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人類は長い間、社会的な仕事は男性がやり、家庭の中の仕事は女性が受け持つという分業が基本的であった。
しかし、20世紀半ばくらいから女性の社会参加が著しくなり現在に至っているわけだが、女性の社会進出を否定する考え方はないだろうと思うが、男女の感情のもつれが生じ、それが原因で冷ややかな社会になっていると思う。

しかし、出産は勿論、育児、家族の世話という重要な仕事は明らかに女性の方が適している。だから、これまで男性がやっていた仕事を女性がやるというだけの変革なら、人類社会全体を考えると効率的でないと思われる。

結婚する意志のない女性が増えているようですから、女性の経済的自立ということを考えれば、全体的効率などを考慮している猶予などないと言える。

だが、このままでは男女と言う新たな競争軸が加わり、男女故に感情のもつれが更に生じ、効率性の低い殺伐とした社会になってゆくであろうと思う。

そうした時代の流れの中で新たな社会像の構想が生まれるべきかと思う。

学問の分野で言えば「社会学」ということになるのでしょうが、学問ですから具体的なものよりも理論的なことが述べられることが多いですね。

この「詰んでいる」と思われている問題について、何か新しい考え方や、具体的なアイデアなどはないでしょうか?

A 回答 (10件)

もう一度説明いたします


類人猿のオスは子育てには参加していません。故にヒトの祖先である類人猿のオスも子育てしてなかったと考えられています
それはつまり類人猿においてはシングル・マザーだと言う事です 
とはいえメスにとってはそれは非常にリスキーな状態。何しろ我が子を他の肉食動物から子供を守るだけではなく同じ群れのオスの子殺しからも守らなければならないからです
そんなリスキーな状態を解消すべくヒトのメスがとった画期的な戦略それがオスを子育てに参加させることでした
その為にはお目当てのオスに対してそのオスとしか交尾しない=そのオスの子供しか産まないことを条件にそのオスに子育てを参加するように約束させたのです
因みに最も古くに存在していたヒトにおいて既にオスが子育てに参加していたと考えられている事からその約束の始まりヒトに進化する前だったと考えられています
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男女の仕事の違いは、社会の半径の違いと、その径内の人口密度の違いかなと思います。


男性は、どちらかというと外交的で、女性は内政的なのかなと。

集の外に出向いて狩りや交渉を行う仕事で、半径長め、密度低め。
集の内に居て採集栽培や自治(政)を行う仕事で、半径短め、密度高め。
この場合、男は真っ直ぐが良く、女は柔軟が良い。
可視光線の波長で言うと、男は赤(長い)、女は青(短い)ですな。

そんな分担があったのかなと。

なので、日本の政治も、内政の事に関しては女性議員に出て来てもらい、
外交の事に関しては男性議員に出て来てもらうと。

すると良い国家運営が出来るかもしれないという空想をしました。

あとは、女性は情に響くものが好きで、男性は実用に耐えるものが好きというのがあると思います。

かわいいなんてのは何の役にも立たないですが、人あたりが良い。
スマートなのは実用的であることが多いですが、人を選ぶ。

男性は役に立ってなんぼ、女性は理解があってなんぼ、みたいな分別があるのかもしれません。それはそれで殺伐としている気もしますが。。

男らしさとか、女らしさと言うのは昔よりもよりくっきりとした、より奥まったものがむしろ要求されているけれど、白人の持つ差別意識のもたらす罪悪感からか、訳の分からないポリコレとかが出しゃばって来てて、その要求をごまかそうとしているように見えます。

結局モテるかモテないかで判別するしかないのではないかと。
モテが正義と言う事です。

男らしい人は今でもモテますし、女らしい人も同じだと思います。
ただ、個人の人間性はそれらよりも重要で、より人間らしい、整った人格が優先されるので、LGBTやジェンダー含めて、人格に優れていると言う事は無条件に要求されていると思います。

なので、

・人格が優れているか?
・性的魅力に磨きがかかっているか?

