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タイトルの通りですが、「天は二物を与えず」っていうことわざ、ありますよね。僕はしょっちゅう思っているんですが、これは誰にでもあてはまることではないと思うのです。
何故なら、僕の知っている人に、運動神経抜群、成績最優秀(評定オール5)、性格明朗、敵作らぬ人の良さ、ルックスよし (などなど)、これらを持ち合わせた、とんでもないやつがいるんです。
こういう方、学年に一人はたいていいますよね。
ココで思うのですが、こういう人って、「天は二物を与えず」の意味、「天は長所をいくつも与えてはくれない」から外れていませんか?
 というか、いくつも与えないというより、いくつも与えすぎているのではないでしょうか。
果たして、こんな人にも「天は二物を与えず」が当てはめられるのか、とても疑問です。
 そうすると、そういう例外がいるってことは「天は二物を与えず」は否定されてしまうと思います。

「ことわざ『天は二物を与えず』、これは人類皆に言えると断言しても、果たしていいのか?!」、これについて、どうお考えでしょうか。ご意見お聞かせ下さい。

神様が酔っぱらって長所をホイホイくっつけてしまっただけなのでしょうか。
興味を持たれた方、共感なさる方などの回答お待ちしています。

A 回答 (8件)

「天は二物を与えず」…一人の人間がそういくつもの才能や資質を備えてはいない。



だそうです。
”才能や資質”ですので、「長所」とは少し違うかもしれませんね。

世の中には、「才能」や「先天性」が影響することが割とあって、
そのうち2つ以上のことができてしまう人もちょくちょく居るので、
「人類皆に言えると断言」できると、一概には言えないと思います。

まぁ、諺や慣用句なんて、国や地域によって違うものなので、
日本では「天は二物を与えず」とか言いますけど、
どっかの国では「神様は不公平だ」って言ってるかもしれませんね。


ただ、どれが「天が与えたもの」で、どれが「努力して手に入れたもの」か、
実際のところは本人で無いと分からないことですし、
その人がスゴイという事と、自分がスゴくない事には何の関係も無いので、
妬んだり恨んだりせず、単純に「すげーなー」と思うことにしています。

個人的には、レオナルド・ダ・ヴィンチあたりは、
二物を与えられたクチじゃないかと睨んでます。
会ったことないのでわかりませんが。

ちなみに、私が自分でいっぱいあると思い込んでいる「長所」は、
(「才能」と言えないのが悲しいですが)
天が与えたものではなく、自分で掴み取ったものだと思っています。
勘違いでないことを祈るばかりです。
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この回答へのお礼

そうですね。世界には日本と正反対のことを格言としている国があるかもしれませんしね。
僕も、長所は努力で結構つかみ得てきたつもりです。それでも、生まれながらに長所をいっぱい持ってきた人っていうのはやっぱりうらやましいです。
これは関係ないことかもしれませんが、長所をいっぱい持った友達Yは、自分が出来るからといって、他人の失敗をみて、あざ笑います、「なぜそんなことも出来ないのか」と。僕は、それが許せないのです。
そんなこともあって(まあ、そんなのは友達Yだけかもしれませんが)、苦労を知らないでいろいろなことを普通に出来ているやつっていうのはあまり受け入れられないのです。

お礼日時:2006/07/10 04:17

 面白い質問だと思います。

いますよね、なんでも器用にこなしてしまう人。今、そういう人のそばにいるあなたもきっと、他人から見れば優れている人の中に入っていることでしょう。

 優れた遺伝子と、恵まれた生育環境。羨ましい限りです。
 そういう人たちの集まった集団に属することがどういうことなのかよくわかりませんが、刺激にはなることでしょうね。

 真剣に、そのような人たちばかりに囲まれて、
 「自分は反応が鈍いんでないのか」と
 悩んでいた人の話をきいて、優れた集団にいる人にはその人たちなり
の感じ方があるのだと知りました。

 天が二物を与えた人には、その人なりの人生があることでしょうが、そうでなくてもそれなりの何かがないとしたなら、それこそ、少子化一直線でしょう。

 それが仕方のないことなら、面白くないね。
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この回答へのお礼

本当です。うらやましい限りです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/14 00:51

私には長所と呼べるものが何一つありません。

一応女ですが、見た目が極めて悪く、性格もよいとは言えず、気も利きませんしどんくさいです。頭もどちらかというと悪いです。動作もノロマです。

私のようにいいとこ無しの人間がいるのですから、色んなことに長けている人間がいてもおかしくないと思います。

個人的には『天は二物を与えず』ということわざは「比類ない才能を開花させている人の欠点を見た時に他人が思わず言う言葉」だと思っています。

ものすごく頭脳明晰な学者さんの書く文字がすごく下手くそだったとか、誰もがほめずにいられないほどの美人が大変に音痴だったとか…そういう瞬間に抱く感想のような。
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この回答へのお礼

本当ですね。「あいつは完璧人間だ!」と言われ続けた人が、あるときぼろっと欠点を見せてしまったとき、誰かが言ってしまったことなんでしょうね。
とてもわかりやすかったです。ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2006/07/14 00:54

