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と思いませんか?
自動車を作れば自動車事故が起きるのは仕方がない、と同じようにです。

いやそんなことはない、という意見は、
1. 原発を全廃すれば良い。
2. 原発は完全に制御できる。
の2つに分かれるでしょう。

1の場合には、
a. すでに覚えてしまった快適性・利便性を放棄することはおそらくできない。
b. 効率的代替エネルギーの開発が進んでいない。
c. (核兵器バランスの点で)世界中が足並みを揃える必要があるため、国家間の調整が難しい。
という点が最大のネックになるでしょう。

2の場合は、ほぼ妄想に近いものと言えるでしょう。
そこで、タイトルのように、
3.原発事故が起きるのは仕方がない
と考えることが今、最も必要とされているのではないか、と私は思います。

現状では、安心・安全という建前のもとに原発が稼動しています。
東電も嘘つきですが、それを受け入れている国民の欺瞞性のほうこそ問題にされるべきではないでしょうか。
「震度7を超える地震が起きた場合には安全は保障できません。
高さ10m以上の津波が来た場合には何が起こるか未知数です。
しかし、この範囲内であれば最善を尽くすので原発の建設を認めてください」
電力会社はこのように言明すべきですし、なにより、国民(つまり享受者)側から、このように言明させるのが本来の姿でしょう。
これは大雑把な一例ですが、このように最大限のリスクを当初からきっちりと受け止めようとする姿勢が必要で、最終的には、
「わかりました。震度〇以上の地震や高さ△m以上の津波の場合には諦めます。しかし、確率は低いようですし都市部への電力供給のためにも建設を認めましょう。むろん補助金は十分にいただけるのでしょうね」
という国民の納得があって初めて原発建設が可能になる。
これはむしろ当然のことだと思います。
今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。
みなさんはどう思われますか?
  

A 回答 (51件中31~40件)

>役立っても自分だけはリスクを負いたくないという風潮がない


>でしょうか。

人間に役立てる為の技術といっても、それには勿論リスク回避技術
というソフト面の技術も含まれるはずだと思います。

しかし、これは日本人の特徴だと思いますが、あらゆる物質には
もって生まれた物質の特徴がありその特徴を最大限に生かすこと
にかたよってしまうところがあるようです。

つまり鉄職人は鉄を愛しすぎてしまい、石職人は石を愛しすぎて
しまう。

例えば30メートル上に炉をおけば、冷却水をポンプアップする
エネルギーが余計にいる、そうなったら折角の原子力システム
ちゃんの全体の高効率エネルギー性がアピールできないっていう
具合に。

ただ、ものを愛したり充分にものの特徴を理解するがゆえに
人間の道具にいかせるという面もまたわすれてはならない側面
で、日本人の得意とするところでもあるとも思います。

逆にやみくもなオープンシステムにして、物の本質を考えずに
ただ人間のサービスに特化していくと、切ってくっつけて貼り
付けたようなものになり、まったく無駄な資源や無駄なサービス
がごてごてと膨らむばかりになってしまいます。

分散化コミュニティで、街の暮らしやデザインも考慮に入れた
ミニマム運用というのが方向じゃないのかなと思っているの
ですが違うのかなあ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>しかし、これは日本人の特徴だと思いますが、あらゆる物質には
もって生まれた物質の特徴がありその特徴を最大限に生かすこと
にかたよってしまうところがあるようです。

同感です。
当質問文の
1-a. すでに覚えてしまった快適性・利便性を放棄することはおそらくできない。
に含めたつもりでしたが、大事な要素として明確にしていただいたと思います。
端的に言うと好奇心には勝てないということでしょうね。
原発全廃が全世界的合意を必要とする所以のひとつでもありましょう。

>例えば30メートル上に炉をおけば、冷却水をポンプアップする
エネルギーが余計にいる、そうなったら折角の原子力システム
ちゃんの全体の高効率エネルギー性がアピールできないっていう
具合に。

う~む・・・(-_-;)
ここまでいっちゃってますかね。^^;
いや、そうなんでしょうね。
こういった連中に対するチェックの甘さというか、「頭の良い人・偉い人」に対するいかにも奴隷的な従順さがそれを促進していそうです。
因みに「頭が良い」というのは「賢い」という意味ではありません。
一種の「とっちゃん坊や」といった感じということで。

>ただ、ものを愛したり充分にものの特徴を理解するがゆえに
人間の道具にいかせるという面もまたわすれてはならない側面
で、日本人の得意とするところでもあるとも思います。

よくわかります。
いずれにしても、放射線なり放射能を制御可能にする方策も同時進行させなければなりませんね。
人体実験しようというのでなければ。
あるいは人体実験を容認しようとするのでなければ。

