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閲覧ありがとうございます。
大学入学を志望しています。
文化学を志していたのですが、文学研究と文化学の違いが曖昧だったこともあり、
本を研究対象にしたいと人文学部の文学科を選びました。
近現代文学の中で共通して使われてきたモチーフに視点をあて、
それらを考察することで、そのモチーフが文学内でどう捉えられてきたかを調べたく思っていました。
具体的には様々な文学者が、作品内でモチーフをどう扱っているかを比較検討するような方法を考えていました。

結婚を例として、
「明治大正期の文学に見られる「結婚」」を考察、
もしくは「文学内での「結婚」の扱いは現代と近代で変わっているか」といった感じです。
それを重ねることで、ゆくゆくは日本人もしくは大衆の「結婚」のとらえ方を知りたいと思っていました。

しかし、それでは「Aは結婚をこう書いている」「Bは結婚をこう書いている」というアンソロジーにしかならないのではないかと心配になりました。

興味があるモチーフについて調べてゆきたいという好奇心から始まったのですが、どうも研究と読み物の区別がついていないようで、志望理由に行き詰まってしまうことが多々あります。

一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちますか?
また、そういった「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていくことには意義があるでしょうか?
(言語文化の枠ではないかという意見も頂きました。言語文化の視点を取り入れた文学研究、等でも構わないのでしょうか…)

大変初歩的な質問で申し訳ありません、
ご意見いただければ幸いです。

A 回答 (7件)

> 一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちますか?


> また、そういった「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていくことには意義があるでしょうか?

実際にそういう研究の例はいくつもあります。
何よりも実例を見てみることが参考になるのではないでしょうか。

まず前田愛『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫)

このちくま学芸文庫版は、いくつかの論考が所収されていて、非常にありがたい本になっています。最初の「空間のテクスト」は、ある程度の知識がないと、ちょっと読むのはつらいかもしれませんが、二葉亭四迷の『浮雲』を扱った「二階の下宿」や、樋口一葉の『たけくらべ』を扱った「子どもたちの時間」は、なんとか高校生でも読めるかと思います。

ここに所収されたエッセイは、どれも文学作品に描かれた「都市」もしくは「空間」について考察されたものです。わたしたちはふつう作品を読むとき、どうしても人間に目がいってしまう。その人が何をするか、どうなるか、に目を奪われてしまうのですが、前田さんは、通常は「作品の背景」としか意識されない、舞台の方に目を向けます。立原道造のソネットは、どこに「かへって来るの」か。『舞姫』の豊太郎が歩いたベルリンはどんな街だったのか。

それまで「背景」としか意識しなかった空間に目を向けることによって、これまでわたしたちは登場人物が屹立した個人として、決断し、行為していると思っていたことが、ひどく狭い見方でしかなかったことに気づくことができるのです。主人公を主人公として成り立たせているのは、さまざまな空間であり、その空間における人びととの関係である、ということがわかってくる。

だとすれば、空間を描いた作品をいくつか集めてくれば、それで論考が成り立つのか。

> しかし、それでは「Aは結婚をこう書いている」「Bは結婚をこう書いている」というアンソロジーにしかならないのではないかと心配になりました。

という問題意識は、非常に優秀だと思います(別にわたしが褒めたって何もいいことはないでしょうが、でも、高校生でこの点に気が付いたのは、ほんと、えらい! って思います)。だって「アンソロジーもどき」もいっぱいあるから。

だからこそ、枠が必要になってくるのです。
枠というのは、ゲームのルールです。
前田さんの論考は、「意識/無意識」というユング心理学がその枠になっています。

あるいはルネ・ジラールの『欲望の現象学』

この論考では、『ドン・キホーテ』『ボヴァリー夫人』『赤と黒』『失われた時を求めて』などを通して、主人公の対象に向けた欲望は、媒介となる人物(モデル)の欲望の模倣である、ということが考察されていきます。ジラールはこの主体-対象-媒介の三つの項を「欲望の三角形」と呼ぶのですが、こうすることによって、わたしたちはそうした作品を、これまで思ってもみなかったような角度から眺めることができる。

