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始めまして。
 卒業手前の大学に通う20代男です。自分には同じ大学に通う、付き合って2年の彼女がいます。彼女はプロテスタントのクリスチャンで、彼女の家族も代々(3代くらい?)クリスチャンで、毎週教会に通っている敬虔なクリスチャンです。そして、彼女の家族は寄付金みたいなものも、相当高額寄付しているみたいです。
 
そもそも、彼女と付き合い始めた当初は、彼女がクリスチャンであることは知りませんでしたし、知ったとしても、私は家に仏壇がある程度の環境でしか育ってこなかったので、特に何も思わなかったと思います。しかし、付き合って2~3ヶ月ごろ、彼女から急に「両親にあってくれない?」と言われました。まだ、付き合ったばかりだし、怖かったので、何度も断りましたが、どうしてもというので、会うことにしました。
  そして、僕のアパートに彼女の両親がやってきて、近くの喫茶店に連れて行かれました。何を言われるんだろうと、怯えていたら彼女の父親が
 ・自分たち家族はクリスチャンであること
 ・おまえにも宗教の考えを一緒にしてほしい(=キリスト教徒になってほしい)
 ・今週から、毎週日曜日にはキリスト教会に行ってほしい

と言い、一緒に聖書を渡されました。そのとき自分は、キリスト教がなんだかよく分からなかったし、彼女と手すらつなげていなかった当時は、彼女の両親に会っただけで、頭の中がパニックになっていたし、断るわけにもいかなかったので、すんなりと聖書を受け取ってしまいました。
 キリスト教には抵抗があったけれど、彼女のことが好きだったし、一緒に教会に行くぐらいならと思い、一緒に行き始めました。しかし、いざ行ってみると、今まで見たことのない光景にショックを受けました。でも、彼女はキリスト教を真剣に信じているのが分かっていたし、何回か行っているうちに自分もキリスト教について理解できるだろうと楽観的に思っていました。
 それからほとんど欠かさず、1年間教会に2人で通い続けました。また、彼女の勧めで日曜日以外もキリスト教の教え?みたいな講座のために1人で何度も教会に通っていたこともありました。しかしながら、一向に自分にはキリスト教が理解できませんでした。
 それどころか、彼女の両親(何度も会いました)は「仏教の坊主はだめだ」とか神社やお寺を見るたびに「ばかばかしいし、気持ち悪い」などと、僕の家には仏壇があることを知っているのに、このようなことを必ずと言っていいほど言ってきます。これは彼女も同様です。このようなことを言われるたびに、私はつらくなりました。キリスト教は一神教で、それ以外は信じないというのは、その宗教の教えなので私は受け入れますが、まだキリスト教徒になっていない私に対して、どうしてこのように発言するのかが理解できません。
 このような状態がまたしばらく、だらだらと続きました。その途中で、彼女には「自分はキリスト教について理解できなそう・・・。でも、君(彼女)がクリスチャンであることは立派だと思うし、熱心に信仰していることは尊敬しているよ。」っぽいことを何度か言ったことがあります。
 しかし、私の性格上、勧められるとなかなか断ることができず(途中で、何度もキリスト教を信じられたら、こんな思いしなくてもいいのにと思い、教会の講座には「今度こそ受け入れられるか?!」と思って通っていたつもりです)、それが彼女や彼女の家族からはキリスト教を熱心にやろうとしていると思われたのかもしれません。
 実際、熱心に学ぼうとしていた時期はあったのですが、一度たりともキリスト教を信じることはできませんでした。
 しかし、ある日彼女の両親から「洗礼式(キリスト教徒になる式)は○月○日だから」と突然言われました。私は愕然としました。まだ、信じられないのに洗礼式を受けなければならなくなってしまったのです。これではまずいと思い、彼女に「まだキリスト教を信じられない」といったのですが、彼女は洗礼式いけというのです。泣きながら、まだ信じてないのにどうして・・・と言ってもいまさら両親には言えないし、出席してというのです。
 そして、やむなく洗礼を受けることになってしまいました。しかも、「キリスト教を信じる」旨の文章を渡され、教会の公然で読み、洗礼をうけてしまいました。
 自分としては、クリスチャンの方々に非常に罪悪感をもっています。どうしたらいいのか分からなくなってしまいました。
 その後、彼女と話し合っても、何も解決できないでいます。 

 この先、どうしたらよいのでしょうか。
 読みにくい文章ですみません。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

