
生活の中での嬉し悲しは、どこか、非常に抽象的でもあるし、また、それ以外の点においても、むしろ、抽象的な生活というのは、すごくあるのではないかと思います。
具体は、抽象から現れてくるのであるという考えもありますし、抽象は、具体から摘出されたものだと言う考えもありますし、考え方は色々ですが、はたして、どれほど、「はじめに具体あり」なのだろうか?
具体的なことははたして、どれほど抽象的なものに対して、優位を誇っているのか?
そのような疑問も僕は意識しましたが、
質問は、
「抽象的な生活」
ただこれ↑において、みなさん、なにかご考察、ご感想、あればお願いします。
(僕としては、自分自身の生活も、自分の近隣の社会も、いうなれば、具体的な生活意識から、抽象的な生活意識に随分移行してきているような気がします。)
A 回答 (12件中11~12件)
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No.2
- 回答日時:
現在の「満足」の方向性が「有体・無体に関係なく心を充足するもの」
という定義付けをされていることにより、おっしゃるように
「現代の抽象的な生活意識への変化」という形で受け取ることもできます。
日本の文化として、はっきり言うことを「歯に衣着せぬ発言」といって
あまりよく思わない傾向が存在するのもご存知ですね。
ですから、目的として「…できることになる」というのがあって、
更にその具体的解決法として「~を手に入れる」というものがあれば、
いきなり「~が欲しい」と言うと物欲の旺盛さを殊更強調することに
つながり、「…できるようになればなぁ」と言う前振りをして、
それに対して相手から「じゃあ~があればいいのでは」という答えを
引き出すことができれば、角の立たない発言、という感じで解釈されます。
こういった傾向から、日本に「抽象的な生活」という考え方が生まれるに
至ったのでは、と考えてみました。
jujutaujutaさんの言うとおり、抽象と具体が不可分であることについては
私も異論はないです。
>現在の「満足」の方向性が「有体・無体に関係なく心を充足するもの」
という定義付けをされていることにより、
多くの人が、外部的充足を求めていた頃から、内外を問わずさまよう心の表れ、このように私は思ってみたりします。
このさまよう心の表れ、そしてさらなる動きが、抽象的生活かな?
とも思います。僕的には。
心というものの抽象面が、そのまま生活に浮いてきているような。
>。。。こういった傾向から、日本に「抽象的な生活」という考え方が生まれるに至ったのでは、と考えてみました。
何故、歯に絹を着せるようになったのか?
物欲の旺盛さをシルクで覆わねばならなかったのか? 具体的というものの名において、多くを隠すとは何事か?
抽象の名において、多くを希釈、亡きものにしてしまうとは?
このような思いも個人的にはありますが、
それらを一切配して、まるまま言語的意味を汲み取りつつ、各々の回答者の思いで、
「抽象的な生活」
この、ただこのことについての考察をいただきたく思いました。
歯に絹を着せるといった代表例にみる文化的傾向から、「抽象的な生活」という考えが生まれてきた。
ご回答ありがとうございます。
思惑な生活?
>jujutaujutaさんの言うとおり、抽象と具体が不可分であることについては私も異論はないです。
この定位置を決め込むアプローチに、一石と言わず、かなりの石を投じたいという勝手な思いもあります。
抽象と具体は不可分。(だから?)
(不可分であると言えるのは、経験的に?
それとも、脳科学的に?想像論、記憶論、
具体抽象の及ぶ範囲は広大です。)
また、なにも決めえない、無知識を前提とした状態から出発してみるのも、いいかもしれませんが、ここではあえて、
「抽象的生活」
に焦点をあてました。理由は、NO,1さんの御礼にあるとおり、恣意的ですが、回答者の皆様には、それぞれがおもうとおり、考察するとおりを、回答としていただけたらと思います。
No.1
- 回答日時:
私個人の感覚ですが…。
抽象と具体は表裏一体かつ不可分な事柄だよ。
どちらも始めではなく主従もないよ。
我々が人間は;
身体 → 具体的
精神 → 抽象的
でしょう?人間は具体的かつ抽象的存在。
「抽象的な生活」だけができるかな?問えるかな?
問いの立て方が少し違うような気がするんだ。
ひょっとしたらこういうこと?
具体的生活意識 → 仕事、家族、遊び、について。
抽象的生活意識 → 人生、倫理、哲学、について。
もう一度明確に問いを立て直してみてはいかが?
納得いかなかったらごめんね。
この回答への補足
質問に関する補足説明のために。
>ひょっとしたらこういうこと?
具体的生活意識 → 仕事、家族、遊び、について。
抽象的生活意識 → 人生、倫理、哲学、について。
それは、考える人が決めることで、今回、僕は「抽象的生活」について、言葉以外の条件を出しません。
どのような意識が、「抽象的生活」というのに用いられるのか?
そのようなことも知りたいと思っています。
が、僕の恣意とは切り離された考察こそ求めています。
ですから、いただいた回答は、そのまま、僕の恣意とは関係なく寄せられたものとして、受け取っています。
>我々が人間は;
身体 → 具体的
精神 → 抽象的
でしょう?人間は具体的かつ抽象的存在。
果たしてそう言い切れますか?
僕は、人間とは、具体的でも抽象的でもなく、ただの枠組みだと思います。
どのような枠組みかというと、便宜上で変化を遂げさせられ続ける、枠組みです。
だから、ロボット人間などが出てきたときには、まさに便宜上、何度でも変化するものです。
具体的な精神というのも、示唆できませんか?
ロボットの精神は具体的?抽象的でしょうか?
>「抽象的な生活」だけができるかな?問えるかな?
問いましょう。
問うてみましょう。あえて。
問うてしまえば、考察は案外できるものだし。
なんて。
一応、それ(「抽象的な生活」)が、質問です。
アドバイスありがとう。
>もう一度明確に問いを立て直してみてはいかが?
いえ、そこをあえて行きましょう。
其のところに意味を求めた質問です。
以下、質問形態がこれに至った説明です。
>納得いかなかったらごめんね。
あやまる必要が何処に?
ですが、考え方は色々でき、具体と抽象が不可分という考えも、具体抽象に関する思考の、無数にあるアプローチの一つです。アプローチは無数であるのです。
「抽象的な生活」
ただ、これ↑について、なにか考察が無いかな?
みんなどういう風に考えるのだろうか。
こういうわけで、質問させていただきました。
季節のせいか、何のせいか、なにか、自分含め界隈が、止まったようにしんと静かになっているときが、普段の半分くらいあります。
前までは、こういうことはありませんでした。
これは、僕が抽象的生活を思ったきっかけですが、僕の恣意とは関係なしに、意見をいただけたらと思います。
>問いの立て方が少し違うような気がするんだ。
これを回答として頂き、これを導いた思考を、考察としていただきます。
どうもどうもです。
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