>分散化コミュニティで、街の暮らしやデザインも考慮に入れた
ミニマム運用というのが方向じゃないのかなと思っているの
ですが違うのかなあ。

「>少し閉鎖的なコミュニティの特徴(#19)」をセキュリティに生かすとしても、被害がコミュニティ内では治まらない性質の対象である、という点がネックになるかもしれません。
しかし、基本的発想としては面白いですね。
少なくとも欺瞞性の入り込む余地は多少なりとも減少するでしょうから。
    

お礼日時:2011/04/16 16:04

No.17です。

重ねてのお礼を有難うございました。
いただいた補足について申し上げます。

「【少なくとも】「>原発の最新事情と先々の他原発の危険性」に関する注力を促進する方向には向いていない、ということだけは確かでしょう。」と仰るのは全くの誤解です。

私は小学生の子どもを抱える首都圏在住の身です。
福島原発の距離や風向き、降雨とは無縁ではありません。
なので【どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがち】です。
原発の処理の進捗状況や、大気中の汚染数値、残留放射性物質の報道云々…。
福島よりも断然浜岡に近いため、HPを覗いたりもします。

──と、このように気が付けば、我が身と家族のことばかりを想ってしまう自分がいます。
やはり不安ですし、何よりも子供たちを思うとたまらなく切なくなります。

春休みに子どもと幾ばくかの義援金を用意したくらいでしょうか、なかなか【今現在災いを被っている福島県民や近隣県住民のことを思い】支援するまでには至ることができません。
しかしながら、叔母のことも頭の片隅にあり、気がかりなのです。

それこそ「起こったから仕方がない」では済まされないのだと思います。
極力チェルノブイリのようなゾーンがこれ以上拡がらないようにと心より願っています。

海外からすれば日本なんて小さい国ですし、知日派でもないかぎりは福島も他都市も同じだと認識しているはずです。
でも肝心な国内において、福島の地名やブランドが不要で不当なスケープゴートにならぬよう、相当に難しいこととは存じますが、可能な限りの広範なデータや情報開示を逐一開示し、十分な安全性確保のもと【可能な限りの再生と復興】を願ってやみません──
──と私は記したつもりでした。

そして 再び、質問者様がなぜだか拘っていらっしゃる拙文につき記させていただきます。
「(私は)どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを被っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。」

上述により、質問者様の以下のお考え
>しかし、本質としては『この時期、過剰に「原発の最新事情と先々の他原発の危険性」を云々するのはいかがなものか』という意図であるはずです。

が我が意とおよそ異なるものとご理解いただきたいと願います。
そうですね、大きな余震が予知される現状、東日本にある原発などは新たな津波地震対策が完了するまでは停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども。

>>福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、
>まさか、第二と女川が無事だったのだから、第一の事故だけに注目すべきではない、とおっしゃっているわけではありませんよね。

よく解らないのですが、「福島第一の事故を想定外の例外中の事故とみなして、第二と女川が無事だったから従来通り推進していっても構わない」と私が申しているとでも思っていらっしゃるのですか?
だとしたら全くの誤解です。

それとも、各々の原発の現状の差異を検証することは何かまずいと仰るのでしょうか。

>不透明であるならあるでその旨を公表すべきではないだろうか、というのがわたしの考えです。

まったく同感です。

>>他律性で他人頼みな側面が個々のムラ意識に由来するもので、自己抑制し逸脱し難い行動姿勢は村八分的ないじめを自ずと避け等しくみなされる利をもふまえて行動する傾向があるのではないか

>「>高度な専門性」というだけの理由で原発にはそれが適用できないとするご見解が納得いきません。
>それこそ、賛成という意志が最初にありきの結果論的ご見解ではないでしょうか。

この箇所(他律的で…あるのではないか)は、高度な専門性や原発に結び付けて記したつもりは全くないのです。
つまらない蛇足でしたね、すみません。

書けば書くほどに、我が意とはおよそ異なる齟齬の弁明に終始してしまって、大変残念に思います。
質問者様のお使いになる「欺瞞性」という言葉が今の被災者や私達国民に対して相応しいのかどうか、そして私にはどうにも違和感を感じてならなかったゆえの投稿と捉えていただきたく、未熟者ゆえなにとぞご容赦下さいますよう。
また、「必ずしも反原発の立場ではない」というのは、なかなかに表現をするのが難しいなあと思いました。

