本来は
仏教カテゴリで質問したかったのですが、見つからなかったので哲学カテゴリで質問させていただきます。国語カテゴリが適切なのかもしれませんが。

仏教ですとたとえば、「諸行無常」=「あらゆるものは移り変わり常に同じ状態であるものなどない」
といった意味の熟語?がありますが、
「すべては手に入らない」という意味の思想・熟語はあるのでしょうか?

私のイメージしているのは、「二股に分かれた道があるときに、右を選べば左は選べない、左を選べば右は選べない、両方の可能性や結果を得ることはできない。」というものです。
つきつめると、「何かを得るには、何かを失わなければならない」(右の道を選ぶには左の道の可能性を失わなければならない)という感じでしょうか。

よろしくお願いいたします。

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A 回答 (7件)

量によって解決できると書きましたが



なかなか解決できないから
問題になるわけです。。、

すべては手に入らないから選択するんです。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「トレードオフ」
調べてみました。確かにこの言葉が一番近い気がします。
ただ、この言葉は、「あっちを立てれば、こっちが立たず」という二択のときにのみ使用する言葉なのでしょうか?

実際には、道は左右だけでなく、無数にありますので、無数の中から一つしか選べない、というような意味の言葉がありましたらよろしくお願いいたします。

お礼日時:2009/05/26 17:34

>無数の中から一つしか選べない、というような意味の言葉がありましたら



マタイ福音書16章26説に

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

こんな言葉があります。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうなんですよね。おっしゃるとおりなんですが、

人生は選択の連続で、あるときに今とは別の選択をした自分、「たら・れば」の世界の自分には会えないわけで、それを一言で言い表す言葉はないものか、と思って思索しておりました。

よく考えたら、特に宗教カテゴリに縛る必要もなく、例に出した「諸行無常」も平家物語の一文ですので、仏教用語なのか自分でもよくわかりません。。すみません。。

ただ、「一期一会」とか、そのような感じで、熟語的に表現できることができないものかと思って質問したしだいです。

国語カテゴリで、質問タイトル、内容を推敲した上でまた後ほど質問させていただきたいと思います。

自分でもうまく言葉にできないものを、イメージだけ伝えて言葉にしてください、というのも無理があるかな・・・と思いました。


ご回答くださった皆様へ
ご回答くださった皆様、ありがとうございました。
また、縁がありましたらよろしくお願いいたします。

お礼日時:2009/05/28 04:33

>すべては手に入らない」という意味の思想・熟語はあるのでしょうか?



「本来無一物」
禅宗で用いる語が近いと思えました。
意味は「万物は執着すべき生死(これが二股の道として)の実体にあら
ず妄想も無、空である。一切のものから自由自在になった心境」
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

調べてみましたところ、入門者向けに「つまりもともと何もないということを知ることです」という意味だとありました。
無知の知、に近い概念なのでしょうか。

私の場合、「生」のなかにおける無数のパラレルワールドのうち、自分が選択できる(経験できる)のはひとつのみ、というイメージです。
「生死」を二股の道とするとややイメージと違うかなと感じます。
ただ、とても勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/28 04:24

「諸法無我」というものもありますね。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

wikipediaより、
諸法無我(しょほうむが)。
すべての存在には、主体とも呼べる「我」(が)がないことをいう。

私のイメージしていることも、突き詰めればこのような意味になるのでしょうか。言葉が深いですね、今の私にはまだよく理解できません。

横に時間軸、縦に空間軸があるとすると、人生とは、そのなかの”線”と考えることができますよね。ある時間に限ると、そのときは、”点”であって、どうやっても”面積”にはならないと思うんです。とある時間にこのサイトを見てる自分と、料理をしている自分と、寝ている自分とが同時に存在しないように。(量子論的には~とかは除く)

「一つを選べは、そのときに選択できる残りすべての可能性が消える」
ということをうまく一言で言い表したいのですが、知識が足らず発想も貧困なためなかなかいい言葉が思いつきません。宗教、心理学、哲学、ことわざ、熟語、学問用語なんでもよいですので、なにかありましたらお教えくださいませ。

