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「障がい~」という表記を目にすることが多くなりました。
障害のことのようですが、文章の中で突然現れると読めずに一瞬考えてしまいます。
障害の「害」の字が印象が悪いということで平仮名で書いているようなのですが「障」の字もかなり印象が悪いと私は感じます。
本当に配慮するなら全部平仮名にするか、別の言葉を考えた方が良いと思うのです。
書き言葉はそれで対応できるかもしれませんが、声に出して言う場合はそのままなので。
「障がい」に代わる言葉はないものでしょうか?

また、失礼を承知で書きますが実際に体が不自由な方の意見、できればどの程度気になるかも聞かせていただけると嬉しいです。
不快に感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、そういった方からの意見も伺えると嬉しいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

No.3に、すでに「正解」がでているではないですか?



「言葉狩り」などという、「知ったかぶり」回答は、笑うしかないのか?(微笑)

  無知との遭遇?


もう、2年近く経っているのに、何の返事も無い質問者が「不快」です!
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一時期、"障がい"の表記を推し進めている団体さんたちががんばって広めようとしていた


代用語のハンディキャップ、ハンディキャッパーなんて言葉はどこに消えてしまったんでしょうね?
署名を集めたり公演を開いたりずいぶんと頑張っておられた様に記憶しているのですが
いつの間にやら"障がい"の表記を広めように変わってしまいました。

おそらく"障がい"の表記が広まったら、又別の表記が出てくるのでしょう。
この問題は団体さんがいる限り、いつまでたっても終わらないんじゃないかと思いますよ。
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「障害者」という表記が気になるのは そこに障害者だからという扱いや判断 偏見 無理解 排斥が存在するからに他なりません。



元来の語彙は 身体の機能に障害をもたらす後遺症または身体症状を持っている人 の意でしょうが そのサポートを社会が十分に果たせない時に 家族 会社 組合 地域コミュニティ等さまざまなところから区別され 差別され 人格だけではなく尊厳さえ否定される現実があり
「ノーマライゼーション」つまり 社会にかかわる権利が失われます。

これは 誰かに例えば体の動きを妨げるギブスを付けられた人を突然回りの人がみんなで仕事を取り上げ 集まりに呼ばず 話を聞かなくなる事となんら代わりがありませんので まともな事ではないのです・たとえ 周りがそう思わなくても 本人がそう思うのに十分な環境が社会の方にあるという事実は病人やけが人に対する扱いでわかります。
「病気なのにがんばった」 「怪我していても耐えた」 「痛みに耐えてがんばった」 こういった美辞麗句の全ては 症状が治らない上に重大な制限を受ける人間にとって苦痛以外の何物でもない。
(がんばったあとに激痛や発作などの苦痛が10日ほど続くとしたら? 
今ある機能が更に後退して動かなくなるとしたら?そうした人にがんばらせる事は美徳でもなんでもないし 本来健康な人に対しても間違っている。症状を正確に伝えられた人がそうした態度をとる場合、「励ましている」という立ち位置で行なう 「無関心や無責任 責任回避を象徴する態度」でしかない。)

つまり 障害者という名前のままで構わないから その意味=ノーマライゼーションの社会的技術を構築すべきというのが理想だと思います。

その上で 先ず一歩という事で 言葉の印象を変える為に変えているならば 本来的な意味である「ハンディキャップス」 という言葉がなじむと思います。ゴルフをやる人にはわかりやすい。

但し 本人からすると 弱者をねらう犯罪に対して 不思議に寛容な日本の世論があり そのアンチテーゼとして市民運動を過激化させて 溝を深める不毛な問題もあるように思います。

問題の本質は 現在の教育広報では どうやって助ければよいのか?という技術が社会的に合意できておらず しかも個別に違うという性質もある。

具体的には 肢体不自由にも 局部麻痺もあれば 体幹障害もある 神経症状もある その全てに適切な対応を求められても周囲は解からないし 本人にその説明を周囲にする責任があるともいえないので 安全な居場所を提供した上で 必要なサポートを受けられるようにする。
 そのこと自体を全体に周知する教育という物が重要である。

 また法律で何らかの罰則で禁じて履行を担保しても 習慣や常識でサポートの不履行をとがめられない社会であれば それは実効性のないものになる。(席を譲らないなど)

