神がいると仮定して 存在理由がきめられてて
自分が相手にこんなに悲惨な死に方
をしたくないと思わせるような存在である
それを受け入れる事ができるかとか考えてて
人が求める存在理由って言うのは綺麗なものしか
求めてないのかなぁ~ 
って思うようになってます
ずばりどう思いますか?
存在理由なんて決められてたいと思いますか?
存在理由がわかって明日嫌な死に方や明日嫌な事があるってわかっても受けようと思いますか?
決められてるものに
 
 わたし的 嫌な事
1、拷問のうえ死んでしまう
2、拷問を受けて苦しみながら生きていく
3、排泄物で悶絶死
4、めちゃくちゃかっこ悪い殺人者にいきなり殺される
5、花粉症で微妙に鼻から息ができる状態で口を抑えられる
とま、苦しい事とか嫌いですね しんどい事とか
自分が感じる気持ち悪い死に方とか 

A 回答 (9件)

yayu168です。

補足等読ませていただきました。
読んでみましたがどうもしっくりこなくて考えたんですが、存在理由と宿命(運命)が混同しているような感じがします。
uglyelさんの例は宿命で存在理由とはちょっと違うような気がしますが?
私が思う存在理由とは「生きている理由(訳)」。
たとえば、私の存在理由は?と聞かれた場合(一般的な回答)
1、親であれば子供のためとか
2、父親であれば家族のためとか
3、子孫を残すためとか(以前の存在理由の質問の回答より抜粋)
こんな感じですね。

uglyelさんが例にあげられているのは生きている最中に「こんなことが起こる」と言うようなことなのでこれは宿命のことですね。
ちなみに宿命を辞典で調べると「生まれる前から定まっていて、どうにもならない運命」とあります。このことですね。ようは、これで神がいるとして仮定した場合、宿命を決められたいと思いますか?という質問の方がわかり易いですね。
私はそう約しまして、お答えいたします。(前振りが長すぎましたが)
Q1、存在理由なんて決められてたいと思いますか?
>もし、神がいると仮定しその神が宿命を決めているのであればどうしようもないかな。
Q2、存在理由がわかって明日嫌な死に方や明日嫌な事があるってわかっても受けようと思いますか?
>これも上と同じ答えですね。
それで、最初のほうに書いてある人は綺麗なものしか求めてないのかな?ってありますが、いま自分が生きてきた人生、これからの人生がすべて決められたものだ!と決めたところで考えてみると、よい事も・悪いことも・綺麗なことも・汚いこともありますよね。だから、一概に面白くないと決め付けなくてもいいような感じがしますよね。
例えがいいか悪いか分かりませんが、よく赤い糸があるとかいいますよね。
今あなたの彼女(彼)がいて、彼女(彼)とは学校で知り合ったとします。
当然その学校にいったから知り合えたわけで、その学校に行くには、学力の程度やすんでいる場所の条件があってその条件が一致したから。もし違うクラスに居たとしたら!とかまったく違ったかわいい女の子が居たとしたら。とか考えるときりがないですね。でも、その子と出会うには色々な条件をクリアしてるわけですよね。
未来を考えて運命を考えると確かに決められていたら面白くないかもしれませんが、過去を振りかえって自分が歩んできた過程を決められたことだったんだと思うとそうでもないかなって感じですかね。そりゃ、いいことも悪いこともありますよ。だいぶ長くなりましたがこんな感じですかね。
また、何かありましたら。
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この回答へのお礼

遅れてすいません
ありがとうございました
確かに間違ってたかもしれないけど 私の見方からすれば
こんな事が起きるがいいたいんじゃなくて
それはただの例えであって それが他人にとってどう思われて そんな生き方したいと思うような そんな人生嫌やなって思うような
でも、答えはいい感じな答えで嬉しかったです
未来を案じるより今を生きる
人事(?)を尽くして天命を待つみたいな
忘れた事にやってくるやつです(笑)

お礼日時:2001/05/22 23:27

後半が質問と全く関係のない文章になってます。

前半も回答とは言い難い。

>存在理由なんて決められてたいと思いますか?
存在理由がわかって明日嫌な死に方や明日嫌な事があるってわかっても受けようと思いますか?

