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こんにちは、尾崎ファン歴13年の男です、尾崎が求めていた自由とは一体何だったんですか?僕は自由になりたいと思った事がないのでその自由の意味がよく分かりません、自由の定義も、どのような自由を求めていたんでしょうか?

A 回答 (4件)

尾崎豊さんが生きていた時代(私は中学二年生でしたが)は、校内暴力が沢山マスメディアで映し出されていた時代でもありました。

が詰め込み教育や校則徹底化などもありました。
今の団塊世代は、軍隊的な学校教育の色がまだありました。
1970年代になるとアメリカから「ミーイズム(自由主義)」が入り込み、今までの軍隊式な教育に「何故?」と反発する声が高まってきた時代でもありました。
前髪は眉毛に掛からないように。スカートの丈は何cm。何をしちゃダメ。コレもダメ。って言うのが多かったんです。

つまりは、先生への権力や権威は現在の学生は想像もつかないものです。

今は体罰になっている、廊下に立たせる、先生からげんこつ、ビンタ等は当たり前でしたね。(全ての学校とはいいませんが)
それに対し両親は?

「よくぞ叱ってくれました。ありがとうございました。」という感謝がありました。

しかし、時代は軍隊的な学校教育で個性よりも「自分らしく生きる、個性」に移り変わります。
また、その時に、なぜ学生は前髪を伸ばしたらだめなのか?成績とどう関係あるのか?行き過ぎた校則、思想じゃないか?と思う子ども達が大人になったのが今の時代の親達です。学校の行き過ぎた縛りや体罰を監視するごとくなり始まりました。マスメディアにも広く広まります。

尾崎豊さんはその縛りにあった時代を生きていた方です。ミーイズムとの境の中で、自分らしく生きる、その苦しみや仲間意識、愛を求めて歌っていたのでしょう。
ある昔のテレビで尾崎豊さんのドキュメンタリーがありました。
その時尾崎豊さんはこうのべています。
「ファーストアルバム、セカンドアルバム(←学生時代色が強い曲が多い)を越せないよ。」と。

当時尾崎豊さんも社会人として、また父親として社会は何たるか?を感じ始めていたのでしょう。つまりは、学校という枠組みという小さな世界から自由を求めていたのに対し、社会というそもそも自由なんだけどきちんと責任を負わされる、そんな世界で何を謳うべきか?分からなくなっていたのではないかと想像します。

質問者様もファーストアルバムから聞きなおしてみると、尾崎豊さんが成長していく過程を感じると思いますよ。
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この回答へのお礼

なるほど、詳しくありがとうございます。

お礼日時:2011/11/29 13:32

覚せい剤から足を洗いたかったのでは?


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E% …
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辞書のように定義を言葉で表そうとするよりも、彼の音楽を改めてじっくり聞いてみましょう。



音を聞き、どんな言葉を言っているのか。
どんな説明よりも、音楽を聞いてあなたが感じたことが真実です。
それが音楽というもの。

他の各分野の音楽家と比較してみるのも面白いでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/11/29 01:13

残念ですが本人が死んでしまったので、あなた様の疑問は永久に闇の中です。


自由などの定義は個々人で異なりますのでね。
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この回答へのお礼

どうも、ありがとうございます。

お礼日時:2011/11/29 01:12

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