論理学を下記テキストにて勉強しておりますが、
標記の件で理解できない箇所があったため質問
させて頂きます。
テキスト:論理学入門~日本放送出版協会(三浦俊彦)

∃xFxと∀xFxの関係について
 ∃xFx≡¬∀x¬Fx
 ∀xFx≡¬∃x¬Fx
と記載があり、この点において
 ¬∀x¬Fx は丁寧に書くと、¬(∀x(¬(Fx)))
 ¬∃x¬Fx は丁寧に書くと、¬(∃x(¬(Fx)))
と補足されていましたが、なぜ丁寧に書くと、上記のように
なるのかが理解できません。というのも、丁寧に書かれた
式を分配法則により展開すると、それぞれ
 ¬(∀x(¬(Fx)))→¬(∀x)¬(¬(Fx))→¬∀xFx
 ¬(∃x(¬(Fx)))→¬(∃x)¬(¬(Fx)))→¬∃xFx
になると思うからです。

私の考え方の、どこに誤りがあるのか、お知恵の拝借を
お願い致します。

A 回答 (3件)

先の方と同じ意見です。

「丁寧に書くと」というのは、本来はこっちという意。

>分配法則を教えて
とお書きですが、その入門段階に居られるのですから、そこにこそ『考え方の誤り』があるのではありませんか。
この世の中に【分配法則】という名の法則は確かにいろいろありますが、あなたが勉強中のそのテキストに、件の式が登場する以前に書かれていた「分配法則」それ以外に、当面は、他に「分配法則」は無い。そのテキスト外部からそのテキストの流れに介入するような「法則」を勝手に持込んだら、「論理学入門」は滅茶苦茶になる、と私は思います。

一言で言うなら、勝手に分配するな、分配法則がある場合にのみできるのだ。

暴言のほど、平にご容赦を。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

勝手に分配法則を適用しようとしていたこと自体
そもそも間違っていたんですね。

それにより、論理学が滅茶苦茶になることが
よく解りました。

手厳しいご意見でしたが、内容は実のあることで
感謝しております。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/15 11:53

>私の考え方の、どこに誤りがあるのか、お知恵の拝借を


お願い致します

「丁寧に書くと」というのは「誤解さえなければカッコを略して書いてもいいよ」ということ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

よろしければ、量化子と否定を含んだ命題についての
分配法則を教えて頂けませんでしょうか?

甚だ無礼で申し訳ありません。

お礼日時:2011/06/15 08:14

当方、専門家ではありませんが・・・



全称記号(ないし存在記号)と命題関数(術語)との組み合わせ全体の否定に対し、分配法則を用いることはできないのではないでしょうか?

無論、命題関数の組み合わせ(andやor)全体の否定については、分配法則が適応されます。

また、
>>>http://bach.istc.kobe-u.ac.jp/lect/tamlab/logic. …
∀xP(x) = P(a1) ^ ・・・ ^ P(an)
∃xP(x) = P(a1) v ・・・ v P(an)
<<<
なので

¬(∀x(¬(Px))) = ¬(¬(P(a1)) ^ ・・・ ^ ¬(P(an)))
= ¬¬(P(a1)) v ・・・ v ¬¬(P(an))
= P(a1) v ・・・ v P(an)
= ∃xP(x)
でしょうし、存在命題の方も、同様に変換可能でしょう。

あと、参考にされている書物の書評も参照された方がよろしいかと存じます。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/41400189 …

こちらも参考になると思います。
http://www.ne.jp/asahi/search-center/internation …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>全称記号(ないし存在記号)と命題関数(術語)との組み合わせ全体の
>否定に対し、分配法則を用いることはできないのではないでしょうか?
おっしゃる通りに考えると納得できます。
確かに、そのような前提であれば、式変形は正しくできますね。
しかし、対象領域が有限の場合に限られてしまう点が、疑問として
残ります…。

参考リンク、ありがとうございます。
特にamazonの書評については、私も読みながら参考にしています。
…当該本については、入門書として相応しくないかと考えております。

改めて御礼申し上げます。

お礼日時:2011/06/15 08:07

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Q非量化的?

