ここから質問投稿すると、最大4000ポイント当たる!!!! >>

母の死からもうすぐ100日になります。
母が亡くなった後、ヘルパーさんから不思議な話を聞きました。

ヘルパーさんのお母様が亡くなった後、百箇日位まで親戚の霊感がある人から、ちょくちょく電話がかかってきてお母様からのメッセージを伝えてきたそうです。
それは、ヘルパーさんの家の中の事で、遠くに住む親戚の人は知らないはず事ばかりでびっくりしました。
百箇日が近づくと、親戚の人に見えるお母様の姿もだんだん薄くなり、メッセージも減ってきたようです。
私の母と同じ病気で亡くなった方だったのですが、亡くなってすぐの様子は 入院中に出来なかった色々な事をして結構気楽にやってるよという話だったので、死んでも無ではないんだなぁ、母も病気から解放されて楽になったかな、ということが私の支えでした。

ホーキング博士の「死後の世界はない」という発言がちょっと淋しくて、でも博士もまだ生きているわけだしと思うのですが、
「無ではないかもよ」というエピソードを聞かせて頂いたら嬉しいです。

今回は、死後の世界があるかないかではなく、(生きている人にはわからないのだから)
「無ではないかも」限定でお願いします。

百箇日過ぎたら、より前向きに生きて行きますのでよろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (12件中1~10件)

うちのじいちゃんが死んだ時。

。。

霊感の強い従兄の子が、葬式で「あそこにじいさんいるよ」と言っていた。
自分は霊とか信じないタイプだから「ふ~ん」って流していたけど、その従兄の子は、葬式までうちに来た事がなかったんだよね。

んで、じいちゃんが生前、部屋の出入りに使っていた窓があったんだけど、そこから出入りしているよ~と従兄が教えてくれたのには驚いたよ。

そこの窓から出入りしているのを知っているのは、うちの家族だけ。。。
どう見ても、通常は出入りに使うような窓ではないから、従兄が知る訳ないんだよね。
「マジで。。。?」と思ったけど、それを聞いたうちの父ちゃんは「そうか、じいさんが歩いているか。。。」と嬉しそうにしていたよ。

うちのじいちゃん、死ぬ時はもう歩けなかったからね。
死んでから、膝の痛みも無く、歩けるようになったんだな~と思ったな。

怖い幽霊とかは見たくはないけど、家族とか「もう一度会いたい」と言う人であれば、幽霊でもいいから会いたいと思うよね。
    • good
    • 77
この回答へのお礼

そうなんです。幽霊でもいいし、夢でもいいから会いたいんです。
気持ちをわかって下さって本当にありがとうございます!

母も膝を悪くして、亡くなる前は車いすだったので、
姪っ子の夢で、忙しそうに歩きまわっていて「ばあちゃん、もう病気治ったよ」と言ったという話がとてもうれしかったです。
それが夢の話でも、keitisanのお父さんのように嬉しいです。
従兄の方のお話、興味深いです。不思議です。

お礼日時:2011/06/03 19:09

もう、だいぶ元気になられたのではと思いますが。



私も数年前に母を亡くし、立ち直れないでいた時、会社の先輩から頂いた本に救われました。

「ジュリアの音信―不朽の霊信」

「無ではないかも」と思える本でしたよ。

現在入手は難しそうですが、著者の 「ウイリアム・T. ステッド」 で検索すると本の内容や興味深い話がでてきます。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/product-reviews/47952915 …
    • good
    • 17
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お陰様で、もとの生活に戻り、涙を流すこともなくなりました。
百箇日 「卒哭忌(そつこくき)」とはその通りだなと思います。

でもやはり、時々 母はどうしているのかな、母からのメッセージが欲しいなと思ってしまいます。

リンク先のレビューも、ウィリアム・ステッドという人もとても興味深く、是非読んでみたいと思います。
無ではなさそうだと思えます。

こうして、また新しいお話が聞けるのもとても嬉しいです。
締め切りはまだ少し延ばしたい思います。
ご回答いただいた皆様、ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/16 00:24

