「責任」について主題的に論じている哲学者にはどのような人がいるでしょうか?

A 回答 (4件)

ひとつの御参考として


レヴィナス『全体性と無限』
http://arekore.nobody.jp/Levinasrejume.html

ハイデッガー
西田幾多郎
『「行為の哲学」の可能性―1930年代のハイデガーと西田幾多郎の思索を手がかりに―』
http://www.shujitsu.ac.jp/shigaku/hf/data08/sara …
「哲学としての「知の批判吟味」は、決して無記名の立場から行われない。あるいは全く中立的立場からの発言であるとしても、その背景にはその立場の選択というある種の「決断」があるはずで、「哲学」にとっては、この「決断」を問うことなしにその「知」を評価できない。「知を批判する」ことには それなりの責任があるからである。「決断」を問うことは、その「責任」を問うことでもある。ハイデガーも先の講義の中で、問いに答えることは、「責任を負うこと(Verantworten)」 だと言っている。ところが、他ならぬハイデガーに関する糾弾のほとんどは、彼のナチ関与よりもそれに関する戦後の沈黙を「無責任」とするものである。「公共的」には全く正しい評価かもしれない。だが、この「沈黙」はハイデガーの「行為」ではないのかと問う余地も依然としてあるし、一度は そのように問わない限り、やはりハイデガーの「決断」に迫ったことにはならないだろう。西田に関しても同じことが言える。そしてまた、そのように誰かの「決断」と「責任」を問うこと自体にも大きな責任があることが「行為の哲学」の本質だろう。「哲学の有効性」とは、この「責任」の所在をはっきりさせるということにある。」
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パーリ語に記された「ゴータマ・お釈迦様・ブッダ」ですかね。



業によって語っていますね。

業も結構誤解されているものではありますが。

サンガ新書「パワーアップユアライフ」をオススメします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/05/17 23:37

哲学的には「責任」ではなく「義務」という意味でしょうかね。


権利・義務・罰などの中の「義務」が「責任」の意味ですね。
近代法の「義務」についてはさまざまな「法哲学」の中で論じられています。
日本的な罰を含む多少あいまいな責任論であれば、古くは「孫子の兵法」や諸葛孔明の「信賞必罰」に関するものでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/05/17 23:36

司馬遷 「報任少卿書」


アリストテレス「ニコマコス倫理学」
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/05/17 23:35

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「二流の哲学は役に立たない。」と言う事ではないかと思うのですが、如何でしょうか?

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Aベストアンサー

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Q哲学の入門書

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分かり易い、新書、文庫の、日本人が書いた哲学入門書を教えてください。

Aベストアンサー

次の入門書は有名です。

哲学のすすめ-生きること 働くこと
鯵坂 真 著
「なぜ占いが流行するのか」「人間は孤独か」「自分らしさとは」―身近な問題を切口に、
科学的な「ものの見方・考え方」について考える。
本体 667 円 ISBN 4-7617- 1305-4

哲学入門 生きること・働くこと
鯵坂 真 著
矛盾にみちた現代、人はいかに生き、ものごとを考えるときのよりどころは何であるべきかなど、
世界観の基礎についての哲学を学ぶ。
本体 1,524 円 ISBN 4-7617- 1401-8

哲学再入門
高田 求 著
「私はいったい何者か」「激動する現代をどうとらえどう生きるか」
―いま、 あらためて哲学の根本問題について考え、科学的世界観を学ぶ。
本体 1,942 円 ISBN 4-7617- 0510-8

<購入先>
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=18821601

<高田氏資料>
http://www.ne.jp/asahi/meien/na/seminar/pastseminar.html

次の入門書は有名です。

哲学のすすめ-生きること 働くこと
鯵坂 真 著
「なぜ占いが流行するのか」「人間は孤独か」「自分らしさとは」―身近な問題を切口に、
科学的な「ものの見方・考え方」について考える。
本体 667 円 ISBN 4-7617- 1305-4

哲学入門 生きること・働くこと
鯵坂 真 著
矛盾にみちた現代、人はいかに生き、ものごとを考えるときのよりどころは何であるべきかなど、
世界観の基礎についての哲学を学ぶ。
本体 1,524 円 ISBN 4-7617- 1401-8

哲学再入門
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Q米国の政治学者ジョン・ロールズが「普遍的リベラリズム」から「政治的リベ

米国の政治学者ジョン・ロールズが「普遍的リベラリズム」から「政治的リベラリズム」にシフトしたことが、

世界の政治思想のトレンドの大きな変更点だったようなことが本に書かれていたのですが、もう少し具体的に言うとどういう思想の変化だったのでしょうか?

「理念も大切だが、それ以上に事実性が大切だ」という思考に大きく傾斜していった・・・

とも書いてありました。どういう意味なんでしょう?詳しい方、教えていただけると助かります。

Aベストアンサー

ロールズの正義論の骨格が、以下の正義の二原理に要約されます。

正義の二原理

【第1原理】各人は、基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。
【第2原理】社会的・経済的不平等は、次の二条件を満たすものでなければならない。
(一)それらの不平等が最も不遇な立場にある人の期待便益を最大化すること
(二)公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと

一見して分かるように、普遍的な自由とか、普遍的な平等とかをもとめるのでなく、可能な限り、現実的に達成可能な正義を目標においていますね。そこら辺りを、

>ジョン・ロールズが「普遍的リベラリズム」から「政治的リベラリズム」にシフトした

と言った表現になったのではないでしょうか。

>世界の政治思想のトレンドの大きな変更点
但し、ロールズの主張が、世界の政治思想に、どれだけ影響を与えたか、与えなかったに関しては、私にはお答えする能力も時間もありません。

ちなみに、読み方によっては、自分の能力すら、自分のものではない、とも。
「人間が様々の自然的差異をもって生まれついてくることが偶然(contingent)であるという認識は、少なくともロールズの言う意味においては、事実認識であるかに見えて実は倫理的決断である…。すなわち、天与の才能に居直って、それを当然の事実とうけとめるか、それともそれは当然ではない(換言すれば、自分には本来それが与えられる理由がないから自分はそれに居直れない)とうけとめるかは、単なる所与から出てくることではなく、その人の人生観に由来することがらである…」。「全くの偶然事(contingency)」を「まったく理由のない出来事…、したがって自分がそれを受けるに値しない(undeserved)出来事」とするところに「ロールズの全思想の核心」がある。
(『倫理の復権──ロールズ・ソクラテス・レヴィナス』岩田靖夫)

蛇足ですが、
現実の社会は、学問から、都合の良い所だけを、さらっと抜き取るんですね、掏りみたいに。

ロールズの正義論の骨格が、以下の正義の二原理に要約されます。

正義の二原理

【第1原理】各人は、基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。
【第2原理】社会的・経済的不平等は、次の二条件を満たすものでなければならない。
(一)それらの不平等が最も不遇な立場にある人の期待便益を最大化すること
(二)公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位...続きを読む

Qストア派哲学についての本

ストア派の哲学者(セネカ、マルクス・アウレリウス)の名言をいくつか読んで、ストア派というのに興味があります。

ストア派哲学について書かれた本で、面白くて分かりやすいものはないでしょうか?

Aベストアンサー

岩波文庫に入っているセネカ「人生の短さについて」とアウレーリウス「自省録」は読みやすいですよ。読み終わったら、古東哲明さんの「現代思想としてのギリシア哲学」(講談社選書メチエ)が面白いかと思います。

Qanti-clericalism (反聖職者主義)の代表的な論者・哲学者

anti-clericalism (反聖職者主義)の代表的な論者・哲学者を紹介してください。

Aベストアンサー

ジッドゥ・クリシュナムルティ

はどうでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3


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