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映画「アマデウス」を観て感銘を受けました。
最後のシーンで多くの方と見解が違うようなのでその根拠を探したく質問させてもらいます。
※様々な解釈があって良いと思っています。ちょっとした興味程度ですので色々な意見をお聞かせ下さい。

サリエリらしき老人がカン高い笑い声で笑う最後のシーンの意味は、サリエリだと思っていたのは、精神が狂ったふりをして陰謀(と借金)から逃れていたモーツアルトであり、作者はあたかもサリエリがモーツアルトを殺したかのように演出し、最後に大どんでん返しを持ってきたのだ!とその構成に驚嘆して観終わりました。
しかし、多くのサイトで感想を観ると、やはりあの老人はサリエリで、神に背いた罪を犯したことで気が狂ったのだ、ということのようです。
私の見解は間違っているのでしょうか。あの大どんでん返しが最後にくるから、この映画は凄いと思ったのですが。。

根拠としては以下です。
・モーツアルトの土葬の際、寒く、雨が降っていて早く仕事を終わらせたい業者がしっかりと埋葬もせず袋を捨てる映像を入れたこと。※ちゃんと埋葬されていない。
・老人のサリエリ(実はモーツアルト)が隔離されていた精神病院から脱出する際(最後のシーン)、表情にみるみる内に生気がみなぎって行く。※暫くぶりに外に出られる喜びを表現しているのでは?そしてあの笑い。※サリエリの真似をするシーンも別にありましたよね。モーツアルトは茶化して人の真似をするのが好きなようでしたし、、。
・また、精神病院には老人のサリエリよりもよっぽど精神に問題がありそうな者ばかりが収監されており、意思疎通がしっかりとできるサリエリが完全隔離されているのも不自然です。自殺(のフリ)は精神病院を出る為の嘘であると思います。※わざわざ人が扉の前に居る時に自殺を図っている事からも。

確かに長期に渡って精神病院に隔離されに行くなんて実際には考えにくい事ですが、作者はモーツアルトは実はしたたかに生きていた事を表したかったのだと私は思うのです。

色々と想像できるのが楽しいと思うので皆さまの意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (3件)

私は「アマデウス」を見たの、ずいぶん前なのですが、老人はサリエリです。


病院をたずねた神父さまに「私を知っているか?」と聞き、しらないと言われて憤慨していましたよね。

精神病院に入ったのは、冒頭の自殺をしたあとなので、病院を出るための自殺ではありません。
冒頭に出てきた、サリエリの自殺しようとした部屋は、病院ではありません。

隔離されていることについて・・自殺願望のある人なので、繰り返さないように拘束していると考えました。

モーツァルトの土葬については・・・偉大なる作曲家である彼があのように無残に葬られる無常さ(栄光と没落)を観客に見せたかったのではないでしょうか。

最後に笑うシーン。 私には自虐的な笑いに見えました。
自分がねたみ、貧乏や過労死へ追い詰めたモーツァルトが偉大な作曲者として名を残し、若い頃に宮廷作曲家であった自分は忘れ去られて老いぼれていく。(冒頭で、召使が二人出てきたので、きっと財産は持っていたのでしょう。孤独な老人です)
その皮肉な状況に、笑っていたのではないでしょうか。

私はそう感じました。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
映画を観返してみました。やはり、サリエリとするのが正しいのかもしれないと思いました。私の勘違いも多くあったように思います。
自殺しようとした場所は病院と同じ場所ではありませんでした。

気になった点としては、冒頭でサリエリがモーツアルトに対し、実にわざとらしく声に出して謝り、自殺(未遂)を図るシーンです。あの部分は全体を通してもサリエリとしては大げさな感じがし、如何にも演技的でした。
そして、もう一つ気になる箇所は最後です。「凡庸であることを赦す」とサリエリは言っていましたが、実にサリエリの立場からの事ではないように聞こえます。※(モーツアルトと比べれば)凡庸であるサリエリは、赦される側の立場なので。

