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韓国の学生です。
最近、中原中也さんの作品について勉強していますが、外国人には結構難しいんですね。
私は詩「夕照」の全体的な解析が知りたいです。
特徴的な表現(たとえば小児に踏まれし/貝の肉とかかゝるをりしも剛直の、/さあれゆかしきあきらめよ/腕拱(く)みながら歩み去る)・リズム・印象・この詩が書かれた時の背景・詩人の心境など、何でもいいから教えてください。お願いします。

   夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。
 
原に草、
鄙唄(ひなうた)うたひ
山に樹々、
老いてつましき心ばせ。
 
かゝる折しも我ありぬ
小児に踏まれし
貝の肉。
 
かゝるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

A 回答 (2件)

s-macwin のおっしゃるとおり,難しい詩ですね。



飛躍の激しい比喩,
特に外界(自然の光景)と内面(慈愛,心ばせ,あきらめ)の隠喩に,
ヴェルレーヌやランボーやマラルメなどの
フランス象徴主義から学んだ跡が窺えると思います。

私の解釈では,
前半の2詩節は詩人(中原)自身のことではなく,
もっぱら外界の様子を歌っていると思います。

  丘々は日が沈んできたので見えなくなった
  その様子は(誰かはわからないが)心悩む人が胸に手を当て退いていく様子のようだ
  落陽は心悩む人をいたわる慈愛の色の
  金の色に輝いている

  野原の幼子のような草を眺めると
  子供らしい鄙歌を歌っているようだ
  山の老人のような樹々を見ると
  老いてつましき(遠慮深い)心ばせが感じられる

このように,田園の落日の光景と,
市井の人それぞれの暮らしを
重ね合わせているように思います。
当り前の自然の光景と,
当たり前に愚かに平凡に,しかし強く生きている人々の暮らしです。

後半は詩人自身のことになります。
s-macwin さんが
> 小児に踏まれし - 容赦の無い批判
> 貝  - 口、心の殻(心の防護壁)
> 肉  - 中身、心
と解かれましたが,
これはすばらしい解釈だと思います。
(本当に,目から鱗が落ちました。)
おかげで私のほうも考えが進みました。
ただし,私の詩の全体の解釈は s-macwin さんとはちょっと違います。

自然の光景を見ながら人々の暮らしを思っていた詩人は,
我が身を反省します。

  まさに自然はこのようにあり,人々はこのように暮らしている,それに対して私は
  子供にさえズタズタに踏みつけにされた,
  貝のように口を閉ざして反論できない,貝の肉のような脆弱な心になっている

子供は時として残酷に小動物をいたぶります。
しかし,ここで中原が言っているのは
本当の子供ではなく,子供じみた大人のことだと思います。
反論できない者を嬉々として追い詰める,残酷な理論家などです。
というのも,本当の子供は「鄙歌うたう」愛らしい存在として
すでに表現されているからです。
頭が良くて,弁の立つ理屈屋にやりこめられて,
中原は自尊心を傷つけられたのではないかと思います。

さて,このように自分の弱さを示した詩人は最後に「あきらめ」をイメージします。
詩人自身が1人称であきらめを歌うのではなく
別の人格のように「あきらめ」を登場させていることに注意しなければなりません。

  このとき剛直な,
  それでいて奥ゆかしい「あきらめ」よ,
  お前は腕を組んで歩み去っていく。

この「あきらめ」は最初の2詩節で歌われた,市井の人々の態度だと思われます。
「胸に手を当てて悩む人」「慈愛で見守る人」「歌う子供たち」「遠慮深い老人」
こうした人々も,偉そうな理屈や理論には屈してしまうでしょう。
そして,「腕を組んであきらめて」元の暮らしに戻るのでしょう。

こうして詩は終わります。
詩人(中原)自身は,はたしてあきらめることができるのか,
それともあきらめることができないのか。
市井の凡人のようにあきらめるのか,
理屈に対して理屈で戦うのか,
それとも・・・・・・詩を書くことで自分の場所を見つけるのか。

私はだいたい,以上のように解釈します。
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日本人でも難しいですよ。


この詩の正しい意味を知る人は日本人の10万人に1人位でしょうね。
私も正確な意味は知りません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F% …

リズム  5.7調

背景 1934年 27歳 
   長男誕生の年に「夕照」は作られました。

この詩の中で使われている言葉の意味
 鄙唄 - 民謡、または 狂歌、あるいは 中也自作の詩
 小児に踏まれし - 容赦の無い批判
 貝  - 口、心の殻(心の防護壁)
 肉  - 中身、心
 剛直 - 頑固、正直で生真面目

私の個人的な解釈です。

 目の前に見える丘を夕日が照らしている。
 その光は仏の慈愛のように柔らかく、暖かく私たちを包み込む。

 私は鄙唄を口ずさみながら草原を歩いている。
 山の木々を見ていると、時の流れを感じて心が寂しく、悲しくなってくる。
 
 (これより追憶 中也の心境)
 私は他人に傷つけられることを恐れ、心を閉ざしていた。
 しかも今だに心を開くことが怖くてできない。
 己を素直に表現するのには、どうすれば良いのだろうか? 
 このまま何もできないのだろうか?
 (と、悩みながら)
 私は腕を組み、歩いている。
 
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長男も生まれ、毎日が平凡に、平和に過ぎているのに、
私は世間の人たちの目を恐れ、批判を恐れ、素直な気持ちを表せず、
進歩もなく、何も変わらず、ただ無駄に年をとるだけの日々を過ごしている。
自分の作品に満足できない、自信を持てない、
そんな己(中也)を嘆いているのではないでしょうか?

太陽の「陽」(光、明るさ、温かさ、平和)と、
己の中の「陰」(心の闇、苦しみ、嘆き、葛藤)の対比を表した詩だと思います。
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