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藤田和日郎「うしおととら」第19巻にて「満足する死とは何だ?」という
質問に対して「泥なんて何だい、よ」と答える場面があります。

難しい質問に一言で答えた良い返事だと思いますが、あまりに抽象的過ぎて
私には理解できませんでした。彼女はどのような意味でこの言葉を発した
のか、具体的に詳しく教えて下さい。

A 回答 (2件)

私なりの解釈です。



うしおは泥の田んぼの中を、自らの格好を犠牲にして真由子の帽子を取ってあげますね。
同じように、他人の命を救う為「などか」を退治する状況になるのですが、真由子は自らの命を犠牲にして「などか」を巻き込んでビルから落下しようとします。

こうした「自らを(究極的には自らの命を)顧みない、他人への愛」(この場合は、自分の命と引き換えになどかを退治する事で他の人の命が助かる)というのが真由子の答えであって、自分の命を以って他人を愛する、という人間としての究極の愛に気付かないまま数百年を生きたたゆらは、「愚かだったのは(その美しさに数百年気付かなかった)我々だった」と悟る・・・という風に解釈しています。

この他、全体として
・うしおが昔の中国に行った時に、ジエメイの自殺を後一歩の所で助けられなかった
・ジエメイを助けられなかった事を転機に決意し、その後ジエメイと同じ状況で死んでしまう麻子を自ら顧みずボロボロになりながら助けた
といったように「泥なんてなんだい」レベルではなく「自分の命なんてなんだい」レベルでの同じテーマが繰り返されます。

「不器用ながらも実直で泥臭い、他人への熱い愛」というのがうしとらの底流に流れるテーマなので、この辺の類似性を探していくと面白いと思います。
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誰かを笑顔にできるなら、「泥なんて、何だい!」

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