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石北臨貨をプッシュプルトレインと呼称する鉄がいますが、
何を根拠にプッシュプルトレインと言っているのか理解できる
方いらっしゃいますか。

A 回答 (5件)

後補機付で途中で運転方向が変わるからでしょう。



本来の意味での「プッシュプル」となる編成は日本では見られませんから上記のような意味で使用していますね。
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この回答へのお礼

申し訳ないのですが運転方向が変わればプッシュプルトレインになるわけではありません。
プッシュプル形式は車両の形式であって運転形態ではないのです。
フランスのTGVはフランス国鉄がプッシュプルトレインと公認していますが、終着駅に着くまでに
進行方向が変わらない路線もあります。
本来の意味でのプッシュプルとなる日本での編成ですが北海道のノロッコ号、嵯峨野観光鉄道がプッシュプトレインを採用しておりこちらはその旨を公表しています。

石北臨貨にあるような解釈の間違いがどこでどのように生じたのか、また鉄がその間違いを指摘されても
間違いと認めない根拠はどこにあるのかを知りたいのです。WikiやYouTubeは間違いが多いので
ここに掲載されているから参照しろといわれても信用できません。このような返答をしてくること自体が
自分に自信がないためと考えられますがいかがでしょうか。ちなみに私は鉄道工学を勉強したことがあります。

お礼日時:2012/01/18 01:15

プッシュプルトレインとは、前後に機関車を連結して、運行する列車のことです。



山陽本線の貨物列車が、瀬野≫八本松間(現在は、広島貨物ターミナル≫西条間)で後方に補助機関車を連結しているので、これもプッシュプルトレインです。

フランスのTGVも、プッシュプルトレインです。
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この回答へのお礼

申し訳ないのですが山陽本線瀬野八の後部補機運転がプッシュプルトレインという解釈は誤りです。
瀬野八はあくまで後部補機つき運転です。この手の錯覚が多いのでどうしてこのような誤りが生じたのかを確かめたいために質問を揚げさせていただきました。
TGVはフランス国鉄がプッシュプルトレインと認めていますので間違いありません。
この二つの列車の運転形式は同じではありません。
TGVは総括制御をしています。運転士は前部動力車のみに乗務。瀬野八の補機は前後の機関車に機関士が乗務しています。明らかに運転形式が違います。

お礼日時:2012/01/18 01:05

プッシュプルトレインあるいはプッシュプル方式と言われる言葉に対する正式の定義は日本には無いようです。


ネットの百科事典として有名なWikipediaでは、編成の前後に動力車を配するか、方端に動力車(機関車)を、他端に制御車を配するものとし、前車(両端に動力車を配する)を正式なものとしていますが、なにをもって正式というかの根拠は示されていません。
私が用語の定義として利用している鉄道総研(鉄道総合研究所)の鉄道技術用語辞典にもプッシュプルは無いようです。

単純に言葉として解するに列車をプッシュ(押す)する機関車と、プル(引く)する機関車が連結されていると言うことで、ご質問の列車ではこのような列車に該当し、なおかつWikiでいうプッシュプル方式の正式なものと同様な列車編成であることによる列車編成と同様な編成と解せるところに理由があるようです。

このように、本務機と補機が列車をはさんでいることからプッシュプルと言っているものと理解してかまわないのではないでしょうか。
石北本線の遠軽駅では列車の進行方向が変わるため、遠軽駅での機関車の付け替えをしなくてもすむことも、プッシュプル方式といわれるゆえんであろうと思われます。

プッシュプル方式のWikipediaでの記述は、「動力集中方式」の項目内にありますので、参考にされるとよろしいでしょう。
また、同じくWikipediaの「石北本線」の項目では、貨物列車の項に「プッシュプル方式」という記述もあります。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

早速の返答ありがとうございます。お知らせいただいた事項はすべて調べた上での質問です。

確かに語源はドイツ語でありプッシュプルトレインそのもの名前での定義はありません。プッシュプルトレインは英語です。

この車両形式(運転形式ではない)を定義したドイツ語では前後につないだ機関車、又は
機関車プラス後部の簡易運転席から総括制御、または遠隔制御をするものがプッシュプルトレインと
なっています。運転途中で線路配線の関係から進行方向が逆になるとかということをもってプッシュプル
トレインというわけではないのです。また、後部補機は列車が勾配線区に差し掛かって速度が落ちた場合のみ後ろから押し上げるのが本来の役割であって、本務機だけで走行可能な区間は単なる加重として列車の最後にぶら下がっているだけ(エンジンはかけているが惰行状態)でこの状態では前でプル、後ろでもプルです。(連結器の遊間を見ればすぐにわかる)勾配区間に差し掛かると後ろからプッシュするのでこれをもってプッシュプルといえなくもないのですが、撮り鉄はそこまで理解してプッシュプルといっているのかどうかも知りたいところです。
この元祖プッシュプルトレインの定義に当てはまらない石北臨貨がプッシュプルトレインと誤称されるきっかけは何だったのかを知りたいものです。

石北臨貨をプッシュプルトレインとしてYouTubeにアップしている撮り鉄にプッシュプルトレインと呼称するのは誤りではないかと指摘したところ、木で鼻くくったような返答をしてきたので、鉄道ファンの間でどのような認識があるのか確認を取ってみたかった次第です。当方も一応鉄道工学勉強しておりますので自分の考えには自信があったのですが撮り鉄の反応が意外なものだったので、当方の認識が間違っていたのかと思っておりました。

お礼日時:2012/01/18 00:59

ちゃんとした鉄道ファンなら、こういうのをプッシュプルとは


「絶対に」言いません。プッシュプルと言う以上、「運行上
同一路線を往復する」必要があるからで、少なくともココ
の「東京支部・運転部会」の皆さんなら言いませんよ。
http://www.jrc.gr.jp/index.htm

