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人間は死んでも魂はずっと生き続ける、ということをキリスト教でも仏教でも言っていると思います。

死ねば魂が体から離脱して天国なり地獄なりに行くのでしょう。幽体離脱という現象もかなりリアルに話す人もいます。

しかしながら、年をとって痴呆になる(ボケる)人もいます。

魂が存在し、その人に残っているなら痴呆になるわけがない(魂が全てを記憶しているので)と思うのですが、痴呆になった場合、魂はまだその人に留まっているのか、あるいはどこかに行ってしまうのでしょうか?

いわゆるまだらボケ(ときどきボケる)の人の場合は、ボケてるときは魂がどっかに行っているのでしょうか?で、正常なときは魂が戻ってきているということでしょうか?

ボケという現象だけを見ると人間は単なる機械なのかな、という気もしてきます。ボケるというのは、単に制御するコンピュータの一部が壊れてしまうということなのでしょうか?

A 回答 (10件)

この問題には私も悩んでいました。


私なりの結論です。

肉体には肉体の世界があり
魂には魂の世界があります。
しかし、
肉体の世界は魂の世界であり
魂の世界は肉体の世界です。
つまり、鏡と同じです。
魂が悪になれば肉体も悪人になり
肉体が悪人になれば魂も悪になります。
肉体がボケれば魂もボケるのです。

ボケを防ぐには
常に魂と会話する努力が必要です。
魂が活性化するように
常に前向きな思考が必要です。

肉体と魂が一つになったとき
人間は新しい世界を作れるのではないでしょうか?
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魂というものを何か誤解しえいませんか?


魂は「意識」ではありません、「本質」です。本質に蓄えられるこの世での経験は具体的なものではありません。
これもまたその本質を記憶しているのです。

死ぬということは体から魂が抜けていくことですけど、魂は何度も死を経験してはいますが「死」ということ自体を記憶しているわけではありません。死が怖いのは私達の意識の部分です。

【完全には伝えられないんで途中を省きます。
どれほど省くかと言えば、仏教の経文全てを読んでも生命とか生きるというものの本質を著しきれない。私自身理解し切れていないし、ましてや表現など出来ない。だからその分だけ省きます。】

想像してみてください。
もし死ぬ瞬間まで意識が完全で、今まさに心臓が止まるということが分かったらどれほどの恐怖でしょうか。
「老い」というのはその恐怖を無くしてくれる、死という関門を通り抜けるための準備なのです。ボケも老いの一つの現象です。
でも最近はアンチエイジングなどと言って老いるのを嫌がっている。見た目だけの若さに囚われているのです。
私はこの言葉を聞くたびに「彼らはどうやって死の恐怖を受容するのだろう」と思ってしまいます。
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マジレスすると人の魂は頭に入っているんじゃなくって胸の胸腺のあたりに入っています。


(ヨガで言うところのアナハタチャクラの場所。ヨガの本によっては
アナハタチャクラ=心臓となっている場合もあるけど魂のある場所は心臓じゃないヨ)

なので思考は脳みそで行いますが過去や現世の人生の体験は魂が
経験値として覚えています。

と言うことで脳みその機能に障害が発生して痴呆症になっても
生きている間は体の中に魂は残っています。
(脳波の無い植物人間はどうなのかについては判りません)
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現在は霊界通信で死後は天国も地獄もないことが分かっています。


とはいっても霊波動によって死後の人生が決まりますから、それに合わせて地獄にも天国にもなります。
本当の天国へ行くには何回か輪廻を繰り返す必要があり、
当然そこの境地に行ける人は人間に転生してきていないわけです。

ご質問の内容に戻りますが、魂はすぐ側にあります。呆けるのは肉体の脳の劣化です。
死後、魂は肉体から抜けて新しい世界に旅立ちます。
死後は記憶を劣化させずに生存できる世界であることは霊界通信で分かっています。
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幽霊の真偽はともかく霊は残留思念だと聞きますね。


ボケて死んだ後もシャワーを出しっぱなしにする老人の霊が
海外のホテルに出るらしくしょっちゅうシャワーが出てるそうです。

思考と魂は別と私は考えています。
思考があるから魂があるのではなく
魂の土台の上に思考があって魂を動かしていると。

なので思考である脳が破壊されたら魂は動かないんじゃないかな?
と結論がでたところで虚しくなったのでそれ以降は考えていません。

万物に魂があるとの宗教がありますが思考力の高い人間とその辺にある石
これが基本的に同じであり、同じ魂を所有してると思えばいいんじゃないでしょうか。
もしかしたら共有してるのかもしれませんしね。

行き着く先は哲学となるので正しい結論はでないかもしれません。
ですが私の結論、そして質問者さんが考えた結論が思考として死んだとしても
魂にそれが残ってると考えれば考える価値はあったと思えると考えます。

質問から話がずれてしまいましたが
>魂が存在し、その人に残っているなら痴呆になるわけがない
上記の理由で記憶(ハードディスク)があっても思考(CPU)が壊れれば
記憶を生かせないので残留思念(メモリ)での行動しかできないのでは
ないでしょうか。
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痴呆は、単に外的刺激に対して、肉体の行動や反応が一般人からみて、おかしい状態ですよね。


「魂」としては、何も変化がないけど、脳の機能に障害が出て正常に対応できないだけのこと。
怪我で手足を失っても、魂の手足は無くなりません。精神障害者でも魂は正常だと思います。
ちょうど、ガンダムの操縦士が魂だとしたら、ロボット(人間)の操縦系統が故障した状態ですね。
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人間がOKWAVEにアクセスし、様々な精神活動を行うには、「パソコン」というインターネットにアクセスするための道具が必要です。



魂が現世にアクセスし、様々な精神活動を行うには、「脳」という現世にアクセスするための道具が必要です。

「パソコン」に異常が起きると、その使用者が正常でも、OKWAVEへの働きが異常になります。

「脳」に異常が起きると、その魂が正常でも、現世への働きが異常になります。

パソコンが壊れた人は、「パソコン」に異常があるだけで、その人に異常があるのではありません。
認知症のお年寄りは、「脳」に異常があるだけで、魂に異常があるのではありません。

魂はどこにも行ってはいません。肉体にとどまって、身体障害と闘っているのです。たとえば、子供の頃、言葉の発達が充分でなかった時、魂で分かっていることを言葉で表現することが出来ませんでした。イメージを表現する手段が無かったのです。認知症はそれと似た感覚なのだと思います。また、思い込みなどは、魂のトラウマが作り上げた昇華行動だと思われます。
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魂と知性は違う次元なのです。



魂は生命力。
知性は人間が進化で勝ち得た肉体の一部です。
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それに近いかもしれませんね。

死んだらどこに逝くのかさっぱり分かりませんが、魂は永遠にあるとして、それと肉体は別ですから、やはり寿命のある肉体が限界にきているという事でしょう。どっかの宗教に属してはいませんが、そんな気がしました。ボケるのは、情報整理が追い付かなくなった状態をさします。
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科学的にはそれが心霊や魂の存在を否定する根拠となっています。

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