・・・・存在理由は決まってないほうがいいかな。でも自分の人生というのは自分の親や親戚を観察することによって、ある程度予測ができるかも。
例えばじぶんちが八百屋さんで自分は一人っ子だったらそいつは若くして八百屋になることを覚悟しそうだ。八百屋にはならないと決めたら決めたで両親と一悶着あるだろうってことを当然悟る。とまぁこんな感じで。


いつも思うのは存在理由で悩むってことは若い証拠ってこと。
僕も中学生のときよく考えたんだけど、結論は出てない。考えてるうちに「いつから俺はこんな事を考えるようになったのだろう」と思い始めたのだけど、そこがターニングポイントだった。
そのときから存在理由とかより人間の精神はどこまで成長するのだろう、というテーマに変わった。
それは、昔考えもしなかった事を今必死で考えてるのはどういうことかっていう事から始まった新たな疑問なんだけど、前よりすごい楽な毎日に変わったことを覚えてる。
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この回答へのお礼

遅れてすいません
ありがとうございました
そうですか やっぱりいやなんだろうなぁ~
なのになんで考えたんだろう 答えは出たけど
私は 人間がそんなにすごい生物ではないとわかりました
ただの現象ってわかったのに っていうか たからみればただの思い込みですけどね
だから自分は自分に納得してから死にたい
納得できるような状態になれば私にとってとても幸せな状態で死ぬまでいれるし

お礼日時:2001/05/22 23:21

UGLYELさまが今の自分を振り返って・・・


うまくいってるとおもうんなら(1)「これはおれが切り開いたんだ」と思うでしょうし、
どうもうまくいってないなぁというなら(2)「これは神によって定められていたんだ」
とおもうでしょう。
それがあなたの存在理由・・・。
クソミソトイレにはまって(1)を選ぶならあなたはスカトロ趣味だってことね。
わたし、つきあってあげるかも~♪
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ごめんなさい 心のそこから 神を信じてないんで
悪いのは自分が悪いし いいことも自分がいい
例としては
私は 球技が得意だってよく人からも言われるんですよ
だから 球技がうまいって言うのは認識して
絵が 下手なんですよ 人間かいても 子供の絵と大差ないし 人書いたら大の字だし 
歌が下手で 音程の意味も リズムのとり方もわからないし って事で芸術面については まるっきりダメだし
って最後の文なんですが、私はスカロト趣味ではないです
嗅覚が良いのか すごいにおいに弱いんですよ
友達の香水で頭痛がするし ということで嫌な事を書いたんです ということで 私はつきスカロトには 付き合えないです。

お礼日時:2001/04/19 22:57

「存在理由」と「宿命」をごっちゃにされているようだ。


神の存在を仮定した上で出てくるものとしては致し方ない
部分もあるとは思いますが。

「存在理由」ってのは、
「私は●●をするために生まれた。」ってやつです。

「宿命」は
「私は●年●月●日に生まれて、●●を為し、●●を得て、
●年●月●日に死ぬ」ってやつです。


「宿命」ってのはあるとすれば知りたくもないし、受け入れたくもない。
これは同感ですけど、「存在理由」ってのは「目標」とかと対して変わらん
ものなんではないかと僕は思うので、これについては、生きていれば
ほぼ自然発生的に存在しそうに思えます。希薄な人もいるとは思いますが。
でも、一つも「目標」をもたずして生きてる人は僕の知る限りでは、
見たことがありません。これについてはしかるに否定も肯定もない。
ただ、在るか求めるのみ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
一応してないけど
私はこんなことがあるのが嫌 だからそうならないためには 私、神を信じなさい
みたいな事が言いたかったんですが
死ぬ事と関連付けて 例を書きすぎました すいません
あと、存在理由=目標っていうのは
神がいないと仮定して 自分が満足できる生き方になると思うんですよ~
って言うかまるっきり私が悪いんです ごめんなさい
質問の仕方が悪かったです。
思ったことは その時やらないと その行動は無駄だなぁ~ って思って
何もしないから 自分の書いた文を読み直さないんで
本当にごめんなさい 

