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八木重吉

「祈」

ゆきなれた路の
なつかしくて耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい

この詩が理解できません。特に、
「かなしくて耐えられぬように」
の解釈を教えてください。
なお、キリスト教の素養はあります。

A 回答 (4件)

 


「耐えられぬように」は、二つの意味が日本語としてあります。文法的に、二つ読み方が可能だということです(もっとあるかも知れませんが)。

一つは、「耐えることができないように=耐えることができないがごとく」です。

いま一つは、「耐えることができなくなるように=耐えられなくなるようにするため」です。

わたしの解釈は、前の方です。後の方だと、何を述べているのか、込み入り方が複雑過ぎますし、また日本語として不自然に感じます。

二番目の言い方は,例えば、「悪さをせぬように」などの場合がそうです。最初のは、「苦しまぬように」がそういう例です。

「られる」という可能の助動詞がついて、その否定形で「ぬ」が付いているので、意味が複雑に見えるのです。

「敵が、再び立ちあがられぬように、徹底的に責めた」などの場合、行為の可能性を否定態にする、という積極的な意味になります。

>ゆきなれた路の
>なつかしくて耐えられぬように

これを、二番目の意味だと取ると、「ゆきなれた路が、なつかしいが故に、耐えることができなくなるように」という意味になるのですが、この構造だと、「できなくなる・できなくする」理由が、「なつかしいが故」であることになります。

「耐えられぬように、わたしの祈りのみちをつくりたい」と読むと、「耐えることができなくなるよう、祈りのみちをつくりたい」とも読めるのですが、「なつかしくて」が前に置かれているので、この解釈ではうまく意味が通らないのです。

「ゆきなれた路の なつかしさが耐えられぬように」だと、二つの解釈が成立すると思いますが、「なつかしくて耐えられぬように」だと、「耐えられぬ」理由が、前の「なつかしくて」に来ていると考えるのが自然です。

「ように」は、in order to の意味と、like の意味があり、前の意味に取ると、「なつかしくて」が宙に浮くのです。

「ゆきなれた路が なつかしくて耐えることができない そのように 祈りをみちをつくりたい」と読むのが自然だということです。

「なつかしい ゆきなれた路が 耐えることができなくなるよう 祈りをみちをつくりたい」だと、何を意味しているのか不明確です。

「ゆきなれた路が なつかしさの故に、絶えがたくなるように 祈りのみちをつくりたい」だと、「耐えがたくなるようにする」「理由」が、「祈りのみちをつくる」ことと、「なつかしい」ことの二つあることになって、文意が不明になるのです。

「ように」を、like と解釈するのが自然な読み方で、これだと、「ゆきなれた路が、なつかしさ故に耐えることができないがごとく、わたしの祈りのみちも、そのようになつかしさで耐えられないようなものとして、また新たにつくりたい」という意味に読めて、これが素直な読み方です。

in order to の解釈だと、敷衍して言うと、「なつかしさのため、耐えることができないようにするため……みちをつくりたい」となって、意味が分からなくなるのです。

これは、詩にどういう意味を込めたというよりも、日本語の構造から、不自然な読み方だと思います。「なつかしくて、耐えることができない、そのように」と読むのが、ごく自然な読み方だと思います。

「なつかしくて/耐えられぬように ……つくりたい」ではなく、「なつかしくて耐えられぬように」と、「なつかしくて」と「耐えられぬ」が、一つのまとまりだということが重要なのだと思います。
 
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この回答へのお礼

詳細な回答でありがたく拝読いたしました。
耐えることができないように=耐えることができないがごとく
そういう祈りの路をつくりたいのですね。

お礼日時:2002/08/06 22:38

以下の解釈は、あくまでも私案です。



「おなかが空いて耐えられない」
といえば、
「耐えられないほどおなかが空いている」
ということでしょう。

とすれば、「ゆきなれた路のなつかしく耐えられぬように」は、
「歩き慣れた路が、耐えられないほどなつかしくてたまらないように」
と言う意味でとらえられないでしょうか。

つまり、詩全体の意味は、
「歩き慣れた路が、耐えられないほどなつかしくてたまらないように、
(将来なつかしくてたまらないと思えるような)私の祈りの路をつくりたい」
ということになります。いかがでしょうか。

詩ですので、あまり文法にこだわらないで解釈してみました。
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この回答へのお礼

歩き慣れた路が、耐えられないほどなつかしくてたまらないように。

私が考えていなかった解釈です。
耐えられないくらいとっても懐しいのですね。
ウーン、深い。わからない。
ありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2002/08/06 22:42

 


>ゆきなれた路の
>なつかしくて耐えられぬように
>わたしの祈りのみちをつくりたい

どういう背景で詠まれたうたかがよく分かりませんが、八木氏の信仰のうたであることは間違いないでしょう。

「ゆきなれた路」というのが、実際の道路などの道か、または人生の路程などの象徴的な道かというと、この場合、どちらでもよいように思いますが、具体的な道路だと考えた方が、詩に味わいがあると思います。