スレ汚しをしてしまい大変失礼致しました。

この回答への補足

(お礼欄からの続きです)
4.
>それこそ「起こったから仕方がない」では済まされないのだと思います。

たぶん誤解なさっていると思うのですが、わたしも全く同意見ですよ。
わたしは、今回の事故に関して「起こったから仕方がない」などとは一言も言っていません。
(事後に)「仕方がない」と言えるだけの心構えを(事前に)自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。

「仕方がない」は諦めの意味です。
確かに事後に言えば責任放棄です。違和感が生じるのは当然だと思います。
しかし、「これ以上の災害が降りかかったら諦めるしかないな」と言えるだけの対処を事前にしておくという発想を持つことが、(責任放棄ではなく)諦めを容認できるはずです。
「あるいは生きることすら諦めなければならない」という緊迫した事態が想定されることを強く認識するためには、「仕方がない」が最も強力で有効な思考の形態ではないかと考えた次第です。
このような発想によって、より安全性に配慮した稼動が求められることになるのではないか、ということです。

端的に言うと、
(事後に)「仕方がない」と言えるだけの心構えを(事前に)自らに課すべきではないでしょうか。
ということです。
とはいえ、いずれにせよ事後に「仕方がない」ということには違和感が生じるのが自然です。
その自然な心理を利用したい、という意図があるわけです。
事後に「(【万全を期したのだから】)仕方がない」という言葉を発した際に、その違和感が限りなく小さくて済むように、事前の対策に今以上に万全を期すことができるはずです。
現在は「万全の期し方」が非常に曖昧です。建前だけです。
「万全を期したのだから」とは言えないからこそ違和感が大きいのです。
今後、原発が稼動する際には、(あくまで、たとえばですが)「震度8以上の地震が起きたら事故や放射能で死んでも仕方がない」といったような文言を国民の意志として高く掲げるべきではないでしょうか。
このことによって最大の防災策が必然的に要求されるようになるのではないかと考えるわけです。
mashumaro3 さんのような方にこそ是非持っていただきたい発想なのです。
       

補足日時:2011/04/16 14:58
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

せっかくのご回答をいただきながら不愉快な思いをさせてしまいお詫び申し上げます。
他意は全くございませんのでどうかご理解いたきたいと思います。
会話が噛みあわないままでは失礼かとも思いあえて補足質問のような形になってしまいました。
詰問調に感じられたとすれば、表現の未熟さゆえとご寛恕のほどお願い申し上げるとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、スマートな方であれば、このような文言のみでしめるのでしょうが、わたしのような凡人には、まだどうしてもひっかかりが残ります。
あえて述べさせていただきますので、お気が向きましたらご返事いただけると幸甚に存じます。
お返事がなくとも特に恨みには思いませんので軽いお気持ちでいらしてください。

1.
>しかし、本質としては『この時期、過剰に「原発の最新事情と先々の他原発の危険性」を云々するのはいかがなものか』という意図であるはずです。

が我が意とおよそ異なるものとご理解いただきたいと願います。
そうですね、大きな余震が予知される現状、東日本にある原発などは新たな津波地震対策が完了するまでは停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども。

「およそ異なる」というのは、「全く異なる」という意味ですが、そうは思えません。
なぜかというと、そのようにおっしゃっていながら、直後に、
「~停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども。」とおっしゃっておられます。
この発言は、
「停止させるのが筋(建前)ではあるが、私の考え(本心は)〇〇です」
という意味です。
わたしとしては、
「~停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども、そうもいかないでしょう(それは難しいでしょう)。」
という意味のことをおっしゃっているのだと思われるのですが、どうでしょうか。
違うとおっしゃるのであれば、
「~停止させるのが筋なのだと思っておりますけれども〇〇」の、〇〇の部分でどのようなことを言いたかったのかを明示していただけないでしょうか。

2.
>>福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、
>まさか、第二と女川が無事だったのだから、第一の事故だけに注目すべきではない、とおっしゃっているわけではありませんよね。

よく解らないのですが、「福島第一の事故を想定外の例外中の事故とみなして、第二と女川が無事だったから従来通り推進していっても構わない」と私が申しているとでも思っていらっしゃるのですか?
だとしたら全くの誤解です。

それとも、各々の原発の現状の差異を検証することは何かまずいと仰るのでしょうか。

誤解でないとすれば、どういった意図でこうおっしゃったのでしょうか?
「>各々の原発の現状の差異を検証する」ということは、取りも直さず、
「第一の事故だけに注目すべきではない」という意味に他ならないのではありませんか?
これは単に国語的なことですよ。
そして、それは、いみじくもご自身でおっしゃっておられるように、
「福島第一の事故を想定外の例外中の事故とみなして、第二と女川が無事だったから従来通り推進していっても構わない」
という意図がなければ出てこない発言ではないでしょうか。
どういった意図(目的)で「原発の現状の差異を検証」しようとなさったのか、教えていただけるとありがたいです。