この二点を基準にしていけば、誤魔化しは通用しないと思います。
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生き物が繫栄する為に必要なのは、適者生存(生物は、環境に最も適したものが生き残り、適していないものは滅びるということ)です。


人がどんなに文明の力をかりて環境を変えようとしても限界があります。
人口が減少している国は、これに逆らっているだけです。
人は地産地消するのが、正しい。
日本が外国の真似をしても、日本の風土には合わない。
アフリカは、多産多死で命を繋ぐことができています。
欧米の環境ではない国々が真似をして平等を唱えても、繁栄などありえない。
地球の環境に必要なのは生物多様性、地域環境に合った文化でしか生き残ることはできないでしょう。
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人口は、古代農業文明の発達を契機に爆発したわけですが、女性は文明化前も後も出産育児と家事ばかりしていたわけではありません。

力仕事は男性が主に担っていたにしても、機織りなど女性の力でもできる仕事はやっていたわけです。

それはそれとして、何故人口が増えたかと云えば、食料生産の拡大、食料備蓄の拡大で、自然調整されていた人口が、不自然に倍々ゲームまたはそれ以上に拡大可能になってしまったからです。
その結果、女性は出産育児と家事だけで膨大な仕事に追われることになってしまいました。この時期が人口大爆発の時期であり、女性の主婦専業化の流れになります。

そして、人類は次のステップとして、人口は大幅に増加したけれど、農業人口はそれほど必要ないという段階に進みました。
この余剰人口が、商工業へと向かい、さらに情報産業など多くの産業分野を生み出すことになります。そして今度は逆に男性だけでは仕事が回せないという話になったわけです。

この流れが、女性を家に閉じ込めた時代から、女性の社会進出時代へと向かわせました。

家の中にいてひたすら出産育児していた女性が、社会進出したわけですから、少子化社会になって人口が減少するのは当たり前の話になります。

今後、どのように展開していくのかは不明ですが、今の社会現象は、増えすぎた人口問題が産業の多様性を生み出し、その結果として逆に人口調整効果をもたらしているように思います。

ある意味、少し前までは人口爆発をどうするかが大きな問題でしたが、それを解消して人口減に向かうように人類が自ら社会を変革しているかのような話です。

この少子化問題を新たな問題と捉えるのか、人類にとっての慶事と捉えるのか。視点は色々あると思います。
私は、これを人口問題であると同時に地球環境問題・SDGsの解決にもつながる慶事と捉え、適正な規模まで人口が縮小していくまで、どのようにソフトランディングさせていくか。
そのような視点で、今後の社会を考えていくべきではないかと思います。
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まず女性の立ち位置に関して歴史的な状況を共有したいと思います。



原始時代 この時代は人間が生存するために「出産・育児・成長」が非常に困難な時代で、世界的にみても「母性をたたえる」社会構造になっていました。
 食料供給自体が不安定で、生まれた子供が成長するのに十分な食料がなく、そのために集落の大きさも数十人程度と小さいものであり、子供を産み育て、集落を維持するのが最も重要なものであったわけです。
 この時代の女性達の権利は少なくとも男性に劣らないものでした。

古代 農業が発明されると、狩猟社会よりは確実に食料が生産できるようにになり、農業技術の発展と共に生産に必要な人口よりも収穫物で養える人口が大きくなったために、余剰人口が発生します。

これにより、古代的な女性の地位は下がり始め、また余剰人口は兵士を産み階級社会を産みましたので、戦争に行かず「男達が守る国(社会)で子供を産む」女性達の地位はかなり下がっていきます。

たとえばローマでは紀元前後に、女性達は諸権利を失い、のちのキリスト教の布教などにも「女性は男性よりも一段低いもの」として扱われるようになります。

中世は地域によっては多少の復権はあったものの、女性の権利が男性と並ぶようになるには、階級制度の崩壊や奴隷制の否定の後であり、産業革命以後の「農業に従事しないでも生きられる社会」の発展と共に女性の権利が復活していきます。

今は、階級平等・人種平等などがある程度達成され普遍的な価値観になったからこそ男女平等も成り立ち、さらにLGBTQなどどのような《性自認》でも平等に権利を認めよう、という所まで来ているわけです。