「ゆきなれた路がなつかしい」という心情はよく分かります。分かりにくいのは、それが「なつかしくて耐えられない」というのは、どういうことだろうか、ということです。

これは、「祈りのみちをつくりたい」と続く訳で、「耐えられぬように……みちをつくりたい」と続いています。

「ゆきなれた路のなつかしさが耐えられない」とは、どういう心情なのか、が問題です。

路は具体的な道路と考えた方が印象があると書きましたが、意味を汲み取ろうとすると、具体的な道路に仮託された、「人生の歩み」とするのがやはり妥当です。

生きてきたことを降りかえれば、迷いや苦労や喜びや,様様なことごとが懐かしく思える。しかし、なつかしいその「生」は、また「生きることの難しさ」と隣り合わせになっている。生きて歩んできたことは、信仰の歩みであったとするなら、その困難は、信仰の難しさ、信仰において生きることの耐えがたさをも同時に意味する。

「耐えがたさ」とは、キリスト教徒であることは、まことに真にそうであれば、人間として耐えがたい困難でもあるとも言えるのです。イエズスは、十字架を背負ってわたしの後に続きなさいとも言ったのです。

キリスト教には、母性的なイエズスと父性的なイエズスのイメージがあり、前者は「赦し受け入れるイエズス」で、後者は「課題を出し、咎めるイエズス」だとも言えます。

キリスト教の信仰は、課題の重さにあえぐ面と、赦しのイエズスに包まれる二つのことの繰り返しだとも言えます。

このような二面性の信仰生活が、「ゆきなれた路」で、それはなつかしい路であるが、また、赦しと課題の二面性で、耐えがたいなつかしさでもある。

しかし、人が生きること、あるいは信仰するということは、このなつかしい耐えがたさを生きるということで、「祈り」において、この信仰の歩みを、凝縮し、「祈りのみち」という信仰の路を、歩んで行こう。

ゆきなれた路には、信仰の困難が数多くあり、その困難を歩んできた、ゆきなれた路であった。それはなつかしさであるが、また耐えがたさでもあり、そのことを思い、再び「祈りのみち」としたく思う。

こうして、螺旋形になって、いま、また新しい心で、「祈りのみち」を、信仰のみちを、わたしの前に開こう。

ゆきなれた路に対比し、いまあらたな祈りのみちを、わたしのなかに作ろう……そのように、信仰の路を祈りとしたい。

何かぐるぐるまわっているようですが、信仰とはそのようなもので、このことが、なつかしいが、しかし耐えがたくもあるのです。しかし、それが信仰であれば、それを、わたしの祈りのみちとしたい。

簡潔な言葉ですが、その意味を理解しようとすると、ぐるぐるした信仰の過程というものが、背景にあるのだと言えます。

以上は,何を言っているのか明快でありませんが、この短い詩を読んで,言葉の意味を考え、想像のなかで、「言葉のみち」をわたしなりに辿ってみたものです。果たして、この解釈というか、読みでよいのか、不明です。

ただ、詩は、作者の意図と関係なく、読み手がどう感じるかで意味を考えてもよいのだというのもあります。詩に感動があるなら、作者の意図はどうでもよいとも言えるからです。また、詩の読解・鑑賞というのは、そういうものでよいとも思います。

>寺報パーヤサ7月号
http://village.infoweb.ne.jp/~fwiv1201/2000.07.htm
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お陰様で、少し見えてきました。

私にも信仰のうたであることはわかります。
「ゆきなれた路」が実際の路と信仰の人生の路をかけていることもわかります。
「ゆきなれた路がなつかしい」のもわかります。

おっしゃるとおり、「耐えられぬように」が難解です。
>その困難は、信仰の難しさ、信仰において生きることの耐えがたさをも同時に意味する。
>また耐えがたさでもあり、そのことを思い、再び「祈りのみち」としたく思う。
あなた様のおっしゃる、「耐え難さ」であれば、わかります。
この詩の中では、耐え難さではなく、「耐えられぬように」なのです。
耐えられぬように、、、祈りのみちを、、、
つまり、耐えられないことを前提、希望しているのでしょうか。

余談:「イエズス」とおっしゃっているところにちょっとうれしくなりました。

お礼日時:2002/08/03 11:05

質問では、なつかしくて。

。になってますが??

かなしくて??なのでしょうか??

かなしいというのなら、””わが子のかなしさに。。””。って言葉があります。古来から、かなしいというのは、いとしい。。かわいらしい、、
好きで好きでいとおしくて、、のない混じった、強い、愛情表現でもありました。

ちなみに、漢字は、悲しいではなく,哀しいでもなく、愛しいです。

いつもいつも、通いなれた道が、いとおしいように、
祈りのみち、、重吉さんのほかの詩を読んでいるなら、彼独特のことばつかいなので、、下手に、解釈できなあい、、、だれかあ??
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>かなしくて??なのでしょうか??

間違いました。
なつかしくて、です。
解釈が実に困難ですね。私の能力では。

お礼日時:2002/08/03 10:53

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