死後の世界はあります。

もちろん身体を持っている人間には入ることは出来ません。なぜなら必ず障壁というものが形成されているからです。つまり次元と空間が異なる場所で、生と死の間にある世界です。
    • good
    • 27
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「死んだら無」ではないと実感された体験談等を聞かせて頂ければ嬉しいです。

お礼日時:2011/06/07 21:31

こんにちは。



>私のは脳の現象なんですね。
私も光の世界に居た時は、「躍動」とは思いませんでしたよ。
その前後にした色々な体験によってそういう答えになっています。

多分、そこには全てがあるのだと思います。一つではありえない静と動も、西と東も、過去と未来も、神と人も、人と人も、そこでは”一つ”として存在している様に思えます。
一つなんですが個々がある。その個々が一つ単体のエネルギーだけで宇宙を焼き尽くせると言われても特に驚かない様な本当にものすごいエネルギーだと思いました。

私はむしろ死後の世界はものすごくエキサイティングな世界だと踏んでいます^^
    • good
    • 17
この回答へのお礼

”一つ”として存在してるのに、個々がある。そこには全てがある。エキサイティングな世界!

私もその時がきたら、体験できるかしら?なんだか、楽しみになってきました!
いつも、ありがとうございます。

お礼日時:2011/06/07 21:21

こんにちは。



>おだやかな世界

そんな事は全然ありませんでした^^
躍動の極みの様な世界です。それでいて興奮とかとは全く違う静かな状態で躍動の極みであれるのです。
そこに存在する要素一つ一つが、各々の単体エネルギーだけ宇宙が爆発するんじゃないかという位の大爆発的に大全開で躍動活動しているのに、何一つぶつかる事の無い完全な調和の世界で、その調和が私が静かと思った所以です。
    • good
    • 19
この回答へのお礼

再度コメント頂きありがとうございます。

>大爆発的に大全開で躍動活動しているのに、何一つぶつかる事の無い完全な調和の世界

イメージしたことのない世界です!面白いですね。
以前、ヨガの後の瞑想で、虹色の光の後、金色から白く輝く光を見て、それはこの世のものではないくらい美しく、死んでこの光の中に行くのなら死は怖くないと思いました。
私の光の世界はこんなイメージでした。

私の場合は脳の現象なんですね。

「躍動」とは、とても新鮮で興味深いです!

お礼日時:2011/06/04 20:37

こんにちは。



私の体験です。
よく臨死体験をした人は「木があって、動物がいて、花が咲いていて~」などと景色を見ますが、私は景色は一切見えず、ただただ光のみが見える世界でした。光と言ってもかなりの光量なのに全くまぶしいと感じない光です。
その光は心でした。
その光が私に何を伝えるでも無く、ただそこに居るだけで伝わってくる心がありました。
それは、たとえ自分をなぶり殺しにした人であろうとも、この世界に入れないのはとてつもなくかわいそうだから、自分をなぶり殺した事など全く構わないので是非この世界に入ってきて欲しいと願う様な世界/心でした。
時間も空間もない(全く異なる観念)心の世界でした。

その世界は今私たちの隣にある。次元が異なる世界の事が認識できてないだけで、多分ここに同時に存在している様な感じでした。



別の体験ですが、私が学生だったころ、建築業でアルバイトをしていて、3階建てを建てている時でした。
お昼になって、親方などは先に定食屋に行ったのですが、一番下っ端だった私は3階で後片付けをして皆を追いかけました。
すると、もう私一人の筈なのに、3階から降りる階段の音(まだ建築中なので鉄むき出しの階段)が私の後ろにもう一人分。
普通なら直ぐに振り向きそうなものですが、その時の私は1階まで降りたら見てみようと何となく思いながら降りていき、1階に着いた時に振り向きました。そこに居たのは冬服を着た私(その時は夏で、自分自身は夏服でした)が私の方をニヤニヤしながら見ているのです。
普通はここで仰天しそうなものですが、その時の私は「あ、オレが居るな。。。あ、ご飯行かなきゃ」と直ぐさま振り返って定食屋に向かいました。



私は不思議な体験を沢山しています。
それらが死後の世界の存在を保証するものではありませんが、私は確信しています。
というより、多分死後の世界といってもどこか違うところに行くのではなく、あの心の世界、つまり今ここに同時に存在しているのであろうお隣の世界に行くだけなのではないかなと思っても居ます。
    • good
    • 30
この回答へのお礼

Apostleさん、ありがとうございます。
いろいろ不思議な体験をされたのですね。興味深いです~!

