
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
>ということはカトリックでは、いわゆる聖書全部を神の言葉として
>受け入れているわけではない(少なくともテモテの書のそれらの
>部分)ということなんでしょうか。
テモテもパウロも、生前のイエスと会話したことはないですよね。
福音書の著者もイエスの使徒ではないですよね。
しかし、昔は4福音書はイエスの使徒が書いたと思われたようなんですね。
4福音書以外は、例えばテモテの手紙などは、信者のイエス理解がかかれていたと思います。
つまり、神の言葉じゃなくイエス伝を聞いた一信者の理解の内容が書かれているだけ。
信者の信者たるものこうあるべきだという手本として聖書に取り入れられたのだと思います。
別にそれはそれでいいとは思います。
ファンが芸能人を熱く語り合うことに、何の問題も無いのと同じ。
古代ユダヤ教では、結婚は信者の当然の義務だと考えられていたようです。
(ただし、クムラン宗団は例外)
>そこには「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」という言葉もウソ、カトリックの幹部の言うとおりにしていなさい、ということになるのでしょうか。
それを言ったら、十戒律すら、本当に神から聞いた言葉なのか、誰も証明できていません。
人がそれを神からの言葉と定めた結果、それは神の言葉だとなるわけっです。
その団体が認めなければ、神の言葉にはならない。
つまり 人間次第、信者次第。
(神次第ではないところがおもしろいですよね。神は関係ないようです。)
ジャンヌ・ダルクは「本当に神の言葉を聴いたのか」と裁判で言われて、自信がなくなりましたよね。
今度は信者にジャンヌ・ダルクにされたものと同じ質問をしてみたいですね。
テモテは信者の見本として利用するには都合がよかったので、聖書に入れられたのではないでしょうか。
4福音書だってそうです。
聖典に入るまでは、福音書は1000くらいあったそうです。
それが人によって、たった4つだけが真実で、後は嘘と退けられた。
誰が真実かどうか決めたか? 神じゃないです、人間です。
エイレナイオスらです。
エイレナイオスはヨハネの福音書のみを重要視して真実が書いてあるとしたんですね。
理由は、エイレナイオスの師匠は、12使徒の弟子だったと言っていたから。
だから、ヨハネの福音書のみが信じるに値するとしたらしいんです。
随分 あやふやな根拠ですね。
人間を信じた。 神は教えてくれなかったのでしょうね。
聖書にイエスの系図がありますが、あきらかに間違いの箇所があるし、(これはカトリック教会も間違いだと認めている)、福音書によってイエスの系図が違う。
それでも信者はどっちも正しいと信じている というより、気づいていないで斜め読みしているから、間違い 矛盾に気づけないのではないかと思います。
疑いをもたず信じきること。
それは大事なことです。 なかなかできるものではない。
しかし、人間という過ちを犯す者の言ったことを鵜呑みにして果たしていいものかどうか。
例えば、「ピラトは裁判で義の人であったのでイエスに罪はないとした」と聖書にはありますが、実際のピラトは、ローマ軍にたてつく疑いのあるユダヤ人は、裁判なしで即処刑をしていたことで、その名をとどろかせていた冷酷な人物でした。
「貞節な結婚をしたコンスタンティヌス1世は、イエスの啓示によって改心し、その後貞節な生活をしキリスト教を国教にし、キリスト教が真実だったので、死ぬ間際に洗礼を受けた」
実際は、コンスタンティヌスは妻二人、愛人は多数がいた。
キリストがマルビオス橋のところに現れ、彼を改宗させたというのは、キリスト教が作り上げた話。
後世になると、コンスタンティヌスが空に十字架のしるしを見て、そのしるしには「このしるしにおいて勝つ」と文字が記されていた という伝説になった。
コンスタンティヌスが軍旗につけたしるしは十字架ではなく XとPを組み合わせたもので、これはミトラの組み合わせ文字で、太陽を表すしるしであって、コンスタンティヌス以前の異教の肯定たちが何人もそのしるしをもちいていた。
彼はどの宗教も信仰していいと認めただけで、キリスト教のみを認めたわけじゃない。
どの宗教も認めれば、民は自分を敬ってくれるだろうという考えからそうなっただけ。
コンスタンティヌスはどの宗教も信仰をしていいとしたが、コンスタンティヌスが死ぬと、キリスト教は対立する宗教を攻撃し、それは成功をおさめた。
歴代の皇帝はどの人もキリスト教を嫌っていたわけじゃない。
なにより、ローマは最大4人同時に皇帝が乱立するという事態も起こっていた。
「ビザンチン帝国において」と言われても、ビザンチン帝国など無かった。
無いものをあるとするのが、盲信の証。
「皇帝ネロはおとなしいキリスト教徒に濡れ布を着せ殺戮をしていた」
これもノー。
キリスト教が作り上げた嘘。
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘づくし。
その嘘を真実だと盲信しきれるから信者なわけですよね。
頭で考えない。
考えるのは支配者が考えるので、支配者の僕はただ「はい その通りでございます。」と支配者の手足となって無償労働するのが、支配者にとってとても都合のいい使い捨てできる見本信者だと思うんですよね。
死ぬまで信仰してくれれば、天国行きの切符を死ぬときもらえるに違いないという企てによる信仰なら、信仰とはお徳かどうかに左右されるものに成り下がってしまいますね。
