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つい先日、会員登録をしました初心者です。
質問するのも今回が初めてですので、皆様、何とぞよろしくお願いいたします。

今回質問させていただく内容はこのサイト内でもよくある内容ですが、「結婚と宗教」についてです。ただ、今まで質問については、どちらかというと特定の宗教を持たない方(以下、便宜的に「無宗教の方」と言います。)からの質問が大半だったような印象を受けましたので(もちろん日本人の大多数はそのような宗教観をお持ちだと思いますが)、今回特定の宗教(私の場合はキリスト教〔カトリック〕)を持っている者から質問させていただきます。
※ただし、自身はそんなに敬虔なクリスチャンではありませんが・・・年に数回教会に行けばいい方ですし、普通に初詣へ行ったりもします。

私には今、婚約している女性(無宗教)がおり、結婚式のスタイル及び今後の結婚生活等々について少し揉めているところです(感情的に言い合ったりすることはありませんが)。

私が現在結婚式を挙げるにあたって検討している教会では、結婚式を挙げる前に、数回神父様のところに行ってキリスト教に関する基礎的な教義を聞くことが義務付けられています。私自身はそれが当然のことだと思っていますし、もし仮に自分が宗教を持っていない立場であっても「結婚に対する一つの考え方が学べるのだから別にいいや」って感じですんなりOKしてもらえるのではないかと短絡的な考えを持っていました。しかし、私の考えとは裏腹に彼女は頑なにそのこと(教義を聞くこと)を拒否しています。

彼女の主張としては、「結婚式は教会で挙げたいけど結婚にあたって事前に色々な教義を聞くのはイヤ」「宗教の強制ではないのか」と言うのです。私としては、元々彼女と自分の宗教が違っていることについてはお互い認め合っており、今回の行為自体は入信を強制する訳ではない旨説明したのですが、納得してもらえません。また逆に「もし教義を聞くのが嫌なら、そもそも教会で式をあげずに無宗教的な場所で(ウエディングドレスとかも着ずに)人前式で挙げるけどそれでもいい?」と聞くと、彼女は「教会で挙げたい。真っ白なウエディングドレスも着たい」と言うのです。私から見れば、彼女は要するに「形だけのキリスト教」に乗っかりたいだけにしか思えないのです。
※私からすれば、ホテルや式場に備え付けられているような、まさに「形だけの」教会で式を挙げるのであれば、それは私にとって不快なものであり、いっそのこと「人前式」や「籍だけ入れる」といった選択肢の方がまだマシだと考えるのですが・・・。

今ではクリスマスも宗教色が抜け、日本の行事としてすっかり定着していますが、結婚式を教会で挙げることについてもそのような傾向は多分にあると思います。だから、彼女の気持ち(「宗教色のない教会」で挙げたいという気持ち)も分からなくはないのです。ただ、その気持ちをもって「他の宗教の教えを聞くことすら拒否する」のには違和感を覚えます。それとも、私のしていることは単なるエゴなのでしょうか?妥協点を見つけられずに悩んでいるところです。

そこで、無宗教の方、宗教を持っている方それぞれに質問です。
(1)無宗教の方へ:私は以上のように少なからずキリスト教の影響を受けて育った者ですので、持っていない方からすると「教義を聞く(聞かせる)」こと自体も強い抵抗感を覚えるものなのでしょうか?経験談等もあれば、それについてもお聞かせ下さい。
※もちろん彼女にも「聞かない自由」はあるかと思いますが、形式だけとは言え教会での挙式を望んでいるのですから「聞く義務」もあるのではないかと思います。
(2)無宗教の方、宗教を持っている方両方へ:「彼女―私」の妥協点はどの辺りにあるかと思いますか?
※私の宗教観は申し上げた通りです。彼女は特に宗教を有している訳ではありませんが、初詣やクリスマス等の行事化されたものは普通に参加します。また、先祖を敬う気持ちもあり、実家に帰ったときなどは墓参りをするなど、私からすれば彼女も決して「(厳密な意味での)無宗教人〔無神論者〕」ではないかと思います。なお、私が宗教を持っていることについては「別に構わないし、それはそれで尊重する」とのスタンスです。

