瞑想を通して、「魂と心と肉体」とは別々のものという理解にいたりました。
------------------------
魂:自分の本質。死ぬと心と肉体は消滅し、魂だけの存在になる。魂の奥にいけばいくほど深い霊的な世界とつながっており、その中心部は神とリンクしている。
心:魂と肉体を結びつけるもの。魂を汚したりを磨いたりする働きをもつもの。精神と同義。
肉体:魂の宿る器。三次元的物質世界の感覚器官。
------------------------
「魂の表面<->心<->肉体の脳」という構図で、心は物質的世界からの情報と霊的世界からの情報の接点であり、心の感じ方により魂や肉体に影響をあたえるものである。と感じるのです。
これが正しいかどうかはおいておいて、仮にこうして見た場合、
例えば
「キリスト教の三位一体とはこのような解釈の側面のあったりするのであるのだろうか。」と、このようなテーマを宗教的や哲学的にはどう解釈するのかと疑問に感じた次第です。
私自身は宗教も哲学の知識も持ち合わせておりません。
また瞑想等によってこのようなテーマに造形をもつかたからもご意見を頂ければと思います。
A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
私は素人です、コンピュータにしても、宗教にしても。
ですがこのテーマに興味が在りますので参加させて頂きます。コンピュータと人間を比較した場合に、決定的な違いが在ります。それは、「感情」かと思います。人間の生活、文化が発展して、人間にはますます便利な世の中になっています。ですがますます混乱しているものも在ります。それは「心」と言えます。精神疾患が増えているという事です。
人間はパンのみにては生きてゆかれないという事かと思います。コンピュータの能力は、驚異的なものが在りますが、決定的な違いが在ります。それは割り切れる問題をインプットした場合です。もしも割り切れない問題をインプットした場合はどうなるのでしょうか?
今まさに精神疾患が増えているのはこのためかと思います。人間のやってきたことが、割り切れる問題ばかりを発展させてきたことが、心に危機を多くさせているのかと思います。人生には割り切れない問題が多くあります。この割り切れない問題をコンピュータにインプットした状態が精神疾患という風に見ているものです。
人間が幸せに生きてゆくためには、割り切れない問題を処理する機構が組み込まれている必要が在ります。それが「魂」という機構かと思います。言い方を変えたなら「神、仏」と云っても良いものかも知れません。
人間の脳には、割り切れる問題に対して働く部分が在ります。それは主に左脳です。それに対して右脳は無意識と、感情と、感動、或いは情緒などを受け持っていると考えられています。この機構は今のコンピュータには備わっていない機構です。人間の環境、時代背景などによって、この割り切れない問題が精神疾患を多くしているものと考えています。
早い話が割り切れない問題、例えば自分が人からどう思われているのか?不安が在るという事、或いは死にたくない、死が怖いといった問題です。これらの問題をコンピュータに入れたとしたらどうなるのかという事です。それはコンピュータが止まってしまうという事になるかと思います。その状態が精神疾患を引き起こしている状態と思います。
従いまして精神疾患の解消とは、今抱えている問題を魂、神、仏という方の脳「右脳」で処理をするという事になります。精神疾患の解消とは、インプットする処を間違ってしまった問題をインプットし直すという事になります。入ってきた問題を、どちらの脳で処理をするのかという事を間違えないという事が大事という事です。
コンピュータの人間化を図るとすれば、恐れという機構を組み込も事が出来るかどうかという事になるかと思います。恐れには不安という事と、永遠という意味もあります、それは割り切れない事という意味においてです。魂という言葉には人類が抱えてきた矛盾の解消という響きが込められていると思います。それには永遠の命という響きです。
No.4
- 回答日時:
三位一体についての解説を求めておられるのでもないとうかがいますので 茶々を入れるようですが 次のように尋ね返してみたいと思います。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
魂:自分の本質。死ぬと心と肉体は消滅し、魂だけの存在になる。魂の奥にいけばいくほど深い霊的な世界とつながっており、その中心部は神とリンクしている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ このとき
★ 霊的な世界とつながっており、その中心部は神とリンクしている。
☆ の箇所について 同時に 次のように言えるとすれば 普遍妥当な議論になるでしょう。
○ 《霊的な世界》つまり《神》とは 《無》であるとも 人間の言葉では言えるものだ。つまり 《無》とつながっているとも言える。
○ 神は表象し得ぬ領域だが 仮りに表象しようと思えば 有とも無とも 表現し得る。つまり 経験的な概念である有無を超えている。それが 《神=霊》なのだ。
☆ 言えますか?
