天使と悪魔選手権

こんばんわ。質問させてください。

「縁」というものが、最近気になります。

身近な人に「縁」があった話を聞くと、初対面のときは知らなかったが実は知り合いの知り合いだったとか、むかしどこかで会っていたとか、親同士が実は知り合いだったり・・・とか、そんな話を聞きます。
縁のある人とは、なにか共通点がある相手なのかなあ・・・と思います。

また、本当に縁のある人とは、会えばすぐに分かる。会えさえすれば、トントン拍子にくっつくと聞きますが・・・本当にそんなものなのでしょうか??

A 回答 (6件)

上手く説明できるか分かりませんが、『縁』というのは単に昔の知り合いと再会するとかいうレベルを超えた、もっとずっとスケールの大きいことのような気がします。

そうですね・・、天のお導きでそうなるようになっていたというか、神様が(いればの話ですが)構成した図式のとおりに物事が運んでいくと言うような・・。で、最後は納まるところに上手く納まる関係を『縁があった』というような気がします。

私と主人は大学時代に付き合っていたものの、卒業後はお互いに別々の土地で別々の道へ・・。年に1-2回ほど文通(当時はメールなどという便利なものはありませんでしたので)をする程度で4年が過ぎた頃、色々な状況が自然に組み合わさって予定外の再会。それを機に再度お互いを意識するようになり、一年後に結婚しました。再会時は偶然にもお互いにフリー(恋人無し)で、過去に喧嘩の種となっていた彼の喫煙も止み、二人とも安定職・収入もあり気持ちに余裕があったせいか、何も障害がなさすぎて逆に気持ち悪いくらいでした。学生時代は喧嘩も多かったのに、4年後のあの時は本当に天にコントロールされているかのように自然に話が進みました。「これって縁だったんだなあ」と心底感じたのを覚えています。15年経った今も変わらず幸せに暮らしています。

太古の昔になりますが、中学時代にずっと好きだった人とその後何度待ち合わせをしても必ず行き違って会えなかった・・、あれは絶対に縁が無かったのだと思います。進んだ道が違いすぎて、万が一付き合っていてもおそらく不幸になっていたと(今振り返ると)思われるケースだったので、誰か(神様?)がタイミングをずらして助けてくれたんだと勝手に解釈しています。

まあ『縁』といっても腐れ縁とか、良い縁ばかりではないかも知れませんけど、そういうのって何となく前世の行いとか因果からくるような気がします。ちょっと宗教がかって聞こえるかも知れませんが、特定の宗教に基づいた見解ではありません。今まで生きてきて、自分を含めた色々な人の人生を見てきて、何となくそう思う・・ということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

縁といっても、ひとくくいにはできないということですね。親子関係も、前世の因果からといえば、とても強い縁があってのことだと思います。
よく街でばったり会ってしまう人がいますが、あれも考えれば腐れ縁なのかもしれないですね・・・。