お礼日時:2001/04/19 22:49

これは、逃れられないと決まっている、または決めれれているんですね。


もしそれが即、死に結びつく者なら明日と解っていれ
ば幸いです。受け入れられます。明日で終わりがから。
いつかなって考えている方がしんどい。

嫌な事が即、死でない場合、楽をしようともがくでしょう。ただ、自分でこうだと決めた事は辛かろうが
行います。存在理由も行動も自分できめる事と思っていますので、この点については想像できません。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
存在理由も行動も自分で決める事
って言う意見は同感です
でも、明日死ぬ事がわかっている事がわかっていたら
幸いかについては違うけど、もし、私の人生これで満足かどうか
考えたら どっ化に疑問が湧いて 私には死ぬのに恐怖になるし
死ぬ事を実感しすぎて考えて 苦しくなって 面白くないし
というのが私の考え方です。

お礼日時:2001/04/19 22:41

うーん、質問の意図がいまいち読み取れなくて、それで回答、というのもなんなんですが、死ぬ事に美しさや安楽さを求めている事と自分の存在理由との関係がわからないです。


まあ、死ぬ事は不随意筋も含めてすべての筋肉の緊張がとれてしまうのですから、どんな死に方をしても肛門や尿道が開いて糞尿垂れ流しになります。どんな死に方が良いと思っておられるのか解りませんが、水死にしろガス中毒にしろ病死にしろ、焼死にしろ、死体が美しいというのは稀ですよ。健康体のまま、眠るように死ぬ、というのは珍しいです。突然死でも、発見が遅れればやはり糞尿体液まみれで美しいとは言いかねるでしょう。
ただ、殺される、というのは理不尽に自分の生命を終わらされる、という事ですから、是非避けたいですね。自分の生命が生きようとしている限りはその意志に忠実でありたいものです。

この回答への補足

お礼、間違いました。
すいません
ありがとうございます。
再度すいません 私でもこの質問読みなおしてみて言いたい事がわかりませんでした。
あわわわ~ 死ぬ事が嫌って言うのはそうなんですが
ここでは嫌な事が嫌って書いたつもりだったんですが
すいませんでした
それに糞尿垂れ流しで死ぬんじゃなくて
虫がその日ちょっと そういう死に方してて 
いやだな~ って思ったから嫌って書いただけです
文章の表現力悪いんです すいません
最後の、自分の意志に忠実でありたいというのは同感ですね 
私の考え方では 自分しか生きてないんですよ
誰かが死のうが関係ないけど 悲しいのは自分だし
死んだ後まだ生きている人を案じても 死ぬのは自分だし
自分が死んだ時点で 総てが終わりみたいな
何かを残しても地球が消えれば終わりだし
自分のやりたい事をやる以上の事はないですよね~

補足日時:2001/04/19 22:17
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私的には 釈迦の手の上っていうのはダメですね
コンピュターも好きですね 文字化けするところが
思いどうりに行かないところが
「綺麗なものしか求めてない」っていうのは、
綺麗でないって言うのは 自己犠牲でそれがかっこいいと考えれば「綺麗なもの」になるし その人によってほんとに嫌なら存在理由は自分にとって「綺麗なもの」
しか受け入れられないと思いました
ということです・・・すいません
あわわわ~ ニューハーフの人かわいそう(笑)
最後に また何かこのお礼の文を読んで思うことがあれば書いてください
一番下の回答の補足にちょっとした質問の補足してるんで

お礼日時:2001/04/19 22:16

どうも、kukuji という、ただの人間です。


神みたいな者に完全に決められていて、それが決めた生き方しかできない、と知った上でとしたらそれはイヤです。受け入れたくないです。

わざと違うことをしてやって、でもなんせ相手が神様だから、やっぱり違うことができなくて、「お~、ほんとに神様っているんじゃん」という確かめ行為をしたら、なんか得した気分にはなるかな、と少し思いますが。

