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クラシック音楽の古典派とロマン派は具体的にどう違うのですか?

A 回答 (5件)

古典派からロマン派にいたるまでについての細かい音楽史などはよく知りませんし、ほかに詳しい方が


たくさん説明をなさっているのであえて言及しません。
が、素人目からぱっと見てもわかるくらいの両方の違いをおおざっぱに言いますと、
古典派は宮廷音楽に属する音楽で、ロマン派はよりリベラルに大衆に解放された音楽だといえるかもしれません。(もともとはロマン派も中世には貴族たちの恋愛遊戯に小道具として使われていたのですが・・)
楽曲の違いは、言わずと知れたこと・・・・
古典派は作曲技法や音楽観念に完全に即した音楽で、一つ一つのフレーズは完全に作曲技法道理に
作られています。(少なくともそれが理想とされていました)。いかなるフレーズや動機も
理念や技法にもとずく完全なる確信の上に作られていて、たとえば最初の動機やフレーズが決まってしまえば、次のフレーズからはては展開部、終局に至るまでどのような音が来なければならないのかが
決まってしまうほどそれは厳密なものです。有名な対位法やさまざまな技法があり、特に
トニックとサブドミナントの関係は絶対視されていました。
それに対して、ロマン派はより技法に対する絶対感がゆるくなり、トニックとサブドミナントの関係は
よりリベラルに、比較的に和音に縛られることがなくなり、使われる動機も今まで、宮廷で演奏されるには好ましくないと思われていたものや、特にマイナー調などが多く作曲されるように・・。
と同時に、装飾音を多用する技法が拡長し、よりエモーショナルな人間の感性に響くような曲調の楽曲が
盛んに作曲されるようになりました。ベートーベンなどはその先駆けで、作曲技法には非常に通じていて
忠実なのですが、より人間の感性に直接的に迫って来るような楽曲もあります。
大体、古典派とロマン派はだれの目から見てもわかるようにこのような違いがあるといっていいのではないでしょうか?
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 専門家ではありませんので、一つの意見として。



 音楽が一般の市民(とはいっても裕福なブルジョア)に聴かれる「商品」となったは、モーツァルト(1756~1791)の頃以降でしょう(18世紀末)。モーツァルトはお抱え雇い主のザルツブルク大司教と決別して1781年からウィーンでフリーの音楽家になりますし、ハイドン(1732~1809)も前半生は貴族のお抱えですが、後半生で自立自営の作曲家として興行師ザロモンとタイアップしてロンドンの演奏会向けの交響曲などを作曲しています(いわゆるザロモンセット、交響曲第93番~104番)。
 世は、王侯貴族の支配から、折からの産業革命で勢力を増したブルジョアの時代に移りつつあり、まさしく1789年にはフランス革命が起こります。音楽のマーケットは、急速に王侯貴族から裕福な市民へと移って行きます。

 この音楽マーケットの変化が、商品としての音楽の「古典派」から「ロマン派」への移行だと思います。「古典派」は、それまでの王侯貴族の音楽をそのまま商品化したもので、趣味は良いが、単純でちょっと退屈。(ちなみに、古典派以前の音楽は、あくまで王侯貴族あるいは教会の独占物で一般に流布する商品ではなかったため、これといった商品名は付いていない。後世、バロック音楽とか、ロココ音楽と呼ばれてはいますが)

 商品化に伴い、一般市民にヒットし、大いに売り上げを稼げる音楽が求められ、派手で、度肝を抜いてあっと言わせる、あるいはお涙頂戴でグッと来る、そういうちょっと奇抜な音楽が求められるようになります。それが「ロマン派」音楽の誕生です。
 それに乗っかってヒットした最初がベートーヴェン(1770~1827)でしょう。分類上は「古典派」と言われていますが、交響曲第3番「英雄」Op.55(1804年)以降、ピアノ・ソナタ「熱情」Op.57(1805年、ほとばしる熱情!)、交響曲第5番Op.67(1808年、「運命」はこのように扉を叩く!)、交響曲第6番「田園」Op.68(1808年、標題音楽と嵐の描写!)、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」Op.73(1809年)、交響曲第9番「合唱付き」Op.125(1824年)など、なまじのロマン派以上にロマン的です。ここで「ロマン的」といったのは、万人受けする「喜怒哀楽の感情表現」、大衆にも分かりやすい「標題音楽」や「自然などの描写」という点です。
 ベートーヴェンの後半生、つまり1800年頃以降、さらに明確に言えば交響曲第3番「英雄」あたり以降が、いわゆるロマン派の時代かと思います。ベートーヴェン自身や、同時代の人はそんなことを区別したり意識したりはしなかったかもしれませんが、そこには明らかな音楽の質的な変化があります。「古典派」「ロマン派」という呼び名は、後世の人が全体を俯瞰してそう命名した、ということだと思いますが。

