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当方はカラーになって結構経過してから生まれたこともあり、白黒テレビやカラーテレビ初期のことはわからないのが実情です。
ということで前回テレビ初期の思い出を聞きましたが、今回はその中でも白黒テレビからカラーテレビへの過渡期(1960年代半ば~1970年代初め頃)の思い出を聞かせてほしいです。
当時の思い出がある方は、ぜひ思い出を聞かせてください。

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A 回答 (10件)

大晦日に紅白を見ていて我が家はまだ白黒だったんで、出演者の衣装が何色なのかでよくもめました。


近くの親戚の家に行って帰ってきた父が自慢げに「スーツは紫色だったぞ」って言ってましたねぇ…。
妹は悔しいからと画面の下の方に出る「カラー」という文字を画面に紙を貼って隠したりしていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

カラーマークはアナログマークとは目的が異なりますが、結構苦痛に思われる方もいたようですね…

お礼日時:2012/11/19 20:49

番組じゃないんですけど。


カラーテレビがきて廃棄処分予定の白黒テレビの裏を開けて、
真空管を取り出して割って遊んでいたのを思い出しました。

当時は、割れた瞬間にポンッって音がするのが面白かったようです。
(危ないと親に怒られていましたが。)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

白黒テレビの早すぎる末路を感じますね…
(白黒すら安くはなかった時代が、15年ほどでカラーが当たり前の時代に)

お礼日時:2012/11/19 20:46

カラーテレビ(ソニーの1ガン3ビームのトリニトロン)が家に来たのは1969年の7月上旬です。

アポロ11号の月着陸があると言うことで急遽購入しました。
ところが、月面からの中継映像はな~んと白黒でした。家族そろって愕然でしたね。

当時、各社、○○カラーと言う愛称が付いており、パナカラー(松下、黄金回路もついていた)、キドカラー(日立、後にすぐに付くようにポンパ回路が付く)、ユニカラー/名門(東芝)、高雄(三菱)、サンカラー/日本(サンヨー、天然色カラーとも言っていた記憶が)、サンヨーは超音波リモコンを付けたけど、誤動作が多かったと聞きます。

検索したら、名称は他にもあったようですね
http://www.emitefil.com/column/mono/tv.html

また、日立がポンパ号というSL列車とキドカラー号という飛行船を仕立てて全国をキャンペーンして回ったのも懐かしいです(下敷き貰った)。

ところで初めて見たカラー中継は、金持ちの友人宅で見たジャングル大帝でした。その後、この友人宅に私も含めた貧乏人達がテレビの時間になると押しかけるという状況になりました。で、一番たくさん集まったのは吉田茂の国葬の中継の時でしたね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

ジャングル大帝の時代は、「♪うちのテレビにゃ色がない~ 隣のテレビにゃ色がある~」なんてCMをしていたそうです。

お礼日時:2012/11/18 22:30

忘れもしません。


「オジサン」が小学生の頃に、「カラーテレビ」は出現しました。
しかし、オジサンの家は「貧乏」で、高校生まで「白黒テレビ」でした。

忘れもしません。
『ウルトラマン』の「カラータイマー」も、「赤」で無く「白で点滅」してました・・・。
(泣)
忘れもしません。
『仮面の忍者・赤影』さんも、うちのテレビでは「赤い仮面」が「灰色」でした。
(泣)

一番恥ずかしかったのは、『宇宙戦艦ヤマト』を「白黒」で見てた事ですね。
この頃になると、「カラーテレビ」が普通って時代ですから。
「デスラー総統の顔色は、青い」
と言われても、最初は意味が分かりませんでした・・・。
(泣)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