ま、単に「知識が無い」ってだけですね。

ただ、「後補機による重連運転」を示す適切な単語が無い
ってことも確かです。ですので、「ウイルスソフト」みたいな
「セキュリティの研究家なら絶対にしない言い方」(=正式
にはセキュリティソフト、アンチウイルスソフトなど)が世間
一般に広がってるのと同様、「誤用を正しいモノとして使う」
場合に当たるんじゃないかと思いますよ。

まあ、この手の運転は手間がかかるので、早期に無くなる
と思います。無くなれば単語は不要になるので、そのうち
誤用はすたれると思うんですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。少なくとも私の解釈がまちがっていないことがわかって安心いたしました。
『鉄』の連中には鼻持ちならぬものが多く、私の知人もいまだに数多く鉄道に従事しておりますが、(上は課長から下は運転士、車掌まで)異口同音に鉄道マニアに対して良い感情を持っておりません。その理由がいま良くわかりました。正しい知識を求めようとしないで生半可に専門用語を振りまわし自分たちは特別なのだという意識が『鉄』をして世間の鼻つまみ者になっているのでしょう。
「後補機による重連運転」これも正確に言うと間違いで重連とは機関車を二台直接連結することをいい、
編成の前後に機関車をつけて運転するものは運転現場では後部補機付き運転といっております。私の経験では乗務時に示される仕業表には貨○○列車後部補機仕業と記載されておりました。(私もDD51運転した経験者)
この手の運転、勾配区間の短区間補機運用を除けば、後部補機に運転士を乗務させての運転はなくなり、前部機関車による総括制御になる可能性があります。無線で互いに離れている機関車を同時に制御できるシステムが開発されれば乗務員合理化のため採用される可能性はあるでしょう。この運転方法になればこの場合はプッシュプルと言っても誤用ではなくなります。

お礼日時:2012/01/19 00:35

 鉄道には愛着がありますが、いわゆる鉄男の領域には達していません。


前の他の回答やあなたの補足的なお礼などを見ていて、素人なりの推測を述べます。多分大きく外れて入るかと思いますがお許しください。
 北海道の本線で石北本線。それも臨時貨物便ということなのでしょうが、臨時と言うところが少し引っかかるのですけれど。
石北本線の特に遠軽町生田原駅から北見市留辺蘂町金華駅間の線路は、国道で言えば金華峠。その裾野とはいえ結構な標高のところにある常紋信号所までは確か1000分の25だったか27かの急こう配の坂を客車や貨車が走ります。
 このため昔のSL時代は特に貨車が前後にD51を付けて、つまり引く機関車と押す機関車で運転していました。JR廃止直前は三重連などで運行したこともあって、別れを惜しむSL写真撮影のメッカとなっていました。
 上川から白滝間の北見峠も結構急なこう配でしたが、それでも金華峠にはかないません。
 そんなことで狩勝峠などもきついところはありましたがトンネル化されたりで、特に今もそのままの勾配を残す金華峠のある石北線だけが、プッシュプルトレインと呼ばれているゆえんではないかと素人ながら推察いたします。
 自分のちょうど近々この峠のSL時代のことを、写真とともにブログにアップする予定でしたので、つい当て外れながら解凍させていただきました。
「石北臨貨」の回答画像5
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この回答へのお礼

ありがとうございます。前後に機関車をつけるのは上り勾配区間でトンネルに突入した場合、蒸気機関車の重連(前二両)運転だと煙が勾配の上のほうに上がってきますので前に連結している機関車の乗務員が煙に巻き込まれ窒息する可能性が高いため(実際明治時代この手の事故があった)機関車を編成の前後に離して運転するようにしたものです。すでに明治時代から行われていた運転方法です。この時代、蒸気機関車牽引の列車がトンネルに突入すると同時に入り口側(勾配の下に当たる入り口)にシャッターを下ろし、煙が上に昇らないようにした仕掛けがあります。今でも常紋トンネルや加太トンネルの坂下側にはシャッターを上げ下げしたレールの後が残っているはずです。これをトンネル番と称していました。この運転方式の名残でディーゼルの時代になっても後部補機運転が残ったと考えられます。石北臨貨の場合は途中線路配線の関係で進行方向が2回にわたって逆になるため機回しの手間を省く目的で前後に機関車を連結していると考えられます。以前は単機で牽引可能な列車の場合は進行方向の変わる駅で機回しを行っていましたが、解結のための要員が最低2名必要なため合理化で機回しを省略する目的で前後に機関車をつけて運転するようになったものです。したがって、牽引定数内で本来なら補機の必要のない場合でも後部補機をぶらさげて運転しています。常紋峠は勾配25‰ありますので、後部機関車は列車の転動暴走(貨車・客車が機関車から離れて坂道を暴走すること)を防止するためのストッパーとしてつけてある可能性もあります。北海道宗谷本線では明治時代この事故があり、車掌が身を挺して列車を止めたという事がありました。この事故の反省にもとづいて機関車で編成の前後を挟む運転方法が残ってきたものと思われます。九州肥薩線でも大畑越えの列車はスハフ32+貨車3両程度をDD51の牽引と後部補機で運転していました。牽引定数から考えても機関車一台でじゅうぶん足りるはずですが勾配区間での暴走事故を慮っての後部補機付き運転だったようです。末筆ながらすばらしい映像をありがとうございます。この時代の鉄道ファンがいかに鉄道を愛していたかがひしひしと伝わる映像です。昨今のいわゆる『鉄』とは鉄道に対する姿勢が違いますね。

お礼日時:2012/01/19 01:04

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