特にこのジラールの「欲望の三角形」理論を援用した作田啓一の『こころ』を始め、いくつかの文学作品の読解(『個人主義の運命』所収)は、非常におもしろいものです。

そうしてこのジラールの理論というのは、ヘーゲルの欲望論から来ている。

このように、「「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていく」ためには、かならず「枠」が必要なのです。
ですから「アンソロジーかそうでないか」を分けるのは、この枠があるかないかです。

そうして、それを読む側も、その枠を知っておく必要があるんです。
そうしないと、なんで手を使わないんだ、まだるっこしいな、あんなのスポーツじゃないよ、なんてことをサッカーの試合を見ながら言う羽目になってしまいます。

こうやっていくと、質問者さんがあげられた例というのは、まだまだ問題意識を煮詰めていく必要があるということがおわかりかと思います。
たとえば
・結婚を機能の面から考察していくのか
・社会が持つ集合的表象としてとらえるのか
こういうことについて考えていかなくちゃならないかな、と思います(もちろん、これ以外にも切り口はいくつもあるでしょうが)。

だから、いまは「問題意識」を絞るのではなく、さまざまな「枠」を知ることから初めていかれてはどうでしょうか。

こういうのを正統な文学研究か、というと、そうだとは思わない人もいます。
「カルチュラルスタディース」みたいな呼ばれ方をすることが多いかもしれません。むしろそういうところで必要になってくるのは、哲学とか現代思想とか、あるいは社会学とか、「文学外」の知識が山のように必要になってきます。

でも「内容」より「理論」とか「構造」とかいうことが好きな人は、大丈夫、やっていけると思います。

ほかにもバタイユとかプーレとかブランショとかサルトルとか、もう、ほんとにいろいろあります。そうそう、うんと読みやすいところでは斉藤美奈子の『妊娠小説』もそうです。この人がいったい何を「枠」に使っているか、これは比較的わかりやすいので、質問者さんも考えながら読んでみてください。

ともかく、ぜひ一度、前田愛は読んでみて。
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います!
大変わかりやすいご説明でした。
というか、実はすごく難しいことを、私にもわかりやすく書いてくれていらっしゃるんだなあ、と感じます。
こんなにわかりやすい説明をくださる方にお褒め頂いたのは本当に嬉しいです(笑)しかし私、厳密には高校生より少し年上(短大生と同じ立場)なので、お言葉にそぐえずお恥ずかしいですが…^^;

一つの「枠」にそって考察するというご指摘、よくわかりました。
といっても「枠」をまだ一個も知らないので、「枠」がどんなものなのか、それをどう適用していくのかを知らずわかったことにはならないですが…。
研究したいと考えたことですが、

>社会が持つ集合的表象としてとらえるのか

こちらに近いと思います。
「結婚」について調べるといってもすごく曖昧ですが、先ず私が何を知りたいかが曖昧だったことが良く分かりました。
(「結婚」が文学内のどんな場面に登場して、登場人物の心象にどんな影響を果たしているか、そのようなことを調べて、「結婚」がどんな意図で書かれてきたか、その変化を知りたい…そんな感じです。それを知ってどうするのかを説明出来ないのですが)

とりあえず、前田愛さんを始め挙げて頂いた本を読んで、それから自分のしたいことが研究として成立するようちゃんと煮詰めてみようと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/09/24 15:35

 質問の趣旨がわかりにくいです。


 これから入学する大学で何を専攻するか迷っているということですか?
 これからご入学されるのであれば、しっかり基礎科目を学ばれたうえで、専門科目(卒業研究)を特定されてはいかがでしょうか?
 物事には順序があります。