お礼日時:2009/05/26 17:47

経済学の概念


トレードオフ

量が解決してくれます。
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ことわざ


「二兎を追うもの一兎も取れず。」でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私のイメージしているものは、この場合、
二兎を追うものは、どちらか一兎を必ず得ることができるが、二兎を同時に得ることは絶対にできない、というイメージです。
そういう点からすると、少し違うかな・・・という印象です。
でも、ことわざというアプローチは頭にありませんでした。
参考になりました。

お礼日時:2009/05/26 17:32

二河白道はどうでしょうか

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「にがびゃくどう」というのですね。初めて聞きました。
調べてみました。
「一人の旅人が、後から飢えた獣や殺人鬼に追われ、行く手は左に猛火に覆われ、右は荒れ狂う水の川がせまる所にさしかかると、その境目にわずか道幅十数センチの白道。
戻れば殺される、進めば火の川・水の川に飲み込まれ絶体絶命 !。
と、その時、向こう岸よりかすかに自分を呼ぶ声。ふと見上げれば阿弥陀様。「私を一心に念じ、こちらに来なさい。必ずあなたを護ります」と、うしろから「心を定め、行きなさい。決して災いはありません。留まれば死を待つのみです」振り返ればそこにお釈迦様。」
http://www.d7.dion.ne.jp/~gyoun/niga.htm

私のイメージとは少し違う感じです。
ただ、戻り道がない、というのは確かにこの言葉のとおりです。

お礼日時:2009/05/26 17:30

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Aベストアンサー

 その計算でおおよそあっています。正確には、

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Qテーラヴァーダ仏教とチベット仏教

南伝のテーラヴァーダ仏教と北伝のチベット仏教の
違いについて質問です。
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あるのにたいしてチベット仏教の目指す最終的な境地が
仏陀であるのはなぜですか。
言葉の定義が違うのでしょうか。
それではよろしくおねがいします。

Aベストアンサー

少し補正と補足を入れます。

補正)

>もともと原始仏教では、釈迦も阿羅漢の一人でした。つまり阿羅漢と仏陀は、本来は同義語なのです。

「同義語」は言い間違いですね。仏陀は悟った人のこと。阿羅漢は、尊敬されるべき者の意味。ただし、両方とも原始仏教では、悟った人を指す言葉で、同じものを指すことに変わりありません。

>とくに説一切有部というある種の特殊な存在論を説く学派に対して、自分たちの立場から批判を向けものです。

これもおおむねその通りで、大乗の人々(とくに有名な龍樹などはそうです)が具体的に批判したのは、説一切有部という、ある一部の仏教学派ですが、広い意味で、自分たち大乗の教えこそが一番優れていると思っているので、その意味では、テーラワーダなど、自分たちの奉じる大乗以外の仏教諸派も、一段劣ったもの、小乗的なものとして、捉えていたということは言えると思います。ただし、実際のインドでは、大乗と小乗という対立関係は、それほどなかったとも言われています。経典など記録されたものは、ある一面を誇張して伝えていることも多いようです。

補足)
>チベットでいう阿羅漢の定義とはなんなのでしょうか。

私はチベット仏教の個別論(後期タントラなど)については、よく知りませんが、インド大乗仏教の理論を基本的に引いていることを念頭にすれば、この点についての大まかな説明はできると思います。というのは、チベット人も、例えば『法華経』等の大乗経典を読みますし、私たち日本人大乗仏教も『法華経』等の大乗経典を読みます。この『法華経』は、阿羅漢のことに触れていることで有名ですが、使っている経典がほとんど同じなので、大乗仏教の流れを引く派は、基本的な思想は近いのです。テーラワーダでは、『法華経』や『阿弥陀経』などの大乗経典は読みません。よりどころにする聖典がかなり違います。だから、教えの内容も、かなり違います。