洗礼は、本来、「本人が信仰しており、洗礼を本人が望んでいる」ことが洗礼を受ける条件だとは思いますが、フィアンセとそのご家族が信仰され、あなたの洗礼を望んでおられていることと、あなたご自身があちらの信仰に身を委ねてよい、とお考えなら、洗礼を受けてもよいと考えます。

ただし、この後、信仰されていくことが条件です。救いの考えかたは、徹底的な個人と神の関係に限定する考えと、皆が愛し合う共同体として救われていくという考えがあり、両方とも正しいと思います。
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2代目クリスチャンで親族に牧師がいる20代大学生から言わせてください。


 まず、日曜日以外も教会に行っていたそうですが、どうなんでしょう?宗派にもよるので一概には言えませんが、ちょっと考えられないかな?と思ってしまいます。普通は日曜日に教会行って、せいぜい行くとして祈祷会というものが週に一回あるという感じではないでしょうか。ちなみに祈祷会は行きたい人がいくという感じでそんな強制されるという事はないです。
 次に、他の宗教の批判ですが、ちょっとこれも僕の感覚から言うと無いって感じです。まず、聖書的にどうなのかって事はよくわかりませんが、人が大切にしているもの、それが宗教だったり価値観だったり、を否定するということはあまりにも失礼きわまりない行為ですし、正直品が無いといっても過言じゃない気がします。大体、キリスト教は徹底した個人宗教、つまり個人と神との関係です。だから、他人の事は関係ないはずなんです。それだから、他人が何を信じていようが自分とは何の関わりもない。その人が信じたいのだからそれでいい、自分はキリストを信じる。というもののはずです。従って、この場を借りて言わせていただきたいのが、キリスト教は他の宗教を否定するものでは無い。ということです。
更に寄付金が相当額というのも、「?」と感じます。どんなに信仰深い人でも収入の十分の一以上はしないはずです。献金は収入の一部を神に返すというものですから。
 以上の事から、彼女さんが信じられている宗派が気になるところですが、ちょっと普通では無い気がします。妙にカルトな雰囲気が漂っています。(僕の中では他者に迷惑かけた時点でそれは宗教ではない。というのが私見なんで)なので、出来る事なら、宗派は聞き出した方がいいと思います。キリスト教を語るカルトはたくさんありますから。下手したら、あなたの身に危険が生じる可能性だってあります。その上で今後の交際を考えるべきではないでしょうか?
 なんか、すみません、偉そうな事書いてしまって。ですが、本当に取り返しのつかないことにならない内に早急に何かした方がいい気がします。
 ちなみに、洗礼ですが、大丈夫ですよ。ほかの方も言っていますが、キリスト教徒の考えから言わせて頂けば、そんな形式的な儀礼、神の前じゃ無効。というよりは、「そんな強制的に受けさせられて」と哀れに思われているんじゃないでしょうか?
 以上、長くなりましたが、いちクリスチャンからの意見です。最後にキリスト教を信じなくてもいいので、嫌いにはならないでください。難しいとは思いますが、お願いします。
それじゃ、これから色々あるかと思いますが頑張ってください。祈ってます。
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なんかカルトみたいですね。


通常絶対に無理して洗礼を受けさせない。信仰があってそれから洗礼です。どこの教会かな?
別にそこで洗礼を受けても信じてないなら無効です
聖書には「信じて告白して救われる」信じてないのに救われませんよ
まず自分を信じてください そして振り回されない。いやいや教会に行く献金 これは恵みもなく祝福もないですね。
あなたが好きでなく、ただ洗礼を施したかったかもね。

通常私たちは他の宗教団体を否定はしないです。みんな始めは同じだったからね。否定して嫌悪感を抱かせるこれは自己愛からでてキリスト教からはなれてますね
後は自分で決めてください。
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こんばんは。