お礼日時:2009/07/12 19:13

すべては繋がっていると思います。

会えばピンと来ます。
反対に縁のない人は会ったときから生理的に受け付けない感じがします。本能的にそう感じるので、理由はわかりません。

「岩満羅門の超霊力・予言力」結婚縁と相性 より

男女の縁なんて偶然のものだと思っているとしたら、「偶然」で、一生を共にする人を決めてしまうのですか?
男女の間の相性や縁は、簡単に考えてはいけません。

「縁」は、偶然ではなく、成るべきして成る必然性の高いものであります。諺にも「袖ふれ合うも、他生の縁」と言われ、「縁は異なるもの」とも言われます。
辞典の広辞林には、「【縁】男女の縁は不思議で、常識では判断できないものだ」と書いてあります。
縁は自分のことだけでなく、他人との結びつきによるものですから、偶然的に考えることは危険なことです。
ここで、「縁」というものを、「色彩」に置き変えて考えてみてください。
男性が持っている「縁」を白の色とします。そして、女性が持っている色を赤とします。もし結婚すれば、赤と白ですから夫婦色は「ピンク」になるでしょう。そこでお二人の縁はピンク色を示すのです。無論、男性の白が強く女性の赤が弱ければ、赤色の淡いピンクの夫婦色になります。女性の赤色が強ければ、濃いピンク色の夫婦になります。
もし男性が紫で、女性が黒なら、一体どのような色になってしまうのでしょう。
男性がブルーとグリーンの色で、女性が茶色と朱色であったなら、夫婦としての色彩は何色といったらよいのでしょうか?混ざり合ってはいけない色彩(縁)が、存在するのです。単なる恋愛と思っていても、たった一度の恋愛の「縁」が悪ければ、一生嫌な思い出にもなりますし、その恋愛の経験が、人間不信に繋がり、それがゆえに新しい素敵な人が現われても、見逃してしまったり、見送ってしまうことがあまりにも多いのです。
人生で幸せと思うことは数多くありますが、恋愛も結婚もあまりにも大切な幸せの基点であります。
一年間に離婚する夫婦は数多くあります。どんな夫婦でも、最初に離婚のことなどは考えてはいません。しかし、「縁」というものの法則は存在しています。『結婚縁』を調べ、『相性』を調べて結婚することが、人生でいかに大切なことかを認識してください。最良になる「縁」に出合えるのは、自分自身にも大きな「縁」の責任と「人生運」「異性運」が存在しているのです。
「縁」は、次のように種別されています。・・・

つづきは検索してお読みください。
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30代既婚者♂です。


私も今、縁というものに深く共感しているのですが、
私自身、先月入籍した妻と出会ったのは5ヶ月前でした。
それまでの12年間を、別の女性に思いを馳せて生きて
いました。
生きる楽しみも見出せない毎日に、少し諦めにも似た感覚
でしたが、妻に会った瞬間に、この人だと分かりました。
それからの私は迷うことなくアプローチして、
トントン拍子に結婚へと進みましたね。
妻とはなぜか懐かしい思いというか、ずっと前から知って
いたような不思議な感覚を覚えました。
ですが、妻の親族と私の親族の共通点は何もありません。
ですから縁というのは、そういうことでは無いと思います。
人生において、出会うべき人とは、最高のタイミングで出会う
ようになっており、そこでその人がどう判断するかが重要なの
かもしれません。
運命の人が生まれた瞬間に決まるということではなく、
ある程度の出会う人たちは決まっていて、その多くの人の
中から、結婚する相手を見つけるものかなって感じます。
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縁って出会った人すべてとあるものです。



縁の中には最初は対立しあっていたのにいつの間にか仲良くなっているみたいなものだってあります。
もの凄く困難に満ちた縁もあります。

ごく一部の縁の話しを聞いて、それが縁だと感じているようですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この世で出会う方、すべて縁があって・・・ということでしょうか。
確かに、出会う人には限りがあると思います。
縁といえば、縁だと思います。

お礼日時:2009/07/12 19:15

自分は見えない力をあまり信じません。


かといって無神論者というわけでもありませんが。

結局そういう意味での「縁」という言葉は、
偶然の出来事に無理矢理理由付けするためのものだと思っています。
うまくいけば「縁があった」
うまくいかなければ「縁がなかった」
人間が自分の脳で論理的に納得するための、便利な言葉だと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人間が自分の脳で論理的に納得するための、便利な言葉だと思っています。

私もどちらかといえば、そういう考えの人間です。
運命の人は後付の理論ではないかと・・・。目に見えない者は、なんとも判断できないですね。

お礼日時:2009/07/12 19:14

うちの夫婦は仕事も生活も居住地も全く違い、共通の知り合いも


ほぼ皆無だったのに出会って結婚しました。
あまりに共通する所がないので、逆に「縁」と呼ばないと説明が
つかない出会いだったと思います。

でも、出会った時はぴんともこなかったしトントン拍子に
くっつきもしませんでしたよ。(交際3年で1回別れました)

「ビビビ!」なんて感じた人しか言わない話ですしね。
感じてない人は言わない訳ですから、そういうドラマティックな
話だけ耳に入りますよね。
そういう事だと思います。
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。

やっぱり縁って、結果論なのかもしれませんね。
人それぞれなのかも・・・

お礼日時:2009/07/05 21:36

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