加藤周一の文章を読んでいたところ、日本の文学批評には文体論からの
視点が欠如している、といった批判がありました。

文体論というのは、テキストに向き合って、その文章の意味(=言いたい
こと)ではなく表現(=どのように言葉で以って表しているか)、つまり文体
そのものの研究の方法論だと思ったのですが、当たっているでしょうか? 
具体的には、どういったことをするのでしょうか? また、文体論で古典中
の古典と言われる研究などがありましたら、教えてください。

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A 回答 (2件)

#1です。


訳の分からない答えに、補足の質問をいただいて有難うございます。
20世紀に入って、「文体」の重要性が認識されたものの、20世紀の批評はフロイトの影響下、精神分析的なものに終始した感があります。
本格的な文体論があれば、私も読んでみたいものです。

国立国会図書館を検索したら、次のようなものがヒットしました。
加藤周一 他編『日本近代思想体系,16 文体』岩波書店1989年

また「内向の世代」といわれた人たちが作った季刊誌がありました。
古井由吉、後藤明生、坂上弘、高井有一共同編集『季刊 文体』平凡社1977~1980年
私は売ってしまいました。結構高く売れたけど、今となっては手に入らず残念です。読んだ当時、若かった私は正直言って、理解できませんでした。

この回答への補足

ポイントを差し上げたいのですが、もう少し質問の方を続けていたいので、
待ってくださいね。

補足日時:2003/01/25 23:43
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この回答へのお礼

紹介いただいた本を読んでみることにします。
どうも有難うございました。

お礼日時:2003/01/25 23:41

「文体」の鵺(ぬえ)的性格、つまり直感的には分かっているのに、それを正面から論じようとすると、急に捉えどころがなくなって、分からなくなってしまう…


非常に難しいと思います。
日本の文学批評どころか、世界で、文体論が成功した例を知りません。

ただ、それにマトモに取り組んだ作家たち、ジョイス、ボルヘス、ナボコフ……これ等の作家を、徹底的に研究すれば、何かおぼろげな文体論が出来上がるかもしれません。一人の一生で出来るかなあ?

kequさんに、逆に質問です。加藤周一の文章とは、何という文章でしょうか?読んでみたいです。

この回答への補足

お答え、有難うございます。誰も答えてくれないかと思ってました(汗
なるほど、世界でも成功した例がないのですか・・
しかし多分試みてるとは思うので、代表的なものがありましたら、教えてください。

>加藤周一の文章とは、何という文章でしょうか?

えーと、平凡社の「世界大百科事典」の「批評」という項です。
改めて読み直してみたところ、言ってることが微妙に違っていました・・

>.....日本での特殊な事情は、また美学的批評を著しく困難にしている。
>文芸の美学的批評のたいせつな基準の一つは文体であるが、
>文体論の存在しない現代日本語について、
>客観的に文体を論じることはほとんど不可能に近い。.....

補足日時:2003/01/22 23:00
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Qこんな内容の古典の文章知りませんか?

内容が曖昧なのですがもし分かればお願いします

・2人の武将が戦をしている
・1人が逃げ出す時に短歌の下の句を読む
・それにもう1人の武将が上の句を読む

その「短歌」には掛詞が使われていて「衣」という単語が出てきます。
中学生の問題集に載るような話なのであまり難しかったり長いはなしではないはずです。
情報が少なくて本当申し訳ないのですが…細かい内容など知っている方は教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