私の受けている学びの中からお分ちしますと、新約聖書には「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と書いてあります。神様の愛は信仰しているしていないに関わらず、すべての人に注がれているものと学んでいます。
また、聖書の中には、一番大切な戒めは「愛」であると書かれていて、たとえ熱心に奉仕や献金をしていても、「愛がなければむなしい」ものです。行ないで人は救われることが出来ず、へりくだって自分は神様に罪を赦される必要のある人間であると認めることだというのがキリスト教の大原則の教えです。
熱心さゆえに奉仕や活動に夢中になってしまうことは、信仰というよりも、人間の性質によるものだと思っています。熱心だからといって立派な信仰者と言える訳ではなく、神様はもっと違った視点から人を見ておられるというのが聖書にある教えです。神様への信仰ゆえなのか、自己の満足のためなのか、いつも吟味しなければならないのは、クリスチャンであっても私たちは間違えやすい弱い人間だからです。私の行っている教会でも、よくその点の注意を受けます。どんな宗教であれ、気をつけなければカルト的になり易い要素があるでしょう。
聖書の正しい教えはとてもシンプルですし、私たち自身で物事がおかしいか、おかしくないか判断する力も、神様は与えられておられます。guranpola2さんの感覚は間違っていないものだと私は思います。
「キリスト教を受けれないものは地獄行き」とばっさり切り取るような言い方ではありませんが、聖書によれば、イエス様を通してでなければ、人は罪から救われる事ができないと定義されています。自分は、ただ神様の恵みで一方的に赦される事しかできないような、何もない人間であるということを認めたのなら、本当はむしろ誰の事も軽蔑したりなんて出来ないのです。そして、自分に注がれている神様の愛が同じように注がれている事に、気づいてほしい人、知ってほしい人に伝えたいという思い、神様から自分がもらっている愛を他の人にも流したいという願いを抱きます。
彼女のご家族も、弱い人間の性質から間違った言動や思考をしてしまっているように感じます。もう一度、自分にとって神様の救いとは何なのかという原則に立ち返って、純粋な学びが受けられる事を願います。間違いをしたからといって、チャンスを無くす人はいないというのも聖書の教えです。guranpola2さんのことがきっかけとなり、盲目的になってしまっている状態に気づけるといいですね。。
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こんにちわ。



ずいぶん頑張りましたね。
あなたは彼女がよっぽど好きなんですね。
それはいいことだと思いますし、自分から別れをきりだす必要はないと思います。

ただ、他の方のおっしゃる通り、彼女にははっきりとキリスト教に対する自分の気持ちや考えを伝えたほうがいいと思います。

ここでかわいそうなのはあなた以上に彼女だと思います。彼女は知らず知らずのうちにとんでもない生き方に無理やり連れ込まれてしまっていると思います。今は彼女も自分で選んだ道だと錯覚しているでしょうけど、いつかきっと目が覚める日がくると思います。

この世の中には多くのキリスト教会が存在します。
彼女と別れることを望んでいないのでしたら、他の教会も見に行ってみようと言って彼女を連れて他の教会を訪問してみるのもいいかもしれませんね。

あなたがキリスト教を受け入れられるようにではなく彼女の目が覚めるかもしれませんね。
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クリスチャンとして言わせて頂きます。


その一家は完全にキリスト教を履き違えています。
他宗教・無宗教の人に暖かく手を差し伸べる事が私たちの本来あるべき姿なのです。
無理やり押し付けたり、他宗教をバカにするなどはもってのほかです。
そういった人たちはもはやクリスチャンを飛び越えサイコです。オウム真理教と大差ありません。
皮肉な事ですが、私にはあなたの方がクリスチャンに見えます。
理想を言わせて頂ければ、あなたが本当の意味でクリスチャンになり、彼女たちを正す事が一番ですが、
散々嫌な思いをしてきたあなたには酷な注文でしょう。今の彼女とは別れる事をお勧めします。
罪悪感を持って頂いただけでもう十分です。今後は負い目を感じずにあなたの人生を大切にして下さい。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

キリスト教云々の前に、自分の環境について馬鹿にされたり、
批判されたりするのが、そろそろ正直耐えられなくなってきたのかもしれません。
彼女は自分達が絶対に正しいと思っているので、
僕が仏教やお盆行事のことを話すだけで、小ばかにしますし、
怒る事だってあります。
彼女は生まれた瞬間から、キリスト教の環境で育ってきたので、
そのような気持ちを持つのは当然だし、
私も逆の立場だったら、

「なんでキリスト教を信じてくれないんだろう。これこそが真実なのに」

と考えると思います。
さらに、逆を言えば、無宗教といえども、私も生まれたときから、仏壇や仏教行事に囲まれ育ってきているので、
それが当然だと思っていました。

しかし、今回こようなことがあり、
自分が常識だと思っていることが、他人は全く逆のことを考えている
ということが起こりえるんだなと身をもって体験しました。

今後の人生は自分なりに良いと思う方向へ進んでいきたいと思います。
今回のこのページで、彼女達に対して多少なりとも
批判的な態度をとってしまいましたが、
逆に言えば、それも良いことではないですね。
他人を受け入れつつ、自分の考えもはっきり伝えることを大切にして行きたいと思います。