 この変化は、作曲者の区別というよりは、音楽の内容そのものの区別です。ロマン派作曲家と言われているウェーバー(1786~1826)はベートーヴェンより先に亡くなっていますし、代表作歌劇「魔弾の射手」は1821年の作品で、ベートーヴェンの第九よりも前です。同様にロマン派といわれるシューベルト(1797~1828)も、ベートーヴェンの1年後の1828に没しています。ベルリオーズ(1803~1869)が標題音楽の代表作とされる「幻想交響曲」を作曲するのは、ベートーヴェンが没した3年後の1830年です。
 つまり、「古典派」「ロマン派」の差は、作曲家の違いではなく、あくまでその音楽が受け入れられた社会の「時代」の差なのだと思います。
 その社会の主役が王侯貴族か一般市民か、という差です。言ってみれば、「ロマン派」の音楽は、現代の「流行音楽」に近い「一般市民の多数にウケる音楽」なのだと思います。社会の主役が交代し、音楽を提供する側も一般市民の多数のウケを狙って儲ける、というニーズに合わせて音楽を変えて行った、という結果なのでしょう。経済原理ということでしょうか。

 「ロマン派」以降の19世紀の100年は、あまり音楽に本質的な差はなくなり、周辺の後進国の音楽を「民族音楽派」、成熟したロマン派・ワーグナーに対応した懐古趣味的な「新古典派」(ブラームス)と呼ぶ程度ではないでしょうか。
 20世紀になると、クラシックの分野では音楽を根底からひっくり返す伝統の否定と混乱が引き起こされますが、「ロマン派」音楽の流れはポピュラー音楽、流行音楽、映画音楽の中に生き続けていると思います。(日本の演歌もロマン派の末裔ですよね)
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【0】起承転結と序破急 ~ 古典派から浪漫派へ ~
 
 かりに快感周期というものがあり、規則ただしい快感をもたらすなら
古典派、不規則で予知できない快感をロマン派と呼びましょう。
 究極の電動マッサージ機は、ボタン一つで自在に選択できるそうです。
 
 学歴・収入・身長を理想の三高とすれば、学歴・収入はいまいちでも、
はっとするような美丈夫に心奪われたい女性も少なくありません。
 定食レストランの予約客と、見知らぬ屋台に飛びこむ一現客のように。
 
 売春婦にも嫌われる男性の典型は、姿かたちではなく清潔感の欠如だ
そうです。いつも決った料金を払ってくれる常連客と、ときには思いが
けないチップを落してくれる通過客のちがいかもしれません。
 
 ブタに芸を仕込むとき、約十分で飽きることから、各楽章を十分未満、
緩急交互に配置されるのが、古典の様式です。いつでも愛想よく迎えて
くれる犬と、ある日とつぜん失踪する猫のようでもあります。
 
 古典派の定型は、ソナタ形式に配された奏鳴曲や交響曲です。
 ロマン派の典型は、三部形式で連続する変奏曲や交響詩です。
 両者は、調性に支配された和声から、不協和な無調に移行します。
 
【1】18210618 ~ ベートーヴェンからウェーバーへ? ~
 
 つぎの音楽教科書の「音楽文化史年表」は、ベートーヴェン(1770~
1827)を古典派の最後に、ロマン派の筆頭にウェーバー(1786~1826)
を掲げている。これだけを眺めれば、二人だけのバトンタッチに見える。
 
 Beethoven, Ludwig van “ドイツ三大B”17701216 Duitch 18270326 56 /17701215-1217“楽聖”
 Weber, Carl Maria Friedrich Ernst von 17861118 Duitch 18260605 39 /18231005 Beethoven 訪問
── 諸井 三郎《解説 音楽史 19580301 大和文庫》絶版
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680319 《初演年譜》
── ウェーバー《歌劇「魔弾の射手」序曲 18210618 初演》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20101216 24人の作曲家
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000 …
── 諸井 三郎《ロマン派音楽の潮流 1950-19520920-1954 創元文庫 1956 新潮文庫》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=875 …
 
【2】18110303-18140411 ~ 作曲から初演まで ~
 
…… ベートーヴェンの古典的な時代を燦然と閉じる作品97《ピアノ
三重奏曲 変ホ長調〔大公トリオ〕》の楽譜に“三月三日三重奏曲”・
“一八一一年三月二十六日完了”と書き込んでいる。
── 小松 雄一郎・編訳《ベートーヴェンの手紙 19820118 岩波文庫》
 
