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 片倉小十郎景綱は《独眼竜政宗》と呼ばれた伊達政宗の守り役ですが、難しい文字を使って守り役のことを呼んだような気がします。大河ドラマは観たのですがうろ覚えで。その他に何かありますか、ネット検索では軍師だということですね。名前が三段階ですが、政宗も「伊達」と「政宗」の間に何かがあったような気がするのですが。

A 回答 (2件)

守り役の別名かどうかわかりませんが


片倉小十郎景綱は備中守だったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%80%89% …

伊達政宗は梵天丸(幼名)、別名 独眼竜(通称)
室町時代の九代目当主・大膳大夫政宗と区別するため藤次郎政宗と呼ぶことも多いようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/03 10:09

こんにちは。



>難しい文字を使って守り役のことを呼んだような気がします。
ひょっとすると「傅」でしょうか。
この字は音で「フ」訓で「もり」と読み、それだけでも「もりやく」の意味となりますが、「傅役」のような用い方もします。

>名前が三段階ですが、
諱(小十郎なら「景綱」)の前に通称や官職名が入るということですね。
昔の人は滅多なことで諱を用いませんから、普段は通称や官職名で呼びかけられます。
幼い時なら幼名、元服してからは通称、官位をもらったり勝手に名乗ったりするようになってからはその官職名となる訳です。
ですから#1の方も仰っているように政宗なら「梵天丸」から「藤次郎」となり、その後は「左京大夫」や「陸奥守」などとその時の官位をもって呼ばれたということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
 政宗たちが生きていた昔は、誰もが諱(いみな=本名)を滅多なことでは名乗ったり呼んだりせず、生前には口にすることを憚り伏せていたなんて初めて知りました。

 とにかく、景綱は小十郎を名乗り、世襲で「小十郎」を代々、片倉家では世襲で「小十郎」を受け継いで名乗り後に「鬼の小十郎」と呼ばれる正嫡の息子・左門が家督を継いで「小十郎」を名乗ることになってから、「備中守」と名乗るようになったのですね。

 勉強になるというか、混乱してしまいますね。

お礼日時:2007/12/04 01:14

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