3.
>質問者様のお使いになる「欺瞞性」という言葉が今の被災者や私達国民に対して相応しいのかどうか、そして私にはどうにも違和感を感じてならなかったゆえの投稿と捉えていただきたく

それは言うまでもないことです。
賛同意見を求めているわけではありません。
mashumaro3 さんはたぶんお優しい方なのだと思います。
それゆえに明確に論拠を示して反論しては私がかわいそうだとお考えになったのでしょう。
しかし、少なくとも論点は明確にしないと会話自体が成立しません。
(補足蘭へと続きます) 
 

お礼日時:2011/04/16 14:32

>どういったメリットがあるのでしょうか。


>と記しましたが、自由化に関してです。

人間に対するサービスの向上と、技術者層が厚くなっていく
と思います。

しかし、やみくもなオープン化が進む方向だとは思いません。

人間はモノを道具してきたわけですが、モノにはモノ自体に
特徴があります。鉄は鉄、木は木の特徴があるわけです。
その特徴に寄り添って特徴をいかすことにいままで偏りすぎ
ていたという反省もあるかもしれませんが、
そのことと、社会の中でどのようにして人間に役立てるのかの
両面は一対として考えなければならないことだと思います。

分散化といったのは、日本の少し閉鎖的なコミュニティの特徴が
セキュリティ性に生かすことができれば、コミュニティで運用す
ることも可能なのかなとふと思ったのですが。
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この回答へのお礼

補足質問にご回答いただきありがとうございました。
  
>その特徴に寄り添って特徴をいかすことにいままで偏りすぎ
ていたという反省もあるかもしれませんが、
そのことと、社会の中でどのようにして人間に役立てるのかの
両面は一対として考えなければならないことだと思います。

役立っても自分だけはリスクを負いたくないという風潮がないでしょうか。
風潮というか人間というものの精神性の話になると思いますが。
いずれにしても抽象や曖昧からは脱却する必要があるのでしょうね。

分散化に関しても意図されているところがわかりました。
わたしは、危険性なり一時あった場合の対応のし易さという意味かと勘違いしていました。
     

お礼日時:2011/04/15 20:46

>明日、再び起きてもおかしくないわけです。



 そう。そう。

 そして、浜岡原発を直ちに止めていない現実が人間の拙さの証明ということになるね。

 当たり前に予想できていることを想定しないだらしなさこそが恐怖。


 いったい、何が尊いものかが問われている。

 何を得るために何を代償にするのかしらん。

 いったい、生け贄になるのは誰か、そして、いつなのか・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自発的に命を守るということが案外難しいことなのかもしれませんね。
  

お礼日時:2011/04/15 16:23

No.10です。

お礼を有難うございました。

至らぬ拙文ゆえ、我が意が上手く伝わらなかったようで申し訳なく思っております。
今までのお礼を拝見しました。質問者様は反原発のお立場なのでしょうか。
だから、結果論的になぜその危険性を十分に検討しえぬまま導入に甘んじたのだろうかと「国民の欺瞞性」をご指摘なのですね。

質問者様のご主張も解るのですが、私としては必ずしもそのようには考えてはおりません。
福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、また必ずしも反原発の立場ではありません。

よって、このたびの事故が私達国民の欺瞞にいずるもので、このたびの事故の本質なのかどうかという点については疑問を呈したまでで、仮に近しく考える余地があるとすれば、むしろ他律的ゆえに安心信仰に陥り易いようにも思えるため、だから文頭に有事の際の可能性を示唆してさあどうでしょうねと申し上げた次第です。
敢えて欺瞞と己を問い正すなら、やはりアメリカ頼みな面が否めず、日米の退避区域の見解の差異に翻弄されてしまった点でしょうかね。

猪突先生のご質問に言及なさっていらっしゃいますね。
質問者様の天皇制に触れたご回答がとても印象に残っております。
私も質問者様同様に天皇制との連関を考えていたのです。
先に申し上げた他律性で他人頼みな側面が個々のムラ意識に由来するもので、自己抑制し逸脱し難い行動姿勢は村八分的ないじめを自ずと避け等しくみなされる利をもふまえて行動する傾向があるのではないかという意味です。

「それにも増して原発はその高度な専門性ゆえに、なかなか一般人には理解し判断し辛い面もあると思います。」と私が申し上げた点については、立証し難いと察せられる医療事故にも通ずるような不透明感を抱いたまでです。
現状の一企業の裁量に任せることは今後見直されてしかるべきだろうと私も質問者様と同様に思います。

