『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

4年ほど前、京都の紅葉で有名なお寺に行った時の事。
お茶を飲みながら庭の紅葉を十分に堪能して帰ろうとした時、どういう流れかは忘れましたが真言の話を同行者とすることになりました。
(おそらく住職の話に出たか、寺の掛け軸にあったか)
で、軽い気持ちで「昔、猿飛佐助のアニメがあって、主人公のサスケが『オン キリキリバサラ ウンハッタ』と唱えて色々な術を使っていたよ」
という話をしました。
また「孔雀王という漫画で『アビラ ウンケン ソワカ』なんても言ってたな」とも。

すると遠くでそれを聞いていたご住職がとんできて
「そういう言葉をみだりに発してはいけない」
という話を15分ほどされました。

そのお寺は紅葉のライトアップなどをしていて、観光地のお金儲けという様相が強かったので、そういう寺の住職が説教するとはよほど重大なあやまちを犯したのかと怖くなってしまいました。

それらの言葉はどんな意味があるのでしょうか。

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A 回答 (9件)

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。



で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民の不幸を」なんて間違えてしまったら、その通りになってしまう という感じ?



表は観光地化していても、仕事上みんなの幸せを願う呪文を毎日お仕事として唱えてはいるんじゃないかと。



日本人は映画を観て「サノ〇ビッチとか」「アス〇ール」「ファ〇クユー」とかみだりに言いますが、それをもしアメリカ人に言ったら、ただじゃすまされない事態になってしまいます。
そういった禁句を、日本人がみだりに唱えているのを見て、アメリカ人は複雑な気持ちなんじゃないかと。
知らないからみだりに言えるわけで、時があっていたら、床に叩きのめされてしまうでしょう。

これが言葉の力の恐ろしいところ。


良い呪文であっても、厳かな言葉をみだりに使うってのは、価値を認めていないってことになり、、、、
例えば古代バビロニアあたりでは、神の名をみだりに唱えてはならなかったので、エルとかエールって神を代名詞で呼んでいたんですね。
意味は「我が主」。

ユダヤ人もそれにならって、エルと表記していたのですが、大贖罪をするときは大祭司は神を呼び出すために、神の真名を唱えていたらしいです。
7年に一度後継者に神の本当の名前を教えていたのだそうです。

一般人や他の聖職者にどうして教えなかったのかというと、その言葉をみだりに使われないためと、敵に名前を知られると、神が呪術で呪われてしまうから。



日本も昔<諱>というものがあったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

<これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。>

遠山の金さんは、遠山金四郎景元が本名で、景元が諱。つまり景元が本人の本質を表した文字なので、親とか上司しか知らなかったってわけです。
敵に知られると、呪術で支配されてしまうと信じられていた。


ってことで、この文化の人たちが信じていることを部外者の人がみだりに使うって、よくないんじゃないかと。
例えば、日本人は子供をみて「かわいいなぁ」と左手でなでたりしても問題ないですが、インドでそれやったら、親は烈火のごとく起こる。
文化の違いで、あっちではとんでもないことになるわけです。
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15分も説教されて、なにも判らなかったのですか?



お寺がワビサビで、くすんだもの、モノクロの世界だという誤解は多くの常識人の中にも多いです。
仏教には二つの面があって、一つは自ら修行する事で世の中を救うというもの。これが質素なイメージの仏教です。
もう一つは民に極楽浄土を示して、救われようとする希望や自立心を発起させようという姿勢。金色の対物や極彩色の彩りはこのためです。
昔は世間にあまり派手な色が多くなかったので、極彩色の寺院や金銀の仏があれば、皆華やかな気分に包まれたでしょう。
色が溢れている現代において、ライトアップはそれと同じ意味合いを持ちます。決して金儲け主義とは関係ありません。

真言は、言葉自体に力を持つ呪文のようなものです。
「言霊(ことだま)」というのを聞いた事があると思いますが、人に対し罵倒すると、そのマイナスの力が相手に作用して不幸にするとか。逆に誉めるとプラスに作用するという奴です。
真言はそれを、更に強く作用させる言葉なのです。
そして「ちちんぷい」のような呪文とは異なり、要するに外国語です。