でも、もし万が一、神みたいなものがいたとしても、どうせ我々にはわからないんでしょうし、その時その時の出来事が、決まっていて起きたのかは、誰にもわからないですね。

しかし、自分たちの存在理由は分からないけど、たとえば、小説やマンガの登場人物の運命は、読者には分かりますよね(一回最後まで読んだから、ではなく、先が見えたとき、ということですよ!)。そういう、人間の存在理由や運命を、神のように、知ることが出来る、(作者なら、決めることができる)というのが、小説やマンガ、映画などの、実生活にはない面白さの1つですね。ちょっと脱線しましたごめんなさい。

あと、もし違ってたら申し訳ないですが、「綺麗なものしか求めてない」ってとこで少し思ったんですが、「存在価値」というものをむしろお考えではないですか?「運命」としての存在理由を考えるなら、綺麗でないケースも、イヤではあるが、含まれるだろう、と考えることはおかしくはないです(で、私は受け入れたくない)。けど、存在価値であれば、綺麗なもの、というか、いい方向でしか考えないのが普通かなと。

存在価値というのは、知る、とか、ある、とかいうより見出すものですよね。神様が決めたかどうか、それを受け入れるか、を考えることではなくて、自分が見出して、信じるものだと思います。

わたし的 嫌なことは…
・あそこをちょん切られて、しかも殺されることですかね。
男は、そんな死に方したくないです。痛くて、悲しくて…
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私的には 釈迦の手の上っていうのはダメですね
コンピュターも好きですね 文字化けするところが
思いどうりに行かないところが
「綺麗なものしか求めてない」っていうのは、
綺麗でないって言うのは 自己犠牲でそれがかっこいいと考えれば「綺麗なもの」になるし その人によってほんとに嫌なら存在理由は自分にとって「綺麗なもの」
しか受け入れられないと思いました
ということです・・・すいません
あわわわ~ ニューハーフの人かわいそう(笑)
最後に また何かこのお礼の文を読んで思うことがあれば書いてください
一番下の回答の補足にちょっとした質問の補足してるんで

お礼日時:2001/04/19 22:12

ええと、まず質問の論旨がいまいち理解できなかったのですが、それでも(やや無理矢理)回答します。



これはあくまでも個人的な見解ですが、在るものの存在理由っていうのは、今現在ここに存在している理由ってことであり、別に人間に限らず、全ての存在は、結末の為にだけ存在しているワケではないと思います。
だからと言って、自分の存在理由となるものさえ達成できたらそれでいいかと言われると、そう言ったものでもないでしょうね。

人は、人生の中で、幾度か、「あぁ、このために生まれて、生きてきたんだなぁ」っていう瞬間が幾度かあると思うのですよ、それこそが、私のなかで、まさしくその人の存在理由そのものだと思うのですね。
その人しか知り得なくても、その瞬間こそが全てで、永遠。

だからその後の人生が、もし他人から見て、不幸だったとしても、その人の中では、永遠の瞬間を素晴らしい記憶にするために生きてきたのかも知れないし、もう一度そういった瞬間を求めて生きてきたのかも知れない。
その、自分自身で自己の存在の意義を感じる瞬間が、絶対神がいるかどうかはさておき、私の中での「この世にあるものの存在理由」ですね。

つまりそれは、神とか絶対のものが決めてくれるものでなく、自分で選び取って、勝手に信じるものなのでは?
なんて。ちょっとロマンチック過ぎたかな?

