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何時頃からでしょうか?
練習中の水分補給がタブーから有効へ。

小生60歳ですが、私の青春時代には練習中に水を飲む事は危険・有害とされタブーでしたが、何時頃からか身体への適度な水分補給は大切・有効となって来ました。

Q:これは、今ではスポーツやジョギングで常識のように思えますが、切っ掛けはどのような事由からだったのでしょうか?
貴方の体験・情報・推定理由等、なんでもお教え下さい。
[スポーツ医学の発展、アルカリ飲料&スポーツ飲料の開発や普及、欧米では常識だったのが知織輸入されたetc]




因みに私が体験した事例では:柔道(35~50年ほど前)

◇練習中に水を飲んだら、道場で練習時間中、直立して立たされていました。
<そんなに飲みたければと、一度は横のプールへ柔道着のまま放り込まれました。柔道着が濡れると重く身体にまつわったり、帯が解けたりして溺れそうでバタバタして水を思いっきり飲み咳き込んだ記憶があります>

◇道場でタバコを吸ったら(高校生でした)、※引き回しにあいました。
※乱取りを上級生や有段者と約3分×連続10~15人に行い、投げられ倒され締められ、畳から立てばすぐに払われ刈り取られて、フラフラになって畳みに這い蹲る状態になった。
<二度としないと思いながらも、道場以外では、それでも懲りずに吸っていた、あの頃は我ながら悪童だったなぁ~>

A 回答 (3件)

【40代男性】です。



高校時代は集団行動が苦手なせいもあって夏休みの度に自転車で40日ほどの旅をしていました。

その前段階の中学時代にGatorade(綴りが違っているかも・・・CMで耳で覚えたので。^^;ゲータレードのことです。)がスポーツ店で「運動中に飲める飲料」と売り出されたのが分岐点だったような気がします。

その時代の中学生が理解できることが部活の指導者である大人が理解できないとは考えにくく、その時代においては精神論、根性論も含めて集団生活の秩序を乱すことを懸念して敢えて個人のペースによる自由気ままな水分捕球を禁じていた指導者も多かったのでは無いでしょうか。

ある意味、私はそれが正しい形だと思う部分もあります。
昨今の高校スポーツ選手の練習中、試合中に地べたに座り込んで見られている立場にあることを意識していながらもペットボトルの飲料を呷る姿には集団競技をやる者、集団の代表としての姿勢として似つかわしくないものを感じます。
(「今時の・・・」はあまり言いたくないのですが、正直なところです。)

水分補給に関しても罰を含めたしごきにしても指導者がそれをするということは常に集団の一人一人に目を配り、与えるべき時は与える、止めるべき時には止めるという見極めをしていたわけで、個人の好き勝手にやらせていた方が楽なのは当たり前なのですが、それをすることによって集団の秩序を守り、上級生にここまではやってもいいというラインを教えるためには有効だったのでしょう。

ちなみにちょっと調べたところ、部活中の不幸な事故の件数は1982年よりも2005年の方が増えていました。

私自身は炎天下の自転車走行時には指定よりも2倍くらい薄めに作ったポカリスェットをボトルで補給し、身長が高く一人旅ということで誤解されることが多かったのをいいことに宿泊先のユース等で大人の方に誘われるがままに居酒屋に連れて行ってもらい生ビール飲みながら煙をくねらせていた妙に健全で活動的な不良でした。(笑)

マスコミが作った法律、ルール至上主義の現在では大問題児になること間違いないでしょう。

長々と駄文+「昔は悪かった話」(今の方が悪かったりもしますが。^^;)失礼いたしました。
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この回答へのお礼

楽しく懐かしい香りがする情報・回答を賜りまして誠にありがとうございます。

ご指摘の光景やご意見は共感する所大であります。
適切な表現・語彙が浮かんできませんが→憎めない、チョッピリ不良ポイ、それでいて弱い物いじめは絶対にしない、バンカラ・ワル・番長(仁侠映画の学生版主人公)のような、学校やクラス・クラブに必ず居た人気者の存在・活躍だったように思います。