「まったく見たことも聞いたこと経験したこともないようなスポーツを初めてやってその道のプロであるかのようにこなすことができる人」や、「まったく見たことも聞いたこと経験したこともないような言語を聞いてまるでネイティブであるかのように会話をする人」や、「まったく見たことも聞いたこと経験したこともないような学問分野をさも研究家でもあるかのように解説するような人」を指して「天は二物を与えず」というのです。



「ちょっと運動神経がいい」とか、「ちょっと学校の成績がいい」とか、「性格がいい」とかそんな「お山の大将」的な才能や、努力をして身につけた才能を言っているのではありません。

「二物」は先天的な才能を指すのであって、後天的な才能は「天」が与えたものではなくその人が自ら身につけたものです。
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この回答へのお礼

おはようございます。
短いながら、とても説得力があって、中身がびっしりと濃かった回答でした!ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/10 05:09

残念ながら共感は出来ませんが、一言書かせてくださいね。



あなたの質問を読んで思うのは「天は二物を与えず」
という言葉にどうしてそんなに拘るのかなということです。

別に天、つまりこの世の中は「天は二物を与えず」という単なることわざで動いているわけではないんですよ。

「ことわざ『天は二物を与えず』、これは人類皆に言えると断言しても、果たしていいのか?!」これ誰の言葉なのですか?
運動神経抜群、成績最優秀(評定オール5)、性格明朗、敵作らぬ人の良さ、ルックスよしという、とんでもないやつばかり見て一日を過ごしているあなたの言葉なのですか?

もしそうならずいぶん時間の無駄使いをしていますね。他人は自分じゃありません。当たり前ですよね。
他人を羨んだりやっかんだりしても、あなたには何の得もなければ損もないはずです。

あなたにはあなたがやるべきことが、たとえささやかなことであっても必ずあるはずです。

「天は二物を与えず」の意味は「天は長所をいくつも与えてはくれない」というのは、ある意味当たっています。
でも人はたとえ一つくらいは持って生まれた才能があるとしても、それだけでは人は評価してくれないし名声を得ることは出来ない。それなりの評価や名声を得るには、やはり人と違う着眼点を持ったり努力をするべきだ。
そんな風に考えることは出来ませんか?

世の中には確かに恵まれた人たちが大勢いますが、それでもそれなりに若いときや、仕事を始めたときにはかなりの努力や苦労を重ねているものですよ。

あなたの学校にいるスーパーマンのような人も決して運動神経抜群、成績最優秀、性格明朗、敵作らぬ人の良さ、ルックスよしだけで将来が決まるわけではないですよ。
その人も間違いなく社会に出れば、想像もしたことのない苦労や苦難にぶつかるはずです。もしその人が自信満々の性格なら、それこそそんな現実に直面したときになす術を知らずに、ただこれまでの恵まれた人生と照らし合わせて、世の中を見当違いの恨みを持ちながら人生の落伍者になるかもしれません。

過去の栄光とちやほやされた人ほど、困難に立ち向かい切れないものなのです。そんな友人を私は何人も知っています。

だからといってあなたを擁護しているわけではないですよ。正直あなたのような人も社会になじめず、ただひねくれた人生を送る可能性があります。

人のことに無駄な時間とやきもちを焼く暇があるのなら、誰もが読んだことのないいろんな文学を読んでみたらどうですか?漫画やアニメじゃないですよ。文字だけの本です。
トルストイやドストエフスキー、傾倒されたら困るけどマルクスの「資本論」でもいいですね。安部公房、五木寛之、村上春樹、司馬遼太郎もいいですよ。

あなたが今幾つかは知りませんが、たぶんどれも退屈で難解な本もあると思いますが、一冊でもいいから何ヶ月かかってもいいから読み通してみてください。
眠くなるような退屈な本をしっかりと読みきることで、あなたには忍耐力と何より知識と、知識欲が出てきます。それだけで十分です。きっと人生が変わりますよ。
それでも変わらなければ、もっともっと読んでください。いつの間にか周りがあなたを見る目が変わってきますよ。

この回答への補足

先程は、回答ありがとうございました。
KITAIKKIさんは何でも悟っていらっしゃいそうなので、補足で質問させていただきたいのですが、よろしいでしょうか(イヤでしたら無視されてかまいません)。
 ある、長所をいっぱい持った僕の友達Yは、自分が出来るからといって、他人の失敗をみて、あざ笑います、「なぜそんなことも出来ないのか」と。僕は、それが許せないのです。
だから、僕は(そんなのは友達Yだけかもしれませんが)、苦労を知らないでいろいろなことを普通に出来ているやつっていうのは寛容に受け入れられないのです。
KITAIKKIさんはこういう輩についてどのような見解をお持ちですか?
ちなみに、そのYくんに欠点という欠点は見あたらないのですが・・・(短所-あざ笑うこと 以外で)。
ああ、またひねくれてしまいました^^;。
お馬鹿な質問すみません。どうぞ、ご容赦下さい。

補足日時:2006/07/10 04:18
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この回答へのお礼

お叱りごもっともです。
マルクスと言えば、イギリスの資本主義社会の不平等さに対してエンゲルスとならんで「社会主義」を唱えた人物ですよね(定かではありませんが)?そのへんはよく存じております。「資本論」ですか、機会があったら今度読んでみます。

お礼日時:2006/07/10 04:08

No.1さんやNo.2さんのおっしゃるとおり!



