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「魂」とはなんなのでしょう。

どこかの本の中で

魂とは、あらゆる人々の意識の中で存在している”認知的な幻影”(疎覚えです。これに類似した文がある本を知っている方がおられましたら、これも教えてください。)

・・・みたいなことが記されているのを見たような気がするのですが、どうなのでしょう。

 私としては、魂は言葉が生み出した、やはり上記のものと同じ、”幻影”ではないか。
と思うのですが、どうでしょう。

あと「精神」と「魂」とは、なにが違うのでしょうか。
私にはどうしても同じような存在に見えてしまいます。

A 回答 (5件)

 精神と魂。



 この言葉を使おうとする人は、‘使い分け’をしているのではないでしょうか。
 取り上げている事柄によって精神と言ったり、魂と言ってみたり。

 ということは、イメージとして多少の違いを感じているのでしょう。

 本来なら“言葉”によって、あるいは理屈によって説明すべきなのですが、そうした知識、能力がないので“イメージ”に置き換えて説明してみます。

 枝葉を十分に茂らせた大木、この大木を『こころ』に見立てると。
 地面から上の太い幹とその幹を覆い隠すように伸びた枝葉が“精神”
 その成長した木を支えるため、力強く地面に張った根。これが“魂”

 人は
 精神と表現するときは、ふつう地面から上の‘枝葉の茂った木’を語ろうとしている。
 魂と表現するときは‘心の根’をイメージしている。
 
 言い方を変えてみれば
 精神は意識しやすく、魂は意識しにくい。

 回答としては締りが悪いですが‘感想’なので、とりあえず投稿しておきます。

 
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「魂は神の元へ帰る」と聖書に書かれているので、魂は人間の体に宿る心です。

幻影ではありません。人格があるので動物には当てはまりません。死んだ人の心は神の元へ帰るので、死にません。神の元で生き続け、その後の事柄も聖書には書かれています。
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「魂」という時、そこには物質的な世界が先入し、そこに派生する


意識の担い手として、魂という“実体”が想定されるのです。
しかし、最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される
事によって生じており、観測=認識=魂と独立した外的存在は否定
されており、「魂」の所在を考察する必要もありません。
自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが宇宙。
(無の無限の闇に対する自我の射影)

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと
存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」に於て、その無限の闇に認識体の仮定断面
の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光
(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)
としての宇宙を認識するのです。

しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、
根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。
実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によって
しか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というもので、認識性を除外
した存在は、無=無限不確定性になります。

言い換えれば、有限な存在性は観測される事によって生じています。
自我仮説と時空仮説の相補分化=全てのものは、あなたが存在するための
(物理的根源にまで遡った)補完なのです。
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魂って語彙を使う場合、池の湧き出ている部分みたいなのを指すじゃないですか。



魂の叫びとは言うが、精神の叫びとは言わない。

精神を池、魂を池の底の水が湧き出ている部分としたら、わかりやすい気がします。


池の水って底から出ている水だけで構成されていないですよね。
雨が池に降り注ぐし、他の湧き水も池に流れ込む。
源泉はろ過された水だけど、そこから出ると、他の水の影響を受けて純度が鈍る。
池の水がいろんなものの複合水なので、とらえどころがいくつもある不純水。
源泉から出る水は池の水に接触する前は純粋。
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あと「精神」と「魂」とは、なにが違うのでしょうか。


私にはどうしても同じような存在に見えてしまいます。

同じものですね。違いは認識力だけですね。
これが不可思議なものですからわからなくなるのですね。
「精神」はいろんな物事を考えますね。その精神は形状を有することができるということです。あなたは日本人で今のままのあなたがあなただと考え、認識していると外から見るとあなたの「精神は」あなた自身の姿かたちに見えるということですね。そういう見え方を「魂」と言っているだけですね。
「精神」はどのような姿かたちも取ることができることを知っている者は、様々な姿をとることができるのですね。分裂、集合なんでも取りえますから、知っていれば孫悟空のようなこともできるというのが「精神」ですね。「魂」は「精神」の形状を含んで表した表現と言うことですね。
という摩訶不思議な話ですから理解できなくても致し方ないのですね。
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