【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

あなたの好きな外国はどこでしょうか?
日本人だから日本が市場好きというのはナシでお願いします。



(1) その国の文化が好き

(2)その国に親近感を感じ、日本が一番仲良くすべき国だと思う。


以上の二つの視点からお願いします。

A 回答 (9件)

インドが好きです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

インドは独特の文化がありますし、中国とかと違い歴史的・政治的な問題もないですからね。

お礼日時:2012/08/18 20:42

香港が好きです。

エキサイティングです。あと北京、政治都市ですがロックな街です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
まあ、国名についてなんで、中国ということで。

お礼日時:2012/08/18 20:43

こんばんは。



アイルランドが好きです。
子供の頃に家族ぐるみのお付き合いをしていたお宅のパパが、アイルランドの方で、アイルランドの紅茶の飲み方や曲などを教えて貰った事からなどです。

そして…紳士・淑女の国のイメージがありますね。

香港も好きですね。
親戚が住んでいた頃に数回行っていますが…食べ物や、あちらの流行の物などに、とても興味を持ちましたし…美味しいお茶が多いので(´▽`)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

アイルランドはイギリスに比べるとずっと馴染みが薄いですが、イギリスとは違う文化と
温かみがありますよね。

お礼日時:2012/08/18 22:34

★マラウィ共和国



「ウォームハートオブアフリカ」

日本人が忘れかけている「温かい心」がある国。

自動車もテレビも少ない彼らから学ぶべきことは、数多いはずです。

助けあい、いっしょに喜び、いっしょに泣く…

国民全員が「家族」の国です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

これはまたマイナーな国ですね。いや、失礼。

お礼日時:2012/08/18 22:32

NZです

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この回答へのお礼

アメリカみたいに日本と政治的な主従関係もなく、英語圏だしね。

お礼日時:2012/08/18 22:55

イタリアですネ!!



日本ももっと、男性も女性もフレンドリーに、
イタリアみたいになったらいいのに!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

イタリアって洗練されていてお洒落な国だけれど、フランスみたいに気取っていないので
イタリア好きって多いですよね。

お礼日時:2012/08/19 09:22

スイス

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

スイスは小さな国だけど魅力がいっぱいの国ですよね。

お礼日時:2012/08/19 09:25

トルコ共和国



以下Wikipediaより抜粋

1887年、小松宮彰仁親王がヨーロッパ訪問の途中でイスタンブルに立ち寄った。
それに応える形で1890年、オスマン帝国スルタンであったアブデュル・ハミト2世の使節としてフリゲート艦「エルトゥールル号」が日本へ派遣された。
使節は明治天皇へ親書などを手渡し帰国の途についたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没
特使オスマン・パシャを含め、500名以上の乗組員が死亡した。
しかし紀伊大島(現在の和歌山県串本町樫野)の住民が救援に駆けつけ69名が救出された
生存者には日本全国から多くの義捐金・弔慰金が寄せられた。
1891年、生存者は日本海軍の装甲コルベット「金剛」、「比叡」の2艦によりオスマン帝国へ丁重に送還された。
1892年には日本各地で講演を行い義捐金を集めた山田宗有(寅次郎)がトルコに渡り、アブデュル・ハミト2世に謁見している。
この事件はトルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時より醸成された。
その後日土間で国交樹立を目指す動きもあったが、不平等条約締結を求める日本と対等条約締結を求めるオスマン帝国とで交渉がまとまらなかった。

1904年から始まった日露戦争に、オスマン帝国国民は大きな関心を寄せた。
これはクリミア戦争(1853年 - 1956年)・露土戦争(1877年 - 1878年)などによってロシアからの圧力を受けていたことによるもので
両国にとって南下政策を推し進めるロシアは共通の敵であり、ロシア黒海艦隊に対する封鎖など
日本に協力的な政策を行った。
1905年日本が日本海海戦でロシアバルチック艦隊に対し決定的な勝利をおさめると、オスマン帝国国内では自国の勝利のように喜ばれ
東郷平八郎は同国の国民的英雄となった。
その年に同国で生まれた子供たちの中には、トーゴーと名づけられる者もおり、また「トーゴー通り」と名付けられた通りもあった。

1922年からムスタファ・ケマル・アタテュルクらの主導で祖国解放戦争が開始されトルコ共和国が成立(トルコ革命)
1923年のローザンヌ条約(日本を含む8か国が参加)で現在の国境が確定した。
1924年には日土の国交が樹立された。
その後トルコでは近代化政策が進められたが、民族資本の育成や国立銀行の設立、法制面の整備などの諸改革は日本の明治維新を手本にしたものであった。
1926年には「日土協会」(現在の「日本・トルコ協会」)が設立され、日本側からも日土友好に尽力する人々があらわれた。
1930年日土通商航海条約が結ばれ両国の関係はより強固になった。