ただし、私が一つ思うことは、生まれ持った物。
生まれ育つ環境(親兄弟・お金・住む土地)に関しては、
自分ひとりがどう努力しても変えられるものではなく、
これだけは羨ましく思うことがあります。
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この回答へのお礼

そうですね。これだけは、どんなに頑張ろうと変えられないことだと思います。
それらも十二分に持ち合わせ、さらに、運動の才能や、知能、no.1さんのおっしゃるような、才能を開花させる才能をもった人には、死ぬ覚悟で挑まないと、到底追いつけませんよね。
また、うらやましいと思う、卑しい自分がとてもにくい。この世に生まれてきたことを後悔してしまうことも多々あります(オーバーですが)。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/10 01:00

天は与えてくれませんが、人は努力によってニ物でも


三物でも得ることができます。
頭がいい、運動ができる、顔がいい・・・
なんの努力もナシにやっているとおもいますか?

人事を尽くして天命を待つという言葉があります。
うらやむだけでなく、やることやりましょうよ
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この回答へのお礼

僕は、努力しているつもりなのですが、そんな僕の横で、僕よりも努力しないでも才能を開花させて、活躍して、飛び立っていく人がいっぱいいます。
やはり、そういうのをみていると、うらやみの気持ちがあふれ出てきますよね。
そんななかで、いっそう、このダメな自分をこの世から消してしまいたいと思ったことも。頭抱えて、ふるえていたことも。

 死ぬほど、命をかけて努力してもいないのにこんなことを言うのは絶対おかしいことだと思いますが、やっぱり、「運動が出来る」、「顔がいい」などは、どんなに努力しても変えられないことなのだと強く思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/10 00:55

学校の成績や体育ごときで才能だと思っているほうがおかしい。


全体から見てどれも中の上(スポーツ特待生になれなかったり、東大・京大に入れない)などものの役に立たない。
敵を作らないのということは、味方も作れない。
ルックスなど、ガキの頃の顔立ちがいい奴は、年をとるにつれ深みが出てこない。
ようするに、こんな奴は、天から何かを与えられたものではないということ。

また、私の解釈から言えば、天が与える二物とは二つの分野ではない。
優れた才能と、補う才能だ。
人はどちらかを天から貰う。
優れた才能とは、文字通り何かに対して突出した能力を発揮すること。
補う才能とは、多くの人や多くの分野に対して、決して劣らぬ能力を発揮すること。
この相反する能力を与えられないということだ。

また、あなたの解釈による天からの贈り物でも、天は二物を与えずに反することはない。
例えば、「事の本質を直感的に理解できる」という才能を与えられれば、
学業はもとより、ビジネス、対人関係、あらゆる面で成功する。

最後に加えるなら、自分が自分自身の能力を限界まで引き出していないのに、
それを引き出せた人間に対して「才能が有る奴はうらやましい」では様にならなすぎる。
多くの人を苦しめる数学は大学院までは才能とは無縁でたどり着ける。
もしかして、才能を開花させることが出来る、という才能が天からの二つ目の授かり物なのかもしれない。

この回答への補足

>自分が自分自身の能力を限界まで引き出していないのに、
>それを引き出せた人間に対して「才能が有る奴はうらやましい」では様にならなすぎる。
これについて、僕の友達に、跳躍の高跳びで軽々と、しかも努力も練習もしないで、高い高さをぴょんと跳び越えてしまったり、普通にしているのに周りに友達が集まってくる、「カッコイイ!」とチョクチョクいわれてる、そんなやつがいます。
 本人に聞いてみても、そんなことは意識していないし、別に努力したことはないとのこと(かれは、ボンヤリして、何にも考えていないような感じの人です)。
 彼を思い出して引っ掛かるのが、回答の「それを引き出せた人間」なのですが、
こっちは努力して、頑張って、練習して、ときに挫折して、長い時間かけて、才能を手探りで、必死で探しているというのに、僕のそんな横をスキップで超えていってしまう・・・。
 軽々と「引き出せた」・・・、これもある種の才能だと考えても良いのでしょうか。
 そんなのを思い出して少し腹立たしいのが正直な僕の今の思いです。
Forsetiさんはそこのところ、どのようにお考えでしょうか。
 また、Forsetiさんはそのような経験、思いをされたことはありますでしょうか。
補足の回答、宜しくお願いします。

補足日時:2006/07/10 00:31
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この回答へのお礼

読んでいて、まるで本を読んでいるかのような感動が後に残りました。才能を開花させられる才能を持って生まれたから、才能が次から次と開花するのでしょうか。
それはそれでうらやましい(おいおい)。

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2006/07/10 00:30

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