外国の言葉や習慣を理解しないで外国に行き、或いは外国人に対してとんでもない言動に及び、殺されたり逮捕されたりする日本人は報道されないだけでかなり多い。
日本でソープランドをトルコ風呂といってトルコの人達が激怒した過去があります。聖地という意味でメッカという言葉を多用してモスリムの人たちが激怒した過去があります。
でも実際の所、日本人の中には「何でそんなに怒る必要があるのか」という意見が多かった。
外国人が罵倒しても馬鹿にしてもエヘラエヘラしていられる平和ボケの日本人だから、愛国心や強い宗教心を持たない日本人だから実感できないのです。

それに多くの漫画に出てくる真言は、相手をやっつける為のものです。つまりさほどの危機感も無く話す言葉は、相手を傷つけたり殺したりする為の言葉なのです。

多分、現在も真言と同じ言葉を使われている国であったなら、漫画や小説でもそのまま書くような事はないでしょう。
信じていない、ただの観光客から見れば照明もたんなる商業主義だし、真言も「ちちんぷい」も差が無いでしょうが、信仰に生きている人にとっては大きな意味と実現力のある言葉なのです。
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私も若い頃に似たような体験があります。


札所にもなっている由緒ある観音様の霊場にお参りした時の事でした。
観音様のお姿を一目見たいと思い、本堂の前の柵を乗り越えて扉を開けようとしました。
すると近くに居た住職の人から、大きな声で、それは結界ですよ
結界を破ってはいけませんよ、と言われました。
ああそうか、礼儀知らずで悪い事をしてしまったのか、と思いました。
住職の方は年配の女の人でしたが、非礼を詫びて話をしたところ、実に温かみのある人でした。

心の広い仏様の前でも、最低限守らなければいけない礼儀というものがあります。
真言は仏様の本名のようなものだと思います。
お寺の境内で、仏様の本名を軽々しくあざ笑うような事もやってはいけない事なのだと思います。
仏様の徳を面前で侮辱するようなものです(少し大げさかもしれませんが)
観光化されたお寺に遊びに行っても、やはりそうした礼儀は守るべきでしょう。

私と同様に貴重な体験をされたと思ってください。
お寺が遊びの場所であっても、そこで仏様をけなすような事だけはしないように注意なさってください。
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お寺っていうのは世間とは隔離された場所ですから、おそらく


「俗な会話をするな」
っていう意味だと思います。

せっかく隔離された場所で俗と同じ会話をしていたら「お寺」の意味もないですからね
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昔から 仏教でも 声というのは大切な精神的な要素として認められてきました。



有名な「経」という一字も、 単に言葉を意味しているのではなくて、音声という気持ちや生活のすべてがそこに繁栄される世界を意味していて、大切にされてきました。

でも、 音声は 例えば現代の日本では歌の世界で重視されていませんし、現代の日本人は聞く耳も衰えているといわれていますが、 ベルカント歌唱法のような心や自然な体の使い方を大事にする世界では  発音の正しさなんかよりもずっと大切な歌の要素として扱われていたりしますし、西洋人のほうが今では 音声から人の心や想いの世界を直接に理解する能力は高いとも言われているわけです。

でも、それは昔からそうだったわけではないはずです。

ともかく 少なくとも昔の仏教では、 声の世界はとても大切にされていて、 そこに生活の大切な思想とかのすべてを込めた 音声を発するための言葉を文にしてきた歴史があったりするわけです。

念力というのは、物理的にはほんのわずかの 小指の力にも及ばない力しか発揮できませんが存在はします。 念を入れることでわずかな力は実際に働きます。

それが たとえば、その念が正常で深く 優しく相手の体をいたわって 痛むところをさすってあげたりすれば、 それだけではわずかな力や効果であっても やがてそこから気脈の世界を発見して医学の基礎を築いた昔の仁術の達人達のように、 長い間には その想いの世界は 実際の世界にも通用する知恵となったりするのですが、

そういう念を 深い知恵の言葉と一致させることで 人にも歌のように心を通じ合わせ念を通じ合わせより大きな たとえば平和への力としてゆくことを、昔の知恵のある人たちや仏教の修行者たちは求めていたと思います。