第二次世界大戦でトルコが枢軸国側に参加することは無かった。
戦中はトルコは中立を宣言していたが、大戦終局の1945年1月29日に連合国の要請によりトルコ政府は日本との国交断絶を通告
2月23日に対日宣戦布告を行ったので国交は一時断絶した。
しかし国内世論は宣戦布告に反対であり、日本に対しての軍事行動は一切行わなかった。

戦中に破棄された両国の国交はサンフランシスコ平和条約によって回復した。
この際トルコは日本に対して賠償金その他の請求を一切行わなかった。
国交が回復するとともに、旧首都イスタンブルに置かれていた在トルコ日本大使館がアンカラに移転し本格的な二国間関係が始まった。
長らく日本とトルコの間の行き来は少なく民間の関係はさほど緊密ではなかったが、次第に経済大国へと発展した日本によるトルコへの政府開発援助での支援が積極的に行われるようになった。
日土関係の中核は日本の商社であり、イスタンブル市内のインフラの整備などに日本の多額の資金と技術が投入された。
イスタンブル市のアジア側とヨーロッパ側を結ぶファーティフ・スルタン・メフメト橋(第二ボスポラス橋)は1986年に伊藤忠商事ら日本資本の参入によって架けられた、国家的プロジェクトである。

イラン・イラク戦争中の1985年3月17日、イラクのサッダーム・フセイン大統領が突如
「48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃する」と宣言した。
イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の航空会社や軍による、イランからの脱出が急遽計られた。
自衛隊の海外派遣不可の原則のために当時は自衛隊機による救援はタブー視されており、日本航空の経営陣は
日本政府の要請による救援機を飛ばす覚悟を固めていたとされるが、反会社側組合の強い抵抗などでフラッグ・キャリアたる日本航空チャーター機の派遣は実現しなかった。
その間、在イランの日本大使館では手を尽くして救援機を派遣した各国と交渉したものの、いずれの国も自国民救出に手一杯であり
希望者全てを乗せてもらうことは到底かなわず、いまだ200名を超えるイラン在留邦人が全く脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕する状況にあった。

だが土壇場で個人的な親交に一縷の望みを託した、日本の野村豊在イラン特命全権大使がトルコのイスメット・ビルセル在イラン特命全権大使に救援を要請したところ
トルコ政府が応じ、自国民救援のためのトルコ航空最終便をイラク軍による撃墜の危険がある中
救援機を2機に増やしてくれたおかげで215名の日本人がそれに分乗してトルコへ出国、危機を脱することができた。
この時トルコ機は自国民より優先して日本人の救出を計ってくれ、実際この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出した。
この様なトルコ政府とトルコ航空の厚情の背景には、それから95年前のエルトゥールル号遭難事件での日本から受けた恩義に報いるという意識もあったと言われている。
この救援機派遣が2004年1月27日放映のテレビ番組『プロジェクトX~挑戦者たち~ 撃墜予告 テヘラン発最終フライトに急げ』などを通じて日本国内で有名になり、トルコへの好感度をさらに上昇させた。2006年には日本政府が、日本人救出に尽力したトルコ航空関係者に対して、感謝の意の褒章を行っている。

2011年の東日本大震災にトルコ政府は、支援・救助隊33名を派遣し各国の救援隊の内もっとも長く日本に残って支援活動に協力してくれた。
また支援物資として、宮城県に飲料水約18.5トンを、福島県に缶詰約68,800個を、被災者受入れを行っている東京都の3区に毛布約5000枚を、提供してくれた。
トルコ各団体により義援金3万ドルが在ニューヨーク日本国総領事館に送られた。

以上Wikipediaより抜粋

この様な国なので、小生はトルコ共和国が大好きである。
どっかの国は、日本のおかげで国際社会に認識され
近代化が出来て・・・
しかし自分たちの能力の過信から、国家の経済を破綻に追い込み
日本に援助を求め、遂には自分たちでは統治できないと
日本に啼いて頼み込んで、日本人と同じ扱いとなって
日本人として連合国と、戦ったのに
日本が敗戦した事を契機に、手のひらを返して
「自分達の国は日本に侵略を受け、無理矢理日本人にさせられた」等
全く筋違いな事を言って、あまつさえさも自分たちの力だけで全世界と渡り合って来たかの様な
態度をとり、サンフランシスコ平和条約が発効する寸前を狙って
他国(日本)の領土を侵略して、未だに侵略した事実を
認めようとしない。
この様な国(蛮族と言うしか無い)が、小生は大っ嫌いである。

なお引用したWikipediaの文は、読み易くなる様一部句読点などを変更してある。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

トルコは親日国として有名ですよね。

お礼日時:2012/08/19 09:26

タイです。



熱心な仏教国と聞きますし、食べ物も意外に日本人の口に合うそうです。
日本に対して友好的で温和なのが好きです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

タイは食べ物はクセがあるので好みが分かれるところです。ベトナムの方が日本人の口には
合うと思いますが。
でも、私は日本の真の友好国にふさわしい国だと思います。

お礼日時:2012/08/19 09:30

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