阿羅漢の定義。まずは、先程もあるように、自分だけの救いを求める小乗の聖者という意味があります。これを押さえてください。これは、チベットでの定義というより、大乗共通の定義になります。なお、ご存じないと行けないので、念押ししますが、チベット密教は、インド大乗仏教の理論を厳密に引き継いでいると言われ、大乗と密教を別のものと考えているのでしたら、それは少し違います。密教は、大乗仏教の理論をもとに、インドの他の宗教などの影響も受けつつ、さらに修行や実践面などで展開した宗教です。大乗の世界では、仏陀・・菩薩・・阿羅漢・・声聞(仏の弟子)というように、新しく位を組み直しました。「菩薩」を新しく造って、阿羅漢の上に置きました。大乗の人は、阿羅漢を、「自分だけの救いを求める小さい聖者」と低く定義づけました。彼らは、阿羅漢を真の意味での聖者だとは思っていません。真の聖者のあり方は、「菩薩」以上です。菩薩は、自分の悟りよりも、人を救うことを優先します。大乗仏教は、「人を救う」ことを標榜し、それが素晴らしいとしたのです。ですから、最終的な悟りを開いた「仏」も、大乗の世界では、救済者です。阿弥陀仏を見てください。極楽浄土へ迎え入れてくれますね。救ってくれます。ただし、お釈迦様の時代のもともとの仏教や、テーラワーダの仏は、基本的に救ってはくれません。あくまでも、教えを説くだけの存在です。あくまで、自分を救うのは、自分しかないという考え方です。大乗の人は、阿羅漢を「自分の救いしか考えないケチな聖者」とののしっていますが、阿羅漢に言わせれば、「ケチなのではなくて、自分を修めること以外に、他に悟りの道はない(出来ることは説法して手助けするだけ。聞くのは人の自由で強制できない)」と言うと思います。ちなみに、菩薩は強制することもいといません。無理矢理にでも救うことに力点があります。そして、この阿羅漢の考えが、本来の釈迦の考え方です。悟った聖者は、どうなるかというと、「炎を滅した状態」となり、「寂滅」の境地にいるだけです。瞑想しないと、具体的には想像しにくいですが、「無」という状態に近いと思います。ですから、何もしません。同じく悟りを目指すと言っても、大乗の仏は救済志向であり、原始仏教の仏には救済の意志はなく、指している内容は違います。そして、大乗の人々は、そういう原始仏教の仏や悟りでは、物足りなかったのです。真実の悟りは、無になることではなくて、永遠に救済をして活動することだと考えました。ですから、救済者である菩薩は、当然、やはり救済者である仏になれます。悟れると言うことです。しかし、阿羅漢は、どうでしょう。「無」の状態にあるものが、救済することは出来ませんし、無になったものが、もはやいわゆる存在としてあるのかも分かりません。そこで、あるものは、「阿羅漢は、仏になれない」と言い出しました。もう「無」になったんだから。「いや、無と言っても、何らかの存在としてはまだあって、仏になれるんだ」という人もあります。ただし、阿羅漢のままでは、仏にはなれません。菩薩にならないとなれません。つまり、大乗仏教の基本理解では、阿羅漢は阿羅漢のままでは悟れないのです。

大乗仏教は、原始仏教で説かれた聖者のあり方では不満足でしたが、これは世界観の違いによるところが大きいです。「この世は、苦しみであるから脱却しよう。悟れば、この世の苦しみから出られる」というのが、原始仏教の考え方です。でも、それでは満足行かない人も居ます。「苦しいけど、本当はこの世は素晴らしい。気づいてないだけ。だから悟ればそのすばらしさに気がつく」と考えたのが大乗の人々です。だから、大乗の人々から見れば、苦しみから逃れた状態にしか過ぎない阿羅漢は、真には悟っていないし、仏たるものそんなものではない、阿羅漢は自分のことしか考えていない、という主張になるわけです。


大乗の主張には、歴史的な要素などいろいろ絡みます。分かりにくかったかもしれませんが、これ以上は、簡単に書けません。分からない時は、仏教史の本を適当に図書館で読んでみて下さい。ダライ・ラマの本は、宗教書としてはとても優れていて、素晴らしいですが、歴史的なことは書かれていません。大乗も小乗も、テーラワーダもまとめて整理してお話になるので、この手の話を調べるのには向きません。

少し補正と補足を入れます。

補正)

>もともと原始仏教では、釈迦も阿羅漢の一人でした。つまり阿羅漢と仏陀は、本来は同義語なのです。

「同義語」は言い間違いですね。仏陀は悟った人のこと。阿羅漢は、尊敬されるべき者の意味。ただし、両方とも原始仏教では、悟った人を指す言葉で、同じものを指すことに変わりありません。

>とくに説一切有部というある種の特殊な存在論を説く学派に対して、自分たちの立場から批判を向けものです。

これもおおむねその通りで、大乗の人々(とくに有名な龍...続きを読む

Qリビングの大きさを知りたいのですが、メートルで出ているので何畳かわかり

リビングの大きさを知りたいのですが、メートルで出ているので何畳かわかりません。

縦5.75m横3.5mだと何畳くらいになるのでしょうか?