No.3
- 回答日時:
うむぅ。
なるほど、そう考えた方がすっきりしますね。私は魂と肉体の二次元に考えていましたが間に心と言う記憶を司る
部分を置いた方が考え方が判りやすいです。
私はITの仕事をしているので自分の仕事になぞらえて
魂=OS(Windows等)肉体=ハードウェア(PC)等と考えてきましたが
間にデータや個人設定ファイルとしての心があるというのはわかりやすいです。
少しこの考え方を探ってみようと思います。
回答ありがとうございます。
私もIT関連なので、非常に分かりやすいです。
肉体:ハードウェア、各種デバイス、HDD、メモリ等
心:CPU的要素と設定ファイル(設定によって処理方法(感情)も異なる)
魂:OS
ちょっとしっくりしませんが、
心はOSとハードを繋ぐ存在。
心は設定ファイルの持ちかた次第で処理方法(感情)を変えられる。
心のニーズによりOSはバージョンアップをしていく。
私の場合、心は記憶というよりは感情つかさどることろであって、それをコンピューターにあてはめると、処理するか、しないかといった処理方法の判別部分という感じてとらえました。
それなら記憶はどこにのこるのでしょうか?転生しても記憶を保持するのだとしたら、これが分かりません。クラウドコンピューティング的に外部に共通の記憶保持装置があったりするのかも知れません。
No.2
- 回答日時:
その瞑想というのは どなたかのその瞑想の師と通しての瞑想なのですか?
師が本物かどうかは 明らかに偽者の瞑想の師もいるでしょうから なんとも言えませんが、 そちらが本物の師だと思える方ならば、 このような哲学カテで質問するよりも、 その師についていって答えを教えていただくしかない世界だと思います。
神秘主義者の方とかが 魂や心や肉体をそのように別々に存在するとして私たちに語っていますが、 それがもし人生を語るための方便の一つとして語られているのでないのだとするならば、 私はその考えの中途半端さを認めていいのかどうか 哲学するものの一人として迷います。
あの、 この私の哲学に対して いやそれは違うという懐疑をたてて一向に構わないことです。 ほんとうはそうしなければ、たとえばあなたの中でのその理解はそれ以上どうせ変わることはないですからね。
しかし、
たとえ、まっこうからそれによってその考えがくつがえされたとしてもお互いひけめを感じる必要はどこにもないのです。 それが宗教の「自由の世界」だと思います。
自分に小ささを知ること、あたりまえさを知ること、これが人間を知ることにもつながる世界です。
本物の師は、みんなこの辺の基本を理解してると思います。 その上でさらにそれぞれの教えの専門性を持っていらっしゃるのだと思っています。
*
魂: ただの五感の主体。その記憶の主。 その記憶外は自分では自分と感じない世界だけれど、それは記憶の限界によるもの。 その主体自体は、ほんとうは、 未来永劫 過去幾百億年、宇宙のはてまで探しても、ほかに存在しない主体であり、それは同じ両親から別な主体が生まれた可能性もあるところの、存在しなかったかもしれない主体。 だけれども人間にはそれほどの宇宙よりも重いような命の尊さ、その主体の存在のそれだけの重みはとても理解できない存在。 唯一その重みあるリスペクトを人間存在や自分という主体に感じることが出来る可能性は、感性の世界が無限に豊かな可能性を 生物なのに持っているという謎にいたるまで感性を磨いた時だけ。 でもその時から それはごくあたりまえの生物としての人間性の歩みが 実際の行動として始まるだけのこと。 それもまた、私たちの生物というながい命の連鎖の鎖のなかにはりつくようにして存在してるのみ。 だから、そこには希望とかがないという意味ではなく、 そのはかなさまでも理解しても もし魂の自覚が少しでも正しく芽生えるならば 他の魂へのかぎりなく熱い「幸せ」への祈りも めざめるもの。 魂とは 人間にとってそういった存在、にすぎない。
心: シナプスの五感反応を細胞のうちの内在する何かの精神作用でコントロールしてるというところまでは現代科学で解るはずの世界。 感覚自体はクオリアという概念とかでかなり昔から その反応の描写はできてもそれを赤なら赤と判断する脳の仕組みが何故かまでもまだ誰も解き明かしていない世界。 でも、感覚が 総合的なより豊かになるための道筋はどうやら科学の世界でもすこしづつ解明されようとしている。 「謎」は「謎」、それはまだ解けるかどうかを考えるよすがさへ人間の知能は解っていない。 大事なことは 歩ける道を 歩き続けようというのが哲学であるはずなのですが。…。 ああ、感性教育の進化をここに!!
肉体:心や魂を宿しているというよりも、ぴたっと張り付いているようなものであるため、 肉体を通してそれを探求してゆけるようになっているもの。 死んだらおしまいだ。 生きてまず健康を大事にすること。 その中にしか 悲しいかな感性の進歩もない。 やがて感性も心もかれていつか土に帰る。 魂も同じ。 が、これは神がいないと言う意味ではない。あるいは存在の意味とは それだけなのかということを意味しはしない。 なぜならば、意味や価値の無限性の謎を私たちは、この人生において垣間見ることができるからだ。
弱いけど 生抜く、 そして前進する この希望は 人間が意識を持っている間は 人間が人間である限りは 永久に消えはしない。
この希望の哲学抜きに、キリスト教の三位一体論を考えても無意味かと思います。
ちがいましょうか?