「その光は心でした。」
「あの心の世界、つまり今ここに同時に存在しているのであろうお隣の世界・・」
なんだかわかる気がします。穏やかないい所のような気がします。

「死んだら何もない!」と元気な時には言ってた母でしたが、だいぶ悪くなった時、「あっちの世界に行ったら本当に楽になるのかしら・・」といいました。

私が「あっちって、光の世界の事?」と尋ねたら、しばらく考えた様子で頷きました。
なんだか光の方に行って欲しかったから、「光の世界」を印象付けたかったんです。
ちゃんと行けたかな?
また、不思議な話聞かせて下さい。
こんなに遅い時間なのにコメント頂きありがとうございました。

お礼日時:2011/06/04 00:59

無ではないかも…経験をされたことが実際に無いと、こうした質問では信じてもらえる可能性が低いと常日頃から思っておりますが、体験で良ければ記させていただきます。


私の体験では、亡き祖母の遺言である百日目に京都本願寺へ分骨後、京都を知らない私たちにとって修学旅行以来の京都見物となり、その夜に自宅へ帰宅した明け方に見た夢であります。
祖母が枕もとに立って、“折角、京都の本願寺に連れて行ってもらったが、自分の知っている者が本願寺には誰もおらんかった。寂しいから、お前の後ろに着いて帰ってきた”と言うのです。そして、家の仏壇の正面からではなく、仏壇と横壁(側方)の隙間から仏壇の裏に回るように消えて行く夢でした。
私とすれば、遺言通りに実行し精神的にもようやく安堵したことに、反する夢でした。
その夢から11年経った今でも、どこからか、いつも見守られているように感じます。
大難が中難で済み中難が小難で終わること、自分だけの知恵やスキルではない他の力というか目に見えない何かに救われる…そうしたことが何回か起きましたので、亡き後は必ずしも無ではないと信じています。

貴女様にも、無とは言い難いことが、百箇日を過ぎた頃から、あるいは既に気付かないながらも起きている可能性があると思われます。亡き方が、貴女様を慕った情(愛)が深ければ深いほど、より強く現れることとなると私は思います。亡くなられても、どこかで見守っていますから安心して普段の生活を営んでください。
    • good
    • 25
この回答へのお礼

ありがとうございます。
夢で伝えられたリアルなメッセージですね。

百箇日を前に仕事の合間、母がお世話になった色々な方にお礼を伝えてまわっています。
通夜や葬式その後も、母だったらきっとこうしたいだろうという事が、そのまんまかなえられているように思います。
色々なアイデアが思い浮かび、ちょっと困難と思える事もすんなり事が運びます。
明日は実家に帰り、母の思うような片づけと模様替えをし、明後日百箇日を迎えます。
こうやって記す事で、心の整理がついてきました。
優しい応援を頂き、本当にありがとうございます。

お礼日時:2011/06/03 19:23

meido369さんこんにちは。



>百箇日過ぎたら、より前向きに生きて行きます

いいですね。ポジティブにいきましょう。

「無ではない」という意味では、輪廻という思想もあながち間違いでないと思いますので、
そのことについて考えてみましょう。

輪廻転生(りんねてんせい)は、たぶんキリスト系および一部の宗派以外では、
土着(ネイティブ)信仰にいたるまで幅広く信じられている根本思想です。

ご存じでしょうが、輪廻は簡単に言えば
人が死んだら魂だけが次の生命として誕生するという意味です。

この輪廻転生の謎に、現代科学で取り組んだ人物がいます。

ブライアン・L. ワイスという人です。
この人は、エール大学医学部で医学博士号を取得、
その後、マイアミビーチにあるシナイ山医療センターの精神科部長と
マイアミ大学医学部精神医学科の教授を務め 、
現在はマイアミ市にワイス・インスティチュートを設立し、
スタッフとともに患者の治療を行っているという経歴のれっきとした精神科医です。