marcvaldさん、ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/25 15:09

guranpola2さん、はじめましてこんにちは。


質問を読んで、クリスチャンとして、guranpola2さんの力になれればと思い回答させていただきます。
guranpola2さんはやさしい人柄なのだと思いました。なので、彼女とご家族の期待に応えたい思いもあって、キリスト教を理解しようととても努力されたのですね。
キリスト教徒と一概に言っても、スタイルは非常に様々ですので、どのような教会に行かれているのか分からないのですが、どのような教会であろうと、純粋に信仰についてのみ言える事は、信じる、信じないは、けして人に強要されるものでなく、また、人のために信仰するものでもないということです。
私が行っている教会の教えに基づけば、信仰とは形ではなく、心です。たとえ洗礼を受けたとしても、guranpola2さんの心のうちに、イエス様が自分の救い主だと受け入れた思いが無いのなら、それは意味の無いものです。信仰は、神様と本人との関係なので、たとえ家族であっても、そこには介入できないものです。私も3代目のクリスチャンですが、親がクリスチャンだからといって、私が絶対そうである必要はありませんでした。
でも親はいつも私の事を祈っていてくれたと思います。そして私は私自身の関係性を神様との間にもって今は信仰しています。
神様との関係とは、愛の関係です。愛とは、人を縛りつけるものではなく、あくまでも自由意志の上に成り立っています。お互いの自由な意志の上で、それでも一緒にいることが愛です。神様が望んでおられるのは、そうした純粋な心だと、私は学んでいます。
敬虔なクリスチャンとは、人知を遥かに超えた神様がいるということと、人とはどうしても罪を犯す弱い存在だということを認めて、日々神様に自分をゆだねながら、感謝することを覚えて生きようとする人です。
他の宗教に対してことさらに悪口を言ったりするのは、本来学ぶべき聖書の教えからは遠く離れているように思います。
信仰してないのに言われて洗礼を受けてしまったことで、教会員の方々に罪悪感を持つ必要は全くないと思います。本来ご自分の自由意思に決定権が与えられている受洗を、他者の意思にゆだねてしまったことは、周囲の人でなく、神様に対してすみません、な事だと思うのです。
差し出がましい意見だったかもしれませんが、お役に立てる部分がありましたら、参考にしていただければ幸いです。
聖書には「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」という箇所があります。
guranpola2さんご自身に信仰を求める気持ちが起こされたとき、神様との個人的な関係を築ける日がくることを、いちクリスチャンとして陰ながらお祈りしています。
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この回答へのお礼

 初めまして。クリスチャンからのご意見がいただけて、感謝してます。

 私がキリスト教の信仰についてとやかく言う立場ではありませんが、
miccacoさんのおっしゃっているキリスト教の精神には共感いたします。完全に理解しているわけではありませんが、
新約聖書を読み、キリスト教とはそのようなものなんだ、と思っています。(信じるには至っていませんが、。)
また、キリスト教は一神教であるからこそ、他の宗教を認めないというのは理解できます。
 しかし、miccacoさんもおっしゃる通り、
他宗教を認めないにしても、それを批判することは、
彼女もその両親もとても熱心にキリスト教を信仰しているのに、
少しばかり、道をずれているのではないかと思っています。
 彼女の家族らは私から見ていると、非常にキリスト教に対して熱心
であり、教会の様々な活動に協力・支援しています。
それを見ていると、尊敬もしますし、彼らは本当に信じているのだなと実感します。それを考えると、余計に彼らの考えが分かりません。

 間違っていたらすみませんが、キリスト教とは「愛」を大切にして、誰に対してもその気持ちを持つというものではないのでしょうか?
(当然、その前に唯一神を信じなければなりませんが)
 それとも、私の行っていた、教会の牧師が言うように
「キリスト教を受け入れないものは永遠の滅び、地獄行き」であり、彼女やその家族はクリスチャン以外に対して少なからず、軽蔑の心があるのでしょうか。

 文章がまとまらなくてすみません。

お礼日時:2008/05/25 14:57

残念ですが彼女と付き合いを続けていくのは無理でしょう。


きっぱりとキリスト教は信じられないことを伝えてください。
それからもう絶対に教会には行かないこと。
あなたがそんな優柔不断で曖昧な態度をとっているから彼らに
巻き込まれてしまうんです。
自分のその優柔不断さが招いた結果と反省した方がいいですよ。

