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東大を受験するのは、高校卒業者か大検取得者であれば誰でもかまわないわけですが、芸能人が、自分の芸の肥やしのするために受験するのって、おかしくないでしょうか?
合格するのは相当な勉強が必要でしょうが、仮に合格したところで入学して卒業するわけではないですね。
合格したらしたで「東大合格」という金箔を貼って芸能活動するわけですよね。
本来の教育の理念から大きく逸脱した行為といえないでしょうか?
むしろ、東大というのをさらに有名無実化させ、何のために学ぶかもそっちのけで、意味もなく東大を目指す人が増えてしまうんじゃないでしょうか。
以前電波少年でもまったく同じ企画ありましたが・・・。

A 回答 (4件)

こんばんは。



芸人が大きな壁に挑む姿が視聴者にうけるのだと思います。がんばる姿勢が立派だからです。

この壁は東大が分かり易いです。スポーツとかは大多数の人にうけないと思います。勉強は誰でも経験しています。ですから勉強がいかに辛くて、難しくて、投げ出したくなって、持続できなくて、嫌なものであるか皆わかっていると思います。だからその強大な壁に挑む姿は大勢の人にうけると思います。

スポーツならたとえ野球やサッカーといった主要なものでも部活でしごかれたりでもない限り多くの人は体育の授業レベルです。

多くの人が体験した難しい辛いことでないと大衆に受けないと思います。
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> No.2です。



> それがなにも「東大合格」でなくてもいいはずです。

一般大衆がそれを見て感じる事で、東大が大きな壁というイメージを受ける象徴なのでは...という意味です。
確かにおっしゃる通り、東大でなくとも何でもよいかと思いますが、イメージとして分かりやすいので...というのは番組の身勝手な事なのかもしれませんね。言われている事の可能性は0%ではありませんので...。

ただ、何事も表があれば裏があるように、表の両極端を見るだけでなく、裏(作者の本意)の意見としてあるべきと思います。表に見える部分の大半は歴史よって作られてきた人のよる創造物ですので、裏をどう捉えるかだと思います。

漫画、コミック、映画などにも沢山ありますよ。作者の本意が分かれば、違った考えも持てるのではないでしょうか。
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確かにそういう解釈もありますね。

番組自体の本意は分かりませんが、東大は一般的なイメージが困難(私的に感じるだけかもしれませんが)な壁として連想されます。この事で、「どんな困難に対しても、誰もが努力すれば出来るんだ!」という事の解釈としても取れないですか?

この回答への補足

困難を努力して乗り越えることは大事ですが、
それがなにも「東大合格」でなくてもいいはずです。
東大に限らず、大学とは高等教育を受けるため、もしくは研究するために、受験し、入学し、卒業し、そして社会にそれを還元するか、大学に残って学内で還元するか、そのためにあるのだと思います。
テレビ局や芸能人の営業の対象のためにあるのではないと思います。
受験するのは自由であることを逆手に、それを営業目的につかって、それをテレビで放映するのは、果たしてどれだけの意味があるのか、そして、悪影響さえあるのではないかと思わざるおえないのですが・・・。

補足日時:2006/05/21 14:10
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東大はそんなに生半可なやつが受かるとこじゃない、心配ない。

仮にもそいつが受かったとしたら、それは明らかにその芸人の実力なのであり、僻むよりむしろ素直に賞賛しなければならないことだと思う。ぼくも東大と毎日触れていて、その度に新たな素晴らしさ、魅力を発見している。

ただ、東大を俗世間化することには僕にも抵抗がある。しかしながら、ほんとにそのようなことが起きうるのか?これまた一考に値する。
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