「Heimは,定名詞句も不定名詞句も非量化的だが,どち
らも変項(variable)を必要とする,と分析した」という文章があるのですが、非量化的ってどういうことですか。量化子などの意味は分かるのですが・・・
議論領域の個体の量を「指定すること」が量化という意味なのでしょうが、量化「的」、非量化「的」というのはどういうことなのでしょうか。

Aベストアンサー

> 「非量化的」って何ですかと、高校生に聞かれたらどの様に説明しますか。

高校生というか、論理学を知らない人に量化のはなしをするっていうのがそもそも考えにくいんですけど。
本来はそういう専門用語を使わずに説明すべきなのであって、量化という言葉を使ったら負けだと思わないと。

たとえば、

all とか every とか most とかはね、前後の関係で指す物がはっきりわかるときに使う。
「それ全部」、「そのほとんど」、という意味ね。

でも、不定冠詞の a/an とか単に複数形の名詞っていうのは、それほど厳密に意味が決まるとは限らない。
不定冠詞の a/an は単数で「ひとつ」が基本なんだけど、「全部」って言う意味になることがある。
なぜか、単に複数形の名詞も「全部」を表すことがある。

A horse is an animal.
  =Horses are animals.
「馬は動物である」

A child needs love.
  =All children need love.
「子供には愛情が必要だ」

これってヘンだよね。
でもいつも「全部」っていう意味になるわけでもない。

前後の文脈で判断しなきゃならないし、「リンゴが好きだ」って言うときには
I like apples. とは言っても、I like an apple. とは言わない、っていうルールもある。

不定冠詞の a/an とか単に複数形の名詞っていうのはそういうちょっと変わったところがあるから、これから英語を読んだり書いたりするときにちょっと気をつけてね。

それで、なんでこんなにヘンなのって思うかもしれない。
こういう数量表現は論理学とか言語学で盛んに研究されているから、興味があったらそういう入門書を読んでみるのもいいかもしれないね。
でもああいう人たちは面倒な式を立てたりして、人を煙に巻くのが得意な人たちだから、分からなくても気にしないこと。
学問に限らず世間一般に、きちんと説明しないで専門用語を並べ立てる人は、本当は分かってないのに分かったふりをしているか、あなたをだまそうとする悪い詐欺師だからね。

> 「非量化的」って何ですかと、高校生に聞かれたらどの様に説明しますか。

高校生というか、論理学を知らない人に量化のはなしをするっていうのがそもそも考えにくいんですけど。
本来はそういう専門用語を使わずに説明すべきなのであって、量化という言葉を使ったら負けだと思わないと。

たとえば、

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Q論理学 多重量化とは?

学生時代に論理学を学んでいなかったので、
社会人10数年を迎えながら、論理学を独習しております。

教科書として、「論理学をつくる(名古屋大学出版会:戸山田和久)」を
使っておりますが、多重量化についての記述がわからなかったので
質問させていただきます。

具体的には、多重量化に関する記述として、

 ∀x(Ix→∃yNyx)
のように、同じ1つの述語記号に続く異なる個体変項のそれぞれを
2つの異なる量化子が束縛している。これはMLPでは決して起こらなかった
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場合を、重なり合った量化とか多重量化という。

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たしかに読みにくい記述ですね…。まず、「同じ1つの述語記号」が指しているのは`N'ですよね。そして、`N'の後には2つの個体変項が並んでいる、ということでしょうか。ご質問は「どの個体変項を指しているのか」ということですが、`Nyx'は論理式であって、個体変項ではありません。
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ですが1つ、「(片思いに)終わる」とゆう言い方が気になります。

宜しければ、正しい答えを教えていただけないでしょうか。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

 
二項変数関数のLxyの意味するところが、「xはyを愛した」という完了形だとすれば、時間における、完了事態も、これで表現できるのではないでしょうか。Lという関数を、どういう意味に定義するかによって、意味が違ってきます。

