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ちょっとお聞きしたいと思います。
茶髪の小学生がいたとします。
きっと親御さんは、“子供の個性を尊重して何が悪い?”と言うでしょう。
個性の表現方法にはいろいろあると思います。
女子中学生や女子高校生のネイルアートも、もしかしたら個性を演出したいがためのオシャレかも知れません。
学校での個性表現と対極にあると思うのが「規律」「規範」です。
今の時代、“規律や規範が古めかしいのか”、それとも“行き過ぎた個性表現はやはりよくないのか”、皆さんはどのようにお考えですか?
そもそも、“行き過ぎた”と解釈する基準も曖昧なような気もしますが、どうでしょうか?

A 回答 (21件中11~20件)

 茶髪は個性ではありません。

自己表現です。
 で、子供に表現する自己はあるか? といえばありません。
 別段子供を人として低く見ている訳じゃなく、ヒトの幼い個体を近代社会の成員たる個人とするために教育を受けさせるってのが義務教育なんですから、十分に教育を受けていない子供は社会の成員としての要件を満たしていないンです。で、その個体に自我があったとしても社会の成員としての個人(≒自己)ではないんです。ですから、子供が求めているから好きな格好をさせる、というのは糞尿垂れ流しで往来をほっつき歩かせとくのとさしたる差はないんですね。
 つまり、近代の公教育そのものが反・自己的で没・個性的ってことが大前提としてあるんです。で、教育によって規格化された社会の成員となってもなお、はみでちゃったりひっこんだりしてるトコが個性なんです。
 ですから、義務教育の場で個性を主張させるとか自己表現を是とするってことは、反社会分子を社会は許容しろっていってるのとおんなじことなんです。
 もちろん、社会の成員となってからなら個性の主張も自己表現も許される──というか、その資格を得るために教育を受けるんですけどね──ってのが近代市民社会の仕組みなんですけどね。
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この回答へのお礼

>義務教育の場で個性を主張させるとか自己表現を是とするってことは、反社会分子を社会は許容しろっていってるのとおんなじことなんです
義務教育を終えた子供が、みな「金太郎飴」でも困りますね。
かといって過度の自己表現をしてもらっても、集団生活としてなじまない。
その兼ね合いが難しいと思います。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 13:04

localtombiさん、こんばんは。



個性は内からにじみ出てくるものだと思います。
だから、髪を染めるとかは、あくまで好みとか、時代性だと思います。

女性の濃い眉の時代も、細い眉の時代もあります。
肌が小麦色の時代もあれば、色白の時代もあります。
個性は演出するものではないと思います。

中学はみんな坊主頭でした。あれは恐怖でした。
でも、みんな同じ坊主頭でもそれぞれに個性的でした。
だから規律は、個性を殺すものではないと思います。

回答にはなっていないかも知れません。お許しを。
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この回答へのお礼

>個性は内からにじみ出てくるものだと
先ほどの方もおっしゃっていましたね。
髪を染めるのは時代性ということは、個性とはまた違うということですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 12:49

規律や規範が古めかしいとは思いません。


学校という集団生活を送る上では、規律や規範が必要です。
社会に出てからも、規律や規範はあるのですから・・・

>小学生の茶髪は個性でしょうか?
個性とは思いません。どうしても個性というなら、悪い個性だと思います。
そういう子供を見ると、親がろくでなしなんだなと受け止めます。
全てとはいいませんが、これは結構当たってます。
茶髪のこどもの親は、やっぱりどこかチャラついている感じがします。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>茶髪のこどもの親は、やっぱりどこかチャラついている
そうですね、そういうこともあるかもですね。
集団生活の規範を犯すということを、率先させてますからね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 12:47

最近の小学生は、自分から染めたりするのですか?


小学生が「自分らしい色に染めたい』なんて思うかよぅ‥
ずっと、親の個性を押し付けられてるんだなぁと思ってました。

どっちにしろ、髪の毛の色で個性を表現したいなんて
かなり個性がないと思います。
だって、み~んなやってるじゃないですか!
黒髪だと、美容室に行くのがとても億劫です。
美容師さんが度々『なんで染めないんですか』って訊くんですよ。
それは私の台詞だよ‥。『なんで染めるの?』
わざわざ手を加えてるのはそっちでしょ って思うんですよね。
済みません、少し話がそれました。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>髪の毛の色で個性を表現したいなんてかなり個性がないと思います
なるほど、みんなやってるから同化するということですね。
大人ならいいのですが、小学生だったらまた違った見方になってしまうと思います。
「バーバー吉野」という映画がありました。
その街では男児は全員同じ髪型なのですが、都会から茶髪の転校生がやってきて騒動になる話ですが、周りが同じ髪型だとこれが普通だと思っていますが、実は、画一的なことが一番おかしいということかも知れません。
回答で思い出しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 09:39

髪を染める、ネイルアートを施す



その程度でしか表現できない個性の持ち主なんだと思います

本当に個性的な人というのは、ノーメイクでもジャージでも光ってるもんです
個人の個性を育てる大事な時期に、大人になって自分を飾るツールでしかない化粧という方法によって、逆に個性とは自分を飾ることだと間違った認識を与えたい親御さんなんでしょう

個性とは内側から滲み出るもの

それまで生きてきた性質を上手に外側に表現しているのが、見た目の個性ってもんでしょう

小学生や中学生の時期は画一化された外見の中でも、周囲の環境や影響を受けて、内面で育つ個性が大事なんじゃないですかねー
それがいずれファッションや髪型で表現されていくのだと思いますが

小学校の中でもいましたよね
例えば手足が長くてボーイッシュな子
同窓会で会うと超美人さんになってる
とか
ずんぐりむっくりの色黒男子
20年後にはアルマーニのスーツを着こなしちゃったり・・・