年を経し糸の乱れの苦しさに 衣のたてはほころびにけり

古今著聞集に記された八幡太郎義家と安倍貞任との遣り取り。

参考URL:http://www.iwate-np.co.jp/sekai/sekaiisan/sekaiisan11.htm

Q硬い文章だけど頑張って読み切れば感動できる古典

本はよく読むんですが。大衆向けの本しか読めません、夏目漱石とか、太宰治とか柔らかい文しか。三島由紀夫とかは、読める気がしない。彼の評論は好きだけど。

読み辛いけれど辛抱強く読めば、
その労力に見合った感動ができる名作

教えて下さい。なお翻訳モノは原作より訳者の力に左右されるので、なるべく、日本語文学、優先でお願いします。

できれば参考までに、貴方のベストハード&ベストソフト作品をご紹介下さい。

最近の僕の、ベストハードは大岡昇平「靴の話」。ね、へタレでしょ?短編だっつーの。海外だと今「罪と罰」に挑んでます。岩波の江川さんのお陰です。

Aベストアンサー

そうですなあ・・・。
ホントにいいんですね?ハードってことで。
ハードコア○ルノってことじゃないすよね?
私の乏しい読書歴のなかから日本文学というカテゴリーでお薦めするなら
中島敦『李陵』
ですね。いろんな意味でスケールの大きい作品です。読んだ当時は、まだ若輩者で全てを汲み取れたとは思えませんが何とも言えない感慨に大きくため息をついたものでした。
中島先生は生前、教師であられて年若くして夭折なさっておられますので作品数も少なく一般には忘れられがちな存在のようですが、その遺されたものは、まさにキラ星のごとしです。
私は高校の国語の授業で
『山月記』
を読んで感動したのが、この作家を知ったきっかけです。もし御存じなければ先に、この『山月記』から、お入りになればいかがかと存じます。短編ですから。
なお、ベストソフトを一つご紹介するなら、昔読んだものですが
吉本ばなな『哀しい予感』
ですとか。
他で思いつくのは江戸川乱歩とかですねえ。
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御参考までに。

そうですなあ・・・。
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Q古典文学を勉強したいです。 わたしの恩師から、あなたは古典文学を学んだ方が良いでしょうと言われまし

古典文学を勉強したいです。

わたしの恩師から、あなたは古典文学を学んだ方が良いでしょうと言われました。
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Aベストアンサー

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お薦めしないのは源氏物語で、54帳も有り、部分部分を読む事があっても、全体は難しい。

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先ずは、自分の興味が有るもの。短いもの。初心者用に編纂された物をお薦めする。

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このまえ、キリスト教のお葬式で聖歌を聴いたときに
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Aベストアンサー

 聖書は文語訳、口語訳といろいろ出版されています。
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Q作者論と作品論について

小説のあとがきを読んでいると、

『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

というような意味合いの文句をしばしば見かけますが、
どうもしっくり来ません。

小説を読解して評価するのに必要な情報は、作者本人が小説本文内に示しておくべきものではないのですか。
上に挙げた作者の実生活の情報が物語に要るなら、それは小説の本文中に書かれるべき事柄ではないのですか。

読者がわざわざ作者のプライバシーを詮索して物語本編と重ね合わせて理解しようとする、というのはどうしたものでしょう。


私はできるだけ小説の本文のみで小説を評価したいと思うのですが、
一方で、小説本編を読むだけでは理解できない事柄もあると思うのです。
やむを得ず小説本文外から情報を引っ張ってきて読まないと分からないことはあると思います。

たとえば小説が書かれた時代の情報のうち、
その時代の読み手なら当然知っているべき情報、というのはあるでしょう。
その説明は小説本文内では省略されることが多いでしょうから、
作者の後の時代の読者が読む際は、それを補って読まねばなりません。
これに限らず、作者の想定していなかった読者が作品を読むときは、似たようなことがあると思うのです。

しかし、作者のプライバシーとなると話は違うと思うのです。
プライバシーは『当然知っているべき情報』には該当しないと思うのです。
言わば情報に一般性がないのです。
プライバシーを知ろうとすることは、作品を読み解くことを差し置いて作者論に行ってしまう気がするのですが。


皆様はどう思われますか?
皆様はどのようにして作品論と作者論の線引きをなさっていますか?

