いちばん失敗した人決定戦

秋葉原の将来は?

最近秋葉原に異変が起きていると感じる者です。
表通りに面したビルがゴーストビルとなっていたり
空き地となっている所も多々見ます。
部品を売っている店も閉めた所が多くなりました。
又雰囲気的に何か活力が無くなってきた様に感じます。
電気街だったのに衣料店が出来たりしています。
街ぐるみで秋葉原を今までと違った街作りをしようと
しているのでしょうか?
秋葉原通の人のご意見を伺いたいと思います。

A 回答 (3件)

よくも悪くも秋葉原は変わっていないと思います。



私が秋葉原に行くようになったのは、ソニーのウォークマンが出たぐらいからですが、ちょうどステレオ機器ブームがあり、秋葉原も活気ついていました。その後、パソコンブームの到来とともに、世界的に有名になっていくのですが、今はハードよりソフトが中心になり、パソコン用品の町というより、ゲームソフト・PCゲームソフトそして「萌え」の町という感じになってきています。

しかしそれも当然な感じがします。#1さんなんかはよくご存知でしょうが、そもそも秋葉原はラジオパーツの露天商が集まって電気街になったところで、その後アマチュア無線ブームとか、ステレオブームとかの時代にはパーツが良く売れたのです。
しかし、最近は電気製品がすべてデジタル化されたため、昔のように自分でパーツを変えることで性能をアップするということができなくなってしまいました。唯一パソコンが自作など含めて、パーツ交換があったのですが、ノートPCの低価格化やUSBなどによって一般人がパソコンの中を開けることがなくなり、Windows95以来のパソコンの町という需要がなくなったのだと思います。
私にとってもラオックスパソコン館が閉店したのはショックでした。

しかし、今も昔も変わり身の早さが秋葉原の特徴で、パーツ屋さんが無くなったかわりに、メイド喫茶などソフトを中心にした町に変貌したようです。

よくも悪くも電気街→電脳ショップ街→バーチャル電脳街と、アナログからデジタルに変わっても、電気と切り離せない集客力のある町であり続けると思います。
個人的に(仕事でも使うので)、ガードしたのパーツ屋さんはいつまでも残っていてほしいです。
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この回答へのお礼

私もパーツ屋に行きますが、結構店じまいしている業者が多いのです。
ラオックス他ビルがゴースト化していたり、隣が空き地になっています。
何か大きな変化が秋葉原に起こっている様に感じます。
ガード下の間口一間の店も行き交う人が以前より減ったみたいです。
ラジオ少年が減ったのか子供もあまり見かけません。
子供が興味しんしんの待ち全体がデパートみたいな所でもありました
が大人専用の街に変貌した様に見えます。
どんな街にしようとしているのか商店会にメールしているのですが
返信がありません。

お礼日時:2010/01/17 17:20

 秋葉原歴 20 年で、昨日も行ったばかりです。

秋葉原の特徴は、他の街より
入れ替わりが激しい点でしょう。その新陳代謝が街の活力を維持しているので
あり、その変化に伴う痛みが空き地や空きビルなのではないでしょうか。

 たとえばパーツ通りはここ10年くらいでにぎわってきたばかりです。
以前は末広町なんて地の果てくらいのイメージで、パーツ通りにも小売
店はほとんどありませんでした。またヨドバシAkibaなど昭和通り側にも
店らしい店はなく、いまより狭い地域にぎゅっと詰まっていたのです。

 それが街の広域化に伴い、重心も移動しました。いまにぎわっている
のはまさにパーツ通りとヨドバシ周辺で、ここの人出はむしろ以前より
増えています。平日の午前中から人がいるんだから渋谷・新宿並みです。

 いっぽうで中央通り沿いは、大型店には向いているものの、雑居ビルに
入居する店にはあまり便利ではない場所になりました。その代わり飲食店が
増えており、お買い物以外にも時間をつぶせる場所へと変化しています。
昔は女子中高生なんて観ることなかったのに、いまは普通にいますよね。

> 雰囲気的に何か活力が無くなってきた様に感じます。

 私の印象はまったく逆で、以前より吸引力は高まっている印象です。
旧ザコンの周辺だけなら、そういう印象があるかもしれませんけどね。

> 電気街だったのに衣料店が出来たりしています。

 だからこそ、街が活性化するのでは? それに、以前の秋葉原って
スポーツ用品店が多かったのをご存知ですか? スキーバスの発着地
にもなっていたほどです。電気店ばかりではないのは、今も昔も変わり
ありません。なにしろ山手線と総武線の結節点ですから、電気街以外の
役割も担うのはある意味当然のことです。

 ちなみに、現・書泉ブックタワーは以前、ロケットという量販店でした。
ロケットは石丸電気みたいな存在で、私もテレビを買ったことがありますが、
量販店戦争に敗れて家電販売からは撤退しました。それがいまや、ブック
タワー周辺の人の動きはロケット時代よりはるかに増加しています。
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この回答へのお礼

私が悲観的に見過ぎていたのでしょうか。
私も子供の頃から秋葉原に通った一人ですがスポーツ店はあまり印象
に残っていません。行く所が偏っていたのかも知れません。
昔はアマ無線に熱中しましたが、時代のせいかほとんど壊滅状態ですね。
時代の変化が起こっているのでしょうね。
次はどんな街になるのかポジティブに見る事にします。

お礼日時:2010/01/17 17:29

秋葉原通と思っていませんが、50年前頃から秋葉原には良く出掛けてました。


元々、秋葉原と言う地名は、台東区秋葉原で秋葉原駅や電気街は、千代田区外神田なのです。私の父親は、生粋の江戸っ子でしたから、秋葉原とは言わず外神田と言ってました。事実、秋葉原駅の北側に神田青果市場がありました。
私が秋葉原通いを始めたのは、電気少年だったのでジャンク屋回りからでした。昭和30年代は、在日米軍の無線機等の放出品を扱うジャンク屋が多くありました。当時は、テレビを始め家電品は高価でしたから部品を買って来て自作する人達もいて、パーツ屋も増えました。それを卸す問屋が秋葉原に増えた事も秋葉原が電気街になった理由でしょう。電気問屋から家電品を買うと7掛け(3割引)で買える事が秋葉原は家電品が安く買える印象を与え、家電品を扱う大型店が増えてきました。外国人観光客や一般人も安い電気製品目当てに賑わいました。
昭和48年に、電気街のメインストリートである中央通りが日曜日に歩行者天国になったのも集客効果が有ったと思います。
やがて、家電量販店が地方に進出すると、家電品からパソコンに変わり、マニアからオタクと呼ばれる人達が増えました。メイド喫茶が増え始め、客層は様変わりしました。秋葉原の将来を予測する事は困難ですが、多様化している事だけは確かです。
秋葉原駅は、山手線(京浜東北線)と総武線乗換駅で利便性が良いですから、電気街は衰退すると思いますが、他の若者向け店舗が増えていくでしょう。
曾ての電気少年も還暦を迎えます。寂しい気持ちですが時代の流れと受け止めてます。
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この回答へのお礼

私もかつてはラジオ少年でした。
最近は子供達が行き交っているのを見ませんね。
秋葉原はつまらないオフィス街になるのでしょうか?
中央通りに衣料店が出来たのには少々がっかりしました。
交通博物館が移転したりゴーストビルが増えたり空き地が
増えたり、何か別の街作りをしているのでしょうか?

お礼日時:2010/01/17 17:06

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