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・黒人女性のごときプリケツ(出尻)。
・O脚ではない。
・豊かなバスト。
これらは現代日本では、”スタイルが悪い”とされるですか?

A 回答 (2件)

多くの日本人女性は、


おそらく、なれるものなら
・黒人女性のごときプリケツ(出尻)。
・O脚ではない。
・豊かなバスト。
になりたいと思っているとは思います。
でも、それらは多くの日本人女性にとって
整形以外の方法では難しいことであり、
「ガリガリのろうそくのような体型」
は、一応努力すれば誰でも可能なのでそうなります。
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 スタイルの良し悪しは、それを評価する人の立ち位置による評価と捉えるべきと思われます。


 質問者さんが「そんなののどこがいーのぉ?」と感じられたようなスタイルの女性は、ファッション・ショーやVOGUEなどのファッション誌において、商品であったりデザイナーやブランドが打ち出したコンセプトを際立たせるためのツールとして選ばれた体型であって、生身の女性としての評価とは異なっているものと捉えるべきでしょう。

 古代から現代までの芸術作品における女性の肉体の描かれかたで、腰と臀部の比率はほぼ一定(♂は子育てに適した年齢かどうかをそれを指標に判断しているらしい)だった、という研究もありますし、生物として好ましいと感じる体型と、文化的(というか産業的というか)に望ましいとされる体型に奇妙な齟齬が生まれたのは、両者の評価のものさしの場所が異なっているのに、なんだかそれが商業メディアの訴求と、わたしたちの生活がどんどんお上品になっている(女性の体を露骨に品定めする御仁なんてそういませんよね)ことが交錯して、少なくとも二本あるはずのものさしがあたかも一本のものさしであるかのような錯覚を覚えさせているのかもしれませんね。

 そういえば、江戸中期-後期での美人の定義には、いまでいうなら胸のない(自称Dカップなんで)久本雅美さんのような容姿なんてのも含まれていたんですから、下品なものいいですが生物としてソソる体型と、文化的なお約束で好ましいとされる体型との間には──豊かさを変数として文化的お約束と生物としての感覚との距離を定義できるとすれば──つねに差異が生ずるということなのかもしれず、物質的に貧しい社会においては生物として求められる肉体と文化的に好ましいとされる肉体との差異が小さい(分かりやすくいえば太ってる=美人という図式です)ところからも、いわゆるモデル体型というのは文化的お約束がたまたま具現化した、もしくはそうした生物としてはちょっと難がある個体でも死なずにいられるほど物質的に豊かな社会にその個体が属している証左であると考えるべきものかもしれませんね。
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