教会の嘘を挙げてみましたが、それでも信者はサタンに誘惑されないぞ と耳を塞ぎ盲信するでしょう。
聖書を読まない信者の証なのか、4福音書以外は信じるに値しないと教会でも読まれることは無いのか。
それともそこをすっ飛ばして読むよう指令が出ており教会では取り上げないのか。
やはり これはカトリック信者さんにどう教会から説明されているのか、真実を聞くしかないようです。
信者さんの登場を私も待っております。
No.2
- 回答日時:
結婚に関してイエスが規定を設けていない部分については、集団のルールが優先するのではないでしょうか。
ユダヤ教では神の祝福とは子供めぐまれることなので、祭祀たちもあたりまえのように結婚をし、マリアの両親などは子供ができなかったので、神から呪われたと思われていたんですね。
それくらい、結婚は神に対する信仰においてとても重要なことだった。
カトリックは信者に対してルールを設けていますが、性欲によりセックスは禁止しています。
あくまで神の恵みである子供を得ることを目的とした時のみ、セックスをしてよいわけです。
神の祝福の結果 子沢山になったわけです。
ただし 子供の人数=今までセックスをやった回数というわけじゃないとは思います。
そして神の恵みである受精を阻む行為、すなわち避妊具の使用も絶対にやってはならないこと。
それがあるのでカトリック信者の家庭は子沢山。
逆に子供が少ないと、神からあまり祝福されていない証明になってしまうという。
従って一般信者が結婚をしたいというのに対して、神父がそれを禁止することはない。
神の意思で結ばれた二人なので、神の意思を阻害して神父が結婚を認めなかった場合は、その神父は神への反逆の証になってしまう。
では、聖職者は。
神によって招かれたので神父になった。 と解釈する。
つまり神によって選ばれた人たちだとしているわけです。
マリアがセックスなしで妊娠したというのは、後に決めたことです。
キリスト教が迫害したグノーシス派のマルキオンは処女と未亡人 それに性交渉を慎むことを誓った夫婦のみに洗礼と聖体拝領を許可した。
マルキオンはセックスを悪と考え、これ以上悪を地上に増やしたくないと考え、自らも結婚を控えていたそうです。
ユリウス・カッシアヌスもイエスが地上に降りてきた理由は人間がセックスをすることを抑制するためと考えた。
結婚を腹立たしい重荷だと捕らえた聖アンブロシウスは夫婦の愛は束縛と隷属に繋がると警告した。
タティアノスはセックスは悪魔の干渉の結果であるとし、キリスト教徒の生活は純潔の枠外では考えられないとした。
聖アウグスティヌスは女性の愛撫や妻との肉体的な結合以上の、男性の精神をその崇高のきわみから堕落させるものはない とした。
聖ユスティノスはマリアがセックスして妊娠したなどありえないと考え、処女受胎したに違いないと考えた。
オリゲネスはイエスは一生バージンだったと思い、去勢術を受けた。
このような性に対する病的な強迫観念はキリスト教の幹部の中で蔓延していった結果、テモテの考えた聖職者とされる人たちのルールが変更になったわけです。
この集団ヒステリーにより教会は4世紀に既婚聖職者に対して、妻とのセックスを禁じた。
子供を設けることも禁じる戒律を設定した。
聖職者がこの戒律に従うことを拒んだ場合、罰金をかせられた。
そのうちエスカレートして公開鞭打ち刑、投獄、免職、そして既婚聖職者の結婚の無効化へと発展した。
ついには教皇自ら既婚聖職者から妻子を取り上げ、教会の奴隷とする指令にまで発展していった。
つまりテモテは神じゃありません。
初期のまだ確立していない時代の一信者(地方の幹部)。
地方の一リーダーの考えなど、とるにたらない。
後に変更になってしまったので、テモテの考えなど、どうでもいいわけです。
では、どうして聖書から消さないのか。
変えてはならないとあるので、消せないんです。
でも福音書以外は消せるんじゃないかと思いますし、今までも福音書を改ざんしてきているのだから、福音書ではない部分など教会でどうにでも変えられると思うんですよね。
でも残っている。
この何故に対する答えは、「一般信者と幹部の戒律は違うから。」が無難だと思います。
カトリックは特に性に対してものすごい罪悪感を持ちます。
歴史を見ると女性を糞尿の容器と断言していますし、悪魔とも言っています。
信仰が強まれば強まるほど、神の祝福を拒むようになるとは皮肉ですね。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/04/13 16:35
>テモテ・・・初期のまだ確立していない時代の一信者(地方の幹部)。地方の一リーダーの考えなど、とるにたらない。
ということはカトリックでは、いわゆる聖書全部を神の言葉として受け入れているわけではない(少なくともテモテの書のそれらの部分)ということなんでしょうか。
つまり、テモテII3:16あたりまで見ましたが、そこには「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」という言葉もウソ、カトリックの幹部の言うとおりにしていなさい、ということになるのでしょうか。
No.1
- 回答日時:
カトリックでも、キリスト教信者でもありませんが、
聖書は一人の人間が書いたものでは無く、色々な意見を持った沢山の人間が書いたものですから、様々な解釈があるのは、避けられない事ではないでしょうか?
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