規律云々になるとややこしくて分かりませんが、私はそう考えてます
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>個性とは内側から滲み出るもの
そうですね、内側から個性を表現できるかは個人差がありますね。
何もしないでボーッとしているのも個性といえば個性だし、ワンポイント的におしゃれしている人も、もしかしたら本人はちょっとした自己表現と思っているかも知れませんね。
普通「個性的」と言ったら、顔立ちとか性格とかを言いますが、そういう部分と外観が伴っていなければ不自然になりますね。
成長と共に形作られていくもので、決して強制ではいけませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 09:29

茶髪くらいいいんじゃないですか。


お父さんやお爺ちゃんがハゲている場合、
ハゲる速度が増すので年中染めっぱなしというのは止めたほうがいいですけど。
ネイルもドギツイ奴でなければいいですね。
爪を綺麗にしている女性はステキです。

茶髪なんてケシカランとかおっさんの発想ですよ。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

なるほど、今日びその位は当たり前ということですね。
おっさんは保守的ですからね、そういうのを見るとドキッとしますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 09:16

子供にはルールを守ることを教えなくてはならないので、学校が茶髪禁止ならダメだと思いますけど、別に良いよっていう学校なら良いんじゃないですかね?



ただ髪を染めるという事がどういう理由で「個性」になるのかが理解できないので、一度ちゃんと話してみたいところではあります。

今時の20~30代の女性はほぼみんな髪の毛を染めているわけで、むしろ染めていない方が個性な気もしますし、小学生の茶髪とかメイクを見たところで、「あっこの子、個性あるな~」なんて思ったこともないので、ただの個性を履き違えた人達の行動にしか見えず、そういう親子を見ると「哀れ」な気持ちになってしまいます。

やりたいことを好き勝手にする事と、個性を出すことは違うという事を教えてあげないと、その内自己中心的な人間ばかりになって社会が成り立たなくなると思うんですが、逆にそう言う人達ばかりになったら、それはそれでそういう社会なんだろうから特に問題ないんだろうとも思ったりましますね。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>やりたいことを好き勝手にする事と、個性を出すことは違うという事を教えてあげないと
この区別の説明はすごく難しいような気がしますが、どうなのでしょう?
それと、おっしゃっているように、それがベンチマークになってしまったら「受容される、問題ないと認識される」ことになりますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 01:45

>小学生の茶髪は個性でしょうか?



 バカ親という事です。

>“子供の個性を尊重して何が悪い?”と言うでしょう。

 子供がホントにそれを個性だと考えているなら反対はしませんが、殆どの場合バカ親が率先して煽っているだけです。『言いなり』のファッションは個性とは言いません。

>そもそも、“行き過ぎた”と解釈する基準も曖昧なような気もしますが、どうでしょうか?

 何故『規準が曖昧』といえるのでしょうか?世の中には明文化された規則というモノに縛られなくても、『世間の常識』と言う行動規範があります。
 例えば、『アメリカでは、この程度の子供のオシャレはアリだ』と言うヒトもいますが、それは理由になりません、ここは日本です。どうしてもオシャレしたいならアメリカに住みなさい。
 自分に『常識』が無いのをタナに上げ、『規準が曖昧』と決め付けるのはどうかと思います。(各個人で多少のブレがあっても、概ね『世間の常識』に沿った判断をするのが社会人と言うモノです。ある意味、非常に没個性で全体主義的な『つまらない集団』と言う事になりますが、それが日本の社会なのだから仕方ありません。一部の個人がナニを言っても、『世間の常識』はカンタンには覆りません。)
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この回答へのお礼

言葉が足りずに失礼致しました。
ここで言う「行き過ぎた、と解釈する基準も曖昧」というのは、例えば茶色に染めても、どこまでの染め具合が許されるのか、結局主観的な判断に頼らざるを得ないだろう、ということです。
「少しでも染めること=世間の非常識」と厳密に解釈していれば問題ないのですが、そのへんはファジーな気がします。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 01:17

今時多少お洒落したくらいで、どんな個性があるのか分かりませんが、


「規律」や「規範」は守ったほうがお得なのであれば、守るべきです。

校則に「茶髪は禁止」とあるとか、茶髪だと教師の印象を損ねるとか、
そういう事情があるなら、「規律」や「規範」を守るべきでしょう。
逆の場合には、守らなければならない必要性を感じませんし、
守らないほうに利益があると考えるなら、守らなくても良いと思います。

こういうのは、そうすることで誰かが迷惑をするわけでもない以上、
価値観の押し付け合いに過ぎませんので、
無難にやり過ごすなら多数派の価値観に迎合したほうが良いですし、
仮に迎合しなかったからといって、それが悪いことなのかといえば、
それも価値観の違いによって見解が変わってくるでしょう。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

価値観というのは時として相反しますから、難しい問題ですね。
どっちがいいのか悪いのか、とは言えなくなります。
結局“言い分”が通った方が勝ちとなりそうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 01:11

髪が痛むのに、もったいないなぁ。

くらいにしか思いません。
同じく化粧も肌や爪が痛むのに、もったいないなぁ。って思います。
「規律」や「規則」がそこにあるのも、実際にはかよわき彼女達を守るためなのかも知れませんね。
これは子供に限らず、大人にも言えますよね。
無駄に化粧や髪の毛いじらなくていいです。
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この回答へのお礼

“小さいうちから、わざわざ痛めなくてもいいのに”と思いますよね。
でも、小学生でもお化粧が流行っていると聞きます。
おしゃれには勝てない、ということでしょうか。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/06 01:06

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