一方、質問者様の「それをしなくても補償金さえ貰えれば、あるいは、日常生活さえ便利になれば、といって深く検討しようとしない(むろん私を含めた)国民の精神的風土こそが今回の災害の本質ではないでしょうか。」というくだりについては、あまり建設的ではないように拝察しますし、話は戻りますが、経済性や利便性重視だけでは語れない安全信仰に陥り易い他律性が見出せると思います。

そして最後に互いの質問について。
まず、質問者様の「自分の住む地域に原発を作る案が浮上したらどうなさいますか? むろん、反対なさるでしょうが、…」に対しては、必ずしも反対するかどうかはわからないと申し上げておきますね。
地震大国の日本にはたして原発設置が本当に無理なのか否か。
これは決して私達だけの問題ではないでしょうし、反面教師として捉えている各国の原発にも影響を及ぼしているはずです。
ゆえに「原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか」と現状では思うに至ってはおりません。
もっとも、ご指摘の通り国民の間でもっと論議が盛んになってしかるべきかと私も思っております。

そして私のほうからもお尋ねします。
「なぜ両立しないのかよくわかりませんが、むしろ両立させるべきではないでしょうか。おざなりの対策がなされる前に。それが本当の意味の復興ではないかと私は考えます。」というくだりについてです。

今ある既存の原発の危険性につき、今回の事故を鑑みあらゆるリスクに対する対処方策は早急に必要かと存じますし、数年先まで大規模余震が予測されている以上はなおのことだろうと私も弁えております。

でも、事故がおこてしまった以上は、いかにこれ以上の被害を食い止め、可能な限りの浄染対策にも尽力するかも不可欠ではないでしょうか。
いったい何をもって「なぜ両立しないのか」と私に仰るのだろうかと、こちらのほうこそまったくわかりかねるのですけれども。

この回答への補足

お礼欄、最後の項目について補足します。

猪突さんの言葉を借りると、「自虐的」な解釈だったかもしれない、と思い直しました。
つまり、mashumaro3 さんは、(論理上は)決して両立を否定なさっているわけでない、と解釈いたします。

ただ、
「>どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。」
という発言内容は、【少なくとも】「>原発の最新事情と先々の他原発の危険性」に関する注力を促進する方向には向いていない、ということだけは確かでしょう。
だからといって否定しているわけではありませんから、「なぜ両立しないのか」と問われることを不本意にお感じになっても不思議ではありません。
しかし、本質としては『この時期、過剰に「原発の最新事情と先々の他原発の危険性」を云々するのはいかがなものか』という意図であるはずです。
この点に関して過剰すぎることはないというのが私の考えですので、その意味で過剰に反応したのだ、と解釈していただければ幸いです。
    

補足日時:2011/04/15 15:51
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>至らぬ拙文ゆえ、我が意が上手く伝わらなかったようで申し訳なく思っております。

いえ、それはこちらが申し述べなければならないセリフでしょう。

>質問者様は反原発のお立場なのでしょうか。

はい。

>だから、結果論的になぜその危険性を十分に検討しえぬまま導入に甘んじたのだろうかと「国民の欺瞞性」をご指摘なのですね。

いえ。
そういう論理にはならないと思うのですが。
原発という悍馬を扱おうというのですから、推進に際しても、そういった欺瞞性は排除されるべきでしょう。
推進派が事故を願っているはずもないのですし、事故に至らないための策に関して述べています。

>また必ずしも反原発の立場ではありません。

反原発というお立場ではない、という点はわかりました。
これは人それぞれでよろしいんじゃないでしょうか。
それに関して論ずるだけの技量も今は持ち合わせておりませんし。
ただ、
>福島第一と第二の違い、さらには女川が避難所にまでなっているという点にも着目しておりますし、

とおっしゃる内容とどう関係しているのかよくわからないのですが、ご面倒でなければ鈍い私に教えてください。
まさか、第二と女川が無事だったのだから、第一の事故だけに注目すべきではない、とおっしゃっているわけではありませんよね。

>むしろ他律的ゆえに安心信仰に陥り易いようにも思えるため、だから文頭に有事の際の可能性を示唆してさあどうでしょうねと申し上げた次第です。

他律性という点で通底しているものがあると私も思います。
他律性=欺瞞性と考えることができると思うのですが、
>原発はその高度な専門性ゆえに

他律的でも致し方ない、つまり「国民の欺瞞性を論ずるのは当たらない」とmashumaro3 さんはお考えなのですよね。
それは理解しているつもりです。

>他律性で他人頼みな側面が個々のムラ意識に由来するもので、自己抑制し逸脱し難い行動姿勢は村八分的ないじめを自ずと避け等しくみなされる利をもふまえて行動する傾向があるのではないか

