個人的に綺麗な文体であると思う文語を何故、二葉亭四迷は口語と統一させてしまったのでしょうか?

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A 回答 (4件)

二葉亭は口語文を確立しようという目的で活動を始めたわけではないと思います。

ましてや文語文を否定しようというわけではありません。自分の訴えたいことをどう表現すればいいのかと悩んだ末に口語文に到達したのだと思います。たぶんそれに挫折したのだと思いますが。
文語と口語を「統一」することなど誰にも出来ないことではないかと思います。
文語文は主に和歌の世界で生き続けていると思います。ただし細々とという状況であるのは確かでしょう。
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この質問で刺激されたので、勝手なことを書かせてもらいます。

確かに言文一致は良いものだと学校で教わった記憶がありますが、どうもそうではないようです。そのことを判るようにこれから書いてみます。

言文一致は明治から始まったと習いましたが、そうではないことを、最近岩波文庫で読んだ、戦国末期から江戸時代初期に書かれた『雑兵物語』と『おあむ物語』から知りました。その本はハッキリした口語体の文章で、大変読み易く理路整然と書かれてあります。ですから、明治の文豪家が言文一致の口語体を確立するために何故苦労したのかが判りません。たぶん大学の先生や所謂文豪たちが苦しんだだけなのでしょう。一般民衆の間では言文一致など大して難しいことではなかったと言うことは、この本で自明ですね。落語もそうでしたが歌舞伎の台詞だって口語で書かれていたはずですね。ただし、落語も歌舞伎も口語ではあっても、口語体と言う文章体ではありませんので、この口語体で書かれいある『雑兵物語』と『おあむ物語』は、日本の文章体の歴史を考える場合に、貴重な資料になると思います。

さて、そのことから明治以前の日本人は、文章を書く場合に文語体という文章体の次元と、口語体と言う文章体の次元、すなわち、2次元の世界を持っていたわけです。それは、言文一致で口語体一本の1次元に縮退させてしまったのと比べて、途轍もなく大きな自由度を持っていたことになります。たとえ文語体と口語体を混ぜて使わなかったとしても、頭の中ではその両方を同時に考えることも出来るわけですから、1次元の世界では見ることが出来ない、大変肥沃な2次元の世界を見たり感じたり出来ていたわけです。

似たようなことは、日本人は仮名と漢字を両方とも使い分けることができることからも判ります。日本人なら誰でも想像がつくように、漢字を全て廃止してしまって仮名だけで文章を書くようになったら、今まで感じることができた漢字と仮名の微妙で美しいバランスを感じることができなくなってしまいます。このバランスの中にも素晴らしい芸術の種があるのですから、それを理解出来ないとは、美意識に対する一つの自由度をなくしてしまったことになります。それは芸術の退化ですね。別な言い方をすると、日本人はアルファベットだけで物を書いている文化の人達よりもう一つ多くの次元を持っているわけです。この次元は日本人の個性として外国人には気が付かなかった世界がありえること示してくれるので、人類の多様性の中で貴重な役割を演じていると思います。

残念なことに明治の江戸文化否定で西洋人かぶれの西洋崇拝者たちは、目先の便利さに惑わされて、この日本人の持っていた貴重な2次元の世界を口語体一本の1次元に縮退させてしまいました。昔のように文語体と口語体を両方使える状態でも、今のレベルの科学も文学も十分語れます。それに対して言文一致運動なるもので、日本人はどれだけ多くの自由度を失ってしまったのか、文語体を操れない我々には何を失ってしまったのかすら想像出来なくなってしまいましたね。私は質問者さんの不満に接して、言文一致運動の実態は私が学校で教わったのとは反対だったのだと、目から鱗が落ちたような経験をしました。人間は誰でも間違いはするものだから、それを受け入れられるようにならなければいけないとは思うのですが、私はそこまで強い人間ではないようで明治人のやった間違いは重ね々々残念であると憤慨しております。このような質問をして下さって有り難うございます。
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二葉亭四迷の場合、当時の平均的な文士(小説家)が古典文学の教養や影響によって小説家になったのと違い、たまたま愛国(国防)精神からロシア語を学ぼうとした際、たまたま教材として用いられたロシア文学に溺れてしまい、幸か不幸か、文学に目覚めてしまったわけです。