 回答者もこころすべきでしょうね。
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この回答へのお礼

先ずは、お礼が遅くなってしまい大変申し訳ありませんでした…!!
こちらに来れない時間が長くなってしまい、皆様に丁寧なご解答をしていただいたにもかかわらず質問を締め切れなかったこと、お詫び致します。

>質問の主旨がわかりにくいです。
失礼しました。
読み返してみると文学研究といいつつ大学云々の話もありわかりにくいですね…。
編入学という特殊な制度での入学なので、基礎科目を大分飛ばして文学の世界に踏み込まねばならず、不安もあり悩んだ上での質問でした。不安が出た文章でちょっと恥ずかしいです(もっと整理して質問すべきでした)
こちらでいただいた解答等を参考に少しずつ本など読んでいます。
研究の仕方についても未知のことが多いのですが、どのような分野でも踏み込んでみないと楽しさも何を自分の研究テーマにするかもわかってこないんだなあと思いました。

皆様、大変ありがとうございました。
これにて質問を締め切らせて頂きます。

お礼日時:2009/02/09 00:15

>近現代文学の中で共通して使われてきた【モチーフ】に視点をあて、


それらを考察することで、その【モチーフ】が文学内でどう捉えられてきたかを調べたく思っていました。
>具体的には様々な文学者が、作品内で【モチーフ】をどう扱っているかを比較検討するような方法を考えていました。
>【結婚】を例として、「明治大正期の文学に見られる「結婚」」を考察、もしくは「文学内での「結婚」の扱いは【現代と近代で変わっているか】」といった感じです。
>それを重ねることで、【ゆくゆくは日本人もしくは大衆の「結婚」のとらえ方を知りたい】と思っていました。

仮に文学作品内で【モチーフ】を比較考察する際、作家を突きつめて研究対象にするというのではなく、
あくまで【モチーフ】そのものを様々な作品のみならず研究材料から究めていくのであれば、
No.4のkadowaki様のおっしゃる通り「社会学」を志望されたほうが最善ではないかと私も思います。

私は法学部出身ですが、政治社会学、社会学、文化人類学のゼミの教授とも仲良くしていただき、単位も取得、ゼミにも参加した経験があります。
肝心の法学ゼミは理屈ばかりで怠惰だった反面、それらは講義も討論も遥かに楽しく、当然成績も私の虚栄心を満足させるほどでした(笑)。

おおまかな社会システムの変遷とポストモダンの展望並びに社会心理の相関関係に関して、
例えばミシェル・フーコーの『監獄の誕生』をはじめとした歴史的社会考察から、
エーリッヒ・フロムの社会的心理の分析、レヴィ=ストロースのいわゆる文化人類学系の著書まで、
本当に多岐に渡り読んだ記憶があります(今は忘却の彼方ですが、笑)。

研究対象の材料の一つとして文学作品を用いるのも面白いかもしれませんね。
「その文学作品が生まれた時代背景や社会的考察>作家自身の考察」、
つまり、仮に質問者様の扱いたい【モチーフ】が社会学の範疇にあるならば、の前提で申し上げた次第です。

そしてそれを究めるアプローチに関しては、それこそ入学後のお楽しみ、でよろしいのではないでしょうか。

まずは勉強を頑張って下さいね~♪
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この回答へのお礼

先ずは、大変お礼が遅れてしまい申し訳ありません!
大変大きな示唆になり、考えていたのですが日常の出来事と折り合いがつかなくなってしまいまして…^^;
遅ればせながら、参考になるアドバイスありがとう御座いました。
やはり社会通念としての【モチーフ】を研究するのであれば、社会学が一般なのですね。
その場合、媒体を小説のみに絞ることは難しそうです。その方が私の知りたいことの回答には近づきそうですが…。
社会で抱かれているイメージのようなもの>作家像 、正にこんな感じです。
本が好きなので、文学部でもこの種の研究が出来るのなら(文学研究の一分野として存在するというご意見も頂いたので…)やはり文学部に魅力を感じてしまうのですが、やりたいことが実現する可能性は少ないかもしれないですね…。更に検討してみます。
研究の実際が分かり、大変助かりました。ありがとうございました。
mashumaro2様のコメントを読んで、大学に行きたい気持ちが増しました。
自分のお好きな勉強を幅広く修められたのですね。それはとても楽しそうです。
先ずは勉強を頑張ることですねw
ありがとう御座いました。