今ではたしかに、 そこまで考えて真剣に現代人には現代人の必要な世界を考え必死にそのへんを教えてくれる人とかいなくなっているかと思いますが 昔の人の知恵への敬服の心は残っていて、それがビジネスや形骸化した信仰とか、一部金儲けのための逆方便のような偽善に使われていたりしようとも、   おそらく 15分も真剣に怒ってくれたことには、そのへんの敬服の心からの まじめな心によるものと思われます。

過去の文化遺産をともかく守るという程度のものとなっているのかもしれませんが、どうせならそのもともとの意味合いと深さを、もっと、もっと、私たち現代人にも解かりやすく教えてくれる、真剣な人が住職がたくさん出てくるといいと私は思っていますが、

ともかく 経(音声とともにある言葉)や それを唱えるもともとの意味合いは深い哲学や知恵の跡が隠されていたりします。  

たしかに 大切な点を注意されたのだとは思いますが、 だからといって、みなさんが言われるように 怖くなる必要は無いでしょう(笑)。

アニメや漫画に使われるのは、 おもしろおかしくするための盗用です^^。

なおさら そんな気でおしゃべりしただけなら気にする必要ないですね^^。

私、ここに書いている『~』内の言葉の意味は解からないのですが、 全体からそんな類推回答をしてみました。
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その住職がバカなだけです。

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言霊使いです。

言葉は意味を知って使うから「用」を成すので意味も知らず今回のように使うのは全く大丈夫ですので安心してください。

そういうことも知らず勉強もせずに注意したこの坊さんは無知極まりないので、反対に怒り返していいくらいです。

たとえば、ある新興宗教の宗派で「アーメン」をいえば世界は平和になると言ってますが、内心はお金がもうかればいいと思っているので全然世界は平和になりません。

このように言葉とその時考えていることによって実現されるものが変わりますので、どのような言葉もその言う人の心によって変わります。意味だけで変わるものではありません。

言う言葉と意味と心の3つが揃わないと効力は薄いのです。
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お金をはらって(寄付して)も感謝されないというのは、不条理ですよね。


でも日本はそういう世の中なのです。残念ながら。

奉納金・通行税・お布施を「はらわさせてもらって」ありがたいとおもえ!
ということです。
おじじこそアラヒトガミ。絶対なのです。

この説教の背景には、
他人からお金を搾り取る権利は、おじじのみに属し、

なおかつ、何が正しいことかと決定する権利=

世の中の「へそ曲がり」を矯正する絶対的親権が、おじじのみに帰属するという
基本理念が存在します。

おじじこそがただしい。
おじじがきほん。

愚民は、「だまって」金だけ払っていろということです。

別に不思議なことではありません。

自分は無知で質問しているくせに
回答者を軽んじ、感謝もせず、質問する自分が偉いと勘違いして、回答者に感謝もしない。

回答させてやるのだから感謝しろ!というこのコミュニティーの一部の人間(老人)と
ある意味、共通する部分がある
といえるのではないでしょうか。
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ちょっと調べたら、



*オン キリキリバサラ ウンハッタ→マントラのアレンジ<密教の呪文>です。


*アビラ ウンケンは、<大日如来>の事のようです。

*ソワカ→真言宗の何かです。

だから、安易に言葉として発する事が、駄目だからでしょう。
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Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q大日如来様のご真言の意味を教えて下さい

大日如来様のご真言の意味を教えて下さい。
オン バザラダト バン



ナウマク サマンダボダナン アビラウンケン

の意味を教えて下さい。

Aベストアンサー

宿題かな? 上だけ説明します。

オン = おじぎ、敬礼
バザラ = 金剛
ダト = 界
バン = 金剛界大日如来の種字 (胎蔵界では ア (ア字観のア))



「金剛界の大日如来樣を讃えます」
と言うような内容です。

たいていの真言は
「◯◯様をたたえます」とか
「諸仏に従います、特に○○様」
と言った内容です。

Q陰陽道の呪文教えてください

趣味で書いている小説に陰陽道の呪文を使おうと思っているのですが探してもなかなか見つかりません・・。
教えて欲しいものとしては

陰陽師物の本などでよくカタカナ表記されているような呪文、
急急如律令の前につく呪文、
(妖怪などを)封印、捕まえたりするときの呪文、
式神などの召喚の呪文。

等です。
出来れば意味や関連サイトなども教えてくれると嬉しいです。
では、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ご質問への直接の答えではないのですが・・・。
「陰陽」「急急如律令」で検索したら下記のようなページが出てきました。