だから、さほど伝統的な文語(古語)の呪縛を強く受けなかったとも言えるのかもしれません。

で、彼が最初にツルゲーネフの「猟人日記」の一部を「あひびき」(明治20年)として訳出するに際して、ロシアの近代精神を宿した人間の内面を叙述するには、とても文語(古語)体では無理があると痛感し、三遊亭円朝の落語の口述筆記された記録(もちろん口語体)を参考にして、口語文体での翻訳を思い立ったのです。

同じ年、オリジナルの小説「浮雲」も言文一致体で発表し、その後、徐々に文士たちの間にも言文一致体が普及していったわけです。
人間は、内省や独白をするときは、無意識のうちにも普段の話し言葉の発想をしておりますから、ロシア近代小説に目覚めた二葉亭としても、当然のように近代を生きる人間を描くには言文一致体がふさわしいと判断したのではないでしょうか。
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それまでまったく互いに遊離していた頭の中と外の世界を結びつける必要があったのではないでしょうか。

つまり鎖国をしていた時の世界が頭の中の世界とすれば欧米列強に伍して生き延びなければならない世界というのが開国後の世界だったということです。二葉亭四迷(くたばってしめえ)はロシア語を学んでいたことから特にロシアに武力で対決せざるを得ないことを実感していたのではないでしょうか。戦争になったら文語ではとてもかないません。客観的に敵の勢力を観察するためには口語を主体とした言文一致が不可欠ではなかったでしょうか。
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Q一般的にTBSテレビ系列の地方局はラテ兼営局が多い理由は?

日本では東京にある日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日が、キー局となって地方の道府県のテレビ局、ラジオ局を系列化しております。このうち、東京のTBSテレビはラジオ・テレビ兼営局であり、アナウンサーやニュースソース、放送設備、局舎などをラジオとテレビで共有しています。またTBSテレビの系列局となっている地方の民間放送局もTBSテレビラジオと同様に、ラテ兼営局が多く、同様にアナウンサーやニュースソース、放送設備、局舎などをラジオとテレビで共有しています。

東京の他のキー局では資本関係が在ってもラテ兼営とはせずに表向きは全く別の局として経営することが多いようです。
フジテレビとニッポン放送、文化放送、お台場時代はフジテレビとニッポン放送は局舎が一緒だったが、ニッポン放送が有楽町に戻ってからは離れ離れになりました。文化放送は一見フジサンケイグループとは何の関係もないように見えますが、人事交流があるようです。(ただしニッポン放送とフジテレビとの交流ほどではないようです)

日本テレビとラジオ日本は一見全く別の放送局に見えますが、時折、放送中に「ラジオ日本は日本テレビ系列のラジオ局です」ということを言ったりしています。また日本テレビ所属のアナウンサーが出向扱いでラジオ日本のアナウンサーとして異動したりしています。

TBSテレビが、ラテ兼営の地方局を(優先的に?)系列化している理由、歴史的背景は何でしょうか?

日本では東京にある日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日が、キー局となって地方の道府県のテレビ局、ラジオ局を系列化しております。このうち、東京のTBSテレビはラジオ・テレビ兼営局であり、アナウンサーやニュースソース、放送設備、局舎などをラジオとテレビで共有しています。またTBSテレビの系列局となっている地方の民間放送局もTBSテレビラジオと同様に、ラテ兼営局が多く、同様にアナウンサーやニュースソース、放送設備、局舎などをラジオとテレビで共有しています。