お礼日時:2008/10/23 21:00

他の方も言われていますが、質問者様には、「この作家が好き!」「この本が好き!」といった、好みはないんでしょうか?


文学は、本や作家が好きでなくては、情熱が持てないし、研究になりませんよ。
「なんでかわからないけど、好きなんだもん!」というのが、私の文学部入学の動機でしたけど。
社会現象に興味があるんなら、別の学科へ進むべきでしょう。
全然、方向が違いますよ。
クラスの人とも、意見が合わなくなりますよ。
授業も面白くなくなりますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
rrrggg様のアドバイスを読んで、少し不安になりました^^;
文学が好き!という気持ちはあるので、授業は楽しく受けられる…とは思います。
「本を研究したい」という気持ちから文学部と決めたくらいなので…。
しかしいざ志望動機を打ち出してみたら、文学研究とちょっとずれてる?ような気がしてきてしまいました。
作家ではなく作品で選ぶ傾向が強かったので、「研究したい作家」を絞れずにいること、研究したい作品が大衆文学だったことも理由にあります。
なんといいますか、文学者より、個々の作品に興味があって…。
まず作者ありきなので勿論書いた人物にも注目する必要がありますが、作者を柱に文学を研究するよりも、モチーフに注目して出来たら楽しそうだなと考えた、そんな感じです。
しかし、やはり文学部にはそういう研究は余りないですね…文学部に入ろうとすることが勘違いなのか、まだわからずにいます。

そもそもは子供の頃から文学を読んでその世界に入り込むことが好きで、「本に触れる」ということが一番の希望だったりします。
作品考察などが好きなので、本を研究出来るなら方向性を変えても構わないとも思っています(軟派な考えですが^^;)
文学部に入りたいという思いは変わりませんが、今やりたいことが果たして文学と折り合わせが着くのか、少し考え直してみようと思います。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2008/09/25 04:24

なんか難しそうなアドバイスがなされておりますが、まずはご自分の文学への興味・関心の核心部を虚心坦懐に凝視なさり、それにマッチした研究テーマが何であるかとお考えになった方がよいと思いますよ。



>結婚を例として、「明治大正期の文学に見られる「結婚」」を考察、もしくは「文学内での「結婚」の扱いは現代と近代で変わっているか」といった感じです。
>それを重ねることで、ゆくゆくは日本人もしくは大衆の「結婚」のとらえ方を知りたいと思っていました。

残念ながら、これでは質問者さんが心底文学に魅了されたことがないのかな、その題材となった時代・社会のトピックスの方にむしろ興味・関心があるのかな、と感じられました。
こういう興味・関心ならば、別に文学に拘泥する必然性が全くないどころか、近代・現代の新聞や雑誌等の「結婚」に関する記事やコラム等を一次資料とした方がずっと実証的かつ客観的な研究成果が出てくると思いますから。
あるいは、各地の村落などで継承されている婚姻儀礼等についてフィールド・ワーク中心の研究をなさった方が、かなり面白い民俗学的な成果を得られるかもしれません。
あるいは、歴史的な見地から、日本の婚姻史を詳細に調べるという手もありますし、フェミニズム的、社会学的な観点からのアプローチが有効な場合もあります。

いずれにせよ、文学というのはあくまでも言語テキストに向き合っていると、たとえば小説を構成する文字列を追っていると、不思議なことにいろんな仮想現実が次から次と脳裏に喚起されてくるという素朴な現象から出発すべきであって、こういう魔術のネタを探ったり、ここから派生する種々の疑問や謎に取り憑かれることこそが文学研究の原点だと思います。

>一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちますか?

