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運の悪いことは重なる。

とよく言われますが、どうしてそんな現象が起こるのでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

世の中には「運の良いこと」と「運の悪いこと」と「運の良くも悪くもないこと」の3つしかありません。


これらに関して「続けて起こる」という要素で考えると、
「運の良いこと」と「運の良いこと」が続く。
「運の良いこと」と「運の悪いこと」が続く。
「運の良いこと」と「運の良くも悪くもないこと」が続く。
「運の悪いこと」と「運の悪いこと」が続く。
「運の悪いこと」と「運の良くも悪くもないこと」が続く。
「運の良くも悪くもないこと」と「運の良くも悪くもないこと」が続く。
の6通りです。
世の中の出来事は、全てこの6通りのどれかに当てはまります。

「運」とは、ネット辞書によると、「人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき」だそうです。
これは、「人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき」が仮にあるとすれば、それは人間以外の意志が生じさせているものだ、という認識が定着しているということになるでしょう。
実際、わたしたちは、そのような意味で「運」という表現を使うと思います。
人間以外(たとえば神など)の意志を推し量ることは難しいので、基本的に、その意志は人間に対して平等である、という前提に立たざるを得ません。
その結果として、特定の個人などに対して、
「運の良いこと」と「運の良いこと」が続く。
「運の悪いこと」と「運の悪いこと」が続く。
のように、不平等と感じられることが起きると、強く印象に残る。
ゆえに特記したくなる。
こういうことではないかと思います。
「重なる」というのは「同じ出来事が続く」という意味になると思いますが、それを含めて上の6通りの現象は世界中で常に起こっているはずで、しかも、それ以外の現象が起こることはあり得ません。
何に注目するのか、という問題にすぎないと思われます。

また、「運」の意味である「人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき」は、「幸とは何か」「不幸とは何か」といった人間一人ひとりの個別の、そして多種多様な感覚を基盤に成立している言葉なので、
「(良くも悪くもですが)不平等と感じられることが起きると、強く印象に残る。
ゆえに特記したくなる。」
という感覚は、単なる確率論を超えてしばしば表出する可能性は大いにあると思います。
個別の視点からすると「なぜ?」と思われることでも、上記6通りの一現象に過ぎないわけで、それが特別視されるのは、(正否はここでは問いませんが)みんな平等なのだから、その体験すらも平等であるべきだ、といった無意識的な心理も加担しているのでしょう。
    
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

お礼日時:2013/01/27 09:14

おっしゃるように重なります。


現象というより考察です。
重ならないのが物の道理という書き込みは根本的な錯覚であり、ランダムは重なる(近接する)という回答の方が物の道理が分かっていらっしゃる。ただ用語としては分散ではなく一様ではないと表現される方が好ましいです。
重なるのは他でもない数学の道理なのです。
ですから道理はよいとして、問題は重なる二つの運の議論の設定になります。二つの事象を同一の事象に扱える概念が必要になります。その概念が運の悪いなのだとは思いますが。
そう考えると、もしも無数に運の悪い事象があったら、運の悪いという前提が成り立たないので、運の悪い事象は実は少ない世界であり、その上で、想定中ではあるが不覚だった、それら運の悪い事が重なった結果、この程度なのですが、間違いなく不運が連続しやすいこの運命の中を不運を嫌う人間たちは生きていると哲学できますね。
このカテには珍しく、哲学らしいご質問です。
哲学しない事の真相は、丁度そんな感じになるよう自作自演して適度な運命観に一喜一憂している人間精神の悩み事です。
いずれにしても重なるのは事実と言っていいでしょう。
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

お礼日時:2013/01/27 09:15

まぁ運がいいことが続いているとその時に運が悪いことがおきてもすぐ忘れてしまうのではないでしょうか?