東京の他のキー局で...続きを読む

Aベストアンサー

我が国の民放TVは、1953年8月28日に開局した「日本テレビ放送網」(NTV 日テレ)を皮切りに、1959年頃までには、各地に民放が開局し、在京キー局、(日テレ、TBSの前身KRTラジオ東京テレビ、テレ朝の前身NET日本教育テレビ、フジテレビ、なお、テレ東の前身東京12チャンネルは、この時点では未開局でした)が、自局の系列局を増やすことに、躍起になっていました。
 そのうち、TBSの前身KRTは、現在はラジオ、テレビを分社化しましたが、もともと、1つの民放で、ラジオ、テレビ両部門を持つ兼営社で、これが地方のネットワーク展開において、強みになりました。
 例えば、SBS静岡放送、BSN新潟放送などは、ラジオ時代から、KRTの支援を受け、テレビもその系列となり、現在に至っています。
 このように、KRT(TBS)は、兼営社である強みを活かし、ラジオ時代に、地方局に対して、積極的な支援を行い、近い将来、テレビを開局の際は、ぜひともうちの系列局になってくださいと、根回しを行い、これが、少なくとも70年代前半までは、JNNと呼ばれた、最強のネットワークを形成出来たということです。
 また、ラテ兼営局は、そのエリアで最も早く開局した局が大半で、また大半のエリアでは、民放TVは1局だけでしたから、大体、地方の兼営局は、TBS系列と、日テレ系列に2分されています。
これには、地方の中継用マイクロ回線の事情も絡んでおり、例えば、愛媛のRNB南海放送も、ラジオ時代の繋がりから、テレビもTBS系列になることを望んだのですが、当時、四国地方には、マイクロ回線が1系統しかなかったため、四国4県の、先発のラテ兼営局は、全て日テレ系となり、また、九州地方も、1系統だけだったため、ここでは、先発の兼営局は、全てTBS系列となっています。
 また、地方局には、大抵、地元地方紙の資本が入っているため、日テレのように、読売色が強いキー局は敬遠され、新聞色が薄かったTBS系列を選択したという経緯もありました。
 これら日本のTVネットワーク形成の経緯については、ちょっと古い本ですが、猪瀬直樹著「欲望のメディア」(小学館発行)に、詳しく記載されています。

 http://www.amazon.co.jp/%E6%AC%B2%E6%9C%9B%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E7%8C%AA%E7%80%AC-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4093941637

 これは、1990年頃「週刊ポスト」の連載記事を、単行本化したもので、私も持っています。

我が国の民放TVは、1953年8月28日に開局した「日本テレビ放送網」(NTV 日テレ)を皮切りに、1959年頃までには、各地に民放が開局し、在京キー局、(日テレ、TBSの前身KRTラジオ東京テレビ、テレ朝の前身NET日本教育テレビ、フジテレビ、なお、テレ東の前身東京12チャンネルは、この時点では未開局でした)が、自局の系列局を増やすことに、躍起になっていました。
 そのうち、TBSの前身KRTは、現在はラジオ、テレビを分社化しましたが、もともと、1つの民放で、ラジオ、テレビ両部門を持つ兼営社で...続きを読む

Q言文一致について。

柄谷行人さんの「日本の近代文学の起源」という本を読み進めて
いるのですが、
フロイトの説においてもっとも重要なのは「内部」が存在し始める
のは、「抽象的思考言語がつくりあげてはじめて」可能だといって
いることがある。われわれの文脈において、「抽象的思考言語」とは
なにか。おそらく「言文一致」がそれだといってもよい。(風景の
発見より)
と述べています。いまいちピンとこないし、「言」=「話し言葉」「文」=「書き言葉」だと思うのですが、どうもあのころの
時代状況に疎くて話についていけません。
柄谷さんの言っていることに・・賛成できないような・・
そこらへんについて詳しく分かる方教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

論旨を見失っておられる印象を受けます。
この箇所はそういうことを言っているのではありません。

この章の趣旨は、わたしたちがごく自明のものとして受け入れている「風景」というのは、明治二十年代に「発見」されたものに過ぎない。けれども「風景」という観念は、普遍的なものとして受け入れられ、その歴史性が覆い隠されるところに成立している。したがって「風景」になれてしまっているわたしたちには、その意味を知ることができない。だからこそ、その同時代を生きた人びとによって、明治二十年代の日本において「風景」がどのように「発見」されたかを見ていこうとするものです。

「風景」という観念の成立は、その時代を生きた者にとってはどのように意識されるか。

「漱石はちょうどこの過渡期に生きたといってよい。むろんそれを過渡期とよぶのは歴史主義的な見方にすぎない。実際は、彼は、英文学を選択したあとで、彼自身において認識の布置が根本的に変わってしまったことに気づいたのだ。……つまり、「風景の発見」は、過去から今日にいたる線的な歴史において在るのではなく、あるねじれた、転倒した時間性においてある。」(講談社文芸文庫版ではp.21)