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?u=www.wasurena.sakura.ne.jp/%7Ekirin/onmyou/onmyoudou-jyuhou.html&w=%E9%99%B0%E9%99%BD+%E6%80%A5%E6%80%A5%E5%A6%82%E5%BE%8B%E4%BB%A4&d=50EBE06A9C&c=465&yc=21409&ou=%2fbin%2fquery%3fp%3d%25b1%25a2%25cd%25db%2b%25b5%25de%25b5%25de%25c7%25a1%25ce%25a7%25ce%25e1%26hc%3d0%26hs%3d0

後は、そうしたことに関して書かれていそうな本が紹介されているURLです。

http://www.harashobo.co.jp/jujutsu/siryou.html

最後は、陰陽道に関係した話題を話し合う掲示板のようです。
今はもう稼動していないようですが、内容を読めば参考になることもあるのでは?

http://www5b.biglobe.ne.jp/~scene-1/scene21/shinden/bbs/583806240539165.html

ご質問への直接の答えではないのですが・・・。
「陰陽」「急急如律令」で検索したら下記のようなページが出てきました。

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?u=www.wasurena.sakura.ne.jp/%7Ekirin/onmyou/onmyoudou-jyuhou.html&w=%E9%99%B0%E9%99%BD+%E6%80%A5%E6%80%A5%E5%A6%82%E5%BE%8B%E4%BB%A4&d=50EBE06A9C&c=465&yc=21409&ou=%2fbin%2fquery%3fp%3d%25b1%25a2%25cd%25db%2b%25b5%25de%25b5%25de%25c7%25a1%25ce%25a7%25ce%25e1%26hc%3d0%26hs%3d0

後は、そうしたことに関して書かれていそうな...続きを読む

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
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Q左肩につくものは何ですか?

 左肩と右肩には、どちらに先祖霊がついて・・・などあったと思いますが、左肩は何がつくのでしょうか?

 3日ほど前から、貧血のように目が回ると言うより額を中心に回っていて、とても具合が悪い状態が続いています。
 つい先ほどなんですが、真っ暗い部屋に入った時に左肩の上に黄色っぽく光るものがあり、正面を見ていてもその光が視界に入ってくるほどでした。自分でも何だかわからなかったのですが、もしかしてこの具合悪さは何かがついているのかと思いました。

 左肩はどんな存在が付くのかお分かりの方がいましたら教えてください。
またその対処法も教えていただけたら嬉しいです。

Aベストアンサー

個人的な経験ですが、幼少期から霊感などが強く、人の未来なども見えます。

経験的には、左肩が痛い時は、余り良い場所にいない時が多いです。
横になっていて悪い霊が入ってくるのは、大体足元から入ってきます。
自分を助けてくれたりする、良い霊の場合は頭から入ってきます。
両方とも無重力状態になり、入ってきた場所から痺れてきます。
子供の頃はなすすべが分かりませんでしたが、今では生きている自分の方が強いと言う気持ちで、追い払えます。

因みに、先日ですが、叔母と話をしていて、南東に三つの光を見ました。金と銀を合わせた様な光です。
その光が、叔母の娘たちである事は解ったのですが、方位と、順番と光具合が分かりませんでした。
でも、叔母と話をしていて、三つの光の順番や揺らめき方などを解く事が出来、その後叔母に次々と娘たちから福が舞い込みました。
その時の、私の感覚は息を飲む幸せ、としか表現出来ず、光の強さとその幸福感に、精神的に躁鬱を繰り返しました。
私自身は振り回されて大変でしたが、叔母達には沢山の福が舞い込んだので良かったです。

余談になりましたが、黄色っぽい光なら、悪いものではない気がします。独断になってしまいますが。
自分が酷い目に会う時は、尋常じゃない恐怖感や、現実と夢の堺で襲われたりします。
因みに、先日叔母の後ろから煙が上がりました。昔から何度か見ている、ひいおじいさんの現れ方は、煙が多いです。その時は、右肩から煙が上がりました。