本当に本当に質問が長くなってしまい誠に申し訳ございませんが、皆さま一つよろしくお願いします。

※補足説明:ちなみに両親の宗教については、
・彼女側:両親とも無宗教。ただし上記質問に対しては、「娘〔彼女〕が望めばキリスト教でも一向に構わない」との返事を頂いています。
・自分側:父―キリスト教、母―無宗教。ただし結婚について両親とも「当事者同士で決めたのであれば、特にキリスト教にこだわる必要もない」とのスタンスです。

A 回答 (19件中1~10件)

こんにちは。

プロテスタントのクリスチャンです。
質問者さんの、
>「形だけの」教会で式を挙げるのであれば、それは私にとって不快なものであり、いっそのこと「人前式」や「籍だけ入れる」といった選択肢の方がまだマシだと考えるのですが・・・。
というのは、ものすごくよくわかります。
形だけの教会で我慢したら、とおっしゃる方もいらっしゃいますが、あれは、教会のミニバージョンでもないし、ちょっとレベルの低い教会でもありません。ただの結婚式場です。

私は大人になってから教会に通いだしました。
夫もクリスチャンですが、私の両親は違います。実家には仏壇と神棚が隣り合わせで置いてあるし、まぁ「典型的な日本人」です。

まぁ日本で生きていれば、実家もそうですが仕事上でも、墓参りだの、仏式の葬式だのはあります。
そんなとき、どうするか?
私は行きますが、「仏に手を合わせる」ことはしません。
仏式の葬式にも行きますが、そっと心の中で神様にお祈りをします。
自分から初詣やクリスマスなどをすることはありませんが。(世の中のみなさん、クリスマスはキリスト教徒のイベントではありませんよー)

えっと、聖書の中に、
偶像にささげられた肉を出されたら食べなさい、口に入るものがあなたを汚すことはない、口から出るもの(言葉)が汚すのだ
と書かれていますよね(たぶん、表現がちょっと違いますが・・・)

偶像崇拝は神様の嫌うところですが、
一見偶像崇拝のように見えても、あなたの心と神様がつながっていればそれでいいのです。
神様の大事な教えは2つ。
「唯一の神を、心をこめて愛すること」
そして、
「隣人を、あなた自身のように愛すること」

「ただの結婚式場」で式を挙げることは、第一の教えに反するように見えるかもしれませんが、先にも書いたとおり、神様はあなたの心をみておられますから、大丈夫です。
第二の教え、「隣人」とは、つまりここでは彼女ですが・・・を「あなた自身のように愛する」とはどういうことなのか、もう一度想像してみていただきたいと思います。

あなたが折れて、彼女のしたいように「ただの結婚式場」で式を挙げ、あなたは心の中で神様にそっとお祈りをする・・・のもいいんじゃないだろうかと、個人的には思ったりします。

あとですね、彼女がいくら「尊重する」とはいっても、彼女自身は信者ではないのですから、どこまで尊重すればいいのか、あなたの世界を想像するにも限度があると思うのです。
あなたは、いわゆる「2世」ですから、彼女のような感覚がなかなか理解できないと思います。

第一コリントの13章13節・・・この前行った「ただの結婚式場」でアルバイト牧師が読んでましたが・・・もう一度読んでみてください。
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この回答へのお礼

>あなたが折れて、彼女のしたいように「ただの結婚式場」で式を挙げ、あなたは心の中で神様にそっとお祈りをする・・・のもいいんじゃないだろうかと、個人的には思ったりします。
皆様のご意見・ご回答を拝見していく内に、だんだん自分自身の考えが分かってきました。やっぱり私も形式にこだわっていたのですね、正式な場としての教会に。
大事なのは場所ではなく、心(信仰心)なんだと痛感しました。
※すみません、表現力に乏しいもので、このような陳腐なまとめ方になってしまいました(本当はもっと良い表現があるかと思いますが)。

アルバイト牧師(カトリックでは「神父」)の言う言葉だからといって、意味や正統性が失われるものではありませんしね。

後は、彼女がどこまで私の考えを理解してくれるかだと思います。
彼女を納得させ、入信してもらうなど微塵も考えていませんが、時間をかけて少なくとも「私が今まで生きていく上での指針となった宗教観」くらいは知ってもらいたいと考えています。