Lxyを、「xはyを愛する」という形にすると、時間的観念は論理式には入っていないので、「終わる」という意味が感じられないのでしょう。

しかし、xもyも、人間という集合の要素だという前提なら、人間は死ぬので、終わりがあり、「愛する」ことの可能な時間も限られているという暗黙の前提があることになります。

場合や出来事の起こる時間を表現する変数を導入すれば、一旦愛して、それから嫌いになるとか、最後まで愛することはなかったとか、時間関係の表現が可能になるのかも知れませんが、関数自体に、時間関係を入れるのが妥当でしょう。

ただ、

「∃x∀y(Lxy∩¬Lyx)」

これは、「あらゆ人を愛し、かつ、あらゆる人から愛されない、という人が一人は存在する」という意味ではないでしょうか。愛した、という完了にしても同じことが云えます。

∃x∃p∀y((Lxp∩{A:A∋p)∩(y∈A)∩Lxy∩¬Lyx))

まったく自信がありませんが、こんな感じになりませんか。特定の集合をどうやって定義するのかよく分からないので、以上のように書いてみましたが、「ある人が愛した人の集合A」が存在し、yは、あらゆるyであるが、Aの要素のyであるという前提が必要だと思います。

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yに束縛をかけないと、Lxyは「xはyを愛する・愛した」で、yの束縛は、xが愛したyですから、最初の式だと、すべての人を愛し、すべての人から愛されなかった人がいる、ということになると思います。

A(x)というような集合が定義できて、これは、xが愛した人の集合だとすると、

∃x∀y((y∈A(x))∩Lxy∩¬Lyx))

または、

∃x∀y((y∈A(x))∩¬Lyx))

または、

∃x∀y((y∈A(x))∩¬(x∈A(y)))

こういうのは、どうでしょうか。集合の定義を、どう論理式のなかに入れるとよいのか分かりません。
 

 
二項変数関数のLxyの意味するところが、「xはyを愛した」という完了形だとすれば、時間における、完了事態も、これで表現できるのではないでしょうか。Lという関数を、どういう意味に定義するかによって、意味が違ってきます。

Lxyを、「xはyを愛する」という形にすると、時間的観念は論理式には入っていないので、「終わる」という意味が感じられないのでしょう。

しかし、xもyも、人間という集合の要素だという前提なら、人間は死ぬので、終わりがあり、「愛する」ことの可能な時間も限...続きを読む

Q論理学 二重否定について

¬(P⋀¬Q) ⊢ P⇒Q
二重否定で解けるらしいのですが解き方が分かりません。
やり方を教えてもらえませんか?
あと、よろしければ二重否定を解くコツみたいなものがあれば、それもあわせて教えて下さい!

Aベストアンサー

¬(P⋀¬Q) = ¬P∨¬(¬Q) = ¬P∨Q = P⇒Q

【説明】
¬(P⋀¬Q) = ¬P∨¬(¬Q)では、
ド・モルガンの法則、
 ¬(A∧B) = ¬A∨¬B
を使いました。
(A = P、 B = ¬Qとすればよい)。

¬(¬Q) = Q

¬P∨Q = P⇒Q
は、定義ですよね。

コツといわれましても、特にコツと呼ぶべきものはないと思いますが・・・
基本は、
ド・モルガンの法則、
 ¬(A∧B) = ¬A∨¬B
 ¬(A∨B) = ¬A∧¬B
そして、二重否定
 ¬(¬A) = A
です。
あとは、分配法則。
 A∧(B∨C) = (A∧B)∨(A∧C)
 A∨(B∧C) = (A∨B)∧(A∨C)


そして、結果(導かれる式)をジッと見つめ、
 A = ¬(¬A)
と置き換えるべきかどうか、目星をつけるくらいでしょうか。

Q述語論理の量化子の問いです。

「あなたは任意の教会に行かなければならない。」と「あなたは全ての教会に行かなければならない。」を量化子を使って述語論理の論理式で表して下さい。

Aベストアンサー

質問の意図がよくわかりません。
任意の、と、全ての、はともに全称記号∀です。


人間 h があなたであること Y(h)
人間 h が教会 c に行かなければならないこと G(h, c)

