10秒目をつむったら…

京急の旧1000形・700形・800形はいずれも乗降ドアが片開きのスタイルですが、旧1000形が登場したのが昭和34年(1959年)・700形が昭和42年(1967年)800形にいたっては昭和53年(1978年)であっても片開きドアが採用されています。よほど片開きドアに思い入れがあるようなのですが、ここらあたりの事情について教えてください。

A 回答 (4件)

昭和41年から昭和50年までの利用者です。



デハ700が登場した時4ドア車の上、開く窓が1両に8ヶ所しかなく、夏は地獄の暑さで京浜急行に「両開きのドアにすれば開く窓も16に増えるでしょう、なぜ片開きなのか」と、手紙を出した事があります。

京浜急行の返答は「片開きドアと両開きドアの車両は、旅客の乗降時間は大して変らず経費も片開きの方が節約できるので
両開きは採用していない」との事でした。
「冷房についても徐々に進めてゆく」との事でしたが、700形が冷房を開始したのは昭和50年以降です。

1000や800も同じ理由で片開きだと思います。
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この回答へのお礼

盛夏の頃で未冷房の時代では、たしかにデハ700では窓がたりません。
当時、国鉄の通勤電車は豪快にも窓が2段全開で涼を求めました。
片開きの件は当時の京急の公式見解なことのなのですね。
早速の回答、ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/29 20:12

当時の社長のポリシー。


鶴の一声「必要ない」との事だったそうです。
結構有名な話だったと思います。

トップが変わったので、その後いろいろと変わりました。
ステンレス車体の登場もその一つです。
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この回答へのお礼

鶴の一声・・・ですか。その後の京急はコロモ(塗装など)の下はアルミであったりステンレスであったりかわりましたっけね。回答いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2011/01/30 15:37

こんにちは。


電車運転士をしております。

800まで片開きドアだったのは、
○片開きドアの方が部品点数が少なく、故障リスクが低い。コストが安い。
○立てつけが良い。
○両開きドアよりもドアの窓が広くとれ、車内を明るく出来る。
○乗降時間の差は、ドア幅よりドア数という実験結果があり、両開きドアを採用する理由にならなかった。
○混雑率を改善する方法として、当時は長編成化を取っていた(普通車4両⇒6両へ。特急は8両⇒12両へ。)

・・・これが理由としてあります。

しかし、片開きドアの欠点として、
○開扉から閉扉までの時間が、両開きドアよりも掛かる。
○両開きドアよりも閉扉まで単純に倍の時間が掛かるのですが、その欠点を補うには閉扉する際のドアの速度を上げる必要があります。しかし、速度upすれば、その分、万が一旅客をドアで挟んでしまった際、ドアの勢いが強くけがをさせてしまう危険があります。
○片開きドアは1200mm幅なのですが、これ以上ドア幅を広げられない(2000以降の両開きドア車のドア幅は、2100を除き1300mm)
○混雑率が頭打ちになり、また、金沢文庫以南で12両編成に出来ない事から、長編成化に一定の目途が立った。
○4ドア車の必要性がなくなってきた。その為、片開きドアに固執する理由も薄れてきた。


・・・・これが、片開きドアを止める理由になってきました。
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この回答へのお礼

旧1000形のドアの開閉は豪快なものを感じていましたが、これが京急カラーかと思ってみたりもしていました。たしかに開閉速度はupしなければ帳尻あいませんものね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/30 09:03

私も京急の電車は大好きです。

片扉が採用されていたのはラッシュ時において片扉であっても支障がなかったからだと思います。(鉄道の本(名前は忘れた)に載っていました)
回答とは関係ありませんが800系、2000系の開発に関わった京急の専務であった日比野氏が片扉に思い入れがあったと聞いています。
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この回答へのお礼

京急は関東でも個性的な電車、走りっぷりは有名ですが、電車の仕様にも個性的な経営幹部の思いがあったわけですね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/30 09:13

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