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カラー写真の歴史を調べています。
ネットで調べる限り、カラー写真が撮られるようになったのは
1961年だということですが、多分その情報は世界的にカラー写真を発表した年なんだと思います。
では、日本でカラー写真が撮られるようになったのは、
一体何年からなのでしょうか?
具体的に知りたいです。
ご存知の方ご協力お願い致します

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A 回答 (3件)

日本のメーカーで一番最初にカラーフィルムを作ったメーカーは


現在の「コニカミノルタ(合併前はコニカカラー、その前はサクラカラーでその当時は「小西六」と言いました)」です。
それで、当時の小西六(コニカミノルタ)が国産カラーフィルムを販売したのは、1941年です。

ですが、写真自体相当高価だったし、カメラやフィルムも相当高価だったのです。
戦後は、カメラの価格もだんだん下がり、写真が普及していきました。
しかし、白黒フィルムが多くを占めていて、一般にカラーフィルムが普及したのは、昭和40年代後半です。
その時代は、大阪万国博覧会(EXPO'70)という一大イベントがあってそれが転機だったと思います。

コニカミノルタ
コニカミノルタについて>ニュースリリース>2006年>ニュースリリース詳細
カメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画について
http://konicaminolta.jp/about/release/2006/0119_ …

日本カメラ博物館
キッズコーナー みんなもカメラはかせ!
http://www.jcii-cameramuseum.jp/kids/index.html

「カメラの歴史」の「フィルムのはじまり」のところを読んでください。
ただし、「カラー写真」というのは、明治時代から存在しています。
上記アドレスの「むかしの写真」の「明治時代のカラー写真」という項目を見てください。
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思い出したことがあります


私の父がカメラマニアで叔父の結婚式をカラーで撮ったしゃしんがあります
昭和34年なので1959年です、一般的ではなかったとはおもいますが普通の人でもマニアはカラーフィルムを使えたことになります

当時はカラーフィルムでも白黒でプリントしてからいい写真だけをカラーでプリントしていて、フィルム現像は郵送で送っていたようで、その封筒が残っていてみたことがあります、フィルムの値段に現像料が含んでいました
 フィルムの箱に「現像料金はフィルムの値段には入っていません」とわざわざ書いてあるのはその歴史があるからです
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富士フィルムの歴史に


1948年 外型反転カラーフィルム「富士カラーフィルム」発売
と載っています
 「外型反転カラーフィルム」とは多分スライド用で今のネガフィルムではないように思います
 アメリカでは戦前にカラー映画がありましたから、カメラフィルムでも
カラーが有ったでしょう。 戦後すぐの1945年に日本にきたアメリカ軍は空襲の成果を記録するためにカラー写真を撮っています。

一般の人が自分のカメラでカラー写真を取り出したのが1965年から70年の大阪万博の頃だとおもいますよ。私が大阪万博で中学生でカラー写真を撮った覚えがあります。

参考URL:http://www.fujifilm.co.jp/corporate/tech/advance …
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Q電話の普及

一般家庭に、電話はいつ頃普及したのでしょうか?

確か四コマ漫画のサザエさんで、近所の商店に電話を借りたり、商店の電話機に磯野家への電話がかかってきて、商店の人が磯野家に電話がかかってきたことを知らせるシーンがあった気がするのですが、電話が一般家庭に普及してんなかった頃に商店宛てに近所の人への電話がかかってくるといったことはあったのでしょうか。

追加質問ですみません。
サザエさんの中で、数の子をかなり珍重していたのですが、昔は数の子がそんなに貴重だったのでしょうか?

Aベストアンサー

古い話から順番に。

私が、5~6歳で終戦直後のころ山陰の県庁所在地に住んでいましたが、我が家は金持ちだったらしく自宅に電話がありました。町内で電話が有ったのは、ほぼ、私の家だけだったようで、町内の人が電話を借りにきたり、呼び出ししたりしてました。勿論、そんな具合ですから、よほど緊急の場合に限られていたと思います。因みに、手回し電話機でした。

その後、我が家は没落し、夜逃げ同然に彼方此方に住むことになりましたが、電話が我が家に有ることは有りませんでした。
中学生の頃ですから、20年代後半、山陽地方の中核都市でも30~40m離れたお宅に電話を借りに行ってました。
一戸建ての借家でしたが、向こう三軒両隣にも電話のある家はありませんでした。

その後、社会人になって独立しても、我が家に電話はなく、やっと電話が我が家へ来たのは、昭和48年に家を新築した時です。
従い、この頃には、ほぼ全ての家庭に普及したんじゃないでしょうか?
子供の頃を思い出して、家を新築したことより、やっと私も電話を持てる身分になったことの方が誇らしかったです。

次に、数の子ですが、中学生の頃は正月ともなれば、丼に山盛りの数の子が出てたので(マツタケも同じ)貴重品ではありませんでした。
社会人になってからですから、昭和30年代後半から40年代に高価になったのではと思います。

古い話から順番に。

私が、5~6歳で終戦直後のころ山陰の県庁所在地に住んでいましたが、我が家は金持ちだったらしく自宅に電話がありました。町内で電話が有ったのは、ほぼ、私の家だけだったようで、町内の人が電話を借りにきたり、呼び出ししたりしてました。勿論、そんな具合ですから、よほど緊急の場合に限られていたと思います。因みに、手回し電話機でした。

その後、我が家は没落し、夜逃げ同然に彼方此方に住むことになりましたが、電話が我が家に有ることは有りませんでした。
中学生の頃です...続きを読む

Qピーラーはいつから?

ピーラーはいつから?
今朝の「ゲゲゲの女房」でジャガイモを剥くのにピーラーを使っていた。
ドイツでは150年前から有るようだが、
日本では40年くらい前から普及したように思うのですが、
昔から有ったのだろうか?
ただ単に疑問になったので質問させて頂きました。(^^ゞ

Aベストアンサー

先程、そろそろ90歳近くになる母親に聞いてみました。
やはり娘の頃から母の母(母方の祖母)も使っていたし、その祖母が子供の頃からも使っていたらしいとの事でした。
その前はたどれませんけど、戦前どころかその前から普通にあった様です。

私自身、ピーラーの言葉を聞いたのは、大学時代か社会人になった頃あたりなので、確かに言われてみれば、40年ほど前から、皮剥き器の言葉が廃れてピーラーと呼ばれる様になったのかも知れません。

所でご存知とは思いますけど、欧州では形が違うピーラーがありますね。4つ割り位の円筒面型に曲げて、スリット状に割りを入れて刃を付けてある形です。シャトー剥きの要領で手首にスナップを利かせて使えば上手に皮を剥けるのですけど、ただ滑らせても巧く剥けません。
先端が尖っていて芽取りに使う様ですけど、刃の上をしっかりと握らなければならず、手を切りそうです。


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