あなたは任意の教会に行かなければならない

∀h, ∀c (Y(h) -> G(h, c))

あなたは全ての教会に行かなければならない

∀h, ∀c (Y(h) -> G(h, c))

--
「任意の」という意味が「どこかの」ということでしたら

∀h, ∃c (Y(h) -> G(h, c))

ということになりますが、そういう意図でしょうか。

Q【論理学】二重否定について

独学で論理学を勉強し始めた社会人です(前提知識ゼロ)。
二重否定について、教えて頂きたく質問させて頂きました。
質問点は2点です(下記IとIIについて)。

以下 中央公論新社刊 「入門!論理学」2006年9月25日発行 野矢茂樹著 P.60~61より引用
>>引用開始
「ある状況で『Aではない』と正しく主張できるのは、その状況で『A』と主張するとまちがいになるとき」
この規定に従うと、二重否定「(Aではない)ではない」が正しく主張できるのは、その状況で「Aではない」
と主張するとまちがいになるときだということになる。

ここで、下記3つの場合についての関係を見てみる。
(1)「A」は正しい。
(2)「Aではない」はまちがい。
(3)「(Aではない)ではない」は正しい。

(2)と(3)は否定の意味からして同じものである。・・・I
だから、いま特に考えたいのは(1)と(2)(3)の関係です。
(1)が言えていれば(2)と(3)は言えるのか。逆に(2)と(3)が言えていれば(1)は言えるのか。

まず(1)から(2)が言えるかを見る。
(具体例のため中略)
一般に、「A」が正しいとわかっているとき、「Aではない」はまちがいです。つまり、(1)から(2)は
問題なく言える。
(2)が言えれば、否定の意味から、(3)「『(Aではない)でない』は正しい」も言える・・・II
つまり「A→(Aではない)ではない」は成り立つということです。
<<引用終了

【質問内容】
まずIについて
 なぜ、(2)と(3)が否定の意味からして同じと言えるかがわかりません。

次にIIについて
 なぜ(2)が言えれば、否定の意味から(3)「『(Aではない)ではない』は正しい」と言えるかがわかりません。

かなり基本的な内容だと思うため、恥ずかしく思っております。
論理学の知識のある方、ご教授下さいますよう、宜しくお願いします。

独学で論理学を勉強し始めた社会人です(前提知識ゼロ)。
二重否定について、教えて頂きたく質問させて頂きました。
質問点は2点です(下記IとIIについて)。

以下 中央公論新社刊 「入門!論理学」2006年9月25日発行 野矢茂樹著 P.60~61より引用
>>引用開始
「ある状況で『Aではない』と正しく主張できるのは、その状況で『A』と主張するとまちがいになるとき」
この規定に従うと、二重否定「(Aではない)ではない」が正しく主張できるのは、その状況で「Aではない」
と主張するとまちがいになるときだというこ...続きを読む

Aベストアンサー

論理学は苦手のほうですが、参考までに。

高校の数学には「論理と集合」という単元があり、そこでは命題(真偽の決まる文)の真偽や必要/十分条件などを学びます。
数学や論理学でつかう「用語」と日常語とには若干ずれがあるので、「集合」を念頭に入れるとわかりやすくなります。

「太郎は日本人である」を例にすると例が日常的でわかりやすいのですが、この文自体が「真」とはかぎらないので(太郎はアメリカ人かもしれない)、

「2は偶数である」(1)を例にとります。

「2」は「偶数」の集合に含まれますから、これは真の命題です。
ここでは自然数を全体集合とします。(野矢氏のいう「ある状況」にあたるのが、ここでは「自然数」だと考えてください)

(1)の否定「2は奇数である」(2)は「偽(まちがい)」です。(2)
(1)の否定((2))の否定、「2は奇数ではない」=「2は偶数である」は真(正しい)。(3)

「文」とみれば、(2)と(3)は「違い」ますが、「命題」と見ると「同じ」(価値)なのです。この部分だけを見れば、高名な著者も少し言葉たらずかもしれません。

「文」と「命題」の違いは、

たとえば
「三つの辺が等しい3角形は正三角形である」と
「三つの角が等しい3角形は正三角形である」とは
同じ「命題」(同じ事態を指す)ですが、「文」としては違います。