ワイス氏は、退行催眠(催眠療法の一種で少しずつ過去にさかのぼって心の病原を探る)の最中に、
前世までさかのぼることに成功し、前世が外国人のばあいは全く行ったこともない他国の言葉を流暢に話したり、治療中に語られた前世の町並みが、後日調べてみるとピタリと符合したなどという臨床例がたくさんあります。

詳しくは、『前世療法』―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)
という本に書かれています。興味があったらどうぞ。

もし本当に輪廻があって、あなたのお母さんの魂がこの世に生まれ変わるのだとしたら、
きっとあなたの人生の中に、あなたを支えてくれる大切な人として登場するのかもしれませんね。

死んだら無になるなんていうより、こっちの方が優しげな夢があるように思えます。

人の死にはみんな意味があるのですから、
涙を人生の糧にして少しずつあゆんで下さい。
(けっこう力入っちゃった…汗)
    • good
    • 17
この回答へのお礼

ありがとうございます。
『前世療法』読んでみます。
カイロの先生から勧められたマッサージオイルの流れで、
エドガーケーシー療法について調べた事があります。
やはり無ではない、何かがある気がします。
おや、ちょっと元気になってきました。

お礼日時:2011/06/03 18:59

40代女です。


大好きな母が亡くなって20年以上たつのですが、今から10年くらい前だったか、私の結婚問題で父と大きないさかいが起きました。
そんなときに、突然、母が生前私に宛てた小さなメモがひょっこり出てきて、「お父さんをよろしくね」とと書かれていたもので。

死期が近いことを悟っていた母が、私の誕生日のプレゼントに添えて書いてくれたものでした。

ずっとどこかにまぎれていたのに、こんな時期に出てくるなんて…父の気持ちをもっと分かろう、私の気持ちも喧嘩にならないように伝えよう、と、反省したり、お母さん、ずっと見ててくれてるのかなあ、と何ともいえない、嬉しいような、切ないような、たくさんの気持ちになりました。


お互い、天国から見ていてくれる人たちを安心させられるように、生きていけたらいいですね。
がんばりましょう。
    • good
    • 24
この回答へのお礼

ありがとうございます。早くにお母様を亡くされたのですね。
「お父さんをよろしくね」に涙が出ました。
母もずっと父の事ばかり気にしていました。
心拍数がだんだん下がってもうだめなんだと思った時、母が思いを残すといけないから、ありがとうの言葉と「お父さんの事は心配しないで!」と伝えました。

そのタイミングでお母様からのメッセージ、きっとどこかで見守っていてくれてるんですね。嬉しいですね。
安心させられるように生きていきます。
応援ありがとうございます。

お礼日時:2011/06/03 18:53

とある本の話ですが。


亡くなった方に、また会いたいと思えば…来世でまた会えるそうです。

現世での出会いも過去世で、縁のあった方と再び巡り会ってるとも書いてました。。

気持ちだけでも、前向きに持つといいですね。
    • good
    • 30
この回答へのお礼

ありがとうございます。
日々、忙しくしているのですが ふとした時に色々思い出して涙します。
百箇日を区切りにしたいと思っています。

お礼日時:2011/06/03 18:43

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q突然死んだ母に会いたいと思うことがつらいのです。

おととしの春、母が突然亡くなりました。父もすでになくなっているので私は一人で暮らしています。
口うるさい面もあり、よく喧嘩もしましたが心優しい母でした。

父は死ぬ数年前から病気で入退院を繰り返してたので、心の準備ができていて父の死の悲しみは
すんなり乗り越えることができました。

しかし母はある日突然倒れて亡くなりました。まだ70代だったので、まさか突然死ぬとは思っておらず、母の死から2年たってもショックをいまだにひきずっています。

外で仕事をしてるときは気持ちが落ち着いてるのですが、一人で家にいたりすると、「死んだ母にもう一度会いたい」という思いがこみあげ、悲しみで胸が引き裂かれそうになることがあります。