深く同意いたしますが、「>高度な専門性」というだけの理由で原発にはそれが適用できないとするご見解が納得いきません。
それこそ、賛成という意志が最初にありきの結果論的ご見解ではないでしょうか。

>立証し難いと察せられる医療事故にも通ずるような不透明感を抱いたまでです。

不透明であるならあるでその旨を公表すべきではないだろうか、というのがわたしの考えです。
それをしないのは政・官・業なわけですが、(猪突さんへのお礼にも記しましたとおり、現状に対する批判は当質問の眼目ではないため、)むしろ今回は、それをさせない、という、まさにおっしゃるところの他律性という欺瞞について考えたいということです。

>~というくだりについては、あまり建設的ではないように拝察しますし、話は戻りますが、経済性や利便性重視だけでは語れない安全信仰に陥り易い他律性が見出せると思います。

かのくだりはあくまで皮肉です。
しかし、皮肉必ずしも本質ではないとも言い切れません。
結果としてこういう皮肉を否定できるだけのことを何もしていないのではないか、ということです。

>必ずしも反対するかどうかはわからないと申し上げておきますね。
>「原発不要の政権をなぜ誕生させられないのか」と現状では思うに至ってはおりません。

わかりました。
お答えいただきありがとうございます。

>でも、事故がおこてしまった以上は、いかにこれ以上の被害を食い止め、可能な限りの浄染対策にも尽力するかも不可欠ではないでしょうか。

全くおっしゃるとおりです。

>いったい何をもって「なぜ両立しないのか」と私に仰るのだろうかと、こちらのほうこそまったくわかりかねるのですけれども。

「>どうしても原発の最新事情と先々の他原発の危険性や是非に注視しがちになりがちですが、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興をもまた願ってやみません。」
という#10の発言を、
「今は、原発の危険性や是非を論じている時期ではない。こんなくだらない質問をしている暇があったら、今現在災いを蒙っている福島県民や近隣県住民のことを思い、可能な限りの再生と復興に注力すべきではないだろうか」
という内容に解釈したからです。
つまり、両立ではなく、一方を優先させるべきだというご見解ですよね。
他に解釈のしようがないと思いますが、わたしの感覚がおかしいのでしょうかね。^^;
ただ、詰問調になっているようで、その点はお詫びいたします。
表現の未熟さをお笑いつつご寛恕のほどお願い申し上げます。
    
  

お礼日時:2011/04/15 15:30

エネルギー事業はある程度は分散化を目指して、ある程度は自由化する


必要があると思います。それには、勿論規制は必要だと思いますが。
例えば、

・オーナーや幹部はプラントの近くに住居をかまえなくてはならない。
 (リスク管理の向上の為)

・オーナーや幹部も、ある程度の知識や技術を有していなくてはならない。
(お金がない下請けの雇われオーナーを避けるため)

・オーナーや幹部は、人となりに対しても審査を有する。
(自爆テロに利用されない為)

など、課題がまだあるかもしれませんが。

この回答への補足

どういったメリットがあるのでしょうか。
と記しましたが、自由化に関してです。
  

補足日時:2011/04/15 14:22
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>エネルギー事業はある程度は分散化を目指して、ある程度は自由化する
必要があると思います。

そうなんですか。
なかなか大胆なご見解と感じましたが、どういったメリットがあるのでしょうか。

>・オーナーや幹部はプラントの近くに住居をかまえなくてはならない。
 (リスク管理の向上の為)

これは私なんかもよく考えます。
東京湾に原発を作るぐらいの心構えがないと、建設すること自体、倫理に悖るのではないでしょうかね。
(実際に作るかどうかはまた別の問題ですが)

お礼日時:2011/04/15 14:21

>それも含めてどう思われますか?という質問ということです。

言葉不足でしたかね。

>そうならないように良い方法はないでしょうか、という質問ですね。


そうでしたか。「仕方ない」というタイトルと、「今回の事故は、こういった経緯を経ずに、また原発の危険性を十分に検討せず、あいまいに妥協してしまったために起きた事故と言えるのではないでしょうか。みなさんはどう思われますか?」

 という最後の文章を読んで、言えるか、言えないか という回答のみ欲していると判断したのですが。

 そういうことであれば、最後に「そうらなないように良い方法はないでしょうか」と付け加えておけばよかったのではないですかね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> そういうことであれば、最後に「そうらなないように良い方法はないでしょうか」と付け加えておけばよかったのではないですかね。