Iが解消すればIIも同様に考えられるのではないでしょうか。

論理学は苦手のほうですが、参考までに。

高校の数学には「論理と集合」という単元があり、そこでは命題(真偽の決まる文)の真偽や必要/十分条件などを学びます。
数学や論理学でつかう「用語」と日常語とには若干ずれがあるので、「集合」を念頭に入れるとわかりやすくなります。

「太郎は日本人である」を例にすると例が日常的でわかりやすいのですが、この文自体が「真」とはかぎらないので(太郎はアメリカ人かもしれない)、

「2は偶数である」(1)を例にとります。

「2」は「偶数」の集合に含まれま...続きを読む

Qβジカルボニルのヨウ素による二量化??

有機の問題集(マグロウヒル大学演習)をやっていて、ヘテロ環のところで、パールクノールの合成法に用いるγジカルボニル化合物をつくるのに、

βジカルボニル化合物をヨウ素を用いて二量化を行っている反応がありました。

あの、アセト酢酸エステル合成法に用いるβジカルボニル化合物が2つ、カルボニル基に挟まれたアルファ炭素において二量化していたんです。

すごい反応だと思ったんですけど、解答にはその反応については何も触れられていませんでした。


個人的には、ものすごく有用な反応に思えるのですが、これは一体、どういった反応なんでしょうか?

人名反応なんでしょうか?

詳しく知りたくて調べてみたのですが、有機人名辞典などでカルボニルの項などを調べてみても見つけられず、ネットでも発見できなかったので、どなたかご存知の方がいればお願いします。

Aベストアンサー

この反応を知っているというわけではありませんが、もしかすると下記のような反応ではないでしょうか。
Y2CH2 + base → Y2CH^-
Y2CH^- + I2 → Y2CH-I + I^-
Y2CH-I + Y2CH^- → Y2CH-CHY2 + I^-
 ここで、Yはアシル基等と考えて下さい。

全体としては、
2 Y2CH2 + 2 base + I2 → Y2CH-CHY2 + 2 I^- + 2H-base^+
ということになります。
baseとしてはアルコキシドなどが使えると思います。

要するに、エノラートのハロゲン化とSN2の組み合わせです。

Q某物理学者が死後の世界を否定した件について。

某物理学者が先日、死後の世界を否定したのでニュースになっています。

[ロンドン 16日 ロイター] 
「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、
天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。
16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。>


高名な物理学者ゆえに、その発言力は大きいと思いますが、残念な
ことに、それには何の根拠もないようです。
また、それに反論する人も何の根拠もありません。
言い方は悪いですが、根拠のない適当なことでよければ誰でも言える、
というか、いちいちニュースになることでもないよーな気がします。

死後の世界があるかないかについて、「わからない」以外に解答など
ないと僕は思っていますが、みなさんはどうでしょうか?

Aベストアンサー

ホーキングさんはまともかとおもっていましたがだめですね。とくに年老いて死が近くなったからといって「知らないこと」まであたかも知ったように論じるのはたんに加齢による「悩乱」ですね。
おそらく死が怖くて仕方がなくなったのでしょうね。
この悩乱をまともに受け取る人もいるからもはや有害物質でしかないですね。
ホーキングさんは証明できない世界を否定する前に、何故あなたが生まれて病気にかかって、適当な物理学で暮らせているか考えて見る必要がありますね。人の子供が人であることを証明してみるのが先だと思いますね。
というようにホーキングさんの言動は単なる加齢による悩乱だとおもいますね。
物理や科学で証明できないことは五万とあります。そのために人間には「信じる力」というものが備わっているのですね。死後の世界はあるかと問われれば「厳然として存在する。」と答えるのが知りうる者の仕事ですね。判らないものは信じる努力をするだけですね。判らないから「ない」では「嘘つき」の汚名を被ることになりますね。