外務省の広報官が事業仕分けで力説していたが
「 プロパガンダではいけないが 工作は各国が大変力を注いでいるので手を抜くわけには行かない。しかもあらゆる立場からの議論を紹介する方が有効だ」と

これはどんな政策にも言えることで 量を求めれば目に触れることが増やせる 内容におおげさなところが多ければ不誠実を広く周知させるに過ぎない。利益誘導型であれば効果は上がるが限定的になる。

こうした手法は 障害者呼称問題に限定するのではなく 全体の解決に向けての一つのステップとして全体的な改革が担保となる呼称の変更であるべきです。そうした意味で あるべき保護を直結させるなら

言葉の表記は その内容に関することになるので 出来れば「優先者」等 周囲の保護を義務付けるような呼称が適切である印象を持っています。
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個人的に、いくら言葉を変えようとも指す意味が変わらないのであれば、何をやっても無意味だと思います。



意識改善というのはそういうことではないと思うし。

「障害」という意味合いから考えて、むしろ今の日本健全な人間の方が圧倒的に少ないわけで。
今多くの人が目に障害を持っています。だから眼鏡やコンタクトを使うわけで。
これだって、正常に身体機能が働いていないのだから、立派に障害だと思いますけどね。

つまり障害者という言葉は単にキーワードでしかなく、どんなに美化された言葉になろうとも、偏見の目などが改善されるとは思えません。

むしろ、障害者に対しての理解を深める工夫をしたりする方がよっぽど建設的だと思います。

しかしながら世の中には「障害」が「障がい」になるというような、些細な事に意味不明な正義(つまり偽善)を振りかざし喚く阿呆がいるわけで。
そして何も考えずにそれに同調して騒ぐ阿呆もいるし。
そういう阿呆を抑えるためにそうなったってだけだと思ってます。

実際、「障害」から「障がい」になったことで、世の偏見意識がなくなりましたか?
こういう呼称を一生懸命考えても何の解決にもならないと思います。
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早い話、


『英語の challenged , disabled や disorder に対応している、
虐待的・敵対的・差別的ではない言葉を
日本人自ら考案して使うようにしようよ』
ってことですよね。
実に良い質問です。

「障害」「障害者」「障がい」「障がい者」は、
いくら何でも、悪意に満ちた、ひど過ぎる言葉だと思います、確かに。

後半の「障がい」「障がい者」は、露骨に偽善的なだけに、
余計にタチが悪いですねぇ。

つまり、日本の医師全般の、人間性の異様なレベルの低さ、鈍感さ。
厚生労働省の官僚全般の、人間性の異様なレベルの低さ、鈍感さ。
総じて、最近の日本人の超ウルトラ劣化ぶりを象徴しているような、
実に本質的な大問題ですよねぇ、これ。

challenged , disabled や disorder の誠実な日本語訳そのものは
極めて簡単です。

challenged = 被試者、被挑者、被験者、受験者
(現状では、「被験者」「受験者」は、別の意味を持っているため、
使いにくい。)
disabled = 不全者
( "perfectly disabled" でやっと「不能者」なので、
「不能者」は一般的には使えない。)
disorder = 不調、不調者

問題は、「障害」「障害者」「障がい」「障がい者」
という言葉にわざわざ執着し続けている、
悪意や敵意に過剰に染まったままの鈍感な劣化日本人たちです。
当然、日本のほとんどの医師・官僚が含まれております(笑)。
余りにも低劣な実態の、最近の日本国の医師と官僚たち・・・・・。
国が傾くのも当たり前といえば極めて当たり前の話です。

まず、手始めに、
「知的不調」「身体不調」「精神不調」、
「知的被試者」「身体被試者」「精神被試者」、
というような、虐待的でも敵対的でも差別的でもない、まともな表現を
まともな日本人自身が広めて、市民権を持たせ、
「障害」「障害者」「障がい」「障がい者」という悪意に満ちた言葉を
さっさと死語にしてしまうしかないですね。
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障壁・障子・障泥


など、大体障害という読みを気にもしなかったのが、一線を仕切る時に使う文字を全面に押し出したことで、余計に不愉快になる。

              精神障害者
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皆さんの仰るようにぼくもこれは言葉狩りの一種に過ぎないと思います。


差別用語っていったって用語そのものではなく使用する人の心構え
次第でしょ。
使用者が悪意や差別的意識を持って発言していればどんな言葉に
置き換えようとも結局は変わりません。
また新しい差別用語ができてしまうだけです。
差別意識をなくさない限り差別などなくなりませんしそれには
差別用語の有無は関係ありません。

