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具体的な話ではないですが、ご意見をお願いします。

「法の抜け穴」「法の抜け道」と呼ばれるものは、
大方「人としてどうなのか?」「明らかにおかしい」と言われるものだと思います。
それぞれの事象について感じ方は人によって千差万別だとは思いますが、
例えばホリエモンのニッポン放送買収騒動のときは、
メディアによって「あいつは金ばかりだ」というイメージが定着してしまったからか、
あまりいい捉え方をされなかったようです。
一方、日本にたくさんいる個人事業主は
経費をうまい具合に処理して納税額を少なくしていますが、
一歩それるとダークな部分も結構あるんではないでしょうか…。
また合法といわれるネットワークビジネスなどもそうです…


そういう法律に関するダークな部分、
一番は、まずおかしい部分の法整備をするべきだと思います。
しかし、次はやはりその人のモラル・考え方だと思います。
線決めはどういう基準になりますか?
自分がもし「これはいいことを聞いた、しかも法律には触れない」
という状態になったら、「人としてどうか」という判断が鈍りそうで怖いのです。
これはお金に関することだけではありません。
まあ、法律をよく勉強していると言ったら褒めるべきかもしれませんけど。


質問内容をまとめますと、

・あなたは合法なら何でもやっていいと思いますか?
・もしだめなら、その線引きの基準などあれば教えてください。
・その他ご意見など

具体的な例・事象をご存知でしたら挙げていただくと非常に参考になります。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>・あなたは合法なら何でもやっていいと思いますか?


思いませんが、許されると思います。もっとも法律が許したからといって、そんな人と人付き合いが続けられるかは別問題ですが。
>・もしだめなら、その線引きの基準などあれば教えてください。
他者に損害(金銭・名誉等色々)を与えないこと。

難しいことは考えないです。これで十分かと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/03/17 17:14

質問者さんが法律に詳しい方かどうかはわかりませんので、法律に詳しくない一般の方を想定して極力専門用語を使わず回答いたします。



歴史上「民主主義」の生まれたきっかけは、平ったく言うと治められる国民のことは、治められる国民自身が決定した方が、結局は良い方向に向かう可能性が高いからです。

これは独裁者や一部の支配階級のみが政治を決定したなら、たとえそれが優秀なエリートのよる国家運営であっても、往々にしてその支配階級に都合の良い政治が行われ、被支配者である国民にとっては喜ばしい結果にならないという経験則によって生まれたと言っていいでしょう。

この「民主主義」を実施する際には当然多くの意見や利害の対立が発生します。
そこで採用される方途が「多数決」というものです。

しかしながらこの「多数決民主主義」には、ひとつ大きな弊害が存在するのです。
それは多数決民主主義によっては、当然のことながら「多数派」の意見が反映されるので、時に「少数派」の人権が侵害される傾向が多いのです。

例えばキリスト教徒が多い国家において、そこで「民主主義」が適切に行われたなら、それは当然キリスト教徒にとっては非常に居心地の良い社会になります。
しかし異教徒にとっては、もし「キリスト教以外の宗教は禁止する」なんて法律が多数決と民主主義の適正な過程を経て成立したとしても、それは「不当な弾圧」であることは疑いようもありません。

そこで歴史上初めて生まれた思想が「自由主義」という考えです。

つまり仮に多数決であっても奪うことができない、人間が本源的に持っている「権利」があるのではないかと言う考えが生まれたわけです。
そしてこの「多数決によっても奪えない人権」を認めたのが「憲法」であるわけです。

簡単な例を出しましょう。
例えば日本国憲法においては、いくら国民の適正な選挙によって選出された議員で構成された国会であろうと国民の「信教の自由」を奪うような法律は作ることができません。
仮に国民の99%がオウム真理教の教義が悪いと思ったとしても、(治安を乱すような行為は規制できても)オウム真理教を信じること自体を規制する法律は作ることが出来ないのです。
これがまさに「自由主義」です。

そしてこのように「憲法の枠内」のみで「民主主義」を運用できるという思想を「多数決民主主義」に対し「立憲民主主義」と言います。
________________________
前置きが長くなりました。
日本は現在この「立憲民主主義」を採用しています。

ですから、いくら多くの人が、仮に99%の人が「ヘンだ」「いやだ」「おかしい」と言ったとしても、それがあらかじめ適正な法律によって禁止されていないなら、それは許されると思います。

つまり質問の回答をするなら
Qあなたは合法なら何でもやっていいと思いますか?

はい、私は許されるし、許されなければ法治国家は成り立たないと思います。

Qもしだめなら、その線引きの基準などあれば教えてください

そのような線引きは、単なる一個人の価値観であって、それを他人に強要するのは不当であると思います。

しかし!
ここからが肝心なんだと思うのですが、いくら「法」によりある反社会的行為(マナー違反など)が罰せられないからと言って、反面その反社会的行為を「嫌悪」「拒否」「批判」する自由も同時に存在するのです。

たとえ法により罰せられないとしても、それにより多くの人々から否定される行為をしたなら、当然その不利益も享受するという責任が生じます。

つまり、やはり「社会通念」や「常識」「マナー」というものは大事なのです。
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2007/03/17 17:13

・あなたは合法なら何でもやっていいと思いますか?



それをやると死人が出る、あるいは間接的とはいえ他人に大きな迷惑をかけてしまう、という事が無くて、さらに自分の罪悪感が傷つかない程度のグレーな行いであれば、生きるためにやりますね。
生きるためになんていうとカッコいいですけど、
結局金が欲しいからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2007/03/17 17:12

そこそこ法律を勉強している者です。



>・あなたは合法なら何でもやっていいと思いますか?

思わないです。
社会でいざこざなく生きていくのに必要なのは法律だけではありませんから。

経験則的に、「合法なら何でもやっていいと」と思う人はたいてい
法律の勉強をしていないか、していても甘い
(私がよく言われた「点としての知識しか持っていない」)
場合が多いと思います。

ちゃんと勉強している人は「社会のルールは法律だけではない」ことをちゃんと分かっていますし、
法律を使える/使ったほうがいい場面と使えない/使わないほうがいい場面を割と判別できます。

>・もしだめなら、その線引きの基準などあれば教えてください。

私も「場の空気を読む」のはどちらかといえば苦手なほうですが、
やっぱりそれをやらなきゃだめでしょう。

>「法の抜け穴」「法の抜け道」

こういうのも、たいていは「違法だけど今は見つからないよ」に過ぎない話だったりします。
今見つからなくても、将来も見つからないことは誰も保証できないことに気づかずに泥沼へ…ってパターン。

実際には法の穴なんてそうそうあるものじゃないことも、法を勉強すると分かることだと思います。
(全くない、とは言えないところが辛いところではあるが…(笑))
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2007/03/17 17:11

「法律に反するか」と「倫理的にはどうか」は別問題です。



> あなたは合法なら何でもやっていいと思いますか?

「他者の存在を排除すれば自分は助かる」という状況下では「人食い」
が認められていますが私にはできませんね。
これは合法であるが倫理的に受け付けられないというものの極論です。


> もしだめなら、その線引きの基準などあれば教えてください。

極めてあいまいです。
生理的に受け付けられるかどうか。
また、社会的に生活できる環境を事後維持できるか。
で判断します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/17 17:10

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