Q量化子がカッコの外と中にある論理式の解釈の仕方を教えてください。

言語学の論文が読めるように、記号論理学を学んでいる者です。基本的なところは押さえつつあるのですが、量化子を持った式のなかに、さらに量化子を持った式がでてくる場合、通常はどのようなステップで、その式が表す意味を解釈するのかどなたか教えて頂けると幸甚です。

例えば下のような式を解釈する場合は

∀x [[G(x)∧ ∃y [C(y) ∧ O(x, y)]] → S(x, y)]
G (x) : x は女の子である。
C (y) : y は猫である。
O (x, y) : x は y を飼っている。
S (x, y) : x は y をなでる。

①∀xを、一般の数式のようにカッコ内に分配したりとかしていくのでしょうか?

②それとも地道に
(i)∃y [C(y) ∧ O(x, y)]の部分を、まずxをあたかも定項のように扱って「yは猫である」と「xはyを飼っている」の積とし、「xは猫を飼っている」と考えた上で
(ii)∃を考慮し、「猫を飼っているxが存在する」
と訳し、
(iii)次にG (x)と今訳した部分の積を考えて「xは、皆女の子だ。そして、その中に猫を飼っているxが存在する」・・・このあたりから分からなくなってきます。
(iv)これを続けると「xは、皆女の子だ。そして、その中に猫を飼っているxが存在する。そういった場合には、(男女に関わらず)世の中のxは、yをなでる」というようになります。
(この式はロバ文の説明に出てきた式なのですが、もしかして、結局「ロバ文は1階述語論理式では表せない。これはその例だ」ということなのでしょうかね?(^_^;) 「S(x, y)が∃に束縛されていないのが問題だ」のようなトーンのくだりがありました)

③それとも他の見方をしていくのでしょうか。

どうぞ宜しくお願い致します。

言語学の論文が読めるように、記号論理学を学んでいる者です。基本的なところは押さえつつあるのですが、量化子を持った式のなかに、さらに量化子を持った式がでてくる場合、通常はどのようなステップで、その式が表す意味を解釈するのかどなたか教えて頂けると幸甚です。

例えば下のような式を解釈する場合は

∀x [[G(x)∧ ∃y [C(y) ∧ O(x, y)]] → S(x, y)]
G (x) : x は女の子である。
C (y) : y は猫である。
O (x, y) : x は y を飼っている。
S (x, y) : x は y をなでる。

①∀xを、一般の数式のよ...続きを読む

Aベストアンサー

論理の世界の中で言えば、与えられた論理式の「意味」を考えるというのは、検討対象の論理(一階述語論理かな)の枠外(メタ)の話なので、どうするのが正しいかは何も言えません。それぞれの人が好き勝手に「意味」を決めればよいです。極端な話、全ての論理式を「私は猫が好き」という意味だと解釈するという人もいるかもしれません。

ただ、まあそうは言っても、「意味」を考えたくはなりますね。そもそも論理式というのは、自然言語の文から、その論理構造だけを抽象化して取り出して、そのまま記述したものなわけで、逆に言えば、書かれた論理式をそのまま素直に読めば(登場する述語に具体的な関係を入れ直せば)、元の自然言語に戻るわけです。つまり②ですね。
①のように、一階述語論理の定理を使って論理式を変換してしまってたら、普通は、与えられた論理式の意味を解釈したものと言わないのでは。


提示の論理式の「意味」は
「猫を飼っている女の子はみなyをなでる」
ということになりますかね。
後ろのyは、束縛されてない変数(自由変数)です。自由変数が残っている論理式の「意味」は、よくわかりません。(大多数の人が同意するような「意味」は存在しないと思います。)

論理の世界の中で言えば、与えられた論理式の「意味」を考えるというのは、検討対象の論理(一階述語論理かな)の枠外(メタ)の話なので、どうするのが正しいかは何も言えません。それぞれの人が好き勝手に「意味」を決めればよいです。極端な話、全ての論理式を「私は猫が好き」という意味だと解釈するという人もいるかもしれません。

ただ、まあそうは言っても、「意味」を考えたくはなりますね。そもそも論理式というのは、自然言語の文から、その論理構造だけを抽象化して取り出して、そのまま記述したも...続きを読む

Q論理学とは?論理とは?