それでも回答者様はまだましかもしれません。さらに以前の質問では、西部警察の時代になっても白黒という方がいたほどです…

お礼日時:2012/11/18 22:27

電話がダイヤルであったように、TVはチャンネルをガチャガチャ回すものでしたね。

NHKとNHK教育、地方の民放1社の3つしか観られないのに、頻繁に回すから接触が不良で映らなくなる。ドンと叩くとチカチカしていた画面がすっと鮮明な映像に変わりました。
初期のモノクロテレビは左右対称で漫画的なデザインで、見ないときは欠けてあるカバーが、映画館の緞帳のようで面白かったです。
モノクロ時代の番組ではフィリックス君、物知り博士ケぺル先生、ちろりん村とくるみの木、など記憶に残っているのはNHKの番組が多かったです。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/maetoshi/tanabe/tvprga …
三菱電機一社提供のプロレス中継。おそらく日本テレビで徳光和夫が実況を担当するより前の時代。力道山、吉村道明、豊登の全盛期。金髪の吸血鬼フレッド・ブラッシーというのがいて、力道山の額に噛みつきリングは流血の大惨事となるのですが、カラーで見たいとは思いませんでした。
実際にはカラー放送で、これをみた老人がショック死したとかで問題になりました。
これは、ディズニーランド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3% …(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
と交互の放送でした。

60年代後半に入って我が家にもカラーテレビが入ってきました。気になるのはカラー調整。
肌色が自然に出るのがいいだの、黒がくっきりだの、メーカ各社がいろいろなことを言うので、我が家では、しょっちゅう「カラー調整」のつまみをいじっていました。うちは肌色が綺麗というふれこみの■ナカラーだったので、大相撲の中継を見ては調整。力士のケツがピンクになったり黄色になったり。
本当はカラーでみたかったのは、スパイドラマのナポレオン・ソロ。セクシーなシーンで女性がやたらに裸になるドラマでした。中学から高校にかけての多感な時期に放送されていていました。
http://www.aga-search.com/890napoleonsolo.html
カラーテレビが入ればすべての番組がカラーになると思っていた私をがっかりさせたのは1970年頃の過渡期の番組で堺正章と森光子の「時間ですよ」。長寿番組なのになぜかモノクロでしたね。銭湯のドラマでサービスカットで女湯が出てくるけどモノクロゆえの健全さ?が大変残念でした。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2650.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

この時代の番組は、業務用ビデオがあまりに高額だったことや、当時のルールで安易な番組保存が禁じられていたために、残っていないことが多いですね…

お礼日時:2012/11/18 22:32

新聞の番組欄に「カラー」という文字がついていました



子供だったのでテレビに自動的に色がつくものと思い大好きだったアニメ番組の放送が待ち遠しかったです
しかし、当然白黒テレビに色などつかずいったいどうしたものかと裏の調節をいじりまくって親に怒られました

数年後真空管式のカラーテレビ(当時で30万円!)導入、8時ダヨ!全員集合の放送初日でしたが現代のテレビとは程遠いイメージしていたキレイなカラーではなく不自然な色でした(ウルトラマンもぜんぜんきれいじゃなかったですね)

昔のカラーテレビは家電の花形、画面サイズは19~20インチで大画面級、輪郭も角が丸くいかにも昔のイメージ、真空管式で消費電力は18インチで約330ワット、その上コンソールタイプの豪華ででかい木目のボディと各メーカーたいそうな商品名がインパクトありました、ちなみに我が家はサンヨーのサンカラー薔薇でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

今のような薄型はおろか、ステレオ放送・文字放送・衛星放送もない時代でしたね。

お礼日時:2012/11/18 22:36

カラーテレビが来て、最初に見たカラー映像は


ゴルフ番組でした。
芝のグリーンが鮮やかで、印象的でした。

キドカラーとか、テレビの名前にも「カラー」が付いていた気がします。

宣伝の飛行船も見ました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

カラーを売りにしたネーミングが多かったですね。

お礼日時:2012/11/18 22:38

小学生の時に自宅のテレビがカラーテレビに切り替わりました。



切り替わる際には、学校から急いで自宅に戻りカラーテレビが納入されるのを未だか未だかと心待ちにしていました。

カラーテレビが到着して、初めて放送を見た時の家族の第一声が「おお~色がついている!」でしたね。

その日の夕食時のニュース番組で各地の紅葉の状況を放送しておりまして、今までは白くとの濃淡でした味わえなかった各地の紅葉の様子が、色鮮やかな紅葉を見ることが出来て、家族みんなで大満足していました。

その時の家族の次の放送の希望は、「今度は、虹とオーロラの映像が見たい!」でしたね。

ちなみに当時はかなり高価な家電商品でしたので、私の家庭内の役目は「テレビの掃除係」でした。
毎日、テレビについたほこりを柔らかいタオルでお掃除する係です。

それ以来、液晶やプラズマ、3Dテレビなど色々なテレビを見てきましたが、あの時の色つきの画像の衝撃度には至りませんでしたね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