この文章の根底にはフーコーの『言葉と物』があります。
わたしたちはある時代を境に、ものの見方がまったく変わってしまう。そうして、その変わっているあいだはそのことに気がつかず、変わってしまってから、いつのまにか前のような考え方をしなくなっている。変化に気がつくのは、そうした「転倒した時間性」においてなのです。

それまで人びとは、山や川や海を見ても「風景」として認識していたわけではない。
「風景」という観念が生まれたから、山や川や海が「風景」として認識されるようになった。そればかりではない。主観や客観という考え方が可能になったのも、「風景」という「場」があったからです。

そうして、西洋が近代という何世紀もかけて成熟していった観念が、日本ではある一定の期間に集中的にあらわれた。そのために日本ではこの問題をより凝縮したかたちで見ることができる。それに立ち会ったのが漱石であり、独歩であり、あるいは鴎外であり、二葉亭だったわけです。

さて、ここからがご質問の箇所です。
論理の流れを書いていきますから、これを目安にしてもういちど読んでいってください。

近代文学のなかでよく言われる「近代的自己」、これはただ頭のなかで成立するものか。自己が自己として存在しはじめるには、べつの条件が必要である。
 ↓
フロイトは「意識」をはじめからあるのではなく「内面化」による派生物としてみる視点をとっている。
 ↓
「内部」(と同時に「外部」)が存在しはじめるのは、「抽象的思考言語がつくりあげられてはじめて」可能である。
そうして、この「抽象的思考言語」、つまり、「自己」であるとか、たとえば「社会」であるとか「人間」であるとか、「風景」であるとかの、抽象的な思考を支えることのできる言語が言文一致体だった、ということを言っているのです。

言文一致体というのは、単に文章表記上のものではなく、その創出によって、当時の日本人は抽象的な思考が可能になり、「風景」を見いだし、そこから自分の「内面」を発見した、という脈絡です。

> 「言」=「話し言葉」「文」=「書き言葉」だと思うのですが、

ということではありません(「言文一致体」の語句的理解としても誤っています)。

この回答をお読みになっても、おそらくおわかりにはならないだろうと思うのですが、多少の整理の助けになれば、と思って回答しました。

論旨を見失っておられる印象を受けます。
この箇所はそういうことを言っているのではありません。

この章の趣旨は、わたしたちがごく自明のものとして受け入れている「風景」というのは、明治二十年代に「発見」されたものに過ぎない。けれども「風景」という観念は、普遍的なものとして受け入れられ、その歴史性が覆い隠されるところに成立している。したがって「風景」になれてしまっているわたしたちには、その意味を知ることができない。だからこそ、その同時代を生きた人びとによって、明治二十年代の日...続きを読む

Qペット(主に犬・猫)が捨てられる理由

ペット(犬・猫)が捨てられる理由はどのようなものが考えられるでしょうか。
CMやドラマで可愛いペットが登場すると、それに便乗して
知識も何もない人がただ可愛いというだけで飼い、飼えなくなると
すぐに捨てるという問題が増えていると聞きます。
私は以前から捨て犬・捨て猫について考えているのですが、
恥ずかしい話、今までは「なぜ捨てるのか」を考えず、ただひたすらに
捨てられるペットが減ればいいと考えていました。
これからは、捨てられるペットを減らすためにも、その根源を絶つために
どういった理由で捨てるのか、少しでも知りたいと思い質問しました。
分かりづらい質問とは思いますが、何卒よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

ひとえに人間の勝手ですよね…。

たとえば流行りのミニチュアダックス。
猟犬なので吠えます。
当たり前です。人間がそうゆー役割の犬に作ったんですから。
だけど身勝手な人間は、犬の習性も理解せず、流行りや見た目の可愛さだけで購入し、手に負えなくなって処分するのです。

他にもハスキーやレトリバーやダルメシアンなど、流行りがあった犬種はたくさん売れて、たくさん保健所へ連れて行かれました。
全くおかしなはなしです。

サンフランシスコは犬をお店で売らず、センターに保護されているコらを、犬が欲しい人に適正だと審査された上で譲っていくみたいです。
日本もそうすれば良いのにとホンマに思います。
でもお金儲けのためにバンバン流行りの犬種の子供を増やし、お母さん犬は一年中妊娠、子犬は売れなかったら処分…みたいな恐ろしいことを繰り返してるんですよね…。