29歳勤務医です。
基本的な推論の体力や根気はあるので、ちゃんと読みますからできるだけ詳しく教えて下さい。

1。論理学の目標は何でしょうか?
~~学というのは例えば
医学であれば、ヒトの生物学的な知識、叉その人体への応用とか
数学であれば数や図形に関して正しい規則の発見と証明とか。
こんな様に実際的な目標や手段がはっきり分かれば良いのですが、論理学って一体何を目標として、何を手段としているのでしょうか?

2。また、他の学問が論理的なのは良いのです。論理的とは論理学において正しいということですよね。論理学は論理的に話をする前に「論理」の正しさはどういうように扱っているのでしょうか?論理とは何なのでしょうか。
直感的に正しいものが論理なのですか?論理は受け入れるしかないのでしょうか?
論理的である事に基礎をおいた学問はみんな直感的にしか正しさは示されていないのでしょうか?
数学で言う定義や公理のようなものは論理学には存在するのでしょうか?もしあるのなら知りたいです。
三段論法とかは証明できるのでしょうか。
自分で証明しようとしても当たり前すぎて出来ません。

3。教えてgooの物理の板で質問して仕入れた知識なのですが、現代物理学の最先端では同一の仮定から同一の結論が導き出せない事も有るかも知れないそうです。(具体的には全く同じ初期条件で宇宙を仮定しても時間と共に違う結果になる?そうなのです)そういう最新の科学の進歩によって古典的な論理学が退却を余儀無くされているのはホントですか?

本屋さんの論理学のコーナーの本は多くが、推論のトレーニングみたいな事をやっていて、このもやもやした気分には全然答えてくれません!

参考文献も挙げて頂ければと思います。
宜しくお願いします。

29歳勤務医です。
基本的な推論の体力や根気はあるので、ちゃんと読みますからできるだけ詳しく教えて下さい。

1。論理学の目標は何でしょうか?
~~学というのは例えば
医学であれば、ヒトの生物学的な知識、叉その人体への応用とか
数学であれば数や図形に関して正しい規則の発見と証明とか。
こんな様に実際的な目標や手段がはっきり分かれば良いのですが、論理学って一体何を目標として、何を手段としているのでしょうか?

2。また、他の学問が論理的なのは良いのです。論理的とは論理学にお...続きを読む

Aベストアンサー

最初から参考文献の話になりますが、以下の議論は
みすず書房から出ている
エドムント・フッサール著 立松弘孝訳 「論理学研究」
に全面的に拠っています。
全4巻構成で、訳書の第1巻が原書の1巻に相当し、第2~4巻が原書の2巻に相当しますが、
特に第1巻で論理学の位置付けについて、当時の論理学の基礎付けの中心的立場だった
心理学主義との対決を通して議論されています。
訳書2~4巻は哲学的認識論が中心で、現象学研究と言う点では
こちらのほうが重要なのですが、さしあたり読まなくてもいいでしょう。

古典中の古典とは言え100年前の本です。
また、フッサール自身「形式的論理学と超越論的論理学」というより研究が進んだ本を後年著しています。
こちらは未読ですし、その他に分析哲学の立場からも無視できない議論があります。
その辺りについては私は詳しくは知りませんのであしからずご了承ください。


さて、論理学の目標となると、これは理論学ということになります。
そもそも、学問は、数学にせよ物理学にせよ、または医学にせよ、
それぞれ固有の研究領域がありますが、単に個々の諸事実を集めただけでは
学問とは言うことはできません。学問へと昇華されるには、体系的統一が必要です。
その統一はいかに与えられるか。「すべてのAはBであり、XはAである、故にXはBである」
というような推論形式に従い、与えられた認識から基礎付けをしつつ新しい認識に従うとき、
初めて体系的統一が生まれ、学問が可能になります。
このとき、個々の学問の内容に関わるのではなく、内容抜きの純粋形式を問題にする
理論的学問が成立し、これが論理学であるわけです。
論理学の課題は学問一般が可能であるための条件を提供することにある、と言えましょう。
ですから、論理学は応用されれば学問論としても成立します。
(西洋哲学で「論理学」と言うと、狭義の論理学だけでなく学問論や認識論まで
意味が広がることが少なくありません。学問的伝統と言ったところでしょうか)