── ベートーヴェン《ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調“大公”Op.97
18110303-0326 作曲 18140411 初演》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070303 三月三日三重奏曲 ~ 黄金の三大トリオ ~
 
【3】18061223 ~ 古典主義にロマン主義が発現する劇的瞬間 ~
 
…… ノン・ヴィブラートを、意識的に用いた例では、ヨアヒムがベー
トーヴェンの《協奏曲》で、作曲者の指定<ドルチェ、甘く>を無視し
たという伝説がある。
 第1楽章のカデンツァの直後、第2主題の部分であるが、もともと回
想に身を委ねる風情あるいは、過去の斗いに力つきたような、印象的な
再現である。
 これを、わざと無表情に、ある虚しさとともにノン・ヴィブラートで
奏するという、ヨアヒムの非凡な試みは、事実とすれば興味が深い。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710701 弓弦十話 (その3)
 
…… 草稿では“ベートーベンの時代に開花した、ロマン派”としたと
ころ、出谷啓氏との論争の結果、“古典派”に訂正した。その《ヴァイ
オリン協奏曲》第2楽章以降をもって“ロマン派”と呼ぶべきであると
主張したが、彼を説得することはできなかった。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19671031 NEO BAROQUE
 
── ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61 18061223 初演》

 David Oistrakh plays Beethoven Violin Concerto 1st mvt. Part 3
 
 with the Moscow Philharmonic Orchestra conducted by Kirill Kondrashin
 Great Hall of the Moscow Conservatory, 1959
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20081219 わが競奏
 
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なかなか難しいところですね…



専門家ではなく、1音楽愛好家の意見として聞いてください。

ソナタ形式、交響曲、等、形式観(単に名前だけでなく表現方式)が
かっちり決まっていて、それを原則的に重視しているのが古典主義で
自由なのがロマン派、と言ったら、あてはまらないものがいっぱい出てきますね。

主に、時代かな、18世紀後半が古典主義で、19世紀がおおまかにいってロマン主義。
それでも19世紀前半に活躍したベートーヴェンは古典主義ということになっていますし
ブラームスみたいな「新」古典主義もいますしね…。

王侯貴族や教会といったパトロンのお抱え音楽家だったバロック時代と
自由なアーチストとしてのロマン派の中間に位置し、モーツァルトのように
自由な生き方を模索していた作曲家もいた古典主義(でも、ベートーヴェンは?)。

シューマン、マーラーの交響曲、ショパンのピアノソナタ、等、古典主義的な形式で書く作曲家も
いますが、また弦楽四重奏は現代にいたるまで多くの作曲家によって書かれてきていますが
基本は自由な形式が各作曲家によって開拓されている…。

なんか、あっていないような…。
19世紀全体を「ロマン派」でくくるのはムリがあるけど、17世紀~18世紀前半をバロック時代、
18世紀後半を古典主義の時代、19世紀をロマン派の世紀といっても悪くないような…。

じゃ、20世紀は?

ごめんなさい、もっと専門的な観点からの書き込みを待ちましょう…(--〆)
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>クラシック音楽の古典派とロマン派は具体的にどう違うのですか?



古典派は形式の厳格さを極めた。
ロマン派は、古典派の極めた厳格さを崩して行き、自由な感情表現を旨とした。

西洋音楽の長い歴史の中で、様式・形式にこだわり、その制約の中で最高のものを作り上げたのが、古典派に分類される人たちです。モーツアルトがその代表で、端正な様式美というのが魅力となります。
例えば、ソナタ形式が確立し、その形式にこだわる中で、音そのものの組み合わせによるロジカルな遊びとも言えるのが古典派ですが、どんなものでも完成すると、その厳格さに嫌気がさしたり、面白くなくなってくるもので、それを崩していく方向に進むもので、これがロマン派(ロマンチック)ということになります。その過渡期に位置するのがベートーベンです。ベートーベンは、「運命」の冒頭のような意外な感情表現をしながらも、形式にあてはまった手法で曲を作っていましたが、その後の作曲家はほとんど様式にこだわることがなくなって、「感情を素直に表現する」という方向に進んでいきます。
これは、その時代の音楽のみに限らず、その他の芸術、例えば建築の様式、絵画の様式にも現れます。
古典派までの時代の絵画は、やはり写実性にこだわり、遠近法や光との表現などの技法にこだわって描かれていますが、その後はやはりそれが崩れて、自由な表現になっていきます。
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