そう言われれば、高画質化しても、見た目にはわからない場合が多いですね。

お礼日時:2012/11/18 22:21

年がバレちまうんですがね



そのころのアニメと言うと 「魔法使いサリー」あたりですか。
白黒テレビの画面の隅に 「 カラー 」という文字が出るんですよ。
「カラーテレビを買えば もっと楽しく見られます」 「カラーテレビ買え」 ということですね。

あれ 最近も同じようなことがあったような・・・・ 画面の隅に「 アナログ 」 でしたっけ?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>そのころのアニメと言うと 「魔法使いサリー」あたりですか。
当方の小学校時代にもしていましたよ(再放送ではなく、続編?ですが)。

お礼日時:2012/11/18 18:55

カラー放送の時は、画面隅に「カラー」と表示されてましたね。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

今でもテレビ欄には音声多重・新番組・最終回・字幕ありなどの表記がありますね。

お礼日時:2012/11/18 18:54

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Q白黒テレビ・カラーテレビ初期の思い出聞かせて下さい

以前にも聞きましたが、当方はカラー化完了後に生まれたこともあって、白黒時代のことを知らない部分が多いです。

そのこで、その時代(おおむね昭和30~40年代)を知る方、白黒テレビ及び初期のカラーテレビについて、何か思い出があれば聞かせてください。

Aベストアンサー

こんにちは。

62歳のオジサンです。

我が家に初めてモノクロ(白黒)テレビが入ったのは、1959年(昭和34)の春でした。

当時は、私が小学3年生に進級した直後頃に「皇太子殿下・美智子妃殿下」の御成婚パレードをテレビで視聴したかった父親がテレビ購入の決断をしたそうです。

当時、父親の月給は3万3千円ぐらいでしたが、当時としては「高給取り」の部類だったそうで、16インチのモノクロテレビは5万5千円程度だったと記憶してますから、父親としても高価な買い物だったに違いありません。

私は、小学3年生になったばかりの腕白坊主でしたから、テレビで視る番組は「少年ジェット」や「七色仮面」など子供向け番組に夢中でした。

この年の9月に「伊勢湾台風」が発生して関東地方にも猛威を振るい、子供心にテレビアンテナが壊れないかと心配しました。

幸いにも、我が家には被害はなかったですが、テレビニュースでは各地の被害状況が生々しく流れてたのが印象に残ってます。

翌年、小学4年生になった私は「ゲルマ・ラジオ」という簡単なラジオを作ったことが切っ掛けで電子工作に興味を示し、中学生になる頃には真空管9本使った本格的な短波受信機を自作出来るようになってまして、アマチュア無線免許も取得するラジオ少年に育ってました。

近所でも、ラジオ少年の噂が広がりテレビやステレオの簡単な修理が出来る知識を中3の時に持ってたことで、近所のテレビを修理(映像回路の抵抗器交換)して千円のお小遣いを貰ったことが嬉しかったです。

この頃は、暇があれば無線機にかじり付きでしたから、テレビは殆んど視なくなり、現在のテレビを視ない習慣の元になったと思ってます。

カラーテレビは、1969年に東京・蒲田の電子専門学校に通うようになってから興味を持ち始めましたが、学生の身分では高嶺の花で通学路の途中にあった電器店のウィンドウ越しに覗き込む程度でした。

そして、卒業間近の1971年新春に父親が持病を悪化させて急死してしまったことで生命保険が下り、保険金の大半は葬儀費などに消えましたが、30万円近くが残ったことで、21インチのカラーテレビを16万円程度で購入したのが我が家では初のカラーテレビです。

この年4月から、私は社会人になりましたが、専門校卒の初任給は4万2千円程度でしたから、16万円のカラーテレビは20歳の若者の給料では簡単には買えなかった時代です。

こんにちは。

62歳のオジサンです。

我が家に初めてモノクロ(白黒)テレビが入ったのは、1959年(昭和34)の春でした。

当時は、私が小学3年生に進級した直後頃に「皇太子殿下・美智子妃殿下」の御成婚パレードをテレビで視聴したかった父親がテレビ購入の決断をしたそうです。

当時、父親の月給は3万3千円ぐらいでしたが、当時としては「高給取り」の部類だったそうで、16インチのモノクロテレビは5万5千円程度だったと記憶してますから、父親としても高価な買い物だったに違いありません。

私は、小...続きを読む

Qモノクロからカラーテレビ、カラー映画になった年、いつでしたっけ?