Aベストアンサー

>リビングの大きさを知りたいのですが、メートルで出ているので何畳かわかり ません。


            ↓
平方メートルと坪、畳の相関関係は・・・(畳は5・8間サイズとか本間サイズ等の基準が全国で違う)


3.3平方メートル=1坪
1坪=2畳


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20.125÷3.3×2=12.2畳となります。

Q日本の仏教とタイなどの仏教は違うのでしょうか?

日本の仏教とタイなどの仏教は違うのでしょうか?
ずいぶん昔(まだ子供のころ)、お坊さんのお話でそのようなことを言っていたのを思い出したのですが、何が違うのか忘れてしまいました。。。
日本の仏教の方が、寛容でいいな、と思ったのは覚えています。
ご存知の方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者さんがいくつくらいの年齢なのか知りませんが、それらの違いは高校の世界史や倫理で習います。

日本→大乗仏教
タイなどの東南アジア→上座部仏教

仏教の歴史
釈迦(ゴーダマ=シッダルタ)がインドのマガダ国で仏教を開く。当時のバラモン教を批判。すなわち、カースト制度(身分制度)を批判。
    ↓
インド初の統一王朝であるマウリヤ朝のアショーカ王が仏教に帰依する。この時の仏教は上座部仏教。
上座部仏教とは…仏教を篤く信仰したもののみが救われるという考え方。
    ↓
次の統一王朝、クシャーナ朝は大乗仏教を信仰。
大乗仏教とは…信仰するしないなんて関係ない。仏様は万人を救済してくださる。故に上座部仏教を蔑視し、万人救済する自分たちの大乗仏教に対して信仰した者しか救われないとする彼らを「小乗仏教」と
蔑視。
    
日本に仏教が伝播した過程

紀元後1c、中国の後漢に大乗仏教伝来。第二代明帝は洛陽(現在の西安)に白馬寺建立。
      ↓
朝鮮にも伝来。そして、朝鮮の百済が日本に仏教を伝播させる。その当時の日本は飛鳥時代。その仏教を受け入れるか否かで蘇我氏と物部氏の戦争が起こる。

東南アジアにどのようにして上座部仏教が伝播したかは、あいにく知りません。しかし、東南アジアは上座部仏教圏。(インドネシアは世界最大のイスラム教国)

つまり…大乗仏教→万人救済を目指している。日本や中国はこれ。細かい宗派の違いはわかりません。
  上座部仏教→信仰を篤くしたものが救われる考え方。タイなどの東南アジア。大乗より戒律が厳しい。

>日本の方が寛容
その通りだと思います。日本は仏教よりも儒教なんじゃないでしょうか。礼儀を重んじるなど、親・兄弟を大切にするなどといったのを日本人は重視していると思います。だから日本は儒教国です。
日本が仏教国なら真面目な仏教徒は怒ります。なぜなら、仏教では牛は神聖なる生き物です。それを日本人は食いまくってます。仏教国なんて、とんでもありません。つまり、犬を食う韓国人が野蛮だとか、鯨を食べる日本人は野蛮だとか、ロブスターなどを生きたまま調理するのは動物虐待だとかほざいている西洋人は自分たちも牛や豚を食いまくってるんですから、私たちのことをとやかく言う権利はありません。文化の違いです。なお、現在のインドでは仏教の発祥地にもかかわらず、ほとんど信仰されていません。民間信仰のヒンズー教とイスラム教のどちらかです。ベンガル分割令だって、ヒンズーとイスラムの分離でしたし、仏教は世界でもかなりマイナーな宗教です。

私は仏教よりも、どちらかというとキリスト教の方が詳しいので、これくらいのことしか教え切れませんが、質問者さんに役に立ったら幸いでございます。

質問者さんがいくつくらいの年齢なのか知りませんが、それらの違いは高校の世界史や倫理で習います。

日本→大乗仏教
タイなどの東南アジア→上座部仏教

仏教の歴史
釈迦(ゴーダマ=シッダルタ)がインドのマガダ国で仏教を開く。当時のバラモン教を批判。すなわち、カースト制度(身分制度)を批判。
    ↓
インド初の統一王朝であるマウリヤ朝のアショーカ王が仏教に帰依する。この時の仏教は上座部仏教。
上座部仏教とは…仏教を篤く信仰したもののみが救われるという考え方。
    ↓
次の統一王...続きを読む

Qこれは何畳?