他人にはどんなに詰まらない「事象やモチーフ」であろうと、質問者さんがそれに疑問や謎を見出だし、それを解明せずにはいられないと思ったなら、何であろうと研究テーマとなりますが、それが「文学研究」となるかどうかは全く別の問題ですよね。
ただし、より多くの人の興味・関心を惹き付けたり、研究として高く評価されるテーマたるには、自分はなぜこの疑問・謎に取り憑かれたのか、それを解明することにどういう意義や価値があるのか、に関して徹底的な検証(自問自答)を経ておくことが前提だと思います。
でないと、「それがどうしたというの?」といった冷ややかな反応しか招来しない恐れがありますからね。

ということで、もし本当に文学研究を志すなら、これまでの読書経験や文学体験を虚心坦懐に振り返り、作者の手玉に取られたかのように夢中になって読まされた文学作品を想い出し、まずはそれほど自分を夢中にさせた原因・理由を解明するというのが文学研究のスタートだと思いますよ。
そうでないまま、前田愛、ルネ・ジラールその他の立派な文学理論、批評・研究理論を読んだところで全く無意味でしょうから。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとう御座います。
大変感じることの多いお言葉で、頷きながら読ませて頂きました。
やりたいことが少しこんぐらかってしまっていたようで…きちんと見直してみようと思いました。

本は大好きで、魅了されたこともある、と思います。
質問のようなことを考えたのは、好きな作品を読む内、出てくる物事に何か共通点があるのか疑問に思ったことがきっかけでした。
死って苦しいことなのに、美しく書いてある作品が多い。
死について書かれた部分を調べていけば、何故死を綺麗に書くかや、死がどう思われているのかわかるかな?
そんな興味が積み重なって、モチーフをひたすら掘り下げていくような研究方法はあるのかな、と思った次第です。

しかし、

>それほど自分を夢中にさせた原因・理由を解明する

作品A、作品B、様々な作品を総合してモチーフを研究する等と考えていましたが…
どっちみち初めは個々の作品について分析しなければならないに決まっているじゃないかと、こちらを読んで思い至りました。
一つの作品でも深みがあって、先ず生徒になれるかなれないかという私にとっては
作品A内の「結婚」の意味を解き明かそうというだけでも大仕事です。
そう思うと、複数の作品を調べて、最終的に「結婚」がどういうものかとらえようなんてことは大風呂敷を広げ過ぎだったのかな…と思いました。
ghostbuster様の挙げてくださったような研究方法もあるようなので、自分のやりたいことを出来るよう模索してゆく心持ちですが、
先ず勉強をしようと思います。

長い返信になってしまい申し訳ありません^^;
そもそもよくわからない疑問だったので、お礼にも沢山行を使ってしまいました。
改めて、深く考えさせられました。
本当にありがとう御座いました。