水の補給や飲み方にも時代や感性があり、スポーツ競技によっても異なるようですね。
自転車旅行のエピソード・体験目撃談は非常に興味深く、心がくすぐられ、思わずうなずき・納得、手を打ってしまいました。

楽しいご回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/08/15 17:29

いずれにしても人間としてめちゃくちゃですね。


恥ずかしいくらいです。
意味はともあれ自由が認められにくい時代をしがらんでいた連中のやることでしょう。
意地汚い日本古来からの精神を観ます。

実際今の世ではそんなことして責任も取れないくせにおせっかいで迷惑で止めてくださいといって止めなきゃそんな輩警察にでも連れて行ってもらいたいね。

50年後100年後はずかしくないかどうかなんて考えてもいなかった若き短絡的思考、皆がやってれば自分もやるみたいな主体性のなさ。

めっちゃくちゃ。精神も進歩しなくてはね。悲しいばかりです。

もしそれが原因で死んでしまったら、潔白に逃げもせずに堂々と責任取れるところまで貫いたとしても 傷害容疑 殺人未遂 殺人 初めからそんなあほ選択してることに気がつけない愚かしさ。

人間を軽率に扱っていることの現われ。 
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この回答へのお礼

中々厳しい回答・情報を賜りましてありがとうございます。

別に異論や反論をする積りはありませんが、私の場合〔同世代と勝手に言うと誤解も生じますので〕は、その精神論・スポ根・シゴキ自分の為に心身を鍛えて頂いているのだと当然のように受け止めており、多くの場合、納得もしていました。

古き良き時代、おおらかな体育会系〔師弟・先輩後輩・同僚〕の結び付き、皆が同じ価値感・認識・風土を共有していたのかもしれません・・・。

また、幸いにして、不幸な事件・事故、警察沙汰の不祥事や変なモンスターペアレンツも存在してなかったように思います。
正に、皆んな、名も無く貧しいけれど、国も社会も私達も、胸に希望と夢を持って、前に向かって、明るく元気に懸命に生きていた時代でした。

お礼日時:2009/08/15 17:18

>Q:これは、今ではスポーツやジョギングで常識のように思えますが、切っ掛けはどのような事由からだったのでしょうか?



30年前の高校の部活動では、すでに適度な水分の補給は推奨されていました。
その前の中学時代はあいかわらず前時代的に水は飲むなでしたが、
しごきといじめを混同しているような倶楽部でした。
高校時代のほうがはるかにきついトレーニングを課せられていましたが、
あくまでも個々の体力の限界をやや越える程度を目標にやっていたので、
最初はゆるやかに、最後は自然と体力がついた感があります。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りありがとうございます。

なるほど、私の現役時代の少し後からですか・・・
確かに、今思い返すと→監督・コーチの指導方法も精神論・しごき中心から、ソフトに理論的にと徐々に変化しつつあった記憶、原体験が甦って来ました。



また、narara2008様のご回答からの、連想&勝手な推論ですが、その頃から?と思いますが~

◇市民マラソンやジョギングが目立ちだして、個々人が水分補給をしていた。

◇マラソンレース・テニスやバレーボール試合等のスポーツ中継がテレビに多く放映され、その画面で選手が水分補給・スポーツ飲料を飲むシーンが良く映し出されていた。

◇日射病と言われていたのが、熱中症とか脱水症状と呼ばれるようになり、水分補給の有用性が話題に上りだした。

「ポカリスエット」「アクエリアス」等が発売・普及しだしたのはこの頃だったかなぁ~
または、水分補給の大切さ啓蒙が普及の切っ掛けになったのかなぁ~

と、改めて想い起こして、懐かしさや疑問が・・・

お礼日時:2009/08/15 10:25

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