この理論学から出発して、規範学の基礎として論理学は使われます。
規範学とはなにか。例えば「AはBであるべし」という主張は、
「BであるAのみが善きAである」という形式に転換できます。
このときこの推論には価値評価が伴っています。
「善い技術」と言う規範的命題を言明するときに、
私たちは「善い」技術についてなんらかの概念を持っていなければなりません。
「BであるAのみがCという諸性質を有する」という理論命題に、
「Cの肯定的価値評価」が生じれば、それは「AはBであるべし」という規範命題の形を取ります。
規範学にはなんらかの理論的諸真理が必要であり、
よって、規範学の土台には理論学が存在しなければなりません。
理論学としての純粋論理学が、諸学問に土台を提供する、ということになります。

数学で言う定義や公理を論理学に求めるとすれば、
同一律「AならばA」、矛盾律「Aかつ非Aではない(Aまたは非Aのどちらかである)」、
排中律「Aまたは非A」等を挙げることになるのでしょうか。
これら論理学の定理は、それ以上さかのぼることができません。
「前提として不可欠であり、しかも循環無しに互いに還元できない公理」まで
さかのぼり、そこから三段論法等の諸定理を整備するのが純粋論理学の課題でもあります。

これで3以外の問いにはひとまず答えられたでしょうか。
3に関しては私はまったくの無知なので今回の返答は控えさせていただきます。


Q. 論理学って一体何を目標として、何を手段としているのでしょうか?
A. 目標は、それ自身では真でも偽でもない理論的真理を整備し(純粋論理学)、
他の諸学問が正当であるための基礎付けを与えるなどすること(規範的論理学-純粋論理学の応用)です。
そのための手段が、諸定理や公理系です。

Q. 数学で言う定義や公理のようなものは論理学には存在するのでしょうか?
A. 主だった定理には上述の同一律等があり、これらは公理系から導出されます。
これは適当な論理学の入門書に当たってみればよいと思われます。

Q. 「論理」の正しさはどういうように扱っているのでしょうか? 論理とは何なのでしょうか。
A. 「AならばA」はそれ以上遡行が不可能なことが明証的に把握されえます。
そこから出発し、循環無しにはそれ以上さかのぼることが不可能で、
そこから外れるとあらゆる証明が意味を失うような、
すべての理論に統一を与える純粋法則、それが論理とでも言えましょうか。



以下補足。
「~学が他の学問に基礎を与える!」というようなこういう立場は
いわゆる「基礎付け主義」と言って、実はそれほど評判がよくありません。
(ではなぜ紹介したのか、と言われると、基礎付け主義の絶対確実な知識は存在する、
という立場に、反論があるのも承知で個人的に共感があるからです。
個人的好みをこういった議論に介入させてまことに申し訳ありません)
こういった基礎付け主義に対する分析哲学の立場からの議論を含み、かつ比較的易しい本として
戸田山和久著 「知識の哲学」 産業図書
がお勧めできます。
フッサールの論理学研究は相当難易度が高いので、まずはこちらを当たってみるのもよいでしょう。
いずれにせよ、論理学の立場についてはいまだにこれぞという結論は出ておらず、
もっとも優秀な哲学者たちが日夜頭をひねっている、というのが現状です。

最初から参考文献の話になりますが、以下の議論は
みすず書房から出ている
エドムント・フッサール著 立松弘孝訳 「論理学研究」
に全面的に拠っています。
全4巻構成で、訳書の第1巻が原書の1巻に相当し、第2~4巻が原書の2巻に相当しますが、
特に第1巻で論理学の位置付けについて、当時の論理学の基礎付けの中心的立場だった
心理学主義との対決を通して議論されています。
訳書2~4巻は哲学的認識論が中心で、現象学研究と言う点では
こちらのほうが重要なのですが、さしあたり読まなくてもいいでし...続きを読む


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