心にポッカリ穴があいて、その穴を埋められないような感じです。

親が突然死ぬとこんなにも長く悲しみを引きずるものなのでしょうか。

悲しみを今も引きずってる私は心が弱いのでしょうか。

親の死の悲しみから、みなさんはどう立ち直ってるのでしょうか。

Aベストアンサー

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられないものですね。
しかたの無いことだと思います。
それを無理に忘れることは絶対に出来ないことです。

しかし、気を紛らわせることは出来るはずです。
おひとりになるときに思い出されるとのことにヒントがあるんじゃないでしょうか。
出来れば結婚されてご家庭を持つことが一番の解決につながると思います。
それには縁が必要ですので、自分の思うままなりませんね。

他には夢中になれる趣味を持つことです。趣味ができれば、その仲間が作れます。
仲間との馬鹿な話で笑っているときは、少なくとも忘れる時間が持てるはずです。

少しづつですが、時間も解決してくれることでしょう。
皆さん、そうやって乗り越えてきています。
質問者のあなたも、あせらずに解決していってください。

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられな...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q死んだ人と話がしたい

主人が亡くなりました。本当に突然何の前触れもなくなくなりました。
半年が経ち生活も落ち着いてきましたが、何か最後に話をしたかったのではないかと気になります。よくテレビで死んだ人と話をしているのを見ますがどこに行けばいいのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

多くの方が仰っていますが、残念ながら不可能だとお考えください。

というのは、現在いわゆる幽霊や死後の世界というものは人によって様々に(というか好き勝手に)言われており、自称霊能力者たちに都合のいいように作られています。彼らの詐欺的行為によってあなたのご主人との思い出を汚されてしまう可能性を考えると、おやめになられたほうが賢明でしょう。

また、テレビ(マスコミ)は基本的に自分たちの視聴率のみが重要なもので、そのためならば嘘を流すことも厭いません。特に、アンビリーバボー、USO、これマジ、といったものはもちろん、特命リサーチ、あるある大辞典など、嘘や誇張の情報を平気で流しております。あれは基本的にエンターテインメントとお考えください(エンターテインメントですから芸人さんや単なるタレントなどが司会やゲストをしています)。また、あのような番組に出ている自称霊能力者が実はカルトの教祖だったりすることなどは比較的多いケースです。

ご主人が最後に何か言いたいことがあるとするなら、それはあなたの思い出の中のご主人に尋ねるのが最もよいでしょう。

Q亡くなった人の夢を見ません。

去年癌で父を亡くしたのですが、よく夢で逢いに来てくれた、という話を聞くのに私は全く夢に父が出てきたことがありません。

元々寡黙な人で、病気の事もこれからの事も入院中は何も話してくれませんでした。
本当なら病気だって辛いはずなのに、「痛い」とか「苦しい」とか、そういった弱音を家族の前では決して言いませんでした。
亡くなる前に紙に何か書こうとしたのですが、もうペンを握る力も話す声も出せず、そのまま息を引き取りました。

夢に出てこないのは、残された私たち家族の事を何とも思っていないのでしょうか?
伝えたい事も何もないのでしょうか?
そればかりが心に引っかかってしまっています。

Aベストアンサー

30代既婚者男です。

まずはお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

>夢に出てこないのは、残された私たち家族の事を何とも
>思っていないのでしょうか?
>伝えたい事も何もないのでしょうか?