そして、この世の全てのものは、残るときは消えたくても残り、消えるときは、どう足掻いたって消えてしまうものなんですよ。これはどうしようもない、必然なので。
そうだな、そのことだけは、もし神の存在があるなら、認めても良いことかも知れませんね。

自分勝手な回答でしたが、こういう考えもあるさー、という参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
あははは(笑) ごめんなさい
私も質問よみなおしてみたら、言いたい事がわかりませんでした。
存在理由についての 考え方は同じだと思います
言い方は悪いけど 自分がよければいい(笑)
私の考えで言うと 存在は風と同じでそのものはなくて
うぅ~ん わかりやすく言えば 現象でしかなくて
自己満足で生きる事以上の生き方はないと思ってます
最後の文にですが 私は回答になってなくても
間違っても 何もしなければ何もないって思ってるから
嬉しいですよ 書き込みたいと思ってもなにもしないのは
おもしろくないですから、ということで
一番下の回答の補足に 一応、付け足してみたんですが
また、何か思うことがあれば書いてください
わかりにくいって言う突っ込みでも良いし

お礼日時:2001/04/19 21:56

またまた存在理由ですね!


uglyelさんも一つ前の存在理由に回答されてましたよね。
私も回答した一人で、自分的な考えを書きました。
で、本題ですが何か存在理由と死に方とがイコールみたいに読めますがそういうことでしょうか?
私は存在理由は無くてもいい(あればそれもいい)と思っているほうですが、ちょっと質問の意味があまり理解できませんので、もしよければ補足でもしていただけますか?自分なりに理解できればまた回答してみたいですけど。

この回答への補足

なんとなくこんな感じかなぁ~
でも、やっぱちょっと違うなぁ~(笑)

神がいると仮定して
存在理由がほしいか また、いるか
求めてるのはやっぱり自己満足がほしいだけか?
うぅ~ん 書いてみてもやっぱり違うかな~
あっ! わかった!
生きる意味とか求めてるけど それがあったとしたら
人間がとてもちっぽけになる とか考えてたんだ
こんな事考えながらこの質問したんです(笑)
結果としては変わってないかな~
例が死につながってわかりにくくなってたみたいなんで
ちょっと増やします
例え話外伝(笑)
1、片目をつぶされて もう一つでしか見れなかったら
片方に負担がかかって 肩がこったりしんどいんですよ 
それも嫌
2、蜘蛛がとかムカデとか虫が嫌いなんですよ
それがいっぱいの部屋に入る
想像しただけで寒気がするくらい!
3、矛盾してるんですが 幽霊とか信じてないけど
怖いんですよ そういう話を聞かされた後
その話に出てくるような所に 行く

とか、その人が一番怖い事 おこって そういうのいやだなぁ~ って思うような 見せしめみたいな感じで
それが 存在理由だったら嫌
嫌な事を体験させ それで、神はすごいんだぞ~
言う事を聞けみたいに使われるとか
わかりにくかったらごめんなさい(笑)

補足日時:2001/04/19 21:25
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この回答へのお礼

死に方はただの例です。
死ぬ事に悩みはしませんが。 死ぬのは嫌ですから
あははは(笑) 私もこの質問読み名をして何を質問したいかわかりませんでした。
そのとき何を考え思ってたかも忘れました。
ちょい思い出してみます。 ガバッレ自分!

お礼日時:2001/04/19 21:21

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Q存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛 分かる人?

存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛

この意味が分かる人居ますか?腕に覚える人は見抜いて下さい。

端的に書き表してください。

Aベストアンサー

私が何に悩んでいたかが分かりました。

この「存在性理論」は、「空間」というものがすでに
あるものということだけでなく、「存在」というもの
もすでにあるものという前提での理論であると思いま
した。

それならば、例えば「人間」という存在に「物質」面
と「精神」面が備わっているということや、子供が生
まれることも、進化してゆくことも、この理論で説明
できそうです。
唯物論と唯心論をまとめる、新しい理論であるとおっ
しゃることも分からないではないです。

しかし、私が悩んだのは、№12で申し上げた、宇宙の
元初の状態から「存在」が生じるということについて
は、この理論では説明できないだろうということでし
た。
その部分は「真理」ということで「未知」ということ
でよろしいのですね?
尤もこれが分かったら、えらいことですが‥‥

Q楽しい事や嬉しい事があっても、喜ぶだけ喜んだなら、その分、また嫌な事や辛い事、理不尽などがあった時の

楽しい事や嬉しい事があっても、喜ぶだけ喜んだなら、その分、また嫌な事や辛い事、理不尽などがあった時のダメージは大きくなると言う事ですよね。
なので、喜ぶのも程々にしています。
熱くなればなる程、冷めた時のダメージは大きいです。

楽しい事や嬉しい事があっても、褒められても、今ではどうも、単純に喜ぶ事は出来ません。
褒められたとしても、
「褒められる事が叱られる事の始まりだ。」
みたいに考えてしまいます。(苦笑)(汗)
皆さんはどうですか?