クリスチャンの方から「あなた(自分)が折れる」という回答とその理由を聞いて少し目が覚めた思いです。
ご回答、誠にありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 20:56

No1で答えた者ですが、お礼の中でひとつ疑問点がありましたので


たくさんの回答の中、再度の書き込み失礼いたします。

回答者様は「人前式」はOKなんですよね?
ではなぜハウスウェディングが
>「形だけ」のものにしか見えてならない(=不快に感じる)
のでしょうか?
ハウスウェディングはチャペルがついていない限りは
人前式で、神父さんもいなく、お客さんの前で二人の愛を誓うという形です。
キリスト教式とは全く違うで質問者さんもいいかな、と思われている人前式なのに、
どうしてイヤなんだろうと思いました。
彼女さんがハウスウェディングに大賛成ということなので、
この形がお二人の希望をかなえてくれる形ではないのでしょうか?
(つまり、あなたの妥協点の「人前式」であり、
なおかつ彼女の希望のスタイルであるという点)

みなさんのご意見で質問者さんの中の気持ちもだいぶ変化したとは思いますが、
どうしても疑問に思ったので・・・・。すみません。

この回答への補足

そもそもチャペルのついていないハウスウエディングなんてあるんでしょうか?完全な「人前式」であるハウスウエディングであれば問題はないのでしょうが・・・「人前式」と「キリスト教式」とが選択できるようなハウスウエディングなら結論は一緒なのではないのでしょうか。

※そもそも彼女は(言い方は悪いかもしれませんが)「ウエディングドレス」「(場所としての)教会」「オルガン」「ブーケ」といったものに憧れているだけなのでしょうね。

補足日時:2007/05/14 01:33
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この回答へのお礼

一応、といっては何ですが結論が出ました。
このことを彼女と話し合ってから、彼女から「話だけなら聞く」との回答を頂きました。
※もっとも彼女としては全面的に「折れて」いる気持ちでいるようですが・・・それでも少しは話し合いの土俵に乗ってくれたのではないかと考えています。

まずは、私ではなく(神父様を含めた)色々な人の話を彼女に聞かせることから始めていきたいです。

皆様、本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/05/14 03:06

私は2年前に仏前式で結婚式を挙げました。


私も私の家族も無宗教、親は次男次女なので仏壇もない家庭に育ちました。当然、お彼岸・お盆も知識でしか知りません。
縁があって結婚する相手になった人は、質問者さんと同程度の仏教徒でした。旧家なので信仰の深さに関わらずお寺の役をやっているような家で、結婚相手も年に数回お寺に足を運ぶ程度、初詣にもいけばクリスマスも祝います。

私は結婚式は、ドラマであるようなバージンロードを歩いてウェディングドレスを着て、という神前式を希望していました。こういう結婚は女性にとっては憧れです。

結婚相手の家はお寺でも格の高い檀家でしたし、親戚に地域でも由緒ある神社の神主もいましたし、近所にもホンモノの教会(チャペル)もありました。正直どこでどんなカタチで挙式してもOKだったのですが、年齢が30過ぎていてお子様チックな夢は抱かなくなったこと、結婚ということに対しての現実性を意識していたこともあって、あこがれていたようなチャペル式はとても安っぽく感じたのです。

人前式以外の式は、ニセモノでもホンモノでも宗教色を排除することはできません。結婚披露宴のチャペルでニセモノ結婚式でオルガン演奏のバイトをしていましたが、ニセモノであっても「神」に愛を誓うわけです。そして神父(牧師)が説教をします。

質問者さんは「元々彼女と自分の宗教が違っていることについてはお互い認め合っており」といっておりますが、認め合うことだけでは結婚はできませんよ。お互いの考えを認めそれを尊重することが大事で、もしそれが自分にとって受け入れがたいことであれば、お互いが納得する妥協案を考えあうのが本当の夫婦ではないでしょうか?