金儲け主義で動物を道具だと思ってる人のことも憎いけど、家族になった生き物をそんな簡単に手放せる人もあたしには理解できません。

犬猫に愛情を注げない人を冷たいと感じるのは、それはあたしの自己中な思い込みかもしれませんが、いらなくなった犬や猫がどうなろうと知らないって思ってる人種が身近に大勢いる、そして普通の顔して暮らしてる、と思うとほんと怖いです。

ひとえに人間の勝手ですよね…。

たとえば流行りのミニチュアダックス。
猟犬なので吠えます。
当たり前です。人間がそうゆー役割の犬に作ったんですから。
だけど身勝手な人間は、犬の習性も理解せず、流行りや見た目の可愛さだけで購入し、手に負えなくなって処分するのです。

他にもハスキーやレトリバーやダルメシアンなど、流行りがあった犬種はたくさん売れて、たくさん保健所へ連れて行かれました。
全くおかしなはなしです。

サンフランシスコは犬をお店で売らず、センターに保護されているコ...続きを読む

Q聖書の口語体を文語体に。

聖書の以下の部分を文語体で知りたいのですが、どなたかご存知の方、お教えください。

(1) マルコ、第一章17節↓
イエスは、「私について来なさい。人間を取る漁師にしよう」と言われた。

(2) 「初めに神は天地を創造された。」で始まる創世記、第一章 1~5節まで、全文。

上記の部分を、文語体の聖書の内容そのままにどうぞ引用してください(漢字や句読点などもすべて同様にお願いします)。

Aベストアンサー

自分で調べましょう

文語訳聖書(PDF)
http://bible.salterrae.net/taisho/pdf/

Qペットボトルの水が落ちたり落ちなかったりする理由

ペットボトルの水が落ちたり落ちなかったりする理由

子どもとお風呂で遊んでいてわからなかったことがあるので教えてください。
添付の図で説明します。

図の(1)の状態
ペットボトルに空気と水を入れて、口を下にして水面につけると、ペットボトルの中の水は図の状態のまま落ちません。

図の(2)の状態
(1)の状態からペットボトルを少しずつ持ち上げていくと、口と水面の間に隙間ができた瞬間に、空気がボコボコとペットボトルの中に入っていき、水は抜けていきます。

質問:
ペットボトルの中にあった水に注目した場合、

(1)ではどういう力が釣り合って落ちないのでしょうか。
(2)では何が変わって落ちてくるのでしょうか。

について教えていただけませんでしょうか。

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

図1
>・上方向の力:お風呂のお湯の表面付近の水圧(A)
これを
上方向の力:大気圧マイナスボトル内気圧の差による力

>・下方向の力:水の重力 + ペットボトル内の空気の圧力(<大気圧)
これを
水に働く重力

図2
>・上方向の力:大気圧(B)
>・下方向の力:図1と同じ

これはこのまま

と書き換えた方がすっきりします。

そこで

>図2でもしもペットボトルの口に質量ゼロ、摩擦ゼロのピストンがついていたとしたら、ピストンは静止しているのでしょうか?それとも水と一緒に落ちてしまうのでしょうか?

理想的なピストンの場合【水の重さ>大気圧マイナスボトル内気圧】の関係になればこれがイコールになる位置まで下がるでしょうし【水の重さ<大気圧マイナスボトル内気圧】の関係ならばピストンは上に上がりやはりイコールの位置で止まります。
【水の重さ=大気圧マイナスボトル内気圧】で止まるという事です。
勿論この場合ピストンが下がってボトルから抜け落ちるという事は考えない事が前提です。


>どうして図2の場合だけ落ちてしまうのかがわからないのです。

これはボトルの口が大きい事と水の粘性が非常に小さい為に口周辺の水の状態にばらつきが起き落ちようとする水の力と吸い込まれようとする空気が簡単にすれ違え結果空気がどんどん入っていき【水の重さ≦大気圧マイナスボトル内気圧】の関係が崩れてしまう為と思われます。
ですから口の大きさがたとえばストロー程の細さなら表面張力で水が粒状になる為すれ違う事が出来ずにそのままの状態を保つでしょう。