宗教ってのは強要されて入るものじゃありません。
あなたが信じれるものを信じたらいいんです。

普通だったら、さっさと別れるか怒っているところですよ(汗)
もっとしっかりしないと社会に出てから大変ですよ。

それから、あまり罪悪感を感じることはありませんよ。
きっとあなたは優しすぎるんでしょうね。
本家のイタリア人でも、敬虔な信者のふりして本当はたいして
信じてないとか、あまりキリスト教のこと知らないって人
けっこういるらしいですよ。
イタリア人と結婚した女性から聞きました(笑)

宗教っていうのは、人間がつくったものでほとんどが人によって
勝手に解釈されて、いいように利用されてきたものです。
キリスト教だってそうですよ。
昔の歴史を見れば、敬虔な信者だといってそれを自分たちにとって
都合のいいように言って利用した人たちはたくさんいたんです。
彼らもそのたぐいでしょう。
まったく違う宗教に嫌悪感を抱くなんて…。
彼らに何も危害をくわえていないのに、ただ気に入らないから
中傷しているだけ。
そんな人たちが隣人を愛せといったキリスト教を信奉している
ようには思えませんよー。

ちなみにあたしも無宗教です。
仏壇はあるけど、それだけってやつです。


泣く前に、さっさと別れて連絡を絶つことです。
そうすればあなたも彼女も新しい人を見つけられるでしょう?
無理して付き合ってるともっといろんなこと強要されますよ。
嫌いになってからじゃ遅い。
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この回答へのお礼

早速回答をいただき、ありがとうございます。
mimika5223さんのおっしゃる通り、私は優柔不断で
今までにも何度かそれで後悔したことがあります。
今回もそうだったのかもしれません。
ただ、宗教を除けば、彼女の両親は私に対して、
色々面倒をみてくれたりしていたので、
いまさらキリスト教を信じられないと言う事ができなくなってしまっています。(彼女には言ってるんですが・・・)
つまり、こういう性格が優柔不断であって、いけないと思うのですが、
なかなか直らないものです。

mimika5223さんのおっしゃる通り、これでは、社会に出てからも優柔不断がきっかけで、同じようなことがおきるとも思います。

どうにかこの、はっきとしない性格を直したいものです。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/25 14:28

宗教にこだわりがある人とは、付き合わない方がいいと思います。



彼女やその家族の行動を客観的に考えてみましょう。自分と同じではなくてはいけない、それ以外の宗教の価値も認めていませんよね。非常に排他的です。

それは普通の日本人の感覚として、どうでしょうか?
人間として尊敬できる人間なら、ほかの人の立場にも配慮を示すはずです。それに、学生なのだから、彼女の良心があなたを娘の将来の結婚相手として、入信を勧めているのかも疑問です。自分の宗教が絶対だと信じるから、布教しているだけなのではないでしょうか?

盲目的に彼女を好きになってしまったのかもしれませんが、もう少し常識を働かせてみてください。そもそも、どの宗教を信じるか、あるいは宗教そのものを信じないかは、全て個人の自由です。社会はいろんな人が混ざって存在しています。人間には生理的に受け入れられないこともありますが、自分こそが絶対だと信じる人間は単に我儘なだけです。

あなたは別にクリスチャンの人に罪悪感を持つ必要はありません。信じられないのは、あなたとキリスト教の相性が悪いだけです。あなたの彼女が仏教を軽蔑したのと同じ行為をしない限り、何も悪いことはありません。一度洗礼を受けても、やめてしまえば良いのです。それが許されない組織なんて、他にどんな組織があるのか、考えてみてください。その異常さに気が付いてほしいと思います。
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この回答へのお礼

早速回答をいただき、ありがとうございます。

 negitoro07さんのおっしゃるとおり、この世の中には宗教が沢山ありますが、私はそれでいいと思っていますし、ましてや軽蔑するつもりもありません。私と彼女の関係においても、ある時期は彼女と同じようにキリスト教徒になろうと思ったこともありましたが、やれるだけのことはやりましたが、全くだめでした。
 おっしゃる通り、相性がわるいのでしょうか。

 教会の牧師の発言でもそうなのですが、どうして、キリスト教徒(全ての方ではありませんが)は他の宗教を軽蔑したりするのでしょうか?
 一神教なので、他は信じないという信仰心は理解できますが、どうしてそこで、他宗教に対し排他的な行動をとるのでしょうか?この点に関してだけは、私は残念な気持ちになります。
 今後の生活についてはもう一度考え直してみることにします。

 negitoro07さんありがとうございました。

お礼日時:2008/05/25 02:47

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