まぁ私はそうだと思いたいのですが運が悪いことは何故か続く・・・・・
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

お礼日時:2013/01/27 09:15

 こんにちは。



 No.1さんの回答内容と同じように考えます。

 《降ればどしゃ降り》と言います。

 運がいい場合を考えてみてください。
 気分がよく気分だけではなく体調も思考作用もよくなれば おそらくよい運をさらに引っ張って来ることが出来る。その可能性が増すというものです。

 ですから わるい場合には その反対に自分のまわりの世の中がまわる。
 ということではないですか?


 むろん つねにそうなるわけではないでしょうが。
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この回答へのお礼

お忙しいところ、ご回答いただき誠にありがとうございます。

これは、実話なんですが、私の実家の近所の親父が、タバコを買ったつり銭で、何気なく宝くじを買ってみた。それが、一等の当たりくじで、親父は一億円を手にした。しかし、親父はその直前にも、数億円の金を手中にしていた。私有地に道路が開通することになったからである。おそらく、その捕縄金が入らなければ、宝くじを買うという遊び心も生まれなかったかもしれない。運のいいことは続くものである。

お礼日時:2013/01/15 07:03

忙しくないので、また回答させていただきます。

運が悪いという現象も、ましてやそれが立て続けに起きるという現象も、起きていないと思います。

そう意味づけ(解釈・判断)しているのは自分であって、起きてる現象には初めから意味などないということです。

家庭環境も他人と比べて自分はひどいな、恵まれてるな、普通だなと自分で思い込んでるだけです。

ツイテナイと自分で思ってるだけです。

たとえ100人に聞かせて皆が同感してくれても、自分の解釈が正しいわけではありません。たまたま、全員がそう聞かれて同じような感想を述べただけです。

「皆もそう思うんだから自分の感覚は普通」「やっぱりツイテイナイんだ」と自分の意味づけを強いものにしてるだけです。

屁理屈に思えるかもしれませんが、哲学というより、経験からそう思っています。

どんな恵まれてると多くの人が思う環境にいても、本人は真剣に自分は恵まれてない、満たされていないと思ってる人もいます。目の前にお金がうんとあるのに、金がないと言っています。

反対にお金に生涯困り、病気で亡くなってツイテナイ人と他人から思われる人生でも、本人は自分は借金も無い、子供もいて、ひとり立ちさせた、恵まれてる、ありがたい、とっても幸せと言う人もいます。

自分勝手な親にひどい事されても親孝行してる人もいれば、親に愛情深く育てられたけど親に文句ばかり言う人もいます。

人生はわりと長い。多少不運続きと思われることもあるでしょうが、それを解消できる幸せをつくることもできる。

ツイテル、ツイテナイとあれこれ考えるの辞めて、ぼーっとしてみれば、天気はいいし、草木も鳥もまあ平穏にやっていて、世界は十分天国ですよ。
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

お礼日時:2013/01/27 09:16

ものごとを悪く捉えるからです。

本当はたいしたこと起きてなくても、悪く捉えるとツイテないなーと捉えてしまう。1回が2回、3回になるにつれて、運悪さが確信のように思えてくる。本人にとっては重ねて起きてるように見える。
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この回答へのお礼

お忙しいところ、ご回答いただき誠にありがとうございます。

確かに物事を悪く捉えがちな人がいますが、それが生来的あるいは環境によるものだとすると、これもまた、ツイテないなー、こんな性格に生まれちゃって、こんな家庭環境で育っちゃって、ということになっちゃうんですかね。

お礼日時:2013/01/11 01:08

 それぞれ皆さん、妥当な意見だと思います。

その前提で・・・。

 オリンピックで新記録が出る確率理論ってのがあります。(内容は忘れましたが)これがけっこう、当たるらしいのです。「運が悪い」は、その裏返しでしょう。けっきょく平均値は存在するが、局所的に見れば偏りがある、という事です。それは往々にして、運が悪くなった原因に気づかず、抜本対策を行わないからですが、どうもそうではないようなケースも、自分は経験しました。理由は謎ですが・・・。


(余談です)