先祖の霊がどちらにつくとか、そう言う事は明確に分かりませんが、自分に着いた時は左肩を、右手で払う事をしたりします。
後は、悪いと感じた者には「負けない」と言う、思いですね。
ただ、幼少期、良く霊が着く時、くるくると視界が回ったのを覚えています。今も、眠っていて金縛りに会う時は、頭の中がくるくる回ります。
状況は違うかも知れませんが、生きている私の方が強い負けいないって思いで、いつもはねのけます。気合いですね。
悪いものなら、負けない!って言う思いが大切ですが、黄色い光って言うのが、少し気になりますね。
良い事が起きる前兆で綺麗な光を見る事がありますので。
少し、自分の周辺を調べてみてはいかがでしょうか?

長くなりましたが、少しでも参考になれば幸いです。

個人的な経験ですが、幼少期から霊感などが強く、人の未来なども見えます。

経験的には、左肩が痛い時は、余り良い場所にいない時が多いです。
横になっていて悪い霊が入ってくるのは、大体足元から入ってきます。
自分を助けてくれたりする、良い霊の場合は頭から入ってきます。
両方とも無重力状態になり、入ってきた場所から痺れてきます。
子供の頃はなすすべが分かりませんでしたが、今では生きている自分の方が強いと言う気持ちで、追い払えます。

因みに、先日ですが、叔母と話をしていて、南東...続きを読む

Q浄土真宗の家のものが、あびらうんけんと唱えてもいい?

以前付き合っていた彼氏の家が熱心な仏教徒で、大阪は生駒山宝山寺へ月参りにいくので、わたしももともと興味があったのでいつも一緒にいっては「あびらうんけんあびらうんけん」とご真言とともに般若心経をとなえていました。

月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるのと聞いたのですがそれは本当ですか・・・?もうだいぶあいてしまっていますが。

よく考えたら私の実家は浄土真宗らしいのです(熱心ではないと思いますが)、あびらうんけんって真言宗ですよね。(般若心経は死んだ祖父も唱えてたような気もするけど。。)浄土真宗の家のうまれの人は「あびらうんけん」唱えるのをやめたほうがいいでしょうか。
もしくは、浄土真宗から勝手な判断で個人で真言宗にくらがえしても大丈夫でしょうか。
般若心経を唱える前に、なにかとなえたいのですが、なにをとなえたらいいでしょうか
仏様をどなたか、おしたいしたいのですが、どなたが私にあっているのかわかりません。
大日如来様は真言宗ですが、熱心でないとしても仮にも浄土真宗の家のものがおしたいしても大丈夫でしょうか。
わかりにくい文章ですみません。

以前付き合っていた彼氏の家が熱心な仏教徒で、大阪は生駒山宝山寺へ月参りにいくので、わたしももともと興味があったのでいつも一緒にいっては「あびらうんけんあびらうんけん」とご真言とともに般若心経をとなえていました。

月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるのと聞いたのですがそれは本当ですか・・・?もうだいぶあいてしまっていますが。

よく考えたら私の実家は浄土真宗らしいのです(熱心ではないと思いますが)、あびらうんけんって真言宗ですよね。(般若心経は死んだ祖父も唱えてた...続きを読む

Aベストアンサー

 私は浄土真宗の人間ですから、浄土真宗の立場については少しお話できるとともいます。
問1、月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるか?
 浄土真宗の立場からすれば、そのようなことはまったくありません。父母が自分の子供を不幸にしてやろうと思うかどうかということです。たとえ墓参りにこなくとも、毎日一生懸命生きている自分の子孫たちを不幸にしようとする御先祖様はいないと私は思います。そして、こちらがわは自分の父母やご先祖様に不幸でいてほしいとは思わないでしょう。お互いにそう思っていれば良いのではないでしょうか?
 浄土真宗でも他の宗派と同じように、墓というものを大切にします。ただ、墓はあくまで遺体の奉安所であり、故人とのつながりを確かめ合い、今をご先祖様方のお陰をもって生かさせていただいていることを、感謝する気持ちをあらわす場所です。「墓に亡くなった故人の魂が宿る」とか「墓参りしないと罰が当たる」などは迷信としてとらわれません。
 墓参りについて言えば、それを仏縁として自分自身が仏様の教えに会うということを大切にします。