披露宴は花嫁のためのもの、ですが、結婚式は違いますよ。遊びではなく真剣勝負の儀式です。どちらかが妥協する、というものではありません。質問者さんは熱心なクリスチャンではないとのことですが、それでも年何回かは教会に足を運ばれてますよね?結婚後はどうするつもりですか?おそらく、この結婚、思想をとるか彼女をとるかの二者択一ではないかと思います。今の質問者さんの思っていることを何も汲み取れず、おかざりの結婚式だけに憧れるようなお子様では、今後いろいろなシーンでぶつかると思います。そのたびに妥協し続けますか?宗教だけでなくいろいろな面で妥協し続けなければならなくなるやもしれません。

今はクリスチャンでない人でも、ホンモノのチャペルで結婚式をあげたいと思う人は少なくないです。そのため二人でせっせと義務になっている結婚講座に通っているカップルはたくさんいます。まともな教会で式を挙げるには必須なことは、常識に近いものがありますしね。

性急に結婚したりせず、じっくり考えることが今求められているのではないでしょうか?いまだ無宗教な私がいうのもヘンですが、結婚式という人生でも大事なイベントだからこそ、心だけでなくカタチも大事なのだと思います。
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この回答へのお礼

>披露宴は花嫁のためのもの、ですが、結婚式は違いますよ。遊びではなく真剣勝負の儀式です。どちらかが妥協する、というものではありません。
「自分が折れる」ということで大分考えがまとまってきたのですが、surinrin様のような意見もあると、また考えてしまいます。が、私自身は今回の質問を通じて自分の至らなさを痛感する一方で、自分の宗教を見つめ直す良い契機になったのではないかと割と肯定的に受け止めています。ですから、今回「自分が折れる」という表現は適切でなく今回私が行きついた結論は「妥協」ではなく「納得」であったと思いたいです。

>結婚式という人生でも大事なイベントだからこそ、心だけでなくカタチも大事なのだと思います。
私も最初はそのように考えていました。しかし、皆様方のご回答を見ますと、逆に宗教を持っている人こそ「カタチにこだわるべきではなく、心のあり方が大事なのだ」といった意見が多く、私もそれに触発されました。確かにキリスト教が厳しい戒律だらけの宗教でしたら(厳しい戒律をお持ちの宗派もあるかとは思いますが)、私もその宗教をとっくに離れていたかもしれませんね。
ただし、最終的な結論を下す前にsurinrin様がおっしゃっていた「今はクリスチャンでない人でも・・・まともな教会で式を挙げるには必須なことは、常識に近いものがありますしね。」という部分は彼女にも伝えておきます。彼女は、世の中で行われている結婚式の現状を知らないだけなのかもしれませんしね。

>今後いろいろなシーンでぶつかると思います。そのたびに妥協し続けますか?宗教だけでなくいろいろな面で妥協し続けなければならなくなるやもしれません。
これについては、確かに結婚式以上に悩んでいるところです。ただ、今回の質問ではとりあえず結婚式のスタイルに的を絞って質問させていただきましたので、それ以外の宗教に関するトラブル(今一番悩んでいるのは将来産まれてくる子どもの教育について)、その件については別の機会に質問させていただきたいと思います。

何はともあれ、本当に色々な方面の方々(信者でない方や信者の方、経験者の方や式場にお勤めの方まで)から様々なご意見・ご回答を頂き、感謝の気持ちで一杯です。surinrin様を含め、皆様、本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 23:55

式場にもよりますが、チャペル型の式場で十字架だけ仕舞い込んでもらって人前式をすることが出来ます。



演出はほぼキリスト教式のやり方です。
バージンロードや誓いのキス等の演出はそのまま、建物も十字架が無い以外は教会そのものになります。
(もちろんウエディングドレスも着ます…てゆうか元々ドレスはキリスト教とは無関係だけど)
でもちゃんと人前式です。仕切るのは牧師さんじゃないし。
十字架にウソつかず、演出としてはキリスト教っぽい。
どうですか?

