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キリスト教の自己無化について詳しく知っている方、又は詳しく載っているサイトをご存知の方ご連絡ください。
タイタニックの主人公ジャックが自分の身の安全を省みずローズを守ったことは自己無化ですか?
何か身近な映画で例えられるものがあったら教えてください。

A 回答 (2件)

質問者の方は、まだお若い方でしょうか?そんな気がします。


疑問を持つことは、とても良いことと思います。

私もまだ若輩者ですので・・・、
もしもご年輩の方であれば、まことに失礼。・・です。お許し下さいますよう。

さて、
残念ですが、私の力では補足に対して十分にお答えすることはできないと思います。
映画や小説も適するものが見つかりません。あしからず、ご了承下さい。

敬虔なクリスチャンの方や実際に信仰をお持ちの方なら、
私よりもっとスマートで具体的な回答をいただけることと思います。

(以下少しだけですが、私なりの見解です。的はずれかと思いますが・・)。

(情念)や(欲望)は人間の心の中に存在するものですが、それは決して幼稚的または原始的なものではなく、
人がこの世に生まれ、人間として成長していく過程において起きてくる、いわば2次的なものだと思います。

(情念)は「人の感情や思念」として、(欲望)は「人が欲する心」として例えることができるなら、
信仰を持つクリスチャンであっても、そうではない無信仰の人であっても、
どちらも人間だから基本的なものは同じはずだと考えます。

上手に説明できませんが、
まず誰もが持っている「性欲」「飲食欲」「睡眠欲」「活動欲」「排便・排尿欲」
などは(本能)といっても良いと思います。
これらは生まれつき誰もが持っている1次的なものといえると思います。

それに対して「所属」「共同」「自尊」「賞賛」「独立」「愛情」「好奇」「承認」
などは(理性)といって良いでしょう。
補足内容に明記してある(情念)、(欲望)はここに分類されると思います。
前にも書きましたが、これらは人として育つ過程で起きてくる2次的なもの。

キリスト教の道徳理念は後者の2次的な心理欲求=(理性)に関わりがあると私は考えています。

しかしながら真理は一つだけだと説いているキリスト教のくせに、
枝分かれしたり融合したりする複数宗派によるキリスト教理念解釈における様々な見解の違いには、
正直私は、何が正しいことなのか・・・何が誤りなのか・・・全く解らなくなってしまいます。

この理由として、
これらの人間の欲望がかかわっているのではないか、と私は思っているのですが・・。

では、またいつか。
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この回答へのお礼

詳しい解説本当にどうもありがとうございました。
お察しの通り私はまだ21歳です。都内のキリスト教系の大学へ通っています。しかし、私は宗教にうとく、いまいちピンとくるものを得ることができずにいます。今回は欲望と情念についてレポートを書かなくてはならず本当に困っていました。
おかげさまでよいレポートが書けました。本当にありがとうざいました!しかし、宗教というものは本当に奥深い・・・。これからも勉強を続けていきたいと思います。

お礼日時:2003/01/07 21:02

私はそれほど詳しいわけではありませんが、見解を書いてみます。



自分を捨てること。神に自分の身を全てゆだねること。神の言うとおりにすること。
信者の場合、聖書に書いてあることが全ての基準となると思われます。
キリスト教の理念は、全知全能の神によって人は生きる目的を与えられている。
そして死ぬことにも神の目的がある。ということだと私は解釈しています。

そのことが、このご質問の自己無化に相当するのでは?

日本人向けにおそらくこの理念と思われる、映画化された実話小説があります。
クリスチャンでもある小説家三浦綾子さんの作品の「塩狩峠」。
当時、北海道旭川の鉄道事務所に勤務されていたクリスチャンでもあった、
「長野政雄」という方の実話です。

明治43年2月28日北海道宗谷本線塩狩峠にて、列車の連結が外れるという事故が勃発。
急な下り坂・暴走列車に数十名が取り残され、乗客のパニック状態の中で、、
この長野政雄さんが暴走列車を止めるために、
列車の車輪とレールの間に生きている自分の体を投げ出して、暴走列車を止め殉職死。
数十人の命を救うという感動的な実話です。
映画や小説での主人公の名は「永野信夫」となっていたと記憶しています。
彼はキリストの信仰により、自分の命は神のものだと考え、
神から与えられた目的を持った死により、彼は神の元に行ったと解釈されたのです。
もちろん、彼の行動は信仰によって導かれたものと考えられます。

私も学生の頃にこの映画を観たことがあり、非常に感動したことを覚えています。
もしかしたらレンタルビデオ屋さんにおいてあるかもしれません。

この映画には聖書からこのような引用がされていました。
新約聖書 ヨハネ 第12章24節

一粒の麦
地に落ちて死なずば
唯一にて在らん
もし死なば
多くの実を結ぶべし

人間のひとつの命を一粒の麦に例えたものだと思います。

さて、タイタニックでのジャックは愛するローズのために、たった一枚しかなかった漂流板に、
自分ではなくローズを乗せた。自分の命はなくなっても、代わりに他の命を生かす。
それが愛するローズであったのでしょう。

映画のジャックがクリスチャンであった可能性は高いですが、
もしそうであれば当然上記の理念として解釈できますね。

この回答への補足

どうもありがとうございます!!
もう1つ教えていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?
欲望、情念とはどのようなものであり、どのように対処すべきか、何か小説や映画に例えて教えていただけないでしょうか?
キリスト教は私にはとても難しいです。

補足日時:2003/01/06 15:45
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