こんにちは。空気清浄器を買おうと思うのですが部屋が何畳なのかわからないので質問させて頂きます。

1Kロフト付で、床面積が20m2とあります。
これはロフトの床面積+下の床面積なんでしょうか?

何畳になるのか、何畳用のものを購入すればいいのかわかりません。
アドバイスください。

Aベストアンサー

一般サイズの京間(91cm×182cm)として考えると1畳辺り1.66cm2なり約12畳となます。
ただロフト4畳床8畳となると8畳用となってしまいます。
床面積を概算で実寸し何m2になるか計算されたらよろしいかと思います。

Q【仏教・阿字観(あじかん)】仏教での阿字観は「自分の本能を見つめ直す」という意味があるそうです。

【仏教・阿字観(あじかん)】仏教での阿字観は「自分の本能を見つめ直す」という意味があるそうです。


なぜ本能のままに生きたらダメなんでしょう?

Aベストアンサー

阿字観は真言宗の瞑想法であり、宇宙の本源を表す梵語の「阿」字を観想します。悟りに至るための瞑想法です。

阿字観に限らず、仏教は自分の本性を見つめ直して、真の自己に目覚める教えです。(本性であって本能ではありません)

>なぜ本能のままに生きたらダメなんでしょう?
仏教に限らず、本能むき出しで他人のことは考えないで行動する人は排除されます。それは社会の常識です。

Q12m2 何畳 何帖

12へーべは 何畳 何帖ぐらいの広さですか? 帖と畳の広さは同じ意味ですか?

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Q大乗非仏説の立場から見た「諸行無常」

 「諸行無常」とは、無智の私が俗な言い方をすれば「すべてのものは流動的なものであって、変化し続ける」というようなことだと理解しています。この諸行無常ということについての質問です。

(1)大乗非仏説という立場から見たとき「諸行無常」という教えは、お釈迦様の教えであるといえますか??経典的論拠も示していただけると助かります。

(2)もし、お釈迦様の教えであるというのであれば、諸行無常は仏教に関しては例外ですか??それとも、仏教も諸行無常なのでしょうか??こちらも、教典的な論拠を示していただけると助かります。
 
 わかりにくい文章とは思いますが、どうぞ文意を読み取っていただきたく存じます。回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

<<「変化する」というのは、あくまで意図的に「変化させる」のではなく、なんとなく「変化しちゃう」という意味です。>>



<<「出来る限り変えないようにしようと言う努力を積み重ねている、テーラワーダの考え方に賛同しています。」大乗とて同じ立場です。>>

それは知りませんでしたw

…分裂直後のお坊様方の戒律や瞑想などの実践と今の(多くの)大乗の方々との実践はどのぐらい変化しているのでしょう。私には知る機会がないですが…。

「大乗とて同じ立場」と言うことは、大乗にも分裂後に、「ここまではこのようなものをこのように変化させたがこの先はこのような方法を持って変化させないようにする」と言うような事を具体的に提唱し、その努力が垣間見れるものが数多く残っているのでしょうね。

大乗に関してはひどく無知なのでそのようなものに出会っていませんでした。

<<私もそう思います。教科書と評されるだけあって、典拠主義にもとづいた名著です。>>

ですよね。このあくまで理性的な態度には読むたびに感動させられます。経典自体も多いし、言葉の意味も結構狭くなっているので解釈の幅が狭く、伝わりやすいのがパーリ語の三蔵の優れた点の一つだと感じています。
 
<<これについては、保守派の上座部と進歩的な大衆部の「根本分裂」を彷彿とさせます。前者がテーラワーダ仏教、後者が大乗仏教へとなって行きます。このときの根本分裂も、それくらいの差異から始まったと考えられます。>>