1939年制作の「風と共に去りぬ」という映画、DVDで見てて思ったんです。これカラーなんですけど、この時代の映画ってモノクロじゃなかったです?
それで知りたくなりました。

カラー映画になった年(アメリカと日本)、カラーテレビが普及しだした年(アメリカ、日本)を知ってたら教えて下さい。

Aベストアンサー

現在の主流に使われているカラー映画はカラーネガで撮影し、カラープリントで上映する方式ですが、基本的には1937年にドイツのアグファ社が最初に実用化したものです(1941年の「女たちもまた良き外交官」が劇場用では最初)。戦争などの影響があり、アグファ、富士、コダックなど主要フィルム会社が、現行の方式とほぼ同じカラー映画方式を実用化したのは1950年代です。

「風ともに去りぬ」を含め、映画用の35mm/70mmフィルムにおいては、カラーネガ撮影・カラープリントシステムが1950年代に登場・定着するまでは、モノクロフィルムが主流でした。撮影時にはモノクロネガを使い、3色分解撮影をし、ダイ・トランスファー方式という特殊な現像・プリント方式を用い、染色技術によってカラー映画として公開していました。この方式をテクニカラー方式といいます。

これ以前のカラー映画方式としては、特殊な映写機を用いる撮影・上映方式としてマーシャル・リーおよびエドワード・ターナーによるカラー映画(1899年)、アルバート・スミスのキネマカラー(1911年)があるとされています。いずれも、上映装置が複雑なため、普及しませんでした。テクニカラーは3度ほど方式を転換していますが、一作目は1918年の「The Gulf Between」で、テクニカラー方式の最終的な方式(3色分解による撮影・プリント)のカメラ・現像方式が完成したのが1932年とされており、カラー映画のはじまりは1930年代と考えることができると思います。
16mm・8mmの分野では、カラーフィルムとしてリバーサル(ポジフィルム)がコダックより発売されたのが1935年です(これ以前にもレンチキュラー方式等実験的な方式はありますが)。

上記は「撮影した映像を機械的・化学的な手法で正確にカラー映像にする」方法の歴史ですが、1895年のリュミエールによるシネマトグラフ発明直後から、手作業によってフィルムの1コマ1コマを着色、もしくは染色する方法のカラー映画が登場しており、20世紀初頭まではこのような着色映画が作られていました。

カラー映画・カラーテレビの歴史については「総天然色への一世紀 」(石川英輔)と「日本映画技術史」(日本映画テレビ技術協会)が参考になると思います。

なお、カラーテレビに関してはすでに回答がありますが、現行のカラーテレビの表示方式のひとつであるシャドーマスクの特許・公開実験が1938年(イギリス)、戦後(戦争で開発が中断した)アメリカでのカラーテレビの試験放送がCBSで1951年で、NTSC方式として規格化され、本放送されたのが1954年です。ただ、コスト的な問題があり(当時は屋外の取材やドラマ・アニメはフィルム制作)白黒放送とカラー放送が混在していたのはよく知られているところです。日本でカラーテレビの普及率がモノクロテレビを超えたのは昭和48年(1973年)頃のようです。

http://users.ejnet.ne.jp/~manuke/zatsu/eiga/kokusan.html

参考URL:http://www1.ushio.co.jp/tech/le/le19/19_02_05.html

現在の主流に使われているカラー映画はカラーネガで撮影し、カラープリントで上映する方式ですが、基本的には1937年にドイツのアグファ社が最初に実用化したものです(1941年の「女たちもまた良き外交官」が劇場用では最初)。戦争などの影響があり、アグファ、富士、コダックなど主要フィルム会社が、現行の方式とほぼ同じカラー映画方式を実用化したのは1950年代です。

「風ともに去りぬ」を含め、映画用の35mm/70mmフィルムにおいては、カラーネガ撮影・カラープリントシステムが195...続きを読む


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