図1
>・上方向の力:お風呂のお湯の表面付近の水圧(A)
これを
上方向の力:大気圧マイナスボトル内気圧の差による力

>・下方向の力:水の重力 + ペットボトル内の空気の圧力(<大気圧)
これを
水に働く重力

図2
>・上方向の力:大気圧(B)
>・下方向の力:図1と同じ

これはこのまま

と書き換えた方がすっきりします。

そこで

>図2でもしもペットボトルの口に質量ゼロ、摩擦ゼロのピストンがついていたとしたら、ピストンは静止しているのでしょうか?それとも水と一緒に落ちてしまうのでしょうか?

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Q日本文学で重要な変化点となった「言文一致運動」について2点質問です。

日本文学で重要な変化点となった「言文一致運動」について2点質問です。

明治時代に唱えられた「言文一致運動」で今まで文語体で書かれていた文学が口語体で書かれる様になりましたが,

1:どのような経緯から今までの文語体から口語体の文学になっていたのでしょうか?
2:口語体で書かれた文学と文語体で書かれた文学を共に読み比べてみると全くといっていいほど違う文章ですが,
やはり当時の口語と文語の違いは相当だったという考えでいいんでしょうか?

以上確認したくお願いいたします。

Aベストアンサー

>明治時代に唱えられた「言文一致運動」で今まで文語体で書かれていた文学が口語体で書かれる様になりましたが,

1:どのような経緯から今までの文語体から口語体の文学になっていたのでしょうか?

坪内逍遥をはじめ文学者から「言文一致運動」が唱えられています。坪内逍遥は東大の文学部英文学科卒業の文学士で、早稲田大学の教員ですから、英文学や海外の文学の影響を受けたのではないでしょうか。また、文語と口語の乖離を実感していただろうことや、明治という時代の雰囲気-今までを見直し、新規のことにチャレンジしてみるとの雰囲気。江戸時代は遅れており、改革せねばならないとの意識-の中にあったことも影響していると思います。坪内逍遥-二葉亭四迷のラインだけでなく、山田美妙などの言文一致運動もありますので、文語と口語の乖離を実感していた人は多かったのではないでしょうか。

2:口語体で書かれた文学と文語体で書かれた文学を共に読み比べてみると全くといっていいほど違う文章ですが,
やはり当時の口語と文語の違いは相当だったという考えでいいんでしょうか?

やはり相当違ったと思います。それを実感する人間がいたからこそ、言文一致運動が起こったのだと思います。ただ、評価はされていませんが、江戸後期の式亭三馬の「浮世床」などは、江戸弁という限定された言葉ではありますが、相当口語の江戸弁に近い表現を試みています。江戸時代でも、文語と口語の乖離について、感じていた人はいたのだと思います。

以上参考まで。

>明治時代に唱えられた「言文一致運動」で今まで文語体で書かれていた文学が口語体で書かれる様になりましたが,

1:どのような経緯から今までの文語体から口語体の文学になっていたのでしょうか?

坪内逍遥をはじめ文学者から「言文一致運動」が唱えられています。坪内逍遥は東大の文学部英文学科卒業の文学士で、早稲田大学の教員ですから、英文学や海外の文学の影響を受けたのではないでしょうか。また、文語と口語の乖離を実感していただろうことや、明治という時代の雰囲気-今までを見直し、新規のこと...続きを読む

Qペットの気持ち、行動の理由

今度学校でプレゼンテーションを行うのですが、題材をペットの気持ちにしたいと思っています。

そこで、ペットの気持ちや行動の理由、意味についてネットで調べていたのですがあまり自分では良いサイトが見つけれなくて(´・ω・`)

例えば、犬が尻尾を振るのは嬉しいときや楽しいときですが猫は機嫌の悪いとき…こんな風にペット(特に犬猫鳥など)のよく取る行動の意味やそのときのペットの気持ちなどが載っているサイトでオススメはありませんか?

無料で観覧できたり、確かな情報の記載されたサイトだと尚嬉しいです。

また図書館で皆様が読まれた書籍等でも良いものがあればお教え頂けるとありがたいです!