差別用語とかそういったことに対して敏感になっているのって
意外と当人以外の方だったりします。
この場合においても障害者本人はあまり気にしてない人の方が多いと
思います。
(勿論気にする人は気にするだろうしそういう人に対する配慮という
面は分からなくもないですが)
むしろ、下手にひらがなとか入れられると読みにくくて仕方ないです。
差別用語だなんだと気にする方がもっと差別してるんじゃないかなと
まで思います。

因みに、nori21stさんの仰るように本来は「障碍」(しょうげ)という
字を使うのが正しいようです。
でも、「碍」が常用漢字外のため代わりに同じ意味を持つ「障害」を
使っているようです。
ただ、質問者さまの仰るとおり「害」という字が印象悪いということも
あり最近になってかなで書かれる場合も増えてます。

ぼくは一般的に普及・浸透した言葉まで差別用語として排除したり
規制しようとする動きには反対です。
だから敢えて、普通に障害と書きます。
別に差別しているわけでも差別意識があるわけでもありません。
それどころか、これでもぼくも一応軽度の知的障害者ですからね。
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自分も障害者4級の認定を受けている者です。



自分は「障害者」と書かれようが「障がい者」と書かれようが、特に気にした事は全くありませんね。
表記を変えたって結局意味するものは同じだし、変えた所で何が変わるというわけでもないですよね?
よって、表記はよっぽど差別用語だったり、読み書きが難しいものでなければどーでもいいです。
今のまま「障がい者」でも別にいいですし、新しい言葉を作る必要性も全く感じません。

表記がどうのこうのとこだわる事じたいが差別しているのと同じ事なんじゃないか?と思ったりもします。
言葉なんて使う人の心のあり方しだいだと思うんですよ。
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障害者手帳持ってます。

(^^)v

動きが軽い障害者と自負している通り、いくつかの障害者団体とも付き合いがある野次馬、騒ぎ好き【40代男性】です。
はっきり言って、ご質問の点は「私にとってそこはどうでもいい」と思っています。
そこを騒ぎ出したのも声高に叫んでいるのも目にする方は皆、健常者ばかりです。

「障がい者の皆さんがどれだけ傷ついているのか分かりますか?」
いや、健常者のあなたには分からないだろうけど、障害者全員がそんなに繊細じゃないし、ご質問者さんも指摘してる通り言葉にしたら同じだよ。

講演等で聴くと捻くれた私は結構このように突っ込んでいます。
(で、その次の講演者が私だったりもするのですが。)

まあ、「害」と書かれた手帳を身分証明書にすることに抵抗を感じる障害者が居ることは想像できなくも無いのですが、どうも健常者が騒ぎ過ぎている姿ばかりが目に付きます。

私としては「害」を「がい」に変えるよりも先に「世界的に全ての障害者を指すマーク」である車椅子マークの正しい知識をもっと日本でも広めて欲しいところです。
足が痛くても、あのマークを勘違いしている人が多くて見た目元気そうな私は一人では使えません。

呼び名は・・・。
色々、あるのですが差別用語でさえなければ私は結構どうでもいいと思っています。
健常者と比べれば違うのは当たり前ですから名前だけきれいに耳障りよくしてもそれは健常者にとって心地良い自己満足な話になると思います。

それでなくても「私は障害者を特別視しません」等と一見、キレイ事と思わせておいて、実は他人の不自由さ、苦しみに気を配れない健常者の無神経さを正当化するための論が幅をきかせていますから、あまり差し障りのないネーミングもどうなのかなと思います。

私は障害者の代表でもないし、この回答は私という一障害者の勝手な言い分です。
ソコは誤解されなきようお願いいたします。

不自由、不健康、不得手、不器用と当てはまる方も少なくないので「不健常者」もありかな。
(私個人には不良、不親切、不躾も含まれると自覚した上で。^^;)
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障がい~「がい」は「害」を平仮名で表示しているのではなく、


本来の「障碍」の「碍」が常用漢字でないため、平仮名で表現している
と思っていますが。
障害→障がい ×
障碍→障がい ○

碍を常用漢字にする動きがあるみたいです。
常用漢字になれば、
「障がい~」という表現がなくなり
「障碍~」に統一されると思います。
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