問2、浄土真宗の家のうまれの人は「アビラウンケン」唱えるのをやめたほうがいいのか?
 浄土真宗の立場からすれば、望ましくないということは言わなければなりません。基本的には浄土真宗は「南無阿弥陀佛(阿弥陀様に身も心もお任せします)」という趣旨の宗派だからです。もしあなたのおっしゃる「あびらうんけん」が「オンアビラウンケン」ということであるのなら大日如来に身も心もお任せしますという意味ですから、二人の仏さん同時に任せちゃう浮気者になっちゃいますよ(笑)まあ、「大日即弥陀(大日如来=阿弥陀如来)」なんて考え方もあるくらいですから、仏様はそんな堅いことは言わないでしょう。ですが、浄土真宗としてはあくまでメインは阿弥陀様です。

問3、浄土真宗から勝手な判断で個人で真言宗に鞍替えしても良いか?
 宗旨替えということに関して言えば、かまわないと思います。もし宗旨替えをするのであれば、家族にその旨はしっかり伝えたほうがいいでしょう。もし、自分が家の施主(寺にその家族の代表として登録されている人)であるならば、しっかり寺に出向き「離檀(檀家をやめる)」届けをしなくてはいけません。それが、義理かと思います。

問4、般若心経を唱えるまえに何か唱えたい。
 これも質問の意図が、「般若心経をよむ以前に他の経典にも触れておきたい」ということなのか「般若心経をよむ直前に、何か称える真言をおしえてほしい」のかがちょっと曖昧なのでわかりませんが、
 まず前者ならば、仏教全般を学びたいのでしたら般若心経はもってこいのお経だと思います。しかし、浄土真宗の立場で言えば『般若心経』はよみません。分かりやすく解説すると「般若=仏の智慧」ですから、『般若心経』は「仏の智慧の心のお経」となるわけです。そのような尊いお経をわれわれのような凡夫(なかなか煩悩から離れられない人々)が正確に理解できないという立場からよみません。浄土真宗では『正信偈』という偈文から、入るのがわかりやすいと思います。
 そして後者であるならば、そちらの専門の方に聞くのが最も良いでしょう。(こんな答えですみません。)

問5、仏様をどなたかおしたいしたいが、どなたが私にあっているのかわかりません。
 厳しいようですが、あなたがわからないのであれば私にもわかりません。仏教は自覚の宗教などといわれることがあるそうです。自分と見つめ合ってよく考えてみなくてはなりません。
 また多くの宗旨に触れるというのもいいかもしれません。私も今は浄土真宗であるといっていますが、多くのお寺をたずねたり、本を調べたり、仏教系の大学の講義を聴いたり、試行錯誤した時期がありました。そうしたことで、見えなかったことが見えてくることもたくさんありました。目からうろこで楽しいですよ。そして私は、浄土真宗は適していると思ったので、浄土真宗を名乗っています。
 あなたがそうなるかどうかはわかりませんが、しっかり自分の眼で見極めることが大切です。そして、自分が信じるべきものに出会ってください。

問6、大日如来様は真言宗ですが、仮にも浄土真宗の家のものがおしたいしても大丈夫でしょうか?
 これは問2の答えと同じです。そんなケチなことは仏様は言わないと思います。

えー、ながながかきましたが、煎じ詰めて言えば「自分がどの教えをもって生きて生きたいかです」それぞれの宗派にそれぞれ良いところがあるはずです。そういった多くの仏教を学ぶことで自らの仏教観をもってほしいと思います。人から言われたことを鵜呑みにするだけでなく、自ら考える力を養ってください。

駄文を書き連ねてきてしまいました。申し訳ありません。参考にしていただければ幸いです。合掌 南無阿弥陀佛

 私は浄土真宗の人間ですから、浄土真宗の立場については少しお話できるとともいます。
問1、月参りは途中でやめてはいけないしばちがあたるか?
 浄土真宗の立場からすれば、そのようなことはまったくありません。父母が自分の子供を不幸にしてやろうと思うかどうかということです。たとえ墓参りにこなくとも、毎日一生懸命生きている自分の子孫たちを不幸にしようとする御先祖様はいないと私は思います。そして、こちらがわは自分の父母やご先祖様に不幸でいてほしいとは思わないでしょう。お互いにそう思...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む


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