(1)パチプロの多くは、もともとアマチュアとして勝ててた人達です。それでパチンコが好きになり、技術を磨いて運に頼らなくても安定収入を得られるようになった訳ですが、自分は、自称「セミプロ」と付き合った事があります。「セミプロ」が言うには、台の良し悪しは「感覚で判断する」との事でした。勘・・・?。

(2)畑正憲(ムツゴロウさんです)とともに有名だった朝田哲也は、麻雀にはゲーム年齢があると言っていました(死んじゃいましたから)。要するに、若い奴ほどツモの引きが強いんです。これは自分でも実際に経験した事です。「白」を捨てた瞬間に、「国士13面チャン!」と、10ほど歳の離れた奴に叫ばれた事があります。「国士13面チャン」なんて確率的に考えて、絶対一生見れないだろうと思っていたのに、当たっちゃいました・・・。

(3)その後、配牌ではぐちゃぐちゃだったくせに、「ピンズが来る!」と直感し、ピンズだけを集めていたら、10順目には食わないで、ピンズの清一色三暗刻ができあがっていました。このような手も確率的には非常に珍しく、上がったら非常な高点数になります。10順目なので迷彩も何もないまま即リーをかけたら、10ほど歳の離れた奴は、一発で振り込んでくれました。リーチ一発とドラ/裏ドラのおかげで数え役万となり、「国士13面チャン」の借りは半分くらい取り返せましたが、不思議なものです・・・。


 不思議なもので年齢を重ねると、麻雀におけるツモの流れは、ある程度読めるようになります。「ピンズが来る!」と直感したのは、過去の経験で蓄積された無意識のデータベースのせいでしょう。こういう場合には、誰も阻止できません(振り込まれなくても、ツモっちゃうから)。しかし経験を重ねると次第に保守化し、だんだん無茶はやらないようになって、負けの方が増えて行きます。データベースに、失敗の経験が多くなるからですよ。こういう人間は、ギャンブルをやっちゃいけません。現在は、麻雀を控えています。

 でも、その10ほど歳の離れた奴は、その後もう一回、「国士13面チャン」を上がりました。

 ゲーム年齢ってあるのかなぁ~?、運ってあるのかなぁ~?(^^)。
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この回答へのお礼

お忙しいところ、ご回答いただき誠にありがとうございます。

わたしのギャンブルにおけるアノマリーは、3度あることは4度ある、です。まあ、他にもいろんなのがありますが(笑)。

行動ファイナンスによれば、ギャンブラーは非合理的な勘違いをしていることになっていますが、そこで言われる非合理的な行動とは、本当に非合理的なんでしょうかね。

例え統計学や経済学の専門化であっても、コイン投げのゲームで10回立て続けにはずしたら、やはり不可解なものが残るのではないでしょうか。
すべての出来事が合理的な認識活動の中だけで了解されるとしたら、運という言葉は消えて無くなっちゃいますね。

お礼日時:2013/01/11 03:48

そんな現象は起こりません。



「運」である以上、能力や努力や怠惰や、環境因子などと因果関係が無い事象のことを言っているわけでしょう?
そうであれば、運の良いことも、運の悪いことも重ならないのが物の道理です。

たまたま発生頻度が偏った現象を観察し、それが強く印象に残ってしまった人が全体観を失って「重なるものだ、、、」と言っているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

お礼日時:2013/01/27 15:54

いちど、運が悪いことが起こると、冷静な判断力を失うからでしょう。


それで普段やらないミスをする。

もうひとつは自分に運が悪いという刷り込みをするからです。
思ったことが現実になる。
ただ、それだけです。
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

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お礼日時:2013/01/27 15:55

自分に原因があるのに運が悪いと思って反省しなければ、次も同じ事をやらかすでしょう。


本当に運が悪いだけなのか、そこが極めて重要ですな。
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この回答へのお礼

たいへん貴重なご見解をありがとうございます。

後ほど、補足させていただきますのでよろしくどうぞ。

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お礼日時:2013/01/27 15:55

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