度のリスクが伴うことは、生活するためには当たり前の事ですね。自分にとってのリスクが最小である事をまず考える事が一番なのかもしれませんね。

お礼日時:2006/04/22 19:09

その行為を為して、(自分自身を含めて)いかなる誰をも悲しませることが無いならば、それが最善である。



そして、人がこの最善の行為を為し遂げたとき、(それによって)かれの人生が破滅することはあり得ない。

こころある人は、「最善」についてはこのように理解すべきです。

***
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
難しい言葉ですね。自分が何かをする場合、必ず人が関わっているということに気づきました。一人よがりな行動は、全てにおいて最善ではないということなのでしょうか。考えていくと、深いですね。「最善」というのは、自分の価値観にもよるものであると思います。理解することは、これからの課題でもあるように思えました。

お礼日時:2006/04/22 19:18

最善を尽くすというのは、自分に鞭打って倒れるまで頑張ることではないと思います。



その事を、自分に納得のいくやり方で、納得いくまでやり通すことではないでしょうか。
納得のいくまでやり切れば、心に爽快感を感じます。
そのとき、最善かどうかという疑念はどうでも良くなります。
自分が満たされているからです。
最善の尺度を外に求めているとわからなくなります。
頭で考えるのではなく、心と体を感じてください。
精一杯やったときは、根拠は言えなくても厳密に考えるとやり残したことがあっても、
精一杯やったという気持ちの良い感覚を感じます。
どこかもやもやしていたら、ベストを尽くしてないのかもしれません。

また、昨日のベストと、今日のベストは違うと思います。
なぜなら、たとえば体調が違うからです。
今日のほうが疲れていたり、ショックな出来事があれば、
昨日と同じ成果は生み出せません。
機械的に同じところを目指そうとすると、無理がきて続きません。

人生の目的は幸せになることではないでしょうか。
人生には異なる価値が並存しています。
健康であること、
精神的に満たされていること
成長していること、
自分を表現しつつひとと調和していること
愛すること
いいと思う活動に打ち込んでいること etc.

どれかひとつを限界ぎりぎりまで突き詰めて他を破綻させることではなく、
すべてを勘案して自分にとってもっとも適切なバランスを丁寧に、もっと微妙に最適にと追求していくこと
そのバランスの上で更に更に、ひたむきに、誠実に生きること、
そういうのが最善を尽くす生き方なのではないかと思います。
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この回答へのお礼

『自分に納得のいくやり方で、納得いくまでやり通す。』そうですね。本当にそう思います。最善という意味を無意識に「最善を尽くすというのは、自分に鞭打って倒れるまで頑張ること」と思っていたようです。そして「最善の尺度を外に求め」現在、精神的に壊れてしまい、自分の幸せのために動く事が出来なくなりました。でも、自分の生き方、最善を尽くしていきたいです。コメントありがとうございました。

お礼日時:2006/04/23 02:12

「最善を尽くす」の最善とは「自分にとって最善で有るべき」だと思います。



自分とは精神と肉体から出来ていると思うので、「自分の精神にとっても肉体にとっても最善」でなければならないと思います。

さらに、自分にとっての家族、友人は自分の世界の一部なので、家族、友人にとっても良くなければ、結局自分にとっても良くない結果になると思います。

こうやってどんどん視界を広げていくと、自己の最善とは、全ての周囲にとっても、悪いものであってはならないと思います。

では、一体最善とは?

どんなに努力しても全ての周囲にとって良いことをするのはキリストや仏陀で無い限り、無理でしょう。
いや、キリストや仏陀でさえ、無知な不理解者によって苦しめられました。

私たちに出来る最善とは?

おそらく自分に出来る限り、誠実に、精一杯努力することではないでしょうか。

自己の利益のためではなく、自分にとっての誠実な人生
の理念、理想を規範にして、出来る限りに尽くすことだと思います。

そして、自分を大切にすることだと思います。
自己を大切に出来る人は他者をも大切に出来るからです。

結局、月並みかもしれませんが、その平凡な、極端ではない日常の、誠実な、謙虚な、思いやりにあふれた日々の努力が最善を尽くすことだと思います。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
やはり、「最善」は自分を基準にする事が前提であり、その中で誠実に精一杯努力することなんですね。理解してきました。しかし、もし「最善をつくさなければいけいない」という強迫的な感情だとしたら、きっと、自分の人生において、「最善」以前の問題である事の重大性に気づくべきなのかもしれませんね。自分のために、人生の見直しを行っていきたいと思うようになりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/04/23 02:33

最善を尽くせなくても生活サイクルが崩れることも当然あります。


最善を尽くしても結果が最悪なことも当然あります。
 言ってみれば自己満足と諦めでしょう。別にそれは悪くなくむしろ当たり前のことです。
「これで最善は尽くせた」「やれる限りのことはやった」「これ以上は無理だ」「どんな結果でも悔いは無い」などということです。
そうしなければ最善を求め続けてしまいます。スポーツ選手など、自分の限界や記録に挑むならば無論それでもかまいません。しかし普通の人はどこかで妥協することがほとんどです。どうしても悔いは残る、それをどこで断ち切るか・・・ということになるでしょう。
 現実と理想の折り合いをつける、と言えるかもしれません。
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この回答へのお礼

コメントを頂いて、いろんな意味で深く胸にしみるものがありました。「最善を尽くしても結果が最悪なこともある」ということ。そしてそんな時「それをどこで断ち切るか」ということ。それは全て自分の選択によるものですね。自分の人生を思いっきり生きている限り、物事全てこの繰り返しのような気がしてきました。それを踏まえ、これからも自分の現実と理想のギャップと付き合って生きたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/23 15:26

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