私も最初はわずかな差異だったと憶測しています。しかしどこかで変化の許容の歯止めをかけなければ、際限がないんですよね。始めに禁止していたものさえ入り込んでしまい、マ逆のものになる可能性も出てくる。

初期の大乗の方々も個人的には賞賛に値する実践をしていたのではないかと憶測しています。今も賞賛に当たる方々は多々いらっしゃるでしょうが、実践を伴わず、説かず、自分の寺の教えすら守らぬ…在家にすらあたらない生臭坊主が私の目にするところに多く存し、本当に残念で仕方ありません。

一応兄弟のようなものですから心配はしているのですが…

<<それが、大乗の始まりであると思います。>>

そうなんでしょうか。以前の教えを否定するものすらあるきがします。

<<「何かを「仏法」とするなら仏陀が語られたものと参照し、論理的理性的道徳的に矛盾がない、ことが条件にあった気がします。」もちろんその通りですね。>>

本当に大事なことですよね。
道徳的論理的理性的現実的実践的で矛盾がないことが仏法の核だと感じています。

<<これについても、仏教の歴史から言えば最晩年に成立を見た「密教」でさえ、お釈迦様在世の時からパリッタ(防護呪)が認められていたことからも、当時からその芽生えがあったものと考えられます。>>

「道徳的・論理的・理性的・現実的・実践的・矛盾がない」この範囲を越えなければ問題のないもでしょうね。越えなければ。

<<そういった意味では、誰かが意図的に変えたわけじゃなくて変化しちゃうものなんじゃないかと思うんですよね。>>

パーリ語の経典も変わらぬように努力しているが大きな歴史の波によって経典事態が全てなくなったり(可能性は低いですが)、具体的な実践方法を伝えてきた方々がいちど全て途絶えてしまったり(比丘尼も独特な伝承などがあったかもしれませんね)、言葉の問題で(パーリ語自体は単語の意味が狭く、同じ事を幾多の言葉を使って喩えたりしていますのでわずかなものだと憶測しますが)解釈が変わったり。パーリ語自体読める人間がいなくなったり。文化が古代と大きく変容し、喩えなどの解釈が困難になったり…そのようなこともあるでしょうね。

なんにせよ自分の可能な限りの理性を持って数多ある教えから、納得がいくものを探して、噛み砕いて、実践して確かめていき、それを真理と結びつけず、「この範囲でこうだったからこう思う」と真理の護持の態度で「他は全て間違いだ」と言う態度はつつしみ、挑む。それがパーリ語仏典の示すところの「信」の持ち方だとおもいます。

いろいろな信があるとは思いますが、共に精進いたしましょう。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

<<「変化する」というのは、あくまで意図的に「変化させる」のではなく、なんとなく「変化しちゃう」という意味です。>>



<<「出来る限り変えないようにしようと言う努力を積み重ねている、テーラワーダの考え方に賛同しています。」大乗とて同じ立場です。>>

それは知りませんでしたw

…分裂直後のお坊様方の戒律や瞑想などの実践と今の(多くの)大乗の方々との実践はどのぐらい変化しているのでしょう。私には知る機会がないですが…。

「大乗とて同じ立場」と言うことは、大乗にも分裂...続きを読む

Q19平方メートルって何畳?

19平方メートルって何畳でしょうか?

おそらく11畳半ぐらいとみてるのですが。
畳の大きさはごく一般的な大きさです。

Aベストアンサー

畳一枚は0.91*1.82=1.656...m2
なので
19/1.656=11.4...

なのであってるとおもいますよww
以上ww

Q小乗仏教と大乗仏教

小乗仏教と大乗仏教ついて、他の資料や、既出の質問と回答などは読みました。
ちょっと詳しすぎて、長文すぎて、分かったような分からないような、分かったような?

ほんの、ポイントを1つだけでいいのです。
「小乗仏教は、おのれの内側から悟るもの、大乗仏教は“ご利益がありますように”の他力本願。」
これ正解ですか?

Aベストアンサー

小乗とは小さな乗り物。自分のみ悟ればそれでよし。
大乗とは大きな乗り物。自分の悟りを他者にも分け与えようとするものです。
故に自行化他、自利利他の教えと言われる所以です。


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