さほど熱心でないとはいえ、カソリックの人に
「人生の節目を形だけのキリスト教式、しかも他教義の坊さんの仕切りで適当にこなせ」
というのはいささか無理があると思うので、もう少し粘って人前式を主張していいと思います。
貴方は今後もカソリック教徒なのでしょうから、人生のパートナーに
「自分の感覚ではコレはOKだけどコレは出来ない」
と主張しておくことは大事なことです。

彼女さんには「君と一生過ごすことを心から真面目に誓いを立てたいんだ!」とか言って、「君を愛するが故」であることを強調して説得してみてはいかがでしょう。

この回答への補足

>チャペル型の式場で十字架だけ仕舞い込んでもらって人前式をすることが出来ます。
この質問をする前でしたら多分私は「そんなのは論外だ」って言っていたのでしょうが、今ではそれもありだと考えています。ただ彼女は「人前式」よりは、あくまで「キリスト教式(あくまで「式」的なもの)」を望んでいるのです。
※ただ、「人前式」でもウエディングドレスを着て、見た目はほとんどキリスト教「的」であれば、それでも構わないと言うのではないかと思います。

補足日時:2007/05/13 21:36
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この回答へのお礼

>彼女さんには「君と一生過ごすことを心から真面目に誓いを立てたいんだ!」とか言って、「君を愛するが故」であることを強調して説得してみてはいかがでしょう。
今までは(無意識的にであれ)形式を重んじていたのですから、そのような配慮がなかったのかもしれません。少なくとも私の彼女はそう感じていたのでしょうね。
その台詞、頭の片隅に入れておきます(ちょっと恥ずかしいですが)。

アドバイスありがとうございました。

※大分自分の考えがまとまってきました。あと数人の方々の意見を聞いて質問を締め切らせていただきたいと思います。

お礼日時:2007/05/13 21:50

私はカトリック、妻は仏教ですが、私の母校の教会で式を挙げました。


当然事前の勉強もしました。
諸外国でも教会で挙げる時に事前の勉強が必要と言うところは多いと聞いています。内容は神父様によって違うでしょうが、結婚の心得と言った所でしょうか、勧誘と言うものではありません。
それに、勉強したからといって、挙式までの事ですから、後は忘れてしまっても構わないのですが…。そこまで頑なに断る理由が判りません。

形だけの挙式やクリスマス、復活祭など私達から見れば、なんか奇妙な風景ではあります。でも、同じように除夜の鐘や初詣など、信仰を持たない人が行く行事って意外と多いです。

もし、貴方が彼女との結婚生活を送るなら、信仰の真髄に眼を向けた方がいいと思います。でないと、事において衝突する事も出てくると思います。
信仰の真髄とは、神との繋がりが物や形式ではなく、心のあり方にあるということです。つまり、ホテルなどの形式だけの挙式でも(実際には本物の神父や牧師は当たる事が多い)貴方の心が神に向かっていれば、貴方の意思は十分に神と繋がっているという事です。
逆に言えば、形式や物に拘る事こそ、偶像崇拝になりかねないという事です。(これは公教要理を習った先生の受け売りです)

ですから、ホテルや結婚式場の教会、或いはプロテスタントを含めて、事情を話し、事前の勉強を受けず(或いは貴方だけが受けて)に挙式を上げられる所でも構わないと思います。(プロテスタントでもカトリックでも信仰する神は同じですから)

貴方が、この真髄を旨とすれば、教会に行けなくても、今後も自信を持ってカトリック信者であると言えるでしょう。

この回答への補足

>それに、勉強したからといって、挙式までの事ですから、後は忘れてしまっても構わないのですが…。
どうやら彼女の主張としては「信仰もないのに話を聞き、後で忘れてしまうことの方が、その宗教に対して失礼な態度ではないか」と言うのです。
※ちなみに私は全然失礼だとは感じていません。「新たなもの(信仰・思想)」に触れるのはむしろ積極的に評価したいし、それを受け入れるかどうか判断することとは別の問題ですから。

補足日時:2007/05/13 21:09
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この回答へのお礼

No15で申し上げました通り、皆様のたくさんのご意見・ご回答をいただきまして、問題の本質は彼女ではなく、自分自身にあるのではないかと考えるようになりました。

>信仰の真髄とは、神との繋がりが物や形式ではなく、心のあり方にあるということです。
その通りです。反省しました。

今後は「私だけが事前講義を聞き、挙式場についてはこだわらない(=主役である彼女の意見を尊重する)」というスタンスで彼女と結婚式の準備を進めていきたいと思います。そして、その過程でもし彼女が「結婚の心得」を聞いてもらえるようなことがあればラッキーという程度に考えるようにします。

