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と思いませんか?
自動車を作れば自動車事故が起きるのは仕方がない、と同じようにです。

いやそんなことはない、という意見は、
1. 原発を全廃すれば良い。
2. 原発は完全に制御できる。
の2つに分かれるでしょう。

1の場合には、
a. すでに覚えてしまった快適性・利便性を放棄することはおそらくできない。
b. 効率的代替エネルギーの開発が進んでいない。
c. (核兵器バランスの点で)世界中が足並みを揃える必要があるため、国家間の調整が難しい。
という点が最大のネックになるでしょう。

2の場合は、ほぼ妄想に近いものと言えるでしょう。
そこで、タイトルのように、
3.原発事故が起きるのは仕方がない
と考えることが今、最も必要とされているのではないか、と私は思います。

現状では、安心・安全という建前のもとに原発が稼動しています。
東電も嘘つきですが、それを受け入れている国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべきではないでしょうか。
「震度7を超える地震が起きた場合には安全は保障できません。
高さ10m以上の津波が来た場合には何が起こるか未知数です。
しかし、この範囲内であれば最善を尽くすので原発の建設を認めてください」
電力会社はこのように言明すべきですし、なにより、国民(つまり享受者)側から、このように言明させるのが本来の姿でしょう。
これは大雑把な一例ですが、このように最大限のリスクを当初からきっちりと受け止めようとする姿勢が必要で、最終的には、
「わかりました。震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には諦めます。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。むろん補助金は十分にいただけるのでしょうね」
という国民の納得があって初めて原発建設が可能になる。
これはむしろ当然のことだと思います。
今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。
みなさんはどう思われますか?
  

A 回答 (51件中51~51件)

「それを受け入れている国民の欺瞞性」と言いますが、


国民のひとりとしては、受け入れたという意識は低いですね。

東電だって、ただの上場企業ですから、
国民が受け入れようが受け入れまいがどうでもいいよ、
株主の方がずっと大事だよ、ってなるわけです。

今回の事故で改めて感じたのは、
原子力を一企業に扱わせてはいけない、ということです。
行政が管轄すべきだと思いました。

質問の冒頭で自動車にたとえていらして、
それに対して一定の賛同もいたしますが、
でも自動車メーカーが道路交通法を自由に制定できたとしたら、
どこかで問題が起きるような気がしませんか?

営利目的の上場企業である電力会社が原子力をハンドリングするということは、
自動車会社が道交法を勝手に制定するのと近い危険性を感じました。

行政の管轄になれば、市民が監視することもできます。
あなたがおっしゃるような仕組みで原発を運用することもできると思います。
国民の命を危険にさらす事業を、一企業が扱ってはいけない、
というのが私の考えです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「それを受け入れている国民の欺瞞性」と言いますが、
国民のひとりとしては、受け入れたという意識は低いですね。

たしかに反対する人も多いわけですから、そういうことは言えますね。
ただ、それは民意をどのように政治に反映させていくのか、という政治の話になってしまうので、あえて取り上げませんでした。

>営利目的の上場企業である電力会社が原子力をハンドリングするということは、
自動車会社が道交法を勝手に制定するのと近い危険性を感じました。

実質的にはどちらも現に実行されている事柄だと思います。
これを許している国民のというか、人間の感覚の仕組みはどうなっているのだろうか、という点に興味があります。
監視すべき立場の経産省保安院にしても東電の親玉と大差ないでしょう。
つまり、営利目的第一を国民が暗黙のうちに認めているのではないでしょうか。
東電のみならず、国民も一定程度の事故は止むを得ない、と思っていながらそうではない振りをしている。
その欺瞞性が事故の拡大や情報の隠蔽対質につながっているのではないか、と考えるわけです。
      

お礼日時:2011/04/13 21:18
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