その瞑想で あかちゃんのような安らかな呼吸をすこし取り戻しましたか? その瞑想で子供のような毎日が新鮮な心をすこ師取り戻しましたか? その瞑想で それらがもうゆるぎないこんどは人の幸せを祈る心のゆるぎなさと何かしっかりむすびつくようになりましたか?
ごめんなさい。 「理解にいたりました。」と言う言葉尻をとらえて、きびしいかき方を徹してしまいました。
でも、これは 実はこれをとおして、哲学するみなさんに問いたくなってしまったものでもあるのです。
なんで、ものごとを正しく深く理解したというのならば、 北朝鮮の子供達の未来を同じように真剣に考えないのですか? なぜあの想像をぜっするようなきびしい国に体制の変換を押し付けるのみで鬼と決め付けるような昔の人たちみたいな貧しい心でしか理解してあげられないのですか? なんでその子たちの未来が おいしいものをすこしでもたべららるように、すばらしい音楽をすこしでも感動できるように 考えてあげられないのですか、 これは例ですが、何でマスコミに哲学者達までが惑わされて、太陽が衣服を脱がすというあたりまえの 私たちの姿に気がつかないのでしょう。 なぜ、こんなことを私のようなワーキングプアーがいわなくちゃならないのでしょう。
ほんとはわかってるんでしょ。 与えること与えぬくこと抜きにたとえばその拉致問題だってベターな回答さへえられないだろうあの状況をです。それとも あなたは、こんな哲学さへ解らないのに、 神と人間を比較してるのでしょうか。 人間なんて木の葉みたいじゃないですか。
もう みんな助け合いましょうよ。 それが言いたくなるんです。
その仕組みが欲しい!!!!!
ごめんなさい。 瞑想の造詣どころか ただのキチガイの回答だったかも、 ??
回答ありがとうございます。
師はおりません。宗教的なアプローチはしていないのです。
強いていえば2年ぐらいに一度四天王寺の受戒をうけにいきます。
また、HemiSyncという音響をつかって瞑想をしています。
その誘導によって自分の意識を自分自身の内部にもっていくということを行なっています。
理解にいたったとは生意気な表現でした。もっと正確に言うとそういう風に感じた(内側から直観として感じた)というレベルで、そこにいたる筋道や根拠を全く持ち合わせていません。三位一体ということばはそのあとふとこの言葉に接することがり、この時に「肉体、心、魂」と自然と結びついたのです。
arayata333さんの「肉体、心、魂」の魂についての「他の魂へのかぎりなく熱い「幸せ」への祈りも めざめるもの。」は私にとっても非常に共感です。
> その瞑想で あかちゃんのような安らかな呼吸をすこし取り戻しましたか? その瞑想で子供のような毎日が新鮮な心をすこ師取り戻しましたか?
自他ともに対する感謝、愛情を感じます。
> その瞑想で それらがもうゆるぎないこんどは人の幸せを祈る心のゆるぎなさと何かしっかりむすびつくようになりましたか?
まさにそうだと思います。自分と他人は根本レベルで同じということを感じます。行き着く先は同じ魂なのではないかと。だから、他人の痛みは自分の痛み。他人の喜びは自分のよろこびであるはずです。究極はにいたれば自分と他人を隔てるものはなく、これに向けて邁進しているのではないでしょうか。神と人間を比較しているのではなく、むしろ万人が神の一部という思いです。
> もう みんな助け合いましょうよ。 それが言いたくなるんです。
自分が変われば周りも変わると思います。
このムーブメントは起こりつつあるというのを感じるのは自分だけじゃないと思います。
No.1
- 回答日時:
宗教などで使われるとき「魂」とは変わらないもの・変化しないものと言うことですよね。
「心」は感情・心所の変化を伴って知ることが出来ますね。
「肉体」は五感の受容する能力が有る物質と、外にあるそれぞれの対象物質との接触によって生まれる「触」によって生まれる「受」=「苦・楽・不苦不楽」を感じて、それぞれ「怒り・貪欲・無知」などの感情を生み出しますね。これも変化するから感じることが出来ると考えてます。
魂の想定については「知る」こと自体がどのようになされるのか。もしあったとして変化生滅し続ける生命との関わりを持ちえるのか。持ちえるならその魂が変化することになり初めの想定が成り立たないのではないか。変化するなら不完全と言うこと、ならば、汚れたりきれいになるならそれ自身も不完全なものなのでは。知りえないし、我々にかかわりを持たないものは無いと言って良いのでは。と言う疑問を「魂論」に対して持っています。
私の考え方が何か参考になれば幸いです。
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
回答ありがとうございます。
> 宗教などで使われるとき「魂」とは変わらないもの・変化しないものと言うことですよね。
そうなんですか。
>汚れたりきれいになるならそれ自身も不完全なものなのでは。知りえないし、我々にかかわりを持たないものは無いと言って良いのでは。と言う疑問を「魂論」に対して持っています。
実に興味深いです。
こういう考え方があるとは驚きでした。
ありがとうございました。
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