最後の笑いは明らかにモーツアルトの声に変えられていましたが、この意味はなんだったのか。色々と考えさせられました。

補足日時:2010/11/29 09:31
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笑って去ったのはサリエリで、死んだのはモーツァルトだと思います



まずほぼ忠実なモーツァルト像というのもありますし。
実際に当時サリエリによる毒殺の噂が流れサリエリは心を痛めていたそうです。
サリエリが死に追いやったというのは脚色だとしても・・・。
ちなみにモーツァルトの息子や名だたる作曲家もサリエリの下で勉強したこともあったりする人物です。
最近では彼が犯人説は否定されていますが
映画はその話を元につくられたのでしょうね

で、墓地のシーンですが、あれは業者がちゃんと埋葬しなかったのでなくて
共同墓地だからです
すでに他の遺体袋が転がっているように、何体か放り込んでから埋めるので
防腐剤?防臭剤?のような薬剤を撒いただけで、土はかぶせてないのです。
天から降りてきたような才能を一心に受けたモーツァルトが
共同墓地に無造作に放り込まれるという悲惨な最期。
あの映像はそれを現すためのものだと思います。

現代のように安全な精神薬も沢山ない時代ですし
精神異常、自殺未遂などの傾向があれば隔離されていてもおかしくないです。
そりゃ、より重い人もいるでしょうが
現代みたいに病棟が細かく分かれたり丁寧なケアが受けられたとは思いにくいです。
落ち着いて話も通じるようでも、発作的に実は暴れるような人もいますし。
それを考えると「精神病棟にいるのが不自然」というほどじゃないと思いますよ。

作品の主題も神の音楽でも聞こえているかのような才能のモーツァルトと
音楽を愛して病まないがその才能には遠く及ばない秀才のサリエリ
その苦悩とあがき、そして奔放で社会性の低いモーツァルトとその逆のサリエリ
モーツァルト像をリアルに描きながら人間の内面の葛藤を描くのが主題ですから
突然そんな「実は生きていた」みたいなトリック・サスペンスにするとは思えません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
所々のシーンに対し意味を考えるのですが全てが釈然とはしていません。
その解釈が「本当にその意味か」ということを考えさせられています。

その一つ、最後のシーンで、サリエリは精神病棟の奥の部屋から出てきます。
召使いを従える裕福なサリエリを、自殺未遂をしたからといって重度の精神病患者が多数うろついている精神病棟に入れる意味は、サリエリが「頭がおかしくなった」という事を表現する為なのでしょうか。

モーツアルトは、サリエリによるモーツアルト暗殺の陰謀があった事実を、サリエリに扮し(自身を「凡庸」、モーツアルトを「天才」と明言することで)サリエリにとって最も皮肉な形で語ったのではないかと思っていました。そのように作者は変えたのだ、と。

お礼日時:2010/11/29 10:05

原作品(芝居)の戯曲が翻訳されて出版されています。

まず、それを読んでください。
オレ自身の解釈を声高に主調する気は毛頭なく、解釈は自由ですが一言だけ。
作者はモーツァルトに関してはほぼ史実通りに書いていると思います。あの性格の描き方も葬儀の様子も、様々な人々が残した証言や手紙にあるものです。作品の真骨頂は作者によるサリエリという人間の創造です。実在のサリエリはモーツァルトの才能に嫉妬したであろうという推測しか語られていないのです。一人の実在の作曲家のフィクションを作ることによってモーツァルトに「光」を当て、真の才能に恵まれなかった凡庸な人間の苦しみや悩みという「影」を浮き立たせるという構造を作り上げたシェーファーの意図だけは確かなものだと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
戯曲の情報をありがとうございます。早速、注文しました。
映画と最後の方など描写が異なるということなので楽しみです。

>モーツァルトに「光」を当て、真の才能に恵まれなかった凡庸な人間の苦しみや悩みという「影」を浮き立たせるという構造を作り上げたシェーファーの意図だけは確かなものだと思っています。

この部分、非常に良く分かります。

お礼日時:2010/11/29 09:43

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