高校三年生の合唱祭で何を歌いましたか?

優しさで人を傷つけた傷つけられた
そんな経験はありますか?

人を傷つけた時点でそれは優しさではないと思います。
違いますか?

A 回答 (7件)

>人を傷つけた時点でそれは優しさではないと思います。


>違いますか?

 あなたにとってはそうなのでしょう。
 だけど、全ての人にとってはそうではないです。

 優しさをあなたはひとつしか考えていないです。優しさとは、大まかに分けて二つあるんですよ。ひとつはあなたのいうように、相手に対して喜べることをすることで、相手が悲しんだら優しさではないという考え方。もうひとつは、相手がどう思うかではなく、相手の為になることをしてあげること。

 簡単に言えば、肉好きな人が延々と肉を食べるのを見てどう対応するか、ということです。「野菜を食べなきゃダメだ」と本気で説教して泣かれたら、それは優しさではなかったということでしょうか?肉しか食べない人に肉ばかり食べさせ続け、寿命を縮めてあっけなく死なれても、本人が満足していたら・・・それは優しさでしょうか?

 私の言う二つの優しさは、相反するものです。どちらも優しさですよ。偏ればどちらも害になります。私は、その二つのバランスのとれたものが好きです。あくまで「好き」なわけで、それを本当の優しさだと言うつもりはあんまりないです。

 あなたが傷つけられた優しさというのが、「あなたにとっては嫌なものだったが、あなたの為になるものであった」という可能性もあるのではありませんか?あなたのご意見が、片方に偏ったものであると思いましたので、意見させていただきました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
『相手の為になること』は男同士だと通用するんですけどね。女性にやってしまうと逆恨みされて終わってしまうという恐ろしい結果になります(笑)

お礼日時:2012/04/02 19:58

>人を傷つけた時点でそれは優しさではないと思います。


>違いますか?

「相手を傷つける事が目的だった」のであれば、それは優しさではないと思います。
傷つけるのが目的な場合は、「あくまで自分中心の考え」だと思います。
相手を思っての言動で、結果として相手を傷つけてしまうのとは、全く別の事だと思います。

後者の場合、相手がこちらの言動の真意を理解出来る時が来たら、相手が受けた当時の傷は時期に癒えると思います。
傷ついた出来事の先にある真実(相手の真意)が見えれば、私は受けた傷よりも事の真意を重視し、そちらを受け止めます。

この回答への補足

僕としては相手を思いやっていたつもりでしたが何か間違っているんでしょうね。
だから僕は優しくなんか無いとちゃんと伝えていたのに、優しさを求められてもどうして良いのか分かりません。

補足日時:2012/04/09 12:03
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
真意を知る機会もなかなか無いので難しいですね。「悪気はない」とは理解できるようなんですが、言葉数が少ないからいけないんでしょうかね。

お礼日時:2012/04/09 12:03

>人を傷つけた時点でそれは優しさではないと思います。


>違いますか?
違います。
時には傷つけるのも必要です。相手を大事に思えばこそ、必要になります。

この回答への補足

補足日時:2012/04/02 18:44
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/02 19:21

自分としては、人を傷付ける傷付けないで「本当の優しさ」を判断するのであれば、それは本来ではないと思います。


なぜなら、それは「相手次第」で決まってしまうものだからです。

あなたは、優しさで人から傷付けられた経験があるからこそ、このような事を仰るのでしょうか。
では、逆に考えた際、その優しさが無かったとしたら、傷付く事はなかったのでしょうか?

きっと「どちらであっても傷付いた事には違いなかった」のではないでしょうか?

本当の優しさとは、与える方と与えられる方、両方の優しさが一致しない限り、どんな優しさでも傷付けるし傷付けられるのではないかと思います。

形のないものを、相手に求める、相手が求めた時点で、本来の優しさは形を変えます。

「自分が傷付かない」事が前提の優しさは、ただの自己満足でしかありません。
「自分も相手も傷付ける」事が分かっているのであれば、優しさを理由に相手に痛みだけを押し付ける事はしませんし、いずれ相手がそれを理解してくれるはずです。

質問の回答ではなかったかも知れませんが、自分の解釈ではそのような所です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
相手次第とのご意見は御尤もです。ですから優しさを注ぐには『相手を選ばなければ』なりませんね。
相手に受け皿がないにも係わらず優しさを注いでも無駄どころか、「もっと注ぐべきだ」と不満を持たれてしまっては困ります。

お礼日時:2012/04/02 18:34

「過保護」は行き過ぎた優しさです。



危ないから触っちゃダメ、ハサミはダメ、包丁はダメ。それで大人になってもリンゴさえ剥けない。インスタント食品とコンビニ食を選ぶ大人になる。

汚いから触っちゃダメ、近づいちゃダメ、抗菌剤たっぷり、洗浄何十回、マスクと体を覆って完全装備。免疫系が強くなる機会無し。アレルギー患者続出。

知らない人と話しちゃダメ。世間は知らない人だらけ。いつ話せるようになるのか。コミュニケーションの取れない大人の出来上がり。

危ないから車で送り迎え、一人で歩かせない。道も覚えず、突然の対応のできない、ただすわって運ばれる人間になる。

家の事はしなくていいのよ、勉強さえしてればとすべての身の回りの事をして上げる。体だけ大きいでくの坊が一人生産される。

優しさもほどほどに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
一見極端なご意見かとも思いましたが回答にあるような大人は残念ながら実在していますね。
参考になりました。

お礼日時:2012/04/02 18:19

こんにちは。



優しさというと、行う側には「良かれと思って」という善意に基づくもの、ですよね。

個人的には、善意の判断は行った側にあるのではなく、受け手の判断にゆだねられるものだと思っています。受けた側が善意と判断できなければ、行った側にあるのは自己満足だけです。そこを解っていないと、「良かれと思ってやってあげたのに」と、押しつけがましい別物になってしまいます。

「優しさ」も、他人に対しての親切心があることから善意と同義で、受けた側がソレを優しさと感じる(判断する)かどうかだと思います。
なので、『人を傷つけた時点でそれは優しさではない』に同意です。受けた側は傷ついたと感じているわけですから、当然、優しさであるわけがない、と思います。


ちなみに私自身はと言えば、自分が知らないだけで優しさという自己満足で人を傷つけたことはあるかもしれませんが、優しさによって傷つけられたことはありません。
というのも「それは優しさじゃない。あなたの自己満足よ。」と思っているので、自己満足で傷つけられることはあっても・・・という意味で、です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仰るとおりです。ただ親切心も歪んで受け取られると虚しいものがありますね。
参考になりました。

お礼日時:2012/04/02 18:14

相手がどう捉えるかだから、優しさは最後まで言った本人にとっては優しさでしかないでしょうね。


嘘でも偽りでも真実、本音、建前、であっても。
ただ、私は優しさはそのものが罪になることはあると思います。
度が過ぎれば相手にとって良くないし、逆に重荷になったりしたり。
そういうことはあると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
優しさとは難しいものですね。参考になりました。

お礼日時:2012/04/02 18:03

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