>社会的な仕事は男性がやり、家庭の中の仕事は女性が受け持つという分業が基本的であった。

世界的にみてこれはその通りなのですが、しかし「どうやって分業したか」については、違いがあります。
 たとえば欧米では女性解放まで女性の財産権・契約権・相続権を否定しており、家事をするにしても財産権が無い女性は家計管理はできない、育児をするにしても契約権がない女性は子供の将来(家庭教師を雇うとかどこの学校に入れるか)を決めることはできず、すべて男性が決め女性はその指示に従って家事の実務だけを行っていました。

女性にも男性と同等の権利を与えたのが女性解放とよびます。

また男女平等を求めるフェミニズムは、女性解放以前の状態を家父長制:Patriarchyと呼び、いまだに女性差別は残っているとして「家父長制の完全な解消」が男女平等の究極の目標である、と示しています。

参考 https://swashweb.net/2021/07/12/post-906/
共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」

またイスラム教の国では原理主義になればなるほど、女性の諸権利を否定します。つい最近タリバンが支配を実行したアフガニスタンでも「女性は布を被ること、被らない女が居たらその夫または父親を罰する」としました。
 つまり女性の自立的な権利を認めず《女は男に隷属するもの》として扱うことを宣言したわけです。これが家父長制です。

日本の場合、面白いことに欧米のような家父長制はついに成立しませんでした。日本は律令制の時代には男女平等の権利を有しており、財産権・契約権・相続権を失ったことは一度もありません。(ただし明治の西洋化で一部制限は受けました)

このため、日本では男女同権のままでの分業が発達しました。つまり「武力で物事が決する社会において女性が不利なのは明らかなので、家族という単位が権利の主体であり、その上で男は外と交渉または労働を行い、女は内で家族を養い家計を管理し家庭経営を行う」というものです。
その例で提示できるのは
・武家の家督継承は必ずしも男子に限られていなかったこと
(井伊直虎、立花誾千代など女城主は複数存在する)
・男子が出兵できない場合、女子が出兵した
(古戦場後からは女性兵士の骨が3割ぐらい出土する)
・商家の家督は女性が相続することは多数あった
(旅館など何代も女将が続いている家系がある)
・女紋が存在する
(特に西日本では、家督(男性の家系)とは別に女性が受け継ぐ紋と財産がある)
・日本の妾制度は必ず正妻を必要とする
(女性に財産権がないイスラムの一夫多妻制は、すべてを男性が決めるので、どの妻が産んでも《夫の息子》だが、日本では側室や妾が産んだ子供は一旦《正室の子供》として養子縁組しないと家督を相続できなかった)
・大奥を含め、日本の家庭における家計管理は正妻を責任者とする女性達が管理していた
・日本の女性は、家計管理や家庭運営における契約の必要性から、平安時代から読み書きそろばんを習っていた
(だからこそ紫式部などが現代に残る物語を作ることができた)
などです。

>出産は勿論、育児、家族の世話という重要な仕事は明らかに女性の方が適している。だから、これまで男性がやっていた仕事を女性がやるというだけの変革なら、人類社会全体を考えると効率的でないと思われる。

上記に書いたように「男性がやっていた仕事を女性がやる」という言葉の意味が欧米と日本では異なっています。

欧米の場合、この言葉は「男性と同等の権利を有した女性は、当然に同等の仕事ができ、同時に同等の社会的義務も負う」という意味で、家事や育児というのは「誰にやらせてもいい」という前提の社会になっています。

実際、欧米では家政婦やシッター・ナニー(乳母)と呼ばれる職種が存在し、子供を産むこと自体は女性だけの仕事だとしても「育てること」や「家庭を運営すること」は女性だけの仕事とはされていないのです。

なので、欧米では日本ほどは「男女と言う新たな競争軸が加わり、男女故に感情のもつれが更に生じ、効率性の低い殺伐とした社会」にはなっていないのです。

日本の場合、上記で書いたように「家庭運営は女性の権利」であったことから「男性がやっていた仕事を女性がやるというだけの変革」というのが当てはまります。

つまり日本の女性達は「家庭の運営権を手放なさないようにしつつ、男性と同等の権利を欲する」という行動様式を表しているのであり、その結果生じるマイナスの効果は「男性に対して家事権を譲らないのに、家事の実務を分担させようとする」ことと「男性がもつ社会的な権利は得ても、男性と同等の義務は負担しない」ということになります。

これがいわゆる男女平等ランキングに現れる日本の順位の低さになっています。

>この「詰んでいる」と思われている問題について、何か新しい考え方や、具体的なアイデアなどはないでしょうか?