お礼日時:2008/09/25 03:58

それは組み方が正しくありません。


各時代の結婚観について調べるなら
平均年齢や離婚率や再婚率や式の費用などなどの
現実のデータを知ることが必要で、文筆に関しては
ドキュメント記事の方が価値があり、フィクションの価値は
小さいですよ。つまり現実の結婚観ではなくフィクション内の
結婚観を知りたいというのは興味のポイントがずれています。
文学を時代ごとにまとめようとするなら時代ごとの現実に
よるのだから、現実を研究せずにフィクションの中限定で
考えるのはおかしい。まず現実を知り、それに対してフィクションは
どうかという研究は意味がありません。現実とフィクションの方向性は
だいたい合っているからです。社会通念に反逆した作家もいるでしょうが、それはその作家がであり同時代作家のまとまりとは別なので、
時代ごとのまとまった傾向ありが前提の研究とは合いません。
ようするに
一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います。
ご尤もです…確かに、文学から社会の通念を学ぼうとすることは何かずれているような気がしていました。
尤も、他のご回答者様がモチーフに視点をあてた研究の例をあげてくださっているので、モチーフの研究も可能なのだろうとは思います。
しかし、私の書いたようなことを調べようと思うと、ご指摘の通り新聞や当時の知識について仕入れることが中心になってしまいますね…。
そういった社会背景などのバックボーンを固めてから、結婚ということを「何と感じたか?」や「どういうものとして書いているか?」というようなことが知りたいと思ったのです。
しかし、結婚観一つを取っても、(純文学ならば特に)それぞれ書いた作者の価値観が強く反映されているだろうと思うので、比較することに意味があるのかな?と考えてしまった感じで…。
もしモチーフを元にした研究をするとしても、「大衆の結婚観」を知ろうと思わない方が良いのかもしれませんね。
自分でも何を知りたいと思っているのかよくわからないという状態であることに気づかされました…。(苦笑)
じっくり考えてみようと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/09/24 15:11

ある「モチーフ」について研究すると言うことは文学研究でも広く行われることであります。

物によっては史学・民俗学の領域をふまえねばならないパターンも出てきますが。

ただし、質問者様が例に挙げられているような「結婚」を近代以降に限って大衆と結びつけて議論するのは少し難しいかも知れません。
古典世界では主に大衆に迎合し、もしくは写本という形で本文が変貌を遂げつつ作者+αの関係で変化してきたために、むしろ「結婚」という総合的なイメージを捉えやすいかも知れません。しかし、近世以降の文学においては作者がほぼ固定され、本文の揺らぎというのはかなり減少し、明治以降に至っては作者が不可抗力を受けるような状況は極めて稀だったと言えるでしょう。
とすると、「結婚」という物が一般的なそれとは言いがたく、ある作家個人の思い描くそれに終始している可能性はあります。(それゆえにあらわれる作者の強烈なオリジナリティというのもまた存在しますが)
こうなると、「文学」そのものを通してではなく、「文学上の結婚」と現実の「結婚へのイメージ」両方を的確に捉える必要があります。
例が極端になりますが、だれも「恋空」の世界が現実的に起こりうる物とは思ってませんよね?(笑)
文学とは、たとえ自然主義や写実主義と言われる物であっても、結局は虚構の世界に他ならないのです。
その虚構性をもって、普遍的な「結婚」という概念を考えたい、というのはさまざまな作家からアトランダムに摘出してパターンを考える場合、とても矛盾した作業です。
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この回答へのお礼

お早く回答頂き、ありがとうございます!
大変わかりやすいご説明でした。
現在の自分の疑問に対する答えと、抱えている問題点の二つが両方明らかになった思いです。ありがとうございます。
正に、文学を通して一般的な通念について調べようということが無謀なんだと感じました。同じ文字で書かれたものでも、日記や新聞記事の方が的確に現実を突いているでしょうし…。

ここで更に疑問が湧いてきてしまったのですが、
研究者の方達は、文学でのモチーフ研究をどのような視点で行っているのでしょうか?
研究の方法(?)というか、おおざっぱに

・受け手の範囲を絞る(夫人向け雑誌小説の中の「結婚」→「夫人世代の女性が理想とする結婚観」が分かる)
・書き手の範囲を絞る(太宰小説の中の「結婚」→「太宰の中の結婚観」が分かる)

の二つが思い浮かびました。
元々文化研究のようなことがしたかったので、出来れば不特定多数の間の了解事項のようなことについて研究したいのですが、文学の世界で前者のような研究方法をとることはありますか…?
やはり、一人の作家の背景と絡めつつ、深く考察してゆくのが一般的なのでしょうか。
またどちらも間違い、こうした視点も認められる等ご指摘がありましたらお願い致します。
一概には言えないことかもしれませんが、
アドバイス頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。

お礼日時:2008/09/22 06:35

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