自分は「普段はろくに教会にも行かないダメ信者」だと思っていましたが、こういう大事な場面(結婚式とか葬儀とか)ではやっぱり神の存在を意識してしまうんですね。当たり前のことですが、宗教ってやっぱり凄いものなんだなと再認識しました。

今まで、肩の力を入れすぎて結婚式に臨んでいたのかもしれません。
もう少し柔軟な態度で結婚式にも、そして彼女にも接していきたいと思います。
※でも一方では「それだけ結婚に対して真剣な気持ちで臨みたい」っていう気持ちがあって、それは彼女が考えている以上のものなんですよね(自身がキリスト教だから尚更結婚に対する考え方が厳格なのかも)。
何だか自分でも自分の考えがまとまらなくて、よく分からない状況です。時間をかけて、まず自分のことから考えてみたいと思います。

私と似たような境遇の方(夫―カトリック、妻―仏教〔あるいは無宗教〕)の意見が聞け、参考になりました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 21:35

こんにちは。



食い違っているのは、結婚式観だと思います。
質問者様は、宗教、神への誓いの場だと思っていて、
彼女さんは、儀式的行事の場だと思っているから、合わないのでしょう。

それだけ教義を聞くことを重んじる質問者様が、初詣に平気で行くことが
無宗教の私には理解できません。
わたしは、特定の宗教に入信していませんが
人より大きな何らかの力(自然のような)は感じていて、
それらに対する畏怖の念はあって、
不特定多数の様々な宗教をルーツとするような今では無宗教っぽい行事をするのは、
そのような特定の宗教を超えた想いみたいな物を大事にするからです。
あの形骸化した行事は、無宗教の人間にとって、少なくとも私にとって、
宗教に取って代わるような物です。

かの女にとっては、結婚式は、初詣と同じように「大切な行事」なので、
定番の型は絶対に必要で、
ウェディングドレスや教会にもこだわるのだと思います。
(不勉強ですみませんがウェディングドレスというのは、キリスト教的衣装ですか?
 人前の式でウェディングドレスはだめなのですか?)

一つ質問です。
仮定のこととして、彼女が敬虔な仏教信者で
たとえば挙式の前にお互いに身を清め写経をするのが決まりだと聞いて、
入信させられるわけではないと分かっているなら
質問者様は写経ができますか?
(本来の仏教徒の方済みません。例えとしてです。)
できるというならば、彼女に望むことは矛盾しませんが、
できないというならば、他の形を考えるべきだと思います。
彼女の「無宗教という形の宗教観」を犯す行為だと思います。

後、対案としては、
レストラン結婚式などあるのではないかなとも思います。

この回答への補足

>入信させられるわけではないと分かっているなら
>質問者様は写経ができますか?
写経は(物理的に)できませんが、写経と「(他宗教の)教えを聞く」ことは別物だと考えています。彼女に祈りや作法を教える訳ではないのですから。
あくまで結婚式を通じて「異なった考え(宗教観)に触れてほしい」というお願いなのです。
ですからasaka3様がおっしゃる設問ですと、私は写経をするのではなく「(自分にはよく分からないが、ありがたい)お経を聞いたり」することではないかと考えています。その場合の私の回答は「OK(参加します)」です。
だってせっかく彼女が勧めてくれたものですから、信じる信じないは別として、彼女の根幹となっている宗教観に触れたいとは思いますよ。

※「キリスト教は(物理的に)十字を切ったり、祈りを唱えたり、讃美歌を歌ったりさせたりするのではないか」というご指摘もあるかと思いますが、それは行事的な教会(ホテル等)で行われる挙式であっても行われるものだと思います。

補足日時:2007/05/13 20:10
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この回答へのお礼

宗教観については「補足説明」の欄で申し上げましたので、それ以外の部分について申し上げます。

>後、対案としては、
>レストラン結婚式などあるのではないかなとも思います。
「式」という名がつく以上、多分に宗教色を持ち合わせているのですから、代替案としての「パーティ」は確かに一つの回答かもしれません。
けど、今度は彼女の方が不満に感じてしまうかも・・・。