まずは「欧米の男女平等と日本の男女平等は様相が違う」という点を整理する必要があります。
ただ、これをきちんと見直すと、日本のフェミニズムは義務の負担が増えるので絶大な抵抗を示すはずです。

いや、実際にLGBT関連ですでにそれを示しています。
たとえば歌舞伎町のジェンダーレストイレで起きた「女を守ってもらえないのか?」という問題がまさにこの点で、元々欧米では「権利があるなら主権者であり弱者保護や社会が権利平等になるように社会的負担を担う」とされていて、だから個人的な思いはともかくジェンダーフリートイレを許容しつつあるのに対して、日本では「女を保護せよ!」という主張でフェミニズムがLGBT法案に反対しています。

同時に保守も「LGBTは日本の伝統的価値を壊す」として反対しているわけで、保守が求めているのは《日本の伝統的な男女分業》であるわけです。

質問者様が思想的にどの立ち位置に立つのかは分かりませんが、日本の男女平等を解決したいなら「古来より日本は男女分業であり、女の権利は《家庭内で発揮する》という形で担保されてきた」ということを認める必要があります。

逆に、欧米の場合は、ちょっと大変で、まず財産権や契約権などを男女平等(もちろん階級も人種も平等)であることを土台にしたうえで、男女の《違い》を考える必要が出てきます。
 
男女の違いはなにか?といえば社会的な要素でいえば「産むこと」です。
日本では「育てる」ことも女性の権利(義務)だと思われていますが、欧米ではそうは思われていません。

いずれにしても、男女平等を機能させたいなら「産むこと」と「育てること」を分離することです。

男女平等は社会における権利平等であるともに社会維持の義務の平等でもあります。だから女性も男性も等しく「社会を維持する義務」や「弱者を保護する義務」を負わないといけません。

産むこと・育てることを分離するなら、母親は保護する必要があります。男女ともに妊娠中の女性や乳児を抱いた母親は保護の対象である、とするのです。
 逆に「育てること」を男性が担っているなら、優遇措置が必要でしょう。これはすでにある程度成立していますが、母子家庭にくらべて父子家庭はいまだに保護が不十分であるとも言われています。

個人的には世界中全部が「日本の男女分業方式」にするのが男女平等に望ましいと思っていますが、それが無理なら日本を含めて「女性」と「母性」を分離するべきで、女性は男性と全く一緒、しかし「母性」を発揮する個人(産む女性と育てる男女)は保護の対象にする、という社会構造の変化が必要だと考えます。
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そもそもの、女性の社会進出のきっかけは第一次世界大戦のヨーロッパであり、戦場に駆り出された男手が労働現場で極端に不足したため(特に都市部の産業、田舎の農業はそれまでも男女共同参画だったから)、それまで女性には縁のなかった男性労働が割り当てられたということです。


ゆえに、女性の工場工、女性の運転士、女性の教師その他もろもろに進出していきました。これらの女性はもちろん男性が復員すると元の主婦に戻りましたが一部はそこで養った技術を買われ社会に参画し続けました。
なので、究極的には大戦争になり、例えば今のウクライナなどは明らかにこの状況が現れているのですが、男手が不足したところにそれを補うために女性の社会進出があるというのが最も自然であり、摩擦も何もありません。日本でも第二次世界大戦の折は同様に女性の社会進出が顕著になりました(女学生の軍需工場の勤労動員は有名)広島では女性の市電運転士まで現れました。
さて、では戦争がない平和時に、まさに今の日本での男女雇用機会均等法のもとでも社会参画をどう折り合わせるか?という問題につき、私は極端なことを言えば、贅沢をしないという前提で、専業主婦に戻るのも一考です。それが本来の姿本来の理想像です。子育てが丁寧になり行き届きます。でもここまでくれば、女性の社会進出は常識となってしまった以上後戻りはできないのだから、行くところまで女性の能力を発揮するという社会に戸惑いなく突き進んでこれまた何が悪いの?ということになります。
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この回答へのお礼