大丈夫ですよ。
お父さんはいつでも、あなた達家族のことを思い、そばにいます。
夢に出てこないから、何とも思っていないという事にはなりません。

お父さんがあなたに伝えたいこと。それはいつもあなたに向けて
伝えられています。
目を閉じて、静かにお父さんのことを想ってみてください。
必ず、お父さんからのメッセージが、あなたへと届きます。
あなたが、お父さんを思うだけで、意識のアンテナが繋がるのです。
それは映像や実際の言葉として届くのでは無く、あなたの日常の中の
様々な形で届きます。
あなたがふと目が留まった本やテレビに流れる言葉であったり、
ふと浮かび上がる思いなどです。

寡黙なお父さんだったからこそ、あなたに伝えたかった言葉は
たくさんあるはずなのです。
でも、お父さんは多くを語らずとも、自らの生き方をあなたに
見せることで、伝えたかったのかもしれませんね。

>本当なら病気だって辛いはずなのに、「痛い」とか「苦しい」とか、
>そういった弱音を家族の前では決して言いませんでした。

この中に、お父さんの優しさと強さを感じます。
夫として、父として、最後までお父さんは、お父さんらしい生き方
でしたね。
父親として、最後まで強くあなた達家族を守りたいという思いでは
ないでしょうか?
残していくあなた達家族の為に、お父さんが出来る精一杯の愛情
なのです。

あなたに今、お父さんにしてあげられることは、
あなたの人生を強く今を生きることなのです。
お父さんが安心して、次の場所へと進むことができるような
生き方をしてください。
それが残された者の使命ですよ。最後に紙に書こうとした言葉、
それはきっと、「ありがとう」だったのではないでしょうか。
最愛の我が子と出会い、これまでの人生はお父さんにとってとても
幸せだったと思います
ですから、夢に出てこないことをあまり悲観しないでください。
目を瞑り、心をお父さんへと向ければ、今もきっとあなたの心に
お父さんの言葉が届いているはずですよ。

30代既婚者男です。

まずはお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

>夢に出てこないのは、残された私たち家族の事を何とも
>思っていないのでしょうか?
>伝えたい事も何もないのでしょうか?

大丈夫ですよ。
お父さんはいつでも、あなた達家族のことを思い、そばにいます。
夢に出てこないから、何とも思っていないという事にはなりません。

お父さんがあなたに伝えたいこと。それはいつもあなたに向けて
伝えられています。
目を閉じて、静かにお父さんのことを想ってみてください。
必ず、お父さ...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
...続きを読む

Q亡くなった大切な人が見守ってくれていると思った瞬間教えてください

タイトルどおりなんですが…

亡くなった大切な人(ペットも可)が「そばにいる」「見守ってくれている」と思った瞬間はありますか?

私は先日母を亡くしましたが、その数日後に夢を見ました。
母より3年前に父が亡くなっているんですが、夢の中で私は遺族として家族の葬儀に参列していました。
その光景は母の葬儀の時と全く同じ光景なんですが(父と母では葬儀をした場所が違っていたので)、そこには母がいて、参列した人が母に向かって
「○子さん(母)、しっかり生きなきゃいかんよ」
と手を握って慰めていました。
私が「おかしいな、この光景は母の葬儀の時の光景なのに…」と思った瞬間、参列している人たちが私に
「お母さん残念だったね」
と声をかけました。
はっとして母の姿を探すと母はどこにもおらず、祭壇に母の遺影がありました。
私は慌てて「お母さん、消えちゃ嫌だ!」と叫び、その声で目を覚ますと、右手を誰かが握っている感触がありました。
母が末期がんで入院している時、私が病院に行くと必ず私の右手をぎゅっと握って離さなかった、その時と同じ感触でした。

それからはっきり目が覚めると徐々にその感覚もなくなっていきましたが、母がそばにいてくれると思いました。

皆さんの、「見守ってくれている」と思った体験をお聞かせください。

タイトルどおりなんですが…

亡くなった大切な人(ペットも可)が「そばにいる」「見守ってくれている」と思った瞬間はありますか?