長々となってしまいましたが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 20:33

(1)にも(2)にも属さない答えになるのではないかと思います。


私は52歳ブライダルプロデューサーをしています。本当に頭の痛いことです。
 私は常づね「結婚式は単なるイベントではありませんよ」と言っています。私は宗教=哲学だと思っています。お二人の哲学が大きく違っていてお子様はどのように育てるおつもりですか?子どもはどちらの背中を見ながら育っていくのでしょうか。
 私には4人の子どもがいます。ちなみに原点の違いからはじめの方とは15年目に離婚をしました。子どもは私の背中を見ながら生きていくことを選んでくれました。今は4人とも立派に生きていってくれています。でも悲しい思いをさせたことには間違いありません。
 結婚式のスタイル以前の問題ではないのですか?貴方が彼女を愛していることは良くわかります。でもそれだけでは人生の荒波を乗り越えてはいけません。
 よくよく考えられること、納得行くまで話し合われることをお勧めします。彼女の自分は自分、教会側(相手)の都合を考えずに自分の好みを押し通そうとする生き方は単なるわがままな女性としか思えません。
もしお二人が私のお客様であれば私は多分お断りをすると思います。
 辛らつな事を申しました。気分を害したらごめんなさい。
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この回答へのお礼

まさか式場側の方から意見を聞けるとは思いませんでした。
大変参考になります、chiebaba様のような方から「結婚式は単なるイベントではありませんよ」と言っていただければ、彼女の考えも少しは変わるのかもしれません。

>お二人の哲学が大きく違っていてお子様はどのように育てるおつもりですか?子どもはどちらの背中を見ながら育っていくのでしょうか。
ご指摘の通りです。今、この段階できちんと話し合わないと、何の罪もない子どもを不幸にさせるだけではないかと心配しています。
※今回の質問も、現在表面化しているだけのものを挙げただけですので、実のところ、こちらの問題(子どもの教育に関する問題)の方がより深刻です。

>辛らつな事を申しました。気分を害したらごめんなさい。
いえいえ、むしろ私は私の考えに否定的な考えをもっている方からの意見・回答を聞きたかったのですから(反対意見あっての自分の主張ですし)、気になさらないで下さい。

宗教家ではない専門家の方からご意見いただき、また違った角度で今回の件を考えることができました。参考にします。
ご回答ありがどうございました。

お礼日時:2007/05/13 20:07

質問者さんの考えどおり、彼女は「形だけのキリスト教式」をしたいだけでしょう。

日本人の女性のかなりの人が、教会式でのバージンロードがかっこいい!と思っているからではないでしょうか?テレビドラマでも、大半がそうですし…。
私は、友人の結婚式で、キリスト教信者ではないのにその神様の前で夫婦の誓いを交わす・賛美歌を歌うという行為にいつも違和感を感じていました。もちろん元々、信者である友人の結婚式は本当の教会で行なった人もおり、そういう方の結婚式は喜んで参加し、賛美歌を歌いました。それは全く違和感は感じませんでした。
ですので、自分の結婚式は、ホテルの神殿で神前式にしました。ホテルの神殿なんて付属だと言われる方もいるかもしれませんが、ちゃんと神を奉ってあり、それでも自分たちが納得すれば十分だと感じたからです。

教会での式の前の教義を聞くという行為を彼女が嫌がるけど、質問者さんがどうしても彼女と結婚したいなら、ホテルの教会で我慢するしかないでしょう。ホテルの教会での結婚式が嫌なら、結婚自体を考え直したほうがいいかもしれませんね。
これから先もこういう問題が起こってくるかもしれませんから。
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この回答へのお礼

>質問者さんがどうしても彼女と結婚したいなら、ホテルの教会で我慢するしかないでしょう。
やはりそこが妥協点でしょうか。今まで回答をいただいた方々もこの辺が妥協点とお考えなのでしょうかね、そんな印象を受けました。

>これから先もこういう問題が起こってくるかもしれませんから。
その通りです。実はもっと深刻な問題があって別の機会にまた質問をさせていただこうと考えていたのですが、それは「(将来生まれてくるであろう)子ども」についてです。カトリックでは「幼児洗礼」がごく自然に行われていて、「子が自己決定できる前に(幼児)洗礼を受けさせてよいものか」という点で彼女と揉めています。

将来の話ですが、非常に重要な問題(子の福祉に関わる重要問題)ですので、現段階である程度の「線引き」をしておく必要があるのではないかと思い、今回質問をさせていただいた次第です。

何だかまた「お礼」としては、不適切な内容になってしまいましたが、
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 19:51

>彼女は要するに「形だけのキリスト教」に乗っかりたいだけにしか思えないのです。



プロテスタントの信者です。私も信仰的に熱心とはいえませんが....
色々なお返事がでてきて私も参考になっています
ちょっと宗教的な回答も良いかなと、

神様はサイコロを振らない方ですから、こういう事を通じて
あなたの信仰を、再度確認され、結婚するお相手に対するあなたの
愛を問われているのだと感じます。
難しいですよね?

貴方の信仰も「形だけのキリスト教ではないか」
と突っ込まれないように
もう一度、主と対話してみてはいかがでしょうか?

>「彼女―私」の妥協点はどの辺りにあるかと思いますか?

要は、貴方と神様との関係をどのように彼女に納得してもらうか?
ですよね?貴方の神様への真摯な態度があれば、
彼女も納得できるのでは?

プロテスタントですか、カトリックの祈りも大好きです。
それこそ、困った時は、祈ってみてはいかがでしょうか?

愛の祈り

神さま、
私を平和の使者として下さい。
憎しみのあるところには愛の種を、
傷つける者には、赦しの種を、
疑いには信仰の種を、
絶望には希望の種を、
暗黒には光の種を、
悲しみには喜びの種をまく者として下さい。

神さま、私をして
慰められることより 慰めることを、
理解されることより 理解することを、
愛されることより 愛することを得させて下さい。
なぜなら、
私たちは、与えてこそ 受け、
赦してこそ 赦され、
己れに死んでこそ、永遠のいのちに
生きるものとされるからです。

アッシジのフランシスコ

お互いの理解と愛を通じてお互いが良い伴侶となれます様に
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この回答へのお礼

>貴方の信仰も「形だけのキリスト教ではないか」
>と突っ込まれないように
>もう一度、主と対話してみてはいかがでしょうか?
その通りです。今回の質問を通じてつくづく実感しました。
これを機に、自分を再度見つめなおしたいと考えています。

※今まではどちらかというと、相手の考えていることばかりに目が行って、自分自身については目が行ってなかったのかもしれません。

経験者の方からのご意見、誠にありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 19:37

クリスチャン(プロテスタント)です。


息子もです。

質問者様の気持ち、本っ当によくわかります!
ホテル内での教会や式場に備え付けられているような教会ではないところの教会、
つまり本格的な教会で結婚式を挙げるには教義を聞くのは当たり前です。
それは常識というか礼儀というか、筋を通す的な感じですよね。

でも、彼女はわかってくれない。
うーん、場所を貸して下さるのだから、それぐらいしても良いと思いますけどね。
「受洗しろ」って言ってるわけでもないんですし。

私の息子がそんな彼女と結婚するとしたら本格的な教会式をあきらめます。
ホテルや式場の教会で良いです。
うちの息子に我慢させます。
だって結婚式の主役は女性ですもの。
男性はあくまでおまけ。
本格的でなくても、教会式だけでも良しとします。
仕方ないです。

でも、もう少し説得してみてはいかがでしょう?
「使用料みたいなもんだから」と言ってね。
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この回答へのお礼

>私の息子がそんな彼女と結婚するとしたら本格的な教会式をあきらめます。
>ホテルや式場の教会で良いです。
>うちの息子に我慢させます。
>だって結婚式の主役は女性ですもの。
>男性はあくまでおまけ。
>本格的でなくても、教会式だけでも良しとします。
>仕方ないです。
確かに、これを言われてしまったら私は何も返す言葉がございません(笑)。「結婚式の主役は女性」・・・言わば女性が用いる最後の「切り札」とでも言うべきでしょうか。

でも、これを認めてしまったら、そもそもこれだけ多くの意見・回答をしてくださった方々に対しても失礼かもしれません。「そう考えているなら、なぜこんな質問した?」って思うでしょうしね。
もう少し考えてみます(まだ半分くらいしか回答を見ていませんし・・・)。
※どうしてもうまくいかない場合は、marimarimariru様のおっしゃる通り「結婚式の主役は女性」ということで私が納得するしかないと考えています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 19:32

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