Aベストアンサー

得るものがあれば失うモノがあります。

文字を発明した人間は、知識を子孫に
伝えることが出来るようになりました。
その反面、記憶力が落ちた、と言われて
います。

交通機関が発達し便利になりましたが、
足腰がひ弱になってしまいました。

表があれば裏があり、悪があるから善も
あるのです。
悪が無ければ、そもそも善なども認識
できないわけです。



皆さんはどうですか?
   ↑
ワタシも質問者さんに似たところがあります。
良いことがあると、緊張したり、警戒したり
します。
よい事ばかり続くわけがない。
きっと悪いことが起こる。

好事魔多し。

十分、注意しよう。

Q存在と存在理由とは どちらが大切ですか

 前者だと考えるのですが もし

 ○ 生命を賭してでも これこれの使命を果たせ 

という存在理由を持ったとした場合 どう考えるでしょうか。
 A. 存在こそが大事なのだから その使命とやらが あやしいと考えるのか。
 B. いやいや おのれの生涯を賭けた使命としての存在理由なら 存在そのものなのだから おのづと答えは知れているとなるのか。

 * 人間は考える葦だとは よく言ったものですね。このことで考える余地があるということが 人間なのでしょうか。

Aベストアンサー

では、神の「情」はどう推理でき、捉えることが出来るのか? 

ここにキリストが登場します。 キリストがそれを語ってくれました。

しかも、身を呈してです。  つまり、その存在理由がおそらくですが、最大限に存在の意義と同じほどの意味を持つようなあり方でそれを私たちに示してくださった。  ということだと思うのですが、 そこはたぶんbragelone様と私の考えは同じだと思います。

でもその意味合いを持って 三位一体論を語るならば、そのように言えてもしまうような「存在」がキリストであったとしても、 おそらく神学でいう意味とわたしのそのへんの理解とは違うのではないだろうかと思っています。  

私のは単純すぎます。 でも私自身には覆せない考えです。

キリストは情の部分で神と同じような境地に達したのではという信頼性は私の中に起こります。 でもこれは信頼です。 たぶん信仰ではないと思います。   そうだとすれば、私たちの心(情)にとって、キリストは神と同じようなもの(かどうかは 聖書という記述だけではそれもまた厳密なことは解らないとも思っています。)そういう人間だったとは、言えてしまうということであり、  では「霊」とは何かといえば、 私の考えの中では、神もまた人間と同じようにあたりまえに他には存在しない「主体」だということにすぎません。    あたりまえのこととしてしか考えられないということです。

其の「情」の部分、キリストは物質あるいは生物でもあるわけですが、さて「表象」は可能かというと、 ここで近代演劇論における「表象」の問題がでてきますので、 ここはbragerone様の次の質問への私からの回答の方でもでてくるでしょうから、そちらにまわします。   演劇論での「表象」ということなら、やはり、これは確かに不可能です。ということなのですが。