もしかしたら読書人の皆様の中には『作品を読み解くこと』よりも『作者を知ること』に重きを置いて、
作品を『作者の人間像を形作るための資料』と見做している方がいらっしゃるかもしれません。
そういう方のご意見も頂戴したいです。

私個人は、できるだけ『小説本文内に書かれている情報』のみで小説を読みたいと思っています。
作者個人の性格だとか事情だとかを考慮しないと面白くない作品というのは……正直、あまり評価したくないですね。
作者論と作品論を完全に分けることは無理にせよ、
基本的には違うものと見做したいです。

小説のあとがきを読んでいると、

『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

というような意味合いの文句をしばしば見かけますが、
どうもしっくり来ません。

小説を読解して評価するのに必要な情報は、作者本人が小説本文内に示しておくべきものではないのですか。
上に挙げた作者の実生活の情報が物語に要るなら、それは小説の本文中に書かれるべき事柄ではないのですか。

読者がわざわざ作者のプライバシーを詮索して物...続きを読む

Aベストアンサー

>『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
>『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

素人が言うならともかく、これがプロの批評家の言葉だとしたら、ちょっと信じがたい思いです。
なぜって、たとえば、フロベールなんかは「芸術家は自然において神がそうである以上に作品の中に姿を現してはいけないと思ってます。人間(作者)なんて無だ、作品が全てなんです。」(ジョルジュ・サンド宛書簡)と述べてますし、ヴァレリーもどこかで、作者の伝記は作品が生み出(捏造)したものだという趣旨のことを言っていたはずですから。

読者が「作者の生涯」なり、「作者の実生活」に興味や関心を抱くためには、まず作品に感動することが大前提だとしたら、どんなに実証的に書かれた作者の伝記であろうと、彼の書いた傑作のフィルターをくぐり抜けていることだけは否定しようがないですよね。
としたら、作者の内奥に潜んでいる本当の秘密にしても、作品以外のどこかに転がっているなんてことは到底ありえないはずです。

>私はできるだけ小説の本文のみで小説を評価したいと思うのですが、

実は「小説の本文」といっても、言語という、いや文字というテクストから成り立っている以上、それ自体で意味的に自律しているわけではなく、あくまでも読者の解読という作業を介して、はじめて何かが書いてあったのごとき印象を読者が抱くだけのことですよね。
しかも、読者がテクストを解読するためには、必ず解読のために準拠したはずのコードなり、規範なりがあったはずで、しかもそのコードなり、規範なりにしてもこれが生み出された背景があったはずですよね。

>皆様はどのようにして作品論と作者論の線引きをなさっていますか?

もしも「作者論」の目的が作者の内奥に潜んでいる秘密や謎の正体を解明することにあるとするなら、結局のところ彼の傑作中にしか、つまり彼の制作した文字テクストの内部にしか存在しないということになってしまいます。
また、彼の書いた文字テクストである以上は、いわゆる小説ではなくても、すべて彼の制作物であり、作品であることは否定しようがないですよね。
だとしたら、そもそも「作品論と作者論の線引き」をすること自体が無意味になってくるのではないでしょうか。

>作者個人の性格だとか事情だとかを考慮しないと面白くない作品というのは……正直、あまり評価したくないですね。

こういう「作品」がいわゆる《私小説》でして、これこそ小説の本道だと信じて疑わなかった久米正雄は《私小説》を「作家が自分を、最も直截にさらけ出した小説」(『「私」小説と「心境」小説』)だと説いております。

>『作者の生涯を知ることは作品理解に必要である』
>『物語を作者の実生活と重ね合わせることでより深い理解ができる』

素人が言うならともかく、これがプロの批評家の言葉だとしたら、ちょっと信じがたい思いです。
なぜって、たとえば、フロベールなんかは「芸術家は自然において神がそうである以上に作品の中に姿を現してはいけないと思ってます。人間(作者)なんて無だ、作品が全てなんです。」(ジョルジュ・サンド宛書簡)と述べてますし、ヴァレリーもどこかで、作者の伝記は作品が生み出(捏造)...続きを読む


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