そうかもしれませんね。
  

お礼日時:2011/04/15 13:31

貴方の仰ることは一見筋が通って居りますが、ここでマキュアベリの言葉を思い出してしまいました。

彼はかの有名な『君主論』の中で、「今まで皆さんは政治はどうあるべきかと言うことを話したり書いたりして来ましたが、私はこの本で、政治はどうあるべきかではなくて、どうあるのかを論じます」との趣旨を述べています。マキュアベリから政治学が始まったと言われる所以です。

貴方の論点の中で、官僚や公共性の強い会社の幹部が日頃どう行動しているのかの視点が完全に欠落しているようにお見受けします。所謂役人や役人もどきの連中のことです。実態は知りませんが、東電はあれだけ公共性があるのだから、多分幹部の殆どは天下りだと思います。どなたかもしこの情報を知っている方が居られましたら教えて下さい。いずれにしても公共性の高い会社の幹部は役人と殆ど同じ発想をする筈です。

さて、役人の本質とは何でしょうか。それは、どんなにカッコいいことを言っても「保身」がその本質です。人のことや国のことなど、自分の身の安全が保障されない限り先ず考えてはいません。2~30年程前にワンマンと言われた医師会の元会長で喧嘩太郎と綽名されていた武見太郎の『21世紀は慢性肝炎が蔓延する』だったと思いますが、こんな変な題名の付いた彼の自伝を読んだことがあります。その時には何でこんな変な題名が付いているんだろうと不思議でしたが、その後の厚生省の役人の天下り先だったミドリ十字で起こした肝炎問題で、はたと気が付きました。武見は、その本ではっきりと言っては居りませんでしたが、そのことを暗に既に予言していたのですね。

この本の中で、武見が何で厚生省の役人といつも喧嘩するようになったかの経緯を紹介していました。戦争直後、慶応大学医学部の教授だった武見に、厚生省の役人から進駐軍の幹部の所に出てこいと言われました。そこに言ってみたら、厚生省の幹部が武見に

「アメリカさんの言うことは何でもはいと聞いてくれ。絶対に喧嘩しないように」

と言われたので、何のことだろうと訝っていたそうです。そしたら、アメリカさん曰く、

「今度チフスに関する人体実験を日本人にしたいから協力せよ」

とのことでした。この時武見さんは断固としてそれを拒否して、結局日本での実験は取りやめになりました。その本で武見さん曰く

「皆さん、役人て言うのはこんな者ですよ。国民の健康を司る筈の厚生省の役人が、国民の健康のことなんか全く考えていない。考えているのは、どうその場をやり過ごして、自分の退官まで浪を立てずにいられるかという自分の保身だけです。私は、この経験からその後医療行政を絶対に厚生省の役人に任せては駄目だと知り、私の目の白いうちは、日本医師会を厚生省の思いの侭にさせないと決意したのです」

その後武見さんも歳を取って引退を余儀なくされてしまいましたが、その引退直後の医師会の会長選挙で、厚生省の息のかかった人が会長に選出されたようです。まあ、これで日本の医療行政も一巻の終わりと相成ったのだと思います。あの肝炎事件も確かに、武見さんが引退してからしばらく経って出て来た問題でしたからね。

さあ、役人てそんな面があるんですよ。だから、役人とはどうあるべきかなんて言っていても何も始まらない。それよりも、こんな役人を相手にしながら、どうやって原発を比較的安全に動かして行けるかと言うことを論じるのが正解だと思いす。

残念ながら、貴方の論法は「どうあるべきか」ばかりですので、役人や東電の幹部の人達に笑われて終わりだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>いずれにしても公共性の高い会社の幹部は役人と殆ど同じ発想をする筈です。

そう考えるのが順当なのでしょうね。
政府・保安院・電力会社の馴れ合い所帯といった感じはよく伝わってきます。
責められて後が無くなれば切捨てるのでしょうが。
詳しい内情は知りませんが、体質に関して特に視点が欠落しているつもりはないのですけどね。
いずれにせよ、なかなか面白いお話をお聞かせくださりありがとうございます。
読書量が豊富でいらっしゃいますね。

>だから、役人とはどうあるべきかなんて言っていても何も始まらない。

それはおっしゃるとおりです。
そこに重点を置いているつもりは全くありません。
東電や役人政府を今更責めても得るものを少ない、という考え方は一貫しているつもりです。
むろん非難がましいことはどこかで書いたかもしれませんが、全体をご覧いただければ、末梢の部分であることがたぶんおわかりいただけると思います。
どの記述をご覧になって、そのように思われたのでしょうか。
個人一人ひとりの意識について問うているつもりなのですが・・・。