私は先日母を亡くしましたが、その数日後に夢を見ました。
母より3年前に父が亡くなっているんですが、夢の中で私は遺族として家族の葬儀に参列していました。
その光景は母の葬儀の時と全く同じ光景なんですが(父と母では葬儀をした場所が違っていたので)、そこには母がいて、参列した人が母に向かって
「○子さん(母)、しっかり生きなきゃいかんよ」
と手を握って慰...続きを読む

Aベストアンサー

妹が20代で癌で亡くなっているのですが、3.11の前に、何回も何回も夢に現れて、なにかを私に必死に伝えようとしていました。いっしょに津波の映像が出てきて、うちは内陸県なのになんで津波?と思っていました。

3月10日に、ちょうど2時ごろ家でうたた寝をしていたら、妹の影がすっと見えた気がして、直後ものすごい揺れに襲われ、大地震だ、と叫びながら起きました。

それで翌日、3.11が来ました。うちは6弱の揺れで、被害はなかったのですが(花瓶やお皿はたくさん割れましたが)私が極度の地震恐怖症なのを妹は知っていたので、ああこれを教えに来ていたんだな、と思いました。

亡くなってからもう30年近いのですが、見守ってくれてるんだな、と思えました。

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q母の死・・受け入れ方

母が2週間くらい前に癌で亡くなりました。毎日病院に通いました。でも・・私はなにもできず、ただ、もう一度家に帰してあげたくて「頑張ってよくなって」「良くなってるからね」と、少しでも生きる力が出て、奇跡でも起こらないかな・・といのるばかりでした。お医者様からは、もう治療する方法はない・・と言われていました。あとはただ死を待つだけでした。そう言われて、心の隅では納得し覚悟もありました。でも・・どうしても諦めたくなかったから、母に生きてほしい、頑張れと言い続けてしまいました。今思うと酷だったのかな・・本当はもっと早くに楽になりたかったのではないのかな・・と思ってしまいます。通夜、告別式と、親戚が集まり、私に「良くやったね」「えらいね」と声をかけてくれます。でも・・そんな言葉を聞いても素直になれず・・(偉くなんかない・当たり前だし・もっとできる事はあったはずなのに・なんで、もっと早くから手を打たなかったんだろう・なんで・・なんで・・)と、声をかけられればかけられるほど・・悔しくて、悲しくて・・・
残された人が、明るく前向きに幸せに生きていく事が亡くなった人も安心して成仏できる・・・泣いてばかりいたら心配になってこの世に未練が残り成仏できない・・・見たいな事を言われますが、その通りかもしれないけど・・・
今私は泣いてばかりいて・・
母は、あちらに安心して行けないでしょうか?
安心して行ってほしいから・・泣かないって決めても、母の話などが出ると、涙があふれてきます。
どうしたら、もっと強くなれるのでしょうか?
どうしたら、母の話を冷静な状態で出来るようになるのでしょうか?

母が2週間くらい前に癌で亡くなりました。毎日病院に通いました。でも・・私はなにもできず、ただ、もう一度家に帰してあげたくて「頑張ってよくなって」「良くなってるからね」と、少しでも生きる力が出て、奇跡でも起こらないかな・・といのるばかりでした。お医者様からは、もう治療する方法はない・・と言われていました。あとはただ死を待つだけでした。そう言われて、心の隅では納得し覚悟もありました。でも・・どうしても諦めたくなかったから、母に生きてほしい、頑張れと言い続けてしまいました。今思う...続きを読む

Aベストアンサー

No.8です。

しつこいようですが・・・

心が追い付かないなら、追い付くまでじっとしていればいいんです。
急ぐことはありません。

亡くなった人を弔わなかったらよくないことが起きるという信憑をもたぬ民族はこの世界のどこにも存在しないでしょう。それを妨げる人にはよくないことがおきるかもしれません。

泣くことも弔いです。

物言わぬ死者の代わりに残された人間が何かをするというのが弔いです。
あなたがいることを覚えているよ、というのが弔いです。

弔いすぎるということはありません。

悲しめなくなったお母様の代わりにあなたが悲しむのも弔いです。

気のすむまで弔ってあげていいんです。

「いつまでも・・・・」は余計なお世話ですよね。

いつか心安らぎます。

ご参考まで。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング