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虫の知らせは私はあると思っています。
こぎつけかもしれないけど過去に二度経験しました。
虫の知らせがあるなら
「天罰」や 「因果応報」「天網恢恢 疎にしてもらさず」という事も
実際にありますか?

A 回答 (7件)

あると思います。


私も幾度か経験しています。
これらの言葉が残されている事自体が、
実際にある事の「証明」だと思います。
何も無かったら、このような言葉そのものが存在しません。
と、思います。
特に「天罰」や「因果応報」は、必要だと考えてもいます。
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いささか方向が違いますが・・・私たちは、どうして生きているのでしょう。



私は、此の頃、その人に見合った事(場合によって必要なこと)がその人に
降りかかるような気がします。(日々、試されているような気もします。)
まじめに、努力することは決して無駄ではありません。

日頃節制せず、食べたいだけ食べ、夜更かしも、したい放題^^;
結果、メタボになって、暑い、重い、会社で1時過ぎに居眠りして
リストラの口実になる。これ正に因果応報です^^;
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虫の知らせ



祖父が夢枕に立ちました。

天罰

天に唾するような事すると、自分に振ってきます。

因果応報

自分が犯した罪は、自分に帰ってきます。法律以前にね。

最後は中国の故事、Wikiでどうぞ。即答不能なので。

じゃね。
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個人的には一切信用してません。

個人的にはですのであなたがどう思われようともそれはそれ。
ただ、虫の知らせはまた別かと(笑)

なぜ無いと思うのかを述べます。

"天罰--悪事を働いたことに対する報い"
これらの言葉が真実であるならば、"正直者は馬鹿を見る"って言葉はどうなるのかと。
"正直者が馬鹿を見る--悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする。"

この正直者のところに出てくる狡賢い者へは天罰はないのですか?
仮にこの後、この悪人に不幸な事が訪れた時に人はそれを天罰と呼ぶのでしょう。悪人の受けた罰と正直者の損。ここでバランスを取れなくては"天"というか人ならざるものがもしも介在するのであれば、おかしいと思う。
正直者がした苦労や損よりも、まるで大したことの無い事柄でも天罰と言ってしまうのは乱暴だと。かといって、同じ程度の事柄が無ければ天罰はなかったと言ってしまってよいのでしょうか?

僕はこの言葉は教育の中で生まれたんだと思います。
「悪い事すればお天と様が見てる」等の悪いことはダメだよ~的な戒めの意味でしかないと思います。これらが普及すると、なんらかの悪事(子供のイタズラレベルでも)をした後日、些細なことでも嫌な事があれば天罰へと結びつける。

で、実際にそうは言われて育っては来たものの、いいことなんてサッパリない。悪い奴が儲かるんだよ~という実体験から"正直者~"のくだりになるのだろうと思います。
同じことは"天網恢恢~"にも言えることだと思います。

ただ因果応報だけはちょっと違う。
"因果応報--前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。"

自分に責任がなくても報いがあるよ。っていう仏教後です。
僕はこの思想は大嫌いでしてね。確認出来もしないことでその人を追い込んで責があるかのように問い詰める。
こんなことを違う言葉で言ってきた、とある宗教の連中にはガッチリ言ってやったんですが。

こんな不条理なこと納得いきます?あるなしはおいといて。まだ天罰の方が合点がいきますわ。

仮にその親が殺人をおかしました。子に責任ありますか?
-因果応報と言うのは前世だから親は関係ないのでは?

アホか。親がやったことですら責任はないのに、知りもしない・名前もしらない・ありえもしない前世の自分に対して何故責任とらにゃならん。なぜ責をうけねばならん。"業(ごう)"とも言いますね。

ま、仮にあったとしましょう。
前世での罪深い業の為に今、自分に苦難が訪れています。
で、仏教では来世の為に~と始まるわけです。

一方で輪廻転生って言葉があるわけですよ。
人が死んだら49日以内にこの世で何かに生まれ変わるって奴なんですがね、もちろん人には限らない。(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の六道で転生するらしい)

整理しましょう。
業を持ったAさんが因果応報の憂き目にあって亡くなります。
仏教の力で来世ではまた人間界に転生できました。
生まれ変わったA’さんは業がない状態です。
でA’さんは業も無く幸せな生活を送っていましたので仏教に頼ることも取り立ててなく。
で、A’さんが亡くなったらどうなるんですかね?
生きるだけで業だとも言いますが。

これが日本人しかいないもしくは仏教圏の人しかいないのなら説明もつきそうなんですが、キリスト教の人は?
キリスト教では死後、神の世界へ行くわけで転生ないんじゃないすかね?

長くなるからやめますけど、宗教って死後の事やら前世やらをとかく語りますがワールドワイドに物事を考えると、個人的には首を捻りたくなるようなことばかりです。

僕は矛盾と捉えましたが、全てを前世に擦り付ける事で幸せになれる方はそれでいんじゃないですかね?
それを信じることで幸せに歩めるのなら、それで良いでしょう。

個人的にですが勧誘が激しいので撃退する意味で屁理屈こねる人間の考えです。あしからず。
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初めまして。


個人的な考えですが、

・虫の知らせ→ありません。過去色々なことがありましたが、一切そんな出来事はありませんでした。
・天罰→無いと思います。有れば偶然の産物です。
・因果応報→原因と結果に理論的な関係が有れば発生します。
・天網恢恢疎にしてもらさず→これもありません。有れば、偶然と必然が上手くかみ合って確率的に発生したものです。
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どんな些細な悪行も見逃してはもらえない…


自己への戒めとして懐持しておきたい言葉ですね。

現実社会においてはこれもこじ付けでしょう。
日頃素行の悪い人がひどい目に遭ったとき、周囲の人たちは
「天罰が下ったんだ」と言います。
でも日頃素行の良い人がひどい目に遭えば「災難だ」と言います。
受け取り方、ジャッジは人の手に委ねられていますよね。
そこに神の采配は存在しない。
貴方が「天罰だ」と判断すれば天罰なんです。

因果応報は少し内容が違うかな…
そこに人間が関与することもありますからね。

ご参考までに。
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不思議ですが


30年以上前修学旅行中に祖父が亡くなりました。
帰るまで親は知らせませんでした。
亡くなるタイミングくらいに阿寒湖で転びました。
25年ほど前、海外旅行中(台湾)に祖母が亡くなりました。
これも帰るまで知らせませんでした。
田舎の郵便局の入り口で犬がお昼寝。
絵になるので写真。
帰国してお骨の前で唖然。
犬のぬいぐるみが・・・
台湾で出会った犬にそっくり。
亡くなったタイミングもほぼ同時。
写真の現像できて、みんながびっくりです。

不思議ですね。

親の時は何もありませんでした。
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