>それよりも、こんな役人を相手にしながら、どうやって原発を比較的安全に動かして行けるかと言うことを論じるのが正解だと思いす。

残念ながら、貴方の論法は「どうあるべきか」ばかりですので、役人や東電の幹部の人達に笑われて終わりだと思います。

なるほど。
実効性に薄い、というわけですね。
まあ、それは政治家にお任せするしかないのではないでしょうか。
私たちとしては、そういうことができる政治家を選べるような確かな目を養うことが急務と言えるでしょう。
そのため個人の意識改革が必要になるのではないか、という発想ですが、とくに珍しくもないと思います。

一種のエールとして受け止めるべきなのでしょうが、
cyototu さんらしからぬ論理ですので、ちょっと揚げ足をとらせていただきますと、
>「どうあるべきか」が無い状態で、
>どうやって原発を比較的安全に動かして行けるかと言うことを論じる

ことができるものでしょうか。
いえ、この点に関する反論は不要ですよ。
結局、個人の意識変革と、しかもそれが合意(民意)として表面化するまでにはある程度の時間が掛かります。
その意味で、
>残念ながら
>役人や東電の幹部の人達に笑われて

しまう、のはそうかもしれませんね。
おっしゃるとおりでしょう。
ただ、
>終わりだと

は思いません。
それに、それほど大それたことを考えているというより、思っていることを言ってみたい、というだけのことですし。
まあ、この当たりは単なる見解の相違ということになりましょうかね。
       

お礼日時:2011/04/15 14:06

>原発事故が起きるのは仕方がないと考えることが今、最も必要とされているのではないか、と私は思います。



違う。

最も必要なのは直ちに今回の事故を想定内にするということだ。
なぜなら、原発の大事故が発生した現実がある以上、もはや同じ規模の地震や津波はもちろん、知り得た過去の天災は全て想定せざるを得ないのだ。

原子の火が灯ってからたかだか50年程度。50年に1回ずつこんな事故が起こっていたのでは国が滅ぶ。100年に1回でも危うい。
住める土地がなくなる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>もはや同じ規模の地震や津波はもちろん、知り得た過去の天災は全て想定せざるを得ないのだ。

知り得ない可能性(危険性)をどこまで想定できるか、とうことになるのでしょうね。
たとえば15mの津波を経験したら、20mでよしとするのかどうか。
30m以上あっても不思議ではないような気がします。
壊れ難くするために厚さや強度も改善する。
その上で高台へ住宅を移動する。
いくらお金をかけてもいいはずです。
そして、そう思えるためにはどうするのがベストか、という実効性を伴なった具体的方策なりセオリーが必要だと思うのです。
  
>100年に1回でも危うい。

そうですね。
さらに、100年【ごと】に来るわけではありませんからね。
明日、再び起きてもおかしくないわけです。
    

お礼日時:2011/04/15 13:14

端的に言うと「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょうか?



で、今回の件は人事が尽くされていたのか、という議論になりますね。

目下この国の一大事であることは間違いない事実ですが、「津波が来ても高さ○mまでは耐えます。なお、日本国内で観測された最も高い津波の高さは△m(当然○より小さい値)です」という情報を地域の住民の皆さんに流していて、もし今回の津波がその想定値を上回っていたのなら、「しゃーない」と思います。

頭ではそう思っていても、感情では相当に難しいことだと思いますが、そう思わざるを得ないとは思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>で、今回の件は人事が尽くされていたのか、という議論になりますね。

そう言ってもいいのですが、今回の件に限らず、
人事の尽くし方が(わたしたち自身の)欺瞞性によって不十分なものになっているという事実を認識する必要があるのではないか、ということになるでしょうか。

>「津波が来ても高さ○mまでは耐えます。なお、日本国内で観測された最も高い津波の高さは△m(当然○より小さい値)です」

この場合の「高さ○m」をどの程度の値にするか(できるか)、ということです。
「もし高さ○m以上の津波が来たら死者は〇人、家屋は殆んど全壊、生き残った〇人は100kmほど先での避難生活を一年以上強いられるでしょう。しかし、それでも仕方ありません。この原発はそれ以上の安全性を担保できない構造になっています」
と言われたら、改めて危険性に関して考え直すのではないでしょうか。

>もし今回の津波がその想定値を上回っていたのなら、「しゃーない」と思います。

それが本来の受け止め方だと思います。
ただ、今回の場合、その心構えが整わないまま原発が稼動していた、と言えるでしょう。
次回の津波が起きた場合には、明確に「しゃーない」と思えるだけの十全な対策を(事前に)見直すべきではないかと思います。
  

お礼日時:2011/04/15 13:27

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