その昔は、一人の専業主婦が7人も8人も子育てをし、旦那の世話もしていて、これは国家にとって大変に有益な事でした。

こういう形が最善ではないにしろ良い形であり、主婦たちも(母もそうでしたが)非常に溌剌として元気でした。

一つのアイディアとして、出産・育児だけでなく家事に対する相当額の報酬を国家が出す(ヨーロッパなどではどうなのかよく知りませんが)という割と単純なものがあると思います。

そうなれば女性は安定した心で結婚もでき、育児・家事に専念できるでしょうし、男性の収入は大きく減りますが、やはり安定した心で仕事に取り組むことができるようになるであろうと思います。

お礼日時:2023/06/30 13:02

#1



> 「やーい、知らないんだろう」と言うレベルの揶揄はやめましょう。

揶揄ではない。君があたかも「女性は昔から家庭に押し込められてた」的な論法にのっとって論理の組み立てをしていたから、それは前提がまちがっているので、全体がぶれるよ・・・という指摘です

あえていうなら「ミスリードすんな」ってこと
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この回答へのお礼

間違っちゃいないでしょ。

あなたは、入り口に入る前に、些細なことにひっかかって、中に入らないことが多いですね。思索をしたほうが楽しいですよ。

お礼日時:2023/06/30 12:50

本来ヒトのメスはオス同様に乱交的でした


これはより優秀な遺伝子を獲得する為
しかしながらヒトのメスには子育ては非常にリスキーだったのです
それは子供が肉食動物に狙われだけでなくて子供の父親以外のオスに狙われるからです
このリスキーな状況から脱出する為にヒトのメスが編み出した戦略それがオスに子育てに参加させることでした
その為にはヒトのメスはオスに対して下記の権利を差し出したのです
生殺与奪権
社会参加権
知的教育権
これを認めてヒトのオスは子育てに参加したのですがその後子育てをメスに任すようになりました 
これでは当初の約束とは違います
つまり女性に子供を産んでもらいたいなら過去にした約束に従って子育てに参加しなければならないのです
これがわかっていない男どもが多くいるのが問題の根源
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この回答へのお礼

よく理解できないのですが、何か神話的なお話ですね。
何時頃の約束なんですか?

お礼日時:2023/06/30 12:48

そもそも現在の社会構造や婚姻制度は人口的で不自然な男性中心社会で作られたものなので、人権が認められた現代社会にそぐわなくなるのは自然な流れです。


だから欧米先進国では事実婚を選ぶ人が増えたのです。
欧米では若い女性の首相が次々に誕生していますが、国民はそうして社会はより平等に良くなっていると感じています。
実際、女性のリーダーの方が決断力と実行力があるとの統計もあります。
感情のもつれやギスギスというのは、質問等の個人的な感想であり、古い価値観、偏見、思い込み、劣等感などが影響していると考えられます。
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この回答へのお礼

文明の基礎となる学問・哲学も男性のつくったものですから、文明自体が男性脳によるものと言えるのかも知れません。

長い間権力の座に居座れば、精神が腐敗をし公益という感覚がマヒすることは普通だったのだろうと。その点は日本という国は最悪かも知れません。

厳しく言えば、女性は今は使命感に燃えていても、将来男性と同じことにならないとも限らないと思います。特に日本では。

ま、しかし、今のところ今の流れで問題ないだろうということですね?

事実婚にすべきだというのは賛成です。

お礼日時:2023/06/29 13:13

> 分業が基本的



認識があまいのでは?長い間労働集約的な産業では老若男女かかわらいず労働力として資本投下されていましたけど?また近代において工場制手工業が広まってからはより女性・子供の労働投下は増えましたよね
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この回答へのお礼

日本の農家なども女性の労働力比率は大きかったし、世界的にも子供が犠牲で成り立つ産業が存在していたことも知っていますよ。

「やーい、知らないんだろう」と言うレベルの揶揄はやめましょう。

お礼日時:2023/06/29 12:50

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