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競争社会では「感受性」って必要ないですよね?
むしろ感受性高いと邪魔になると思います。
たとえば誰かが苦しんでいるのを見て、すごくそれに敏感に反応して共感したりしてたら、競争社会ではおいてけぼりをくらいますよね?
感受性が強いということは、人生の暗い面も、人間の汚い面も、敏感に感じ取ることになるので、それってつまり、感受性が高い人間ほど心理的に苦しむことが多くなるということではないですか?
「苦しんだらそれだけやさしくなれるよ」みたいな慰めは実質何の役にも立ちません。
芸術家になるのなら感受性は必要でしょうが、そんな職業に就く人間は一握りで、たいてはサラリーマンです。サラリーマンとは社会の荒波、競争にもまれる立場です。そこでは図太さと鈍感さ、合理主義的価値観と、効率などが要求されるのであって、感受性が高い人間はむしろ、心理的に不安定になりやすいということで邪魔者扱いされるものではないかと思います。
私は何かにつけ過敏なので、自分の感受性が憎いです。正直邪魔です。感受性なんてたいして役に立たないです。
対人関係では対人感受性が必要だよとはいわれますが、それでも感受性が高すぎると相手の嫌な面、対人関係での些細ないざこざにも強く反応してしまい、いい関係を築くところではないです。鈍感なほうがむしろいい人、安定した人として好かれると思いますし、実際そういう人のほうが友人も多いです。

感受性って現代では必要ないです。邪魔です。
産業革命以前なら効率よりも感受性のほうが必要とされていたと思います。和歌を詠んだり、手紙をしたためたりすることでその人の教養の高さが判断されてたわけで、そういう時代ならばセンスとか感性が重要視されるでしょう。
でも経済発展が第一とされる現代ではもはや合理主義にとってかわられ、感受性は必要とされていません。

この認識間違ってますか?

A 回答 (12件中11~12件)

<<私はこれといった特技もないため、芸術や勝負事の世界に身を置くことはなく、たぶん一生ルーチンワークをこなす人生になるはずです。


だから、やはり感受性は邪魔になってくると思います。>>

再度の回答になります。今を生きるということは、少なからず単純なものの連続でしょう。この枠をはずれては、生きていくのもむつかしいものになっています。
異業種交流ということで、まったく関係のない会社同士が、お互いの会社を訪問して、意見交換をするのですが、日本で一番の自動車メーカーに行ったときのことですが、製造現場は世に有名なカンバン方式といわれるものが、幅をきかしていました。単純な工程でも、(乾いた雑巾をしぼるがごとく)カイゼンというものにとりくまなけれはならないそうです。確かに、その手法で世界に冠たるものを創り上げてきたのでしょうが、どこでも同じなんですが、提案等の改善はカイゼンのためのカイゼンになっていくものなんです。それをそうさせないためにはどうするか、わたしの質問に、熱意と感性と言われたことが、妙に心に残っています。振り払っても、振り払えないものなら道連れに連れて行ってやってください。仕事だけが、すべてではありません。その道連れ君と遊ぶ時間を作って、もし開けてくる世界があるとするなら、それもいいじゃないですか。この世のことはすべていとおいしいものなのだそうですから。 がんばってね
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間違ってないよ。


ただね、間違っている・間違っていないと問う前に、この質問でも結局自分に賛同する意見にしか肯定的な返答できてない質問者さんって、ホントに感受性もってるつもり?って感じですね。
仮に感受性はあるとしてもそれを自己反省のほうに回せないから生きづらいのかもね。どっちにしろ結局自分好きなんだよ。
上手に感受性と付き合えるようになってくださいね☆

※Sense of Inferiority を増幅するような対応とは縁を断ちましょう。
Sense of Superiority は逆転したSense of Inferiority なのです。
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