激凹みから立ち直る方法

<質問>

◇生活や趣味に、どんな変化や発見は?

◇何か、気を付けている&始めましたか?



<質問の背景>
私は、

(1)時間が自主管理なので怠惰に流れる事を恐れ、現役時代以上にスケジュールを綿密にした。

(2)現役時代には逃げまくっていた地域の自治会等の役員とか行事<運動会・祭り・廃品回収・一斉清掃>に参加、新入りのデビューとPRをするようにしてます。

(3)家族との絆・コミュニケーションを仕事中心の生活・スケジュールから変化

(4)自然とマージャン・ゴルフにご無沙汰、その限定メンバーとの交流の分を同窓会・OB会やご無沙汰していた幼馴染等とのコミュニケーションにシフト。

(5)年賀状の減少・・・
年に1回の交流や音信であり、増える事の無い大切な同士・知人・恩人が多いので、極力キープしようと思っているのですが、喪中欠礼や住所変更の後のメンテナンスが不備だったり、個人情報の関連からか、増える相手よりも減少が増え、年々枚数が減って来ました。
「ピーク時は約300枚→現在は150枚程度」

A 回答 (2件)

父が今、私の部屋へ用事で上がってきて、横から覗いて、何じゃ?というので、質問を見せたら、ツラツラと回答していきましたので、それを書きます。



生活に関しては、朝起きるのが6時起きが5時起きになった。
理由は、早朝ウォーキングを始めたため。これは台風や雪が降らない限りはやってます。時間は30分程度ですが、現役時代は階段も駆け上がる元気もありましたが、足腰弱るのが怖いので出来る限り続けてます。

老人会の役員や、独居老人のお宅を朝8時頃から訪問して、お元気か確認したり、話し相手になったり、時には囲碁や将棋の相手、ボランティアで買い物を代行してます。

マージャン・ゴルフは卒業、マージャンはともかく、ゴルフはコースを回る体力がない。その分、老人会主催の将棋クラブ、囲碁クラブ、子供さんへの本の読み聞かせに参加、あと、今の時期は年賀状の代筆をボランティアで受けてます。今頼まれてる分が、300枚ぐらいあります。

年賀状は現役時代は500枚前後あったが、枚数自体は200枚前後まで減った。仕事の付き合い関係がほとんど無くなって、同年代や先輩、恩師は訃報でかなり減ったが、老人会関連や本の読み聞かせに参加されてる子供さんやその親御さんからの年賀状があるので、特に子供さんあての年賀状は子供向けのアニメキャラなどをクレヨン画で描くのが楽しみでもあります。

暇なときは、二匹いる犬の老犬のほうとボチボチ散歩したり、もう一匹の若い犬は力が強いので到底無理、庭の植木の剪定したり、小さな畑の手入れしてます。

孫から来たメールに返事するのも日々の楽しみ。いよいよ暇で何も無い時は、孫と話があうように孫が話してたDVDを借りて見てます。

年に一回の同窓会は必ず出席するようにしています。年々出席者も減ってますし、近況を聞けば、病気であったり、色々な症状があったり、悲しい事ですが、年齢が年齢なので仕方ないと思う反面、出来る限り旧交を温めたいと思ってます。

月に一度は、内科に検診を兼ねて通院してます。現役時代、不整脈、心房細動と診断された事がありましたので、毎日朝晩測った血圧の記録とともに行ってます。今のところ異常なし、と言われ、薬のお世話にもならず過ごしています。

82歳の父の意見でした。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、ありがとうございます。

記載頂いた、お父様の暮らしや生き様、その項目やエピソードが、全くと言って良いほどピッタリなのには改めてビックリです。
昭和と言う時代を、遠くを前を向き、ひたすら歯を食いしばり生き走った世代なのだと・・・

早起き・散歩・犬(我が家もチワワが4匹)・年賀状・ジャン友ゴルフ仲間etc。

でも、「老人会の役員や、独居老人のお宅を朝8時頃から訪問して、お元気か確認したり、話し相手になったり、時には囲碁や将棋の相手、ボランティアで買い物を代行してます。」
は、私には出来ていません。
そうですね、社会への報恩・奉仕、今自分に出来る社会参加として・・・何か出来る事や参加・協力が可能な事から始めてみようと思います。
私には、趣味も兼ねて、植栽や果樹栽培や野菜作り、竹林や荒廃地の整備等に参加・協力して、自分自身の健康増進と体調管理、社会参加を検討してみます。

詳細に分り易く、示唆に富んだ、お父様の暮らし・過ごし方をご紹介して頂き、非常に参考になります。ともすれば、受身&消極的に成りがちな生活に、励ましとエールを掛けて頂いた心境・思いです。

誠に、ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/02 08:20

私のことではなくて恐縮なのですが・・・


父が定年になってから一変したことを思い出しました。

私の父ですから定年も遠い昔です^^
狭い家で父の顔を見ることが少なかったですから殆ど家にいない状態だったんです。
家事も育児も母親任せで、休日の遊園地の約束さえ当日になって反故。
滅多に行けない遊園地を楽しみにしていた私は慟哭。
兄は「泣くな!」と怒鳴るし母は怒り狂っているし散々でした^^;

そんな父が定年になってからは家事を手伝うようになりました。
子育てには参加しなかったのに孫のことはウルサイくらい心配します。
ついでに主人を亡くした私のことも。。。

そういえば同窓会もよく行くようになりました^^
犬も飼い始めましたね。
子どものときに余り喋らなかった父とどう会話していいのか
照れもあって冷たくしちゃったのでしょうか?

最近は訃報が多くて年賀状なんて少ないです。

もっと優しくしてあげないと自分が後悔しますね。。。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、ありがとうございます。

思い当たる事が多く、「そうだそうだ」「一緒だなぁ~」と読みながら、お父様とお会いした事が無いのに、旧知の方のように思っております。
勝手に、決め付けてはいけませんでしょうが・・・
物が無かった時代、その物を手に入れ・実現させようと、より遠くより高くを目指し、足元にかまって居れない、見ていない、絶えず何かを求め模索していた、急ぎ足での人生・そんな世代なのかも・・・

お父さんの心境や関心事は良く分ります。
自分自身の事は達観・ありのままにと落ち着くと、余り遠くや高くを見ず、現実の足元の安定や安穏を願っているのかも・・・
家族・子供や孫・暮らし・趣味に、漸く目配り気配りし、その中に色んな心配事も出て来るのでしょうね。

思い当たる事<自分自身>・気付いた事<子供や孫の気持ち>が多く有り、大変、参考になりました、心より感謝とお礼を申し上げます。
誠に、ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/02 07:56

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