しかし、「情」は、私たちの経験から追いかけてゆけますし そうすべき存在です。 その道にても この論議に必要な謙虚さも神への謙虚さも始めて得られるという考えです。

親ならば、普通は自分の子供に対して その個のかけがいの無さに気がつく感性の機会はたくさん体験しているでしょう。 しかしこれさへもいそがしさとか、それこそ間違った「欲望への対応」のために見過ごしてしまう時があります。  そのへんが森のある村の中では 気がつく能力とかは大きかったという推理もあるのですが、ここは簡単に触れるにとどめます。   その経験知プラス 存在の不思議さとかの感受が 徐々に神の超自然という五感では捕らえられない「情」を想像できるようになる。というありかたでしか、 神の其の姿を推理できないという考え、 ここまではわかりましたでしょうか?     これは しかし、そこにエベレストが見えるようになったら、 始めて空や星の奥深さが実際に少し感じられるようになったという時の、はるかはるか上の がゆえに非思考にならざるを得ないそういう存在が神の心あるいは「情」の世界なのだというものです。   

これ以上完璧なキリスト賛歌なる音楽は無いという音楽を音楽においては仮にバッハが完成してしまったとしましょう。 それも考えられませんが仮にです。  でも、その音楽を感じる完成は そのエベレストよりもはるかに高みの可能性を宿しています。 そして、もちろん、其の可能性は神が私たちにすでに与えてくださってる贈り物です。  あるいはこれを存在の贈り物と言ってもいいですが、 いわゆる無神論というと、これを人間の力のみで生み出している可能性ととらえるわけですから、べつに神にとっても社会の正しい進歩にとってもどうでもいい理論ですから、それはそう考えたい人の自由でいいのですけど、あくまで半欠けの理屈と私には思えるということにすぎません。   有神論と無神論が、同じ信仰とう形のものとなるとは思えないということなのですが?

無神論のことは、私の方からは論じる必要は感じませんが。どうなのでしょう?   感性が深くなれば必然として有神論となるし、論というよりそれが自然に感じられるようになるし、 それでいい問題だという意味で喧嘩する必要なんてどこにも無いというのが私のそのへんの考えということなのです。

また、このように考えならば、 理性信仰?に陥る危険は、経験から出発しても無いと思うのですが、どうでしょうか?

神はすばらしい理性を私たちに与えてくださっていると思いますが、だからといって、私たちの脳は偏在知に近づくこともできませんし、時間を考慮に入れなければ、A地点からB地点への旅はかならず可能だという理論ならば成り立つのかもしれなくても、なんでも出来るということは絶対にありえないということを知ることも この理性にはできるようになっていると私は思います。

経験から 海の香りをうっすらとでも知る理性を 私たちという命の存在はすでに贈り物として贈られているという考えです。

A,その命(存在)を もし理性で考えた使命で捨てたとしたら、たぶん、その使命とやらは、理性信仰の疑いあり、となるのかもしれません。 あやしいです(^^)笑えますが。

Bは、同じです。 おのれの生涯をかけた使命、 だからといって、すこしでもキリストに近くなければ 純粋な感性からの自然なものでないなら、答えは知れてなんかいない。 存在そのものなんてと言えない。 

あれ? わたしはキリスト者なのですか?(^^)。 たぶん、ただ当たり前に、キリストの愛を考えたら 自分ってなんて小さいのだと思えてるだけのことだと思ってるのですが… それでいいのではないでしょうか?

理屈にはなってないのかもしれませんが、 これが信仰ならば、これ自体相対的なものであり、そして、経験の進化により発見し、感動し、さらに深めてゆけるものと捉えられるように思えてしまうのですが。

経験が大事というよりも、経験の進化が大事なのだと思う。 と そこにもまた「感性教育」ということがどうしても出てくることになります。

では、神の「情」はどう推理でき、捉えることが出来るのか? 

ここにキリストが登場します。 キリストがそれを語ってくれました。

しかも、身を呈してです。  つまり、その存在理由がおそらくですが、最大限に存在の意義と同じほどの意味を持つようなあり方でそれを私たちに示してくださった。  ということだと思うのですが、 そこはたぶんbragelone様と私の考えは同じだと思います。

でもその意味合いを持って 三位一体論を語るならば、そのように言えてもしまうような「存在」がキリストであっ...続きを読む

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こう考えると空しいですが、数百年後にはこの世にはいないのですから、今存在を実感していればそれはそれで良いと思います。
存在は「必要なときに存在していると認識したい状況で認識するもの」です。
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