Aベストアンサー

サイトは、色々ありすぎて紹介しきれません。

http://www.nekoroman.com/kimochi/shippo/index_a1.html
たとえば↑↑↑
猫のしっぽの動きで、気持ちを読み取ろうというサイトです。

猫は、しっぽの動きを見ましょう。
というサイトや本が多いですね。

「猫 しっぽ」とかで検索すれば、色々出てきますよ。
(上のURLは、検索して最初に出てきたサイト)
アメリカのサイトで、猫のしっぽの動きと体勢の組み合わせで、30種以上の気持ちを表現しているのがありましたけど、URLを忘れちゃいました。

Q文語詩と口語詩の立てわけとは何なのでしょうか?歴史的仮名遣いが使われて

文語詩と口語詩の立てわけとは何なのでしょうか?歴史的仮名遣いが使われていても口語詩と言われたりしますよね?よく分かりません。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>歴史的仮名遣いが使われていても口語詩と言われたりしますよね?

まずは『新旧仮名遣いの違い』と『文語口語の違い』が別のお話であるのをご理解ください。

新仮名遣いが採用されたのは太平洋戦争後です。
それ以前は、文語詩も口語詩も『歴史的仮名遣い』で書かれていました。


>文語詩と口語詩の立てわけとは何なのでしょうか?

"文法の上で"文語の文法で書かれたのが文語詩、
口語の文法で書かれたのが口語詩です。

仮名遣いとは直接関係の無いお話です。
口語の文法については、今我々が日常で使っているような文法です。
文語の文法についてはご自身でお調べください。

ちなみに文語詩の代表格が『若菜集』です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1508_18509.html

口語詩の代表格は……サッと出てきませんが、取り敢えずこれでもどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000011/files/9_20331.html

Qペット保険が必要な理由

ペット保険を入っていましたが解約しました。
理由は使わないことと請求が面倒ということです。

全額支払って後で精算が非常に面倒です。

高額ならまだしも
2000~3000円の請求の度に手続きをするのが非常に面倒でした。

手軽な請求であれば加入し続けたいのですが・・・
アニコムは手軽そうですが掛け金がやや高いのと保障割合が最高で70%
までしかないので検討中です。

どこか良い保障内容で手軽な請求ができるとこはないでしょうか?

Aベストアンサー

そうですよね~確かに請求が面倒・・・
アニコムも提携している病院と使えないとこがありますからね~

ほとんどのペット保険・ペット共済会社は掛け捨てです。
毎年利用できるワクチン補助のような保障内容があれば
掛け捨て感はないのでしょうが・・・

請求はアニコムのように提携しているとこであれば事前に割引が適応されるやり方と、
最初に全額払って、後から診断書等を取り付けて振り込まれるやりかたがあります。

提携していて事前に割引がきくやり方は今のところアニコムしかないようです。
ただ、日本ペット共済のように写メールやFAX請求ができる保険会社もあります。

診療明細書を写メールするだけで1週間以内に振り込まれるので
いったん全額支払ってもすぐに返ってくるので安心です。

私はそれが魅力で加入しました。
実際すごく請求が楽ですよ。

http://petlife.or.jp

参考URL:http://petlife.or.jp

Q短歌・俳句での 文語体の口語表記は、いまや常識?

「た○○と歌」で知られる人のBBSに:
「文語体口語表記に違和感を覚えるのはアナクロニズムである」という趣旨の記述がありましたが、本当にそうなのでしょうか?
 
俳句でも文語調なのに口語表記してある句を見かけることがありますが、やはり違和感があります。時代錯誤、ウ~ム!

お教えくださいませ。

Aベストアンサー

#2です。会話みたいになりますが、たまにはいいですよね^^;(ヒソヒソ)

>すべての文章を文語で書く人にも違和感を感じます。

あ、それ、実は私も同じようなことを書こうと思いました。質問者さんのお言葉を借りると口語体文語表現でしょうか。ご質問の内容と違いますし、丸谷才一ファンに何か書き込まれそうに感じ、止めたのです(笑)

これは、スーツ姿に草鞋ですかね^^;

>いつの間にか慣れてゆくのかも知れませんね。

いつのまにか証明されるでしょう。
でも将来、「海のあおにも染まずただよう」なんて教科書に載っているかもしれませんね。冷や汗でそうです。


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