プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

対象についての理解がすごいという事ですか?
それともその道に臨む姿勢がすごいという事ですか?
極めたその先に将来を求めない事ですか?

一時期趣味が高じてそれに首っ丈になった時期がありました。その時、それを極めようとする人に身近に接する機会があって、そのあり方にとても興味を持ちました。

A 回答 (6件)

自分の勝手なイメージですが、ある分野について他の人の追縦を許さない、


その分野のエキスパートであるということでしょうね。
たとえば、ワインならワインのソムリエチャンピオンみたいな方です。
ワインならなんでもわかるみたいな・・・もちろんその道に精進し日々
勉強に勉強を積み重ねておられることは間違いありませんね。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
そういった何かを極めている方々の内側には一体どんな考えが出来ているのでしょうね。

お礼日時:2011/07/26 23:59

私にはどんな時も価値が変わることなく歩める足であり、指針になる道がある。


それ?は私の足か道か、
理解の主語の区別もしていないもうする必要を無くすぐらい。

比較できない「絶対幸福」を得たってことが極めたってことになるのかな。

極端に秀でてもいいことばかりではないでしょう。
極端を避ける生き方も中道として仏教の最高の教えになってます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
「道を極める事」というのは足であり道であるという事でしょうか。
参考になります。

ここだけは私の気になるところなんですが極めた時に「絶対幸福」を得るというのもわかりますが、どうも「道を極める」という行為それ自体を幸福を感じれているような気もします。

お礼日時:2011/07/26 23:54

道を極める、の厳密な意味は、生き方がそれしかなくなること。

人生の迷い道がなくなることです。
だから武道とか茶道とか極道など、儀礼まで特化した職能にたいして「道」という言い方をします。

儀礼の儀は、にんべんに正義。人の道という意味。
義というのは、我がかかげる羊。自分の正当性を示します。
そして義とは、倫理のこと。侖は短冊をとじまとめること。倫理とは人の生き方のバイブル。真のバイブルはふたつ存在しません。

自分自身がが正義となることが道なので、神を崇める宗教に道はありません。普通は宗教家になります。
あるとすれば修験道。自分だけを極めることです。
他人から学ぶことなので、学者にも道はないです。学問に徒弟する学徒となります。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
最初の一文を読み妙に納得してしまいました。おっしゃるとおり、私が接したことのある、道を極めていた彼はまるで他の生き方を彼自身に出来ないようにさせているかに見えました。
他の道をなくしているのだから道に迷うなんてことも出来ないですね。

お礼日時:2011/07/26 07:14

道を究める、という言葉は、中国の道教から


来たものです。

道教では、宇宙の万物は道から生じたことに
なっていますから。

つまり、宇宙の万物について知ってしまう、という
ことです。

そうするとその道について極める、ということの
意味も解ってくると思います。
その分野の総てを知ってしまう、ということです。

そして、そんなことは不可能ですから、回答者さんが
言っているように、永遠に求め続ける、という
ことになると思われます。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

御回答有難うございます。
極めようとしていた彼には遠く及ばなかった私ですが、彼と同じように一つの事だけを(しかも局地的に)やっていて、全体というか社会の構造が理解できるようになった事があります。
それがおっしゃっていることに近い事なのでしょうか。
参考になります。

お礼日時:2011/07/26 07:41

道を極めるとは、人間が完全なものにはなり得ない事を前提としているので、永遠に極められないという意味を含んでいると思います。



極めたいと思っている事が、仮に仕事だとしますと、仕事というのはそんなに難しいものではありませんね。10年もすればどんな仕事もそれなりに出来る様になります。一回目よりも二回目、二回目よりも三回目といった具合で回数を重ねれば上達していくものですね。

そうすると、ある事が分かってきます。

それは、極端に良い仕事も、極端に悪い仕事も無くなっていくと言う事です。
極端に良い仕事、悪い仕事が出来ない代わりに、良くも悪くもない仕事が増えると言う事です。

その平均に近い仕事を、いかに良い方向へ近づけるかが大切になりますね。

そこで大切なのは、仕事を決めるのは「読み」だと言う事です。
読みを決めるのは人生の「深さ」だと言う事です。

人生の深さは、色々なものに接しながら悩み、ぶつかりながらも色々な思いをして、失敗もあれば上手くいった部分もあり、その中の積み重ねの中で「読み」が磨かれていくものだと思います。

目で見て、体で答えを感じる力が他の誰でもないその人らしさなのだと思います。

ご参考までに。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
「読み」と人生の「深さ」が道を極める際に重要という事ですか。
参考になります。

お礼日時:2011/07/26 06:58

道を極めると言うのはその道のエキスパートになる


もっと言えばより高みを目指すので終点はないと思います。
このような考え方を一般的には職人気質とかって言いますが

例えばゲームをやっていてある程度うまくなった→
もっとうまくなりから同じジャンルのむずかしいのをやる→
相当うまくなったからそのジャンルのゲーム大会に出てみる→
負けたけどもっとがんばって来年には優勝してやる→

て感じかな

趣味と実益と言う話は別問題で、道を極めるのとお金儲けは別ですね
まあどんな分野でも道を極めればそれなりにお金には結び付きやすいですが
    • good
    • 2
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
質問